ep32 誕生会への誘い
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窓の外は、空が鉛色の厚い雲で覆われていた。
温暖な気候だ、と言われているアーシュレイ領のアスタール地方でも、流石に2月の寒さは、身に堪える。 鮮やかな色が失われている為、視覚的により一層の寒さを感じてしまうのかも。
フヨフヨとわたしに纏わりついて浮かぶ不思議生物『モドキ』の半透明な淡い水色の姿ですら、微笑ましく思える程に、灰色に染まった外の風景は寒々しい。
行き詰まったランテ語での詩作に、羽根ペンをペン置きへと置いて、窓の外を眺めて、わたしは現実逃避をする。
詩作のお題は、来月に行われる降臨祭。
3月の最初の週に行われる降臨祭。
神の使徒であるユリウス様が地上に現れたことを祝う祝祭日。実は、ユリウス教が広まるまでは、旧歴の3月を新年として、アトラス大陸のロマン帝国で祝っていたそうだ。
そこに目を付けたユリウス様は、新たな暦、『聖歴』を作った時に、ソラリス神が顕現した12月の翌月である1月を新年と改変したのだ。───と、教育係のミランダから学んだ。
ミランダが皮肉っぽい性格に成ったのは、離婚が中々に許されなかったユリウス教のせいだと考えてしまうのは、穿ち過ぎだろうか?
それは兎も角として、偉大過ぎるユリウス様の誕生日に、何を想えと言うのだろうか?
「あのー、ローラン先生。」
「うん?何か思いついた?ずっと窓の外を遠い目をして、眺めていたみたいだけど。」
「‥‥いえ、別に何も。どうせなら、わたしの誕生日とか、ジルの誕生日とかじゃ駄目ですか?」
そうよ。
500年以上前の伝説級の人物より、数日後に控えたわたしの誕生日や、再来月のジルベールの誕生日のことを想った方が、未だ言葉が浮かぶ。
ローランの教育方針で、ひたすら聖書を清書させられていた典礼言語であるランテ語の授業。読みづらい聖句なぞも無視して、ただただ聖書を写本するのだ。
その内に、言葉が浮き上がって来て、砂地に水が沁み込むように、わたしの身の内が聖句で満たされるそうだ。『何、それ怖い。』
諳んじれるように為り、身が清められるようになると、ランテ語の聖句を美しく書くことが出来るらしい。
そうなったら、羊皮紙に写本させて頂けるらしい。───それって、誰得?
絶対ローランは、真面目に神学を教える気なんて無いに決まっている。
聖書の解釈や歴史、教義についてローランは、何も教えて呉れないし、教育係のミランダに聞いたら「神学は主に男性が学ぶものですわ。女児であるオリビア様が学んでも、魔法は使用が出来ませんからね。」と、首を傾げて、訥々と答えてくれた。
その点をローランに問い質すと「まあまあ、そう言うわずに、僕を信じてやって見よう。」わたしの詰問を柳に風の呈で聞き流し、見惚れる笑顔をわたしに向けて、ランテ語の書き写しを飄々と命じるのだった。
そして今日は気分転換だと言って『降臨祭』をお題の詩作を楽し気にローランは語るのだった。
絶対これは、ローランにおちょくられている。
ローランは、わたしの近くに置かれた長椅子へ深く腰掛け、グレーの修道服を上品に着こなし、ヤル気なさげに背凭れへと身体を預け、煙るような長い睫毛を伏せ、昼寝に突入しそうな抑揚のない気怠い声で、ユリウス様のサガをランテ語で話している。
湯気の立つサモワールを置いた火鉢を近くに於き、長い腕を組んだその態度は、教師としてどうなのか。メイドたちに運ばせた火鉢は、出来ればわたしの文机の傍に置いて欲しいのですが。
「どう?オリビア。役に立った?」
「いいえ、全く。ランテ語のサガは、未だ聞き取れません。ローラン先生。」
「おやっ、そう?僕が教え始めて二ヶ月以上経つのに?困ったね。昔から聖書でランテ語を習っていたとクラウディア次期侯爵夫人から聞かされていたのに。」
「元々が苦手なんです。形容詞と修辞的な表現が難解で苦手なの。と言うか、ローラン先生。わたしは未だ7歳ですよ。ランテ語で聖書をスラスラと読めないのに。」
「僕は7歳で全てクリアしたよ?ランテ語の聖書は3歳前に読めていたからね。」
「ハイハイ。ローラン先生は、スゴイデスネー。」
「そうだ!誕生日を祝って欲しいって、オリビアは言っていたよね。ではランテ語で記されたユリウスのサガを誕生日プレゼントとしてあげるよ。オリビアの聖書への理解が深まるだろう?」
良い事を想い付いたみたいに、伏せていた瞼を上げ、深い紫眼を見開いて、キラリと喜色に瞳を輝かせ、右端の口角を器用に上げる。
そしてローランは目の前に置いた、オーク材で作られたトライポッドの小さなワインテーブルの上にある白いティーカップを持ち、楽し気な表情で口を付けた。
「いらないです。」
苦手だと知っている癖に、ランテ語の本をプレゼントすると言う、嫌味なローランの気取った笑顔が腹立たしく、わたしは邪険に言い捨てた。
何とか言い返せないかと、暫くわたしは思案し、───そしてローランに話し掛けた。
「わたしの誕生日は、サロンで家族の夕食会を開くことにしたのです。礼拝堂に招待状を送りますから、是非、いらしてください。誕生日のプレゼントは、それで十分ですわ。」
これが反撃に為るかどうかは分からないけど、母をまじえた食事会を又もや、のらりくらりと躱していたローランに「わたしの誕生日を祝え!」と強引に口説くことにした。
招待状を送られれば、儀礼的にでも返事を返さねばならない。
今までは会話の中で母と弟の夕食会に誘って居たので、躱すこともマナー違反に成らないが、今回はアーシュレイ侯爵家としてローランへと招待状を出す予定だ。
アンゼル枢機卿から推薦されて教師をしているローランであれば、名誉なことだと祖父も喜んで招待状を出して呉れるだろう。
ユリウス教教会関係者であれば、特に高位貴族からの信頼が厚いのだ。
きっと祖父は、二つ返事で招待状を出して呉れるだろう。
ふふっ!
どうよ?この完璧な意趣返し。
どうもローランは、わたしや弟のジルベールと気安く接することは厭わないのに、母と接することから逃げているように見える。
弟の願いである、母とローランを誘っての夕食会は、未だに叶えられていないのだ。
不甲斐ない。
母でもサロンでの夕食会は、流石に侯爵家のマナー的に消極的だったけど、祖父がわたしの誕生日に家族での食事会を開いて呉れるので、それ以降は、偶になら親子3人での夕食会が叶うと考えて居る。
メガネの件が在るので、家族だけの食事会にしてくれた祖父は、曾祖父が話していた様に、やっぱり優しいのだと思う。ちょっぴりに厳しい顔が、未だ怖いけども。
中々ローランに、良い一撃だと思い心の中でニンマリ。
わたしは、両の口角を上品に見えるように上げ、ローランに向かって、メガネ越しに目を細めた。
さて、ローランの返答はいかに!?
◇