ep30 ローランの観察日記
◇◇
領主館近くに建てられた礼拝堂の一室でロベリア教皇宛の手紙を書き上げて、ローランは執務机から身体を離し、席を立った。
◇
ローランが滞在している礼拝堂は、フローラル王国建国以前に、物見の塔として建てられた東棟近くに在り、濃灰色の石を用い、ヒイラの蔦が絡まる古色蒼然としたシンプルで小さな建物だ。
東棟には、アーシュレイ騎士団本部が入っており、少し離れた場所に騎士団宿舎が建てられている。
ローランが、神聖ロベリア教皇国から特使としてアーシュレイ領へと派遣され、王都パルスのセクティウス大聖堂からオリビアの母であるクラウディア・アーシュレイ次期侯爵夫人と共に、領主館近くに在る礼拝堂へ訪れてから2ケ月に成る。
祝福の儀で、星見のアーティファクトの台座に現れた枢機卿候補転生の聖印を得て、調べてみると有り得ないことに女児であるオリビア・アーシュレイ侯爵令嬢だった。
ユリウス教が興ってから、歴代の枢機卿候補の生まれ変わりは、全て男児だったことを教皇を始めとした2人の枢機卿を含めた3人は知っていた。
その異変に教皇は、早速トリと呼んでいるアンゼル枢機卿をフローラル王国のアーシュレイ領へと派遣したのだ。
都合が良いことにフローラル王国では、神事で或る狩猟大会を催していた為、神聖ロベリア教皇国から祭事の無事を願って枢機卿を派遣する体で、2人の枢機卿を遣わした。
西方ユリウス教国諸国に在る《時の門》を使って。
《時の門》は、各国の大聖堂と神聖ロベリア教皇国のユリウス大聖堂を繋ぐ移動用のアーティファクトだ。
ユリウス教本拠地であるユリウス大聖堂の枢機卿たち上層部と、各国で教皇からの王位継承の儀を授かった者しか《時の門》の存在を知らないし、使用許可が下りない。
遠方へと転移が叶う《時の門》は、奇跡の御業の1つとして、その存在を厚いヴェールで覆い隠されている。
イレギュラーな枢機卿候補であるオリビア・アーシュレイ侯爵令嬢との面談をアンゼル枢機卿が行い、彼女はソラリス神の使徒たちの生まれ変わりで無いことが確認された。
しかし、彼女は自我を持った水の精霊と自我を持たない無数の精霊を無自覚に視、知覚が出来るようになっていた。
自我を持った水の精霊から聞き取りをした結果、神聖言語が使えないオリビア・アーシュレイ侯爵令嬢は彼らとのコミュニケーションが取れず、視界悪化の所為で、日常生活も儘ならなく成って居た。
オリビア・アーシュレイ侯爵令嬢は、余計なことを喋らない性質らしく、視界さえ元に戻せば通常の生活に戻せると判断したアンゼル枢機卿が、水の精霊石で視力補正具を作り、渡すことにして一度目の面談を終え、神聖ロベリア教皇国へと帰郷した。
彼女に精霊が視えて居なければ、教会側は放置で良かったのだが、基本的に生まれ変わりの枢機卿候補にしか視えない現象なので、不測の事態を回避する為に、現在の枢機卿候補の1人であるローランを神学の教師としてアーシュレイ侯爵家へと派遣した。
末端の下位貴族であれば、適当に攫って、聖都で軟禁も出来るのにと、ロベリア教皇である『モノ』が、ぶーたれて苛立っていることをオリビアは知らない。
その年若いロベリア教皇を宥めて、枢機卿候補のローランを特使にするように、口添えをしたのがアンゼル枢機卿であることも、当然、知る由もない。
男児であれば、教会の寄宿舎で囲い込めるのだが、オリビア・アーシュレイ侯爵令嬢は女児の為、秘密裏に観察と保護をローランに、ロベリア教皇たちが命じたのである。
ローランは、祝福の儀で記憶の封印が解かれて、連綿と続く使徒としての記憶が戻って以降、久しぶりに感じる新たな興味の対象で或るオリビアの存在に、溢れる好奇心が抑えられないでいた。
使命としては、力と知への探求を抑制する律法の厳守を課せられている為、目新しいことに出逢えない日々をローランは過ごして居たのだ。
未だに特定の精霊と契約を結べていないローランからすれば、神聖言語も扱えないオリビアが、分けも判らず、水の精霊と契約している様が、珍妙で面白く感じるのだ。
偶に、酷く迷惑そうな眼差しで、水の精霊を睨んでいるオリビアの姿に、ローランは笑いを嚙み殺し、可笑し過ぎて震えそうに為る身体を理性で押し止めていた。
ユリウス教会の祝福の儀は、司祭が魔力を体内で巡らせ、ローランのような枢機卿候補の記憶の封印を解き、禁忌の縛りの刻印を施す為にある。
現在の様に西アトラス大陸で、使徒の教皇と枢機卿保護が、巧くシステム化出来たのは、200年前、大シスマでユリウス教が東西に別れ、聖歴が出来た240年ぶりに、生まれ変わりのロベリア教皇を含む13人の枢機卿が揃い、魔法の禁忌事項を聖典に追加で記し、俗世との関りを最小限に断つ、西方宗教協定を発してからだ。
(※聖歴261年)
東西が分れた大シスマは、生まれ変わりの枢機卿が1人しか存在しなかった為に起こったと、ユリウス大聖堂に在る閲覧禁止のロベリア教皇史へと著されている。
祝福の儀で、使徒の生まれ変わりと見出された後、教会の寄宿舎で保護と教育を施され、精霊と契約を結べると枢機卿候補から、枢機卿へと昇格する。
その一つの目安を、女児なのにアッサリと無意味にクリアしているオリビアは、変体なのである。
教会が、秘している魔法の理である精霊が視える特異性は、社会制度の綻びにも為りかねないと教皇たちが、戦々恐々としていることを知らないオリビアは、今日も能天気にローランとお茶の時間を楽しんでいた。
11月のヴァンダンジュが終わり、ソラリス神の顕現祭の12月も過ぎ、慌ただしい年が変わって、来月に成ればオリビアは8歳を迎える。
聖歴に成ってから新年は1月に成ったが、700年経った今でも、人々の祝う新年は旧暦の侭で、3月だ。きっと各地に残る伝統的な祭りが、其の侭、残っている所為だろう。口伝や歌で紡がれる物語は、人々の血や骨に溶け込んでいる。
「2月には祭事が無いけど、わたしの誕生日があるのよ?ローラン先生も祝って下さいね。」
オリビアは、水の精霊石で作った金縁メガネの蔓を小さな右手で直しながら、小さな身体の胸を反らして、自慢げにローランに話し掛けて来る。
少々反抗的なオリビアだったが、(ローランがオリビアの質問を体よく躱していた所為だが。)ヴァンダンジュが終わり、弟のジルベールと夕食を再度、共に食して欲しいと頼んで来てからは、ローランに対して、素直な言動に変わった。
別段ローランにとって、ジルベールたちとの夕食の誘いは、嫌な依頼ではなかったのだが、敢えて時間を掛けて、オリビアからのお願いの言葉が変化して行くのを楽しみ、顕現祭の始まる前に、了承の返事を出した。
初めは貴族令嬢らしい丁寧な口調での夕食への誘いだったが、回数を重ねるごとに、オリビアの言葉が荒く成り、最終的には「いい加減、ウンって言いなさいよ。ジルが首を長くして待ってるのよ?此のドーテー野郎!」と言うオリビアの下品な罵りにローランは噴き出し、ジルベールとの夕食の誘いを受けたのだ。
今は、母親であるクラウディア・アーシュレイ次期侯爵夫人をサロンでの夕食会へと誘う為の相談を受けている。
秋冬は、領地内での社交が多いアーシュレイ領では、母親であるクラウディアを弟のジルベールとの夕食会に誘うのが難しいと、メガネ越しに澄んだ淡い青の瞳を揺らして、ローランへと溜息と共に相談していた。
それをローランは「そうだね」と軽くいなして、意地悪く微笑み返していた。
子供相手に大人気ないと苦笑しつつ、ローランはオリビアとの会話を楽しんでしまうのだ。
ローランは、そんな自分に自嘲しながら、言動がどこか異質なオリビアを生暖かい目で観察し、偶に話し掛けて来るオリビアの精霊と軽口を叩いて、今日の観察日誌を書くことにした。
◇◇




