ep22 貴族の微妙な矜持
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今一つ評判の良くないシンプルな金縁メガネを掛けて朝の支度を終えたわたしは軽く溜息を吐く。
王家主催の狩猟大会を終えて、祖父母は一週間ぶりに王領の猟場から、領主館へと戻って来た。それを西棟の玄関ホールで母たちと出迎えて、顔を合わせた途端、複雑そうな微妙な表情をされた。
直ぐにいつもの顔に戻した祖父母は、一階のサロンへ向かうようにと、わたしと母のクラウディアへ告げた。隣に居た母が僅かに緊張した気配を察した。
ノーマルな一頭立ての馬車代と変わらない対価をメガネ代に支払ったそうなのだが、高額だから祖父母たちの機嫌が悪くなった訳ではない。
メガネを掛けた状態でわたしが玄関ホール迄、出迎えに出たのが納得が出来なかったのだろう。
高位貴族として、他人に弱点を晒さない矜持ってのがある。詰りは、プライベートな場所以外で、メガネを掛けているってコトは、視力が弱いって触れて歩いているのと同義。祖父母から見たら「何やってんだ!?」状態なのだろう。
迎いに出た1階の玄関ホールは、公的なエリアに準じる。幾ら西棟がプライベートエリアだとしてもだ。
クリアな視界にテンションが爆上がりして、中央塔と東棟へ燥いで館内散歩したと、祖父母たちに知られたら、祝福を得て機嫌の良かった二人に叱られそうだ。
祖父母の微妙な表情を見るまで、わたしは高位貴族にとっての『メガネ』の価値をすっかり忘れてた。
偶に居るらしいメガネを掛けてる人って、高位貴族から雇われている家令や執事長だったり、王宮で王侯貴族の指示を受けてる官僚だったりする。
事務作業を熟す為に頂く、主からの受領品なんだよね。
そんな訳で、女性や子供が陽気にメガネを掛ける風潮は皆無。
下手をしたら婚姻の瑕疵になるかも?
憂鬱なコトに気付いて、わたしはトボトボとホールからサロンへと、デジレたちと別れ、肩を落として歩いていく。
恐らく母のクラウディアも其の事を忘れていたのだろう。
母もわたしと同じ、高位貴族らしくないウッカリさんだから。
シオシオと萎れた母から一歩下がって後ろをわたしは付いて歩いて、サロンへと入って行った。
◇
アイスグリーンの壁には、穏やかな秋のアーシュレイ領の風景画や彩色豊かな絵皿が飾られている。
暖炉の近くに在る、大理石で造られた天板を置いた楕円形のテーブルへ、給仕を担った執事見習いがわたしたちを案内した。
祖父母たちが座るだろう豪華な2つの肘掛け椅子を空けて、わたしと母とジルベールが、猫脚の長椅子へと腰を下ろして行く。
先月まで美しい鎖骨を見せていたデイドレス姿だった母のクラウディアは、細い首を包む繊細なレース―のカラーを付け、厚みの或るラズベリー色のデイドレスを身に着けていた。
母に少し元気が無いのは、当主で祖父のレイモンからの叱責を警戒しているせいかも。
折角ジルベールは、狩猟大会の結果を聴くのを楽しみにしていたのに、迂闊なわたしの所為で申し訳ない限りだ。
「お母さま。メガネを掛けた侭お出迎えしたから、お祖父さまに叱られるかしら?」
「‥‥‥そうね。私も遂うっかりしていたわ。リビーには一言くらいで済むと思うわよ。」
「ボクは大分、見慣れました。メガネ掛ける以前のような睨むような目付きより、今の方がボクは良いと思う。」
「うん。有難うジル。そして、ごめんなさい、お母さま。」
ボソボソと互いに慰め合うように囁き合っていると、着替え終えた祖父母は暖炉が焚かれている暖かなサロンへと入って来た。
わたしたちが立ち上がろうとするのを祖父は右手で押えて、従者たちに椅子を引かせて、それぞれの席へと着いた。
チラリと祖父母の様子を窺うと、其処まで機嫌は悪くなさそうに見える。
「コホン」と祖父レイモンが咳払いをして、薄い空色の眼を向け、わたしの顔をジっと捉える。
「いつ視力補正具の注文を?」
「は、はい。お義父様たちが狩猟大会へ立たれて直ぐですわ。急に視力が悪くなったみたいで。」
「そうか。しかしオリビアには、もう少し華やかなモノが似合うのではないのか?鼻梁部分と蔓は花のデザインにしたり、宝石を嵌め込んだりしなさい。女の子だというのに優美さがない。」
「は、はい。オーダーをし直しますわ。」
アレ?怒られないゾ。
でもちょっと待った!!
このメガネって、凄く軽くて着けていても疲れなくて最高なのだけども。
流石、ユリウス教会の枢機卿さま、視力検査も無しにピッタリのメガネを作らせるなんて、と感動しているのに。
割れた時の為に替えは欲しいけど、宝石なんて付けられたら重く成りそう。
「あ、あのお祖父さま!これはアンゼル枢機卿さまが、作って下さったモノですから、とても有難いメガネなんです!!デザインが気に入らないから他モノを、と言うのはバチが当たりそうで。ねっ!お母さま!?」
「え、ええ?えー。確かにそうですけど。」
「何と!アンゼル枢機卿台下が、、、。」
吃驚した祖父の感嘆符が飛び交い、母のクラウディアへアンゼル枢機卿について質問の嵐。
わたしが、アンゼル枢機卿に呼ばれて1人で対応したと母から聞き、「どのような人で、どんな話をしたか?」と祖父に尋ねられ、『カルトなクイズマニアで変な人』と有難いと言った手前、素直に答える訳にもいかず、「知的探求心の高い方でした。」と答えるに止めた。
そして、枢機卿繋がりで、王領の猟場までサプライズゲストとして現れた、もう1人の枢機卿の話から、弟のジルベールが楽しみにしていた狩りの話題に移り、紅茶に焼き菓子をつまみながら歓談した。
一時間ほどのティータイムを楽しみ、お開きになる頃、祖父のレイモンが薄い空色の眼で、しっかりとわたしの瞳を見つめて、「視力補正具を着けるのは、2階のプライベートエリア限定だぞ。」真面目な声で、念を押した。
メガネを掛けるのって、やっぱり貴族としてのプライドを祖父からすれば、微妙に傷つけるみたい。
サロンから立ち去りながら祖父と祖母は、「アーシュレイ侯爵家の家系では、目の悪い子は居なかったのだが。」等と、互いの家系の病歴とかを話していた。
わたしは言いたい!
『目が悪くてメガネを掛けている訳じゃない!!』
恐らくエフェクト効果の要因であるフヨフヨと漂って浮かぶ『モドキ』をジト目で見ながら、やるせない思いを飲み込んだ。
◇◇