ep20 メガネをかけた悪役令嬢(仮)
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アーシュレイ侯爵家の領主館は、フローラル王国の北西部に位置し、現在はオベリスク帝国から独立を果たしたプロメシア王国と北部の国境線を挟んだアンテール地方に在る。
高台にある領主館は、過去、約20km先の南東に在るオルサ河と聖堂の北側を流れるノルド川を見張る物見の塔として作られていた。
領主館は中央塔と東棟が其の名残りで、ロウグ湊のパルテール地域から聖堂の或る場所に領都を移した。 そして、小さな公園規模の中庭を作り、西棟を増改築して、広大な敷地を持つ新たな領主館を初代アーシュレイ侯爵たちが創り上げた。
聖堂から帰宅した翌日、わたしはアンゼル枢機卿たちに作って貰った金縁の眼鏡を掛け、視界がクリアになったことを確かめる為、ハイテンションで長い回廊をエミリアたちと抜け、護衛騎士のアッシュを伴い東棟にある3階の展望台を兼ねた広いバルコニーから、遥か南東に在る低地のオルサ大河を眺める。
刈り取られて耕されたなだらかな焦げ茶色の小麦畑や実りが残る果樹園、所々に広がる低木の紅葉した雑木林、道なりに点在する集落は、ミレーの油彩を思い起こさせる。
そしてその先の遠くに長大な東から西へとゆったりと流れるオルサ大河が見える。
高所から見える遠望は、なかなかに雄大で感動的だ。
東へと目を転じて見降ろせば、外門から続く緩やかに下って行く広い舗道の向こうには、北から流れるノルド川が白亜の聖堂に隣接する鐘楼を中心にして扇形に広がる領都を横断して西へと流れている。
わたしは初めて掛ける眼鏡の感覚が楽しくて、少し燥ぎ過ぎている自覚は或る。何せ、ぐるぐると迷路のような回廊を小一時間近く掛けて、館内散歩をしている位だから。
領主館のプレイベートエリアである西棟では、護衛騎士を伴う事はないが、エントランスの或る中央塔や東棟の第三者が入館する公的なエリアでは、幼女から少女となったわたしが移動する際、面倒だけど護衛騎士を伴わなければならない。
マジで面倒だけど。
序でに、フヨフヨと浮かぶ半透明の『モドキ』は、クリアな視界に入っても、取り敢えずは、視えないことにした。
絵画や装飾品が飾られた長い回廊を通り、公務を行う東棟から迎賓館を兼ねた中央塔を抜けて、多く設けられた窓から斜光が差し込み、広く明るい回廊から西棟に着く頃やっとわたしのテンションが落ち着き、疲れたので2階の私室へと戻ることにした。
西棟エリアの回廊入り口で、護衛騎士のアッシュたちにお礼を伝えて別れ、侍女のエミリアとわたしは自室へと向かう。
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「もっと可愛いくて華やかなデザインの視力補正具を作れば良かったのに。」
と、母と弟にはイマイチ不人気な金縁のメガネだけど、シンプルで軽いのが一番だと、個人的にはコレが気に入っている。
同じ年のデジレとコレットの感想も微妙だったし。
仕事中の人が多いので部屋で待ってもらっていたデジレたちに「ただいまー」と挨拶して、オリーブグリーン色のベルベット張りの長椅子と猫脚のローテブルが置いてある場所へと歩いて行く。
慌てて近付いてきたコレットに明るいピンクのオーバーコートを脱がせて貰い、長椅子に腰掛けようとするとデジレがデイドレスのスカート部分のドレープを手直しして呉れる。
わざわざわたしと同じ年のデジレやコレットが、そんなことをしなくても良いのにと思うのだけど、侍女のエミリアとセリーヌが「彼女たちの為、早めに慣れさせてあげてください。」と異口同音で話すので仕方なく任せている。
「自分のことは自分で遣りたいですよね。」
ポツリとそう零したデジレの言葉に、激しく同意だ。
領主館敷地内で暮らしていたデジレの家では、使用人が2人しか居なかった為、他人の手を借りない生活に慣れていると話していた。
わたしはデジレとコレットに、長椅子と同じスタイルで造られたオリーブグリーン色のベルベットを座面と背凭れに張った椅子へと、座ることを勧め、新米侍女のナタリアにカモミール・ティーを頼んだ。
マジマジとわたしを見ながら対面の椅子に座り、少女らしいふっくらとした丸顔のデジレが口を開く。
「やっぱりメガネ姿のオリビアさまには、未だ目が慣れないですわ。」
「もう、デジレは、、、。オリビアさまに失礼ですよ。私は学習なさるのにも、苦労されていたご様子でしたから、心配していました。祖父のセバスも此の所心配して居りましたし。でも補正具を掛けてからオリビアさまが楽しそうなので良かったです。」
「エヘっ。有難うコレット。デジレは、これから慣れて行くわよ。でも読むよりも館内を移動したりする方が見えにくかったから、視界良好になってわたしは満足よ。まあ子供でメガネを掛けて子が少ないから、目立ってしまうのは仕方ないわ。」
「未だ見慣れないけど、メガネを掛けたオリビアさまは、インテリに見えますよ。」
「ふふ。デジレもそう思う?メガネって、掛けてると賢そうに見えるよね?」
「ハイ!見えますね、コレットもそう思うよね?」
「、、、私には、お二人の言っている意味が解りません。」
どうやらコレットには、『メガネ=インテリ』の図式を理解して貰うのが難しそうだ。
時折り失礼な言葉を零すけど、矢張りデジレとは、わとしと感覚的な所が合う。他の侍女たちやコレットがデジレの失言を注意しなければ、わたしとしては気に成らないレベルだし、寧ろ好ましいとすら思える。
コレットは、流石セバスの孫って感じで、慎み深くて、わたしよりお嬢さまに思える。
むしろ7歳で、わたしを一番に考えた行動が自然と出来るって、凄いとしか言えない。少女としての淑女作法も教育係のミランダから満点を貰っている。セバスの家では、どんな英才教育をされているのだろうか。デジレとは違った意味で興味が尽きない。
わたしはデジレとコレットに館内散歩の話をしながら、指先で金縁のフレームを押えて、メガネの位置を整える。
メガネをかけた悪役令嬢って、つり目の印象が薄まるから、ヒールに向かなそうね。
そう想い付いたわたしは、口の端が上がって、無自覚に微笑んでいた。
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