ep2 うちのジルたん
天蓋のカーテンを侍女見習のナタリアに開かれて、メイドたちが折り畳み式のサイドテーブルに置いた洗面用具で、わたしは顔を拭われ、朝の支度を整えられる。
侍女見習のナタリアは、分家筋にあたるオルド子爵家の第6子で、現在11歳になる。
淡いオレンジ色が僅かに入った暖かみの或る薄いシャンパン・ブラウンの髪を三つ編みにして、少し灰色がかった透明感の或るライトブルーの丸く大きな目を輝かせたそばかすが可愛い女の子だ。
領主館で勤めている侍女や乳母・侍女長・家令や執事たちは、縁戚や過去に家臣であった寄り子と呼ばれる下位貴族の者が殆どだ。
アーシュレイ侯爵家と言う一族経営会社みたいなもので、「保護して上げるから領地運営に協力してね」って形かな?家令や執事以外は、基本的に使用人たちへ賃金を支払っていないのよね。領地での社会的な信用や衣食住と婚姻のお世話などが、その代わりらしい。
アーシュレイ侯爵家の当主は、王都の宮廷での仕事をメインにしているので、領地運営は代々家令や執事を任されている家や親族に任せている。
フルーヴ王家が約80年前に建国する前は、アーシュレイ公国として活躍して居たらしいけど、オベリスク帝国の選帝侯たちとの国境を巡る戦にも飽いていた為、フルーヴの初代国王と対話して忠誠を誓ったとか。
戦乱の収まった小康状態にある西アトラス地域のフローラル王国で、俗に言われる中央貴族の王党派だ。
アルター地方のオルタ河の畔で、初代フルーヴ王とアーシュレイ公主との忠誠の儀を行っている絵画がエントランスホールの目立つ位置にデデーンと飾られている。
一方で母のクラウディアは、北方のブランシェ辺境伯家の第3子であり、フルーヴ王家に恭順はしたけど忠誠は誓って居ない「領地が最高ー!」と思っている自主独立気風な地方領主貴族。
アンド武闘派…いわゆる北方の脳筋一族である。
母のクラウディアも見た目は華奢で所作は嫋やかなのに、わたしや弟のジルベールと会話する時は、「力こそが正義よ。」と言う始末。
領民が土地問題で揉めると代理人なしの「決闘裁判」を家令に告げて窘められている。
前世の記憶が戻る前のわたしは「正否を神に委ねるのが、あと腐れがなくて一番良い方法だ」と言う母の教えを鵜呑みにして居たけど、今なら思う……母は調停が面倒なだけだったのよね?と。
インテリ都会っ子な父ロベールと田舎の脳筋気質な母クラウディアの縁談を強引に纏めたのは、先王ロイス3世と王党派のドンで宰相だったラクール公爵である。
中央政治に興味を持たず独立独歩の意識が強い5つの辺境伯家を婚姻に寄り、忠誠心の高い王党派と繋がりを持たそうと企んだのだ。
先ずアーシュレイ侯爵家の父とブランシェ辺境伯家の母を婚姻させたのは、互いに魔力がなく教会法に触れないからだった。
フローラル王国の平地や低地が多い中央地域は、魔力がないモノが多かったが、アトラス山脈付近の北方地方や南部地方の東西を占めるノアール大森林付近の辺境伯領地では、魔力を持って生まれる者が多かった。
そして運の悪いことに、教会法をクリア出来た年頃の男女は父と母しか居なかったのだ。
こうして思い立ったが吉日と年寄りたちの冷や水的な権力による政略結婚で、気性の合わない父と母が結ばれた。
この時代、高位貴族の婚姻なんてこんなものだし、わたしの両親だけが、変てワケでも無いのだけども。
母のクラウディアと肌と気性も合わないのに、父のロベールがわたしと弟を作ったのは、次期当主としての意地だった気もする。まあ、王命でもあったしなあ。
そう考えるとゲームでは火属性魔力レベル3だったセドリックとの婚約は、今世で水属性で魔力1のわたしとは、教会法の禁止事項に触れるので結ばれないことに成る。
セフセフ!ラッキー!!
武闘派は嫌いじゃ無いけど、熱血脳筋タイプのセドリックは、わたしの好みから大きく外れるのよね。
大体が祝福の儀が終わった8歳くらいから、子供同士を婚約させるって幾ら何でも早過ぎだと思う。
男女とも16歳から結婚が出来るけど、将来の目途がつく18歳以上くらいが男性の婚姻年齢らしい。一人前の騎士と認められるのもソレくらいなんだと。
4属性魔力を持った男児は12歳までユリウス教の神学校で寄宿舎暮らしだけど、神父さまや神父見習いに成る為、教会に残るとなると俗世から離れて、ソラリス神に身を捧げると神聖語の誓約を交わすらしい。
生涯独身で居ると言うソラリス神との契約だから、魔力や医術に興味の或る知識欲の高い子を持つ家長や余り裕福でない下位貴族の家長たちが聖職者として歩ませる。
フローラル王国では余り居ないけど、帝国などでは後継者争いを防ぐ為に、皇族や高位貴族たちの子弟が聖職者に成ると言う話だ。
そして医術や魔力と魔石そして古代のアーティファクトなどの学術研究は、ユリウス教が母体の大学で囲い込まれている状態。
有能な人は、アトラス大陸中央に在る、ロベリア教皇の座する神聖ロベリア教国に、招聘されるとのこと。
女児が4属性魔力を魔銀で抑制されるのは、月の満ち欠けの影響を受け、女性は感情と共に魔力を暴発させ安いので、ユリウス教では女性が魔法を使用するのを禁忌としている。
光の魔力は暴発させても、人や街への害はないらしい為、3種類の光魔法を使える女性を聖女として認めている。
女神レトの神殿で暮らす光魔法の使い手は、神官や聖女見習いでも婚姻相手として引く手あまただとか。
ポーションも光の魔石も高額だしね。癒しの沙汰も金しだいとは、世知辛い。
言葉は間違ってるけど、語感が似ているから私的には良しとしよう。
まあ、婚姻相手に関しては当主である祖父が決めることだし、わたしには決定権はないので、まな板の鯉状態ね。
曖昧な前世の記憶を探ってみたけど、乙女ゲーム【ライラックの花が咲く頃に】の想い出は鮮やかなのに、リアルで恋人がいたり、結婚した記憶がなかった。
もしかしてアラサーの喪女だったりしたのかしらん?、、、別にわたしは悲しくなんてないし!
わたしの重要な問題は、祖父レイモンと母クラウディアのインフルエンザ対策なのよね。
2人が亡くなったら、父がフリーダムになって、わたしの悲劇の幕が上がるモノ。
来年、わたしが8歳を迎える秋頃に、フローラル王国の東部地方沿岸から北西部中央地方に在るアーシュレイ領地にも広がって、年末に祖父が、年明け直ぐに母が罹患するのよね、確か。
病の回復魔法も無いし、抗インフルエンザ薬が或る訳でも無いし、マスクとか作っても此の世界での美意識的に無駄に成りそうだし、、、母だけなら手洗いの説得は出来るかも?でも嗽は絶対に拒否されそう。
そう言えば前世でも、インフルエンザの治療薬と呼べるものは無かった気がするわ。
抵抗力をつける為に、基礎体力を上げることくらいかなあ。
わたしは、やれることの少なさにガッカリしながら、7歳まで暮らして来た昨日までのコトを思い出して、出来ることを考え始めた。
その間にも侍女たちは、手慣れた様子で、わたしの朝の身支度を整えていた。
◇◇
肩を隠す細く長い白金色の髪で両サイドを一房ずつ三つ編みにして垂らし、光沢の或る朱子織にしたフレッシュピンクの脹脛丈まであるワンピースドレスに専属侍女のエミリアたちから着替えさせられ、侍女見習のナタリアには首元と袖口に繊細な白いレースを着けられた。
フレアーのあるスカート部分を整えて、乳母のドロテアに連れられ、2階に在る居間へと寝室を出て向かう。
一階の朝食室に在る高い椅子には、わたしや弟の足が届かないので、居間で朝食を食べていた。
自室で朝食を摂っても良いのだけど、一日一回は弟の顔を観たくて、オリビアは母のクラウディアに頼み居間で姉弟2人の朝食を楽しんでいた。
広い領主館では、意識して自分から会わないと、家族と全く触れ合えない日々が続くのだ。決してオリビアが、ブラコンって訳ではない。
特に夏の社交シーズンの今は、祖父母は王都パルスに、母は夏至祭の祝福の儀での報告を受ける為に多忙となる。
前世の行政区と全く違うが、男爵領は村、子爵領は町、伯爵領は市、侯爵領は県、公爵領は府くらいの自治体規模だとザックリ考えて貰うと良いかも。
伯爵領は王家から直接に賜ったモノと公爵領・侯爵領・辺境伯領から譲られ推薦を受け、国王から許可を得たモノの2種類ある。子爵家・男爵家は伯爵家以下の子弟や臣下。プラス王領からの褒賞で与えられる。
つう訳で家令と手分けしても各自治体領主からの報告や相談が多いのだ。
母が嫁いで来るまでのアーシュレイ侯爵家は宮廷中心で領地のことは家令たちに任せていたが、母クラウディアの出身ブランシェ辺境伯領では、領地運営は領主一家の役割だったので、家令たちと一緒になって領地のことに母は遂、手を出してしまうようだ。
そしてわたしは、前世の記憶を思い出していない時期でも、アレコレと弟のことを気に掛けていたみたいだった。
弟とはゲームのような縁遠い距離感でなくて、わたしはホッとした。これで弟が年頃になっても寂しがり屋のヤンデレタイプにならないと良いなあ。
ヒロインが8歳で、アーシュレイ侯爵家のタウンハウスに引っ越して来てから、毎日明るく挨拶をしてくれるのが嬉しくて、弟は彼女を好きになるんだよなあ。
【「ジルベール義兄さま、おはようございます!」と毎朝挨拶をする。】
てな選択コマンドをヒロインが一回チョイスするだけで、弟の好感度がグイっと上がる。
チョロい。チョロ過ぎるぞ!弟よ。
そんなチョロい弟にならないように、これからも姉のわたしが仲良くしておこう。
わたしは淡いクリーム色の居間に入って行き、眩しい夏の朝日が入る上段に丸窓、下段に長細いガラス窓が並んだ近くに置かれた丸いテーブルへと歩いて行った。
白い清潔なテーブルクロスが掛けられたテーブルには、丸いパンが焦げ茶色の籠に盛られ、ベリージュースとミルクが入った二つのガラスポットが置かれ、勿忘草色のランチョンマットの上には白い陶器の丸皿、ティーカップ、グラスなどが並べられていた。
「おはようー、ジル。」
「おはようございます。リビー姉さま。」
わたしが声を掛けると弾けるような笑顔を向けて、弟のジルベールが挨拶を返してくれた。
未だ2歳年上のわたしの方が、背は弱冠高いけど、此の侭ジルベールが成長すれば来年あたりは同じ背丈になるかも?いや、わたしも成長する筈だし、未だ大丈夫だ。たぶん……。
弟の小姓であるセルジュが背凭れのある椅子を引き、わたしが席に着くとメイドたちが、美味しそうな香りのするスクランブルエッグと鉄板で焼いた羊肉の腸詰を運んで来た。
わたしは、乾いた喉を潤す為に、ポットから赤いベリージュースを注ぎ、グラスに口を付けた。
「姉さま。水魔力の祝福、おめでとうございます。昨日、祝いたかったのですが、倒れた侭で、お目覚めに成らなかったので、、、。」
祝いの言葉を告げた後、薄い空色をした瞳を僅かに曇らせて、わたしの体調を気遣い弟は語尾を濁す。
夏向きに切ったアイボリーホワイトの短いおかっぱ髪の所為で、弟の表情が良く見えた。
未だ男女兼用の可愛らしい平織の紫がかった淡いピンクの撫子色をしたローブを着た弟の姿に、わたしは思わずキュン死しそうになった。
ヤダぁー。うちのジルたん、マジ可愛い。
超ヤバいから。
子猫のような円らな空色の瞳に、ぷっくら膨らんだ頬。
形の良い健康的な桜色の唇を見て、絶対将来美人になるのは間違いないとしみじみと感心した。
わたしは酸味の或る赤いベリージュースをゴクゴクと飲み干し「ジルたん、可愛い!」と叫びそうになる言葉を2杯目のベリージュースと共に飲み込んだ。
白い子猫を想わせる、うちの弟、マジ尊い。
いや、天使かも。
この尊さが攻略対象者つうモノなのね。
、、、でもそう言えばわたしって、前世で猫が大好きだったのを思い出した。
───備考メモ───
・約83年前にフルーヴ家がフローラル王国を建国