ep19 眼鏡ゲット
◇◇
キラキラと舞うエフェクトと不思議な生き物『モドキ』が視界に入るのが、通常だと思えるようになった頃、母クラウディアからわたしの視力補正具を入手する為、領都の聖堂へ向かうと告げられた。
教育係のミランダからの薦めらしい。
ミランダの兄が教会で助祭を勤めて居て、視力の悪い人たちに、視力補正具を作る手伝いをしていると言う話を聞いて、母に伝えたそうだ。
元々は、神聖ロベリア教皇国の大学で開発されたモノで、光を集める為の水晶を加工する技師がレンズを作り、細工し易いガラスで作られ始め、その技術が教会経由で各地に広がっていると言う話。
ガラスも教会経由で広まったので、その延長なのだろう。
でも、わたしが目を眇めるのは、弱視や乱視の所為じゃ無くて、『モドキ』とキラキラとした眩しい光が舞っているからなのだけど、説明する訳にもいかないしね。
視力補正具って、恐らく眼鏡だと思うけど、、、『わたしには効果が無い。』と、こんなコトを母に言えるわけにもいかないので、曖昧に微笑んで頷いた。
そんな話をしたのが、久しぶりに親子3人で過ごせた先日のティータイムだった。
「そう言えば、領都の聖堂にアンゼル枢機卿がいらしていると連絡があったわ。リビーとお会いする機会があるかも知れないわね。」
「枢機卿さまが?此のアーシュレイ領にですか?お母さま。」
「ユリウス教の凄く偉い方でしたよね?リビー姉さまとお会いするのですか?」
「ふふっ。運が良ければね。聖堂で有難い説教をして下さるかも知れないわ。調度、王領で或る狩猟大会に合わせて、2人の枢機卿様たちが、王都パルスへいらしたようよ。」
そんな会話を母のクラウディアたちと交わした数日後。
視力補正具の準備が整ったと聖堂から連絡があり、母と弟、そしてわたしの3人で馬車に乗り、高台にある領主館敷地の外門から約40分かけて、領都中心部にある聖堂へと緩やかな舗道を下って行った。
古からの時を経て、重厚さと堅牢さを感じさせる白亜の石造りの古色蒼然とした聖堂へ、わたしたちは神父様の案内で、足を踏み入れた。
◇
「‥‥‥、では、聖歴何年にユリウス教は、東西に別れましたか?その理由を答えられますか?オリビア嬢。」
「、、、えっ、えーと、200年くらいでしょうか?教義の違い??ですか?」
ロマネスク様式の荘厳な身廊で、訪れていた信徒たちとアンゼル枢機卿から有難い説法をアーシュレイ侯爵家の家族席で聴き、その後、神父さまに伴われて、回廊を進み、小さな一室へと入って行き、アンゼル枢機卿とわたしは対面した。
年の頃は、30代中半だろうか?
緑のローブとミトラを被り、白い祭服で長身な身を包み、胡散臭そうな笑顔を浮かべてアンゼル枢機卿は、母のクラウディアたちと引き離して、わたしを出迎えた。
緑のミトラの下には、面長な顔。
カナリーイエローの柔らかそうな髪をきつい三つ編みにして背中へ垂らしている。
そして、ニコニコと薄い唇の両端を上げて、キリリとした紫眼を細め、わたしに作り笑顔を向けている。
身廊で、ランテ語の説教をされている時から、ジーっと特徴的な紫眼で、わたしを興味深そうに見詰めていた気がする。
もしや、わたしってアンゼル枢機卿から狙われている?
このオッサンて、ロリコンなの?
狭い小部屋には、四角いオールナットの小さなテーブルと同材質の背凭れ椅子が向かい合わせで4つの椅子が置かれており、その一つを勧められ、わたしは恐々と腰を下ろす。
聖堂の明かりは、大抵ルミナスで灯され、白光した照明魔道具が置かれていると思っていたけど、此の小部屋では、領主館と同じで燭台に蝋燭が灯され、ベージュの壁に付けられた大きなランプで、柔らかなオレンジ色の灯りを発していた。
そして天窓からは晩秋の午後の光が差し込んでいる。
「此処は、まあ、特別な客室でも或る。侯爵令嬢のオリビア嬢には、室内が狭くて質素だから、見慣れなくて吃驚した?」
「、、、ええ、まあ。(それだけじゃないけど。)」
「急に眼が悪くなったと言う報告を受けているけど、オリビア嬢の心当たりは?」
「ない、、、ような?ある、、、ような?(答えられないよぉ。)」
「あははっ。オリビア嬢は、面白いね。」
わたしとしては全く面白くも無いのだが、フヨフヨと浮かんだ半透明の『モドキ』は、珍しくわたしから離れて、アンゼル枢機卿の近くへと行き、何か話しているみたいだ。
『モドキ』の言語が、まるで分らないので、最近では虫の鳴き声として、聞き流す癖がついた。
線が細い体形に似合わず、低く包み込むような良い声で、アンゼル枢機卿は付いて来ていた神父へと何か命じた。暫くして2人の神父が藍色の布に包んだ10センチ四方の何かを持って来て目の前のテーブルへ、そっと置いた。
「ありがとう。」とアンゼル枢機卿は礼を述べて、2人の神父を退出させ、テーブルに置かれた藍色の布を解き、開いた。
それは、水を一枚の板にしたようなガラスに見えた。
アンゼル枢機卿は、10センチ四方のガラス板を慎重に持ち、長い両腕を伸ばし、わたしの顔の近くへと差し出し、「この板から、ボクを見てみてよ。」とナルシーな発言をした。
静まり返り何処か緊張感を孕んだこの状況で『ヤダ』と言えるワケもなく、わたしは恐る恐る目の前に差し出されたガラス板から、アンゼル枢機卿を透かし見た。
「!!!エフェクトが、消えたっ!!すっきりクッキリ見えます。凄い!!。」
鬱陶しかったキラキラの光が消えて、透明なガラス板の向こうにテーブルへと席をずらして、悪戯っ子のような顔をしたアンゼル枢機卿が見えた。
ガラス板で透かして見たエフェクトのない風景に感動して、わたしは思わず驚喜の声で叫ぶ。
そんな興奮冷めやらぬ中、アンゼル枢機卿は先程の神父を呼び、柔らかそうな紺色の布に包み直したガラス板を渡して、典礼言語のランテ語で早口で何かを命じた。
いや、ゆっくりと喋って呉れれば、わたしだってランテ語を訳せますよ?恐らく。
そして改めて座り直して、視力補正具が出来上がるまで、お喋りしようとアンゼル枢機卿から提案されて、──────、そして、怒涛のユリウス教史の口頭試験が始まった。
ええー!?ですよ。
全く。
そんなマニアな問題を7歳少女に答えられるワケが無いでしょうが!!
聖歴が出来たのは何月か?とか。
初代ユリウス様と12人の枢機卿の呼び名は?とか?
分かたれた東方ユリウス正教を作った主教たちの面子とか。
何処のカルト・クイズなのよっ!と内心では、悲鳴を上げ続けていた。
考え過ぎて脳はズキズキ痛くて霞むし、声は掠れてくるし、勘弁して下さい体で、グロッキー直前のわたしを見て、楽しそうに「クツクツ」と喉を鳴らして笑うドSなアンゼル枢機卿 ──────。
視力補正具を作って貰うって、こんなに大変なことだったの?
息も絶え絶えになった4時間後、夕刻の鐘が鳴る中、宝石箱のようなケースを持って神父たちが、客室へと入って来て、テーブルの上へと静かに置いた。
「お待たせ。オリビア嬢。とっても有意義で楽しい時間だった。」
そう言ってもう一度クツクツと笑い、アンゼル枢機卿は、宝石箱の留め金をカチリと外して、上蓋を開いてわたしの前へとゆっくりと差し出した。
濃紺の内布の上には、金色の縁をした眼鏡がドンと鎮座していた。
ユリウス教のカルトクイズを熟した(殆ど答えられなかったけども)対価のメガネは、オレンジ色の光に照らされ、キラリと鈍い色を放ち、「お疲れ様」と労ってくれたように思えた。
◇◇
アンゼル枢機卿、ロベリアでの呼称トリは、聖堂正門で、母親と弟と共に馬車に乗るオリビア・アーシュレイ侯爵令嬢を見送った。
オリビアは、歴代枢機卿の生まれ変わりでは無いと確認された。
但し、水の精霊と大気の中で漂うよう精霊たちが視えていた為、通常ならざる御子で或ることには変わりない。
アンゼル枢機卿は、どの時代の生まれ変わりか探る為、誤魔化せないように口頭で矢継ぎ早にオリビアへ質問してみたが、どの過去にも記憶を持っていないようだった。
多くの精霊たちの光で難儀している様だったので、聖堂で秘蔵していた水の精霊石で精霊たちの光を中和出来る視力補正具として、オリビアにアンゼル枢機卿は手渡した。
希少な精霊石を使っているので、金額など付けようもないが、少し高額なガラスレンズの視力補正具の値段で請求させる心算でいる。
精霊たちに働きかける神聖語を知らないオリビアは、ソラリス神の使途としての関りもないだろう。
「それにしてもエフェクトとは、何であろうか?」
何処か少女らしくないオリビアの言葉の数々を思い出しながら、アンゼル枢機卿は首を傾げた。
どちらにしろ神聖ロベリア教皇国のユリウス大聖堂に座す今世の教皇である『モノ』に、報告せねば成らないと結論を出し、アンゼル枢機卿は王都パルスに在るセクティウス大聖堂へと向かう旅支度を整えるのだった。
「特使付きの観察対象と指定されるのは、覚悟してね。オリビア嬢。」
オリビアの透き通った青い瞳の奥で、淡く輝いていた不思議な虹彩を思い出しつつ、呟いたアンゼル枢機卿の低い声は、晩秋の終わりの薄暗い宵闇に溶けて行った。