ep15 ロベール・アーシュレイの恋愛メイズ(SIED家令セバス)
後書きの部分に神聖ロベリア教皇国にある大聖堂一室での一コマを追記しました。
(2025年9月21日)
明かり取りの天窓から西へと僅かに傾いた陽光が差し込む領主館中央に或る広い当主執務室の中、赤味がかったマホガニーのキャビネットに囲まれた一角で、家令セバスは重厚な褐色の執務机で、当主であるレイモン・ド・アーシュレイ侯爵が、自らサインした書類に紋章印を押して行く様子を正した姿勢で立った侭、静かに眺めていた。
息子で次期当主レナールの妻に当たるクラウディア・アーシュレイの執務室は、増築された西館の2階に或る書斎の隣で、此処よりこじんまりとした部屋になっている。
家令のセバスは、華奢で嫋やかに見えながらも、クラウディア次期侯爵夫人のアーモンド形で、眦が少し上がり気味の好奇心が強い、猫に似たパールグレーの眼差しを思い出していた。
◇
──────前王ロイス3世の命で、アーシュレイ侯爵家次期当主のロベール様と北方にあるブランシェ辺境伯のクラウディア様の婚姻が決まったのは、ロベール様が24歳、クラウディア様が15歳の頃。
婚礼準備が整い婚姻されたのがロベール様25歳、クラウディア様16歳。婚約期間が三ヶ月ギリギリあったか無かったか、、、高位貴族の婚約期間としては短いモノだった。
王家からの内密で両家への申し込みは、クラウディア様が14歳の頃からあったのだが。
王家として祝福数が減少している中央貴族と祝福数の多い地方貴族との融和政策に舵を切って最中での婚姻だった。
当主だったレイモン・ド・アーシュレイ侯爵閣下は、ご自身や次期当主ロベール様とご息女たちが祝福を得られなかったことを考え、家格は下がるが回復の光属性を持つ傍系の伯爵令嬢との婚約を当時13歳のロベール様と結ばせていた。
(同じ爵位でも、王家から賜った方が爵位席次が高く、高位貴族が後見に付き推薦し、幾ばくかの献金と引き換えに得た爵位の方が、家格順位が低いのだ。)
ロベール様と最初の婚約者アリシア様とは仲睦まじく、何事も無ければ騎士見習を終え、王宮で父親であるレイモン・ド・アーシュレイ侯爵の政務を手伝い、幸せな婚姻生活を送っただろう。
しかし天は21歳になる次期当主ロベール様へ試練を与えた。
愛する婚約者を病で失うと言う試練を。
その哀しみに沈んだロベール様は、王太子殿下の仕事と女性達へと逃げ、愛しい婚約者との思い出深いアーシュレイ侯爵領へは戻らなくなった。
特に婚約が整って以降、未来の時期公爵夫人として暮らしていた領主館へは、足を踏み入れることを止めた。
3人儲けた中の唯一の男子で在り後継であるロベール様のそんな行いを、アーシュレイ侯爵閣下ご夫妻は見守るしか無かった。
だが、そんなアーシュレイ侯爵家の後継であるロベール様に、ブランシェ辺境伯家から、祝福無しである3女のクラウディア様との婚姻の王命が下った。
余り王家から干渉を受けたくないブランシェ辺境伯閣下は、断られるのを前提で、祝福を得られなかった3女のクラウディア嬢となら、中央貴族であるアーシュレイ侯爵家へ嫁に出すことを了承した。今までの前例を考えれば、中央から離れている辺境伯たちに求める婚姻目的は、祝福持ちの母体を必須としていた為、断られることを前提としたブランシェ辺境伯の苦肉の策であった。
王都や他の聖堂がある7大都市では、光魔法以外の魔法の使用が禁じられている為、世俗的な政治に祝福の必要性は無いが、聖職者や魔物討伐の騎士などは祝福を持つ者が必要だった故に、貴族として祝福持ちは重要だった。
アーシュレイ侯爵家の方も次期当主のロベール様には、祝福持ちの妻を娶らせようとしていただけに難色を示したが、前王ロイス3世国王陛下と宰相であるラクール公爵との些か強引な説得により、婚姻が決まった。
こうして国王と宰相以外は望んでいない夫婦が誕生することになった。
王命では、『ロベールとクラウディアの間に必ず男子を儲けよ!』だった。その代わり恩賞として。両家に新たな爵位と領地、そして両家を繋ぐ間に或る他家領地の通行税の免税許可状を与えた。
そんな婚姻を結んだ1年後、次期当主であるロベール様に新たな運命の出会いがあった。
ロベール様と出会ったのは、亡くなった婚約者アリシア嬢と非常に良く似た薄紅色の髪に、新芽のような翠の瞳を持つ、王宮で勤める年若い魅力的な平民のメイドだった。
ロベール様は、若奥様のクラウディア様と婚姻したにも関わらず、アリエルと言う名の年若い王宮メイドに、なりふり構わずアタックし、王都パルスの平民街に屋敷を購入し、ロベール様とアリエルとの愛の巣を築いた。
一夫一婦制で或るフローラル王国では、眉をひそめられことだが、人妻などと派手な浮名を流していたロベール様に手を焼いていたアーシュレイ侯爵夫妻は、愛人を1人にし、落ち着いたことに安堵した。
そして、第二子である後継ジルベール様をクラウディア様と儲けたことで、ロベール様は仕事以外で全く王都のタウンハウスにも寄り付かず、王宮かアリエルと暮らす屋敷で過ごすようになった。
私が未だ「ロベール坊ちゃん」とお呼びしていた幼い頃から、嫌ったものには近寄らない潔癖な性質をロベール様は持っていた。
王宮勤めをなさるように成ってから、少しは大人に成ったとロバート様を認めていたのだが、初対面の顔合わせで容姿や素直な物言いをされるクラウディア若奥様に苦手意識を持ち、徐々に嫌いに成って、幼かった頃の悪癖が再発してしまった。
やがてクラウディア様が、ジルベール様を身籠られた2ケ月後に、アリエルも懐妊した。
庶子の場合、社会的な好ましくない制約も出来ることをロベール様は憂いて、父で当主のレイモン・ド・アーシュレイ侯爵に相談し、老齢で病弱な寄り子である地方男爵と特別婚姻させ、愛妾アリエルの出産を待った。
そしてジルベール様の2ケ月後に生れた女児へ、亡くなった婚約者の名である『アリシア』と名付けて、ロベール様はアリエル男爵夫人と愛娘のアリシア嬢を溺愛した。
王都パルスの社交界では、ロベール様とアリエルとの仲は公然の秘密だったが、アリシア嬢はエバンス男爵の正式な娘として教会で洗礼を受けたので、推量程度の軽い噂に収まっていた。
社交界では、王宮での正式な式典へ出席を許されない地方のエバンス男爵夫人や令嬢に、まるで関心を示されて居なかったこともアーシュレイ侯爵領で公に噂されない一因でもあった。
一応、中央にも権力を持ち、主家であるアーシュレイ侯爵家のことであるし、迂闊に話せば唇寒しである。
そして今まで当主のレイモン・ド・アーシュレイ侯爵は、放置していた血縁上だけの孫娘アリシア嬢に、目を向かたのは、期待して居なかったオリビアお嬢様が、諦めていた祝福を得たからだった。
祝福を得たオリビアお嬢様は、王族へと輿入れが可能へとなった。年齢的に恐らく2歳年下の第二王子フェリクス殿下の婚約者候補へと選ばせるつもりだろう。
教会で秘匿されていることの多い祝福だが、能力の発現はランダムと長く言われているので、もしアリシア・エバンス嬢が7歳で祝福を得ることに成れば、アーシュレイ侯爵家として大いに貢献させることが出来ると考え、貴族としての礼儀作法を学ばせる為の教育係を私に所望されている。
「旦那様、アリシア嬢の教育係の件ですが、、、。」
「うん?なんだ?セバス。」
「はい。少々面倒なことに成りますが、貴族街へと住居を移転させてからの方が宜しいかと。」
「ウム。しかしロベールも通うだろうからな。鎮火している王宮での醜聞が再燃するだろう?」
「ですが子爵位以下の貴族令嬢でも教育係を頼んだ場合、平民街の屋敷では難しいでしょう。幾ら富裕層が居住する区域でも貴族としてのプライドがあるでしょうし。」
「、、、はぁ、、そうだな。仕方ない。セバスに一任する。後で報告を。」
「はい。畏まりました。」
話し終えた当主レイモン・ド・アーシュレイ侯爵閣下から、差し出されたサインと紋章印を済ませた書類を両手で受け取り、私は礼をし、静かに執務室の扉へ向かって歩き出した。
◇
中央塔の天窓へと差し込む九月の強い午後の日差しに、家令セバスは目を細めて、後継のジルベールを出産し、意志の強くなった次期侯爵夫人クラウディアの成長を想いを馳せる。
社交シーズンにも夏季ヴァカンスにも王都へ向かわず、夫であるロベールと線を引くかのように、祭りの準備や慈善活動、近隣・領地内での社交や、代官たちとの折衝と次期当主夫人として、母親として忙しく活動するクラウディア。
嫁いだばかりの頃は、侍女長サマンサに言われる儘、大人しい線の細い女性と思っていたのだが、2人の母親となったクラウディアは、此のアーシュレイ侯爵領で確りと根を張りつつある。
無関心を装う姑ミッシェル・アーシュレイ侯爵夫人にも考えを述べるように成り、王宮での社交はミッシェル侯爵夫人が、アーシュレイ領地での社交はクラウディア次期侯爵夫人が分業して行うようになった。──────
北方のブランシュ気風が、アーシュレイ家を少しずつ変えて来て居る。
それが何故か心地良くも感じて、家令セバス・エミルゴの口角が自然と上がっているのを、彼は知らない。
◇
どうやっても愛した婚約者を忘れられず、過去の恋愛迷路から抜け出せないロマンチックな夫で次期当主のロベール・アーシュレイを放り出し、自分の遣りたいことを通すブランシェ辺境伯仕込みのモットー「敵には斬撃を仲間には親愛を」と言うクラウディアの言葉をセバスは思い出し、西棟の2階に或るクラウディアの執務室へと頬を緩めてて、僅かに足を速めた。
◇◇
神聖ロベリア教皇国、ロベリア教皇が座す聖都ミスティア──────
荘厳なユリウス大聖堂の奥まった一室で、ロベリア教皇と二人の枢機卿が、古のアーティファクトから齎される清らかな白い光に照らされて、静謐な深夜にソラリス神に産み出された使徒の記憶を持つ3人で密談を行っていた。
ユリウス大聖堂は、人々の大罪により、天変地異を引き起こした約700年前の大浄化以前の古代の遺跡やアーティファクトなどで、使徒の生まれ変わりで或る初代ロベリア教皇ユリウスにより創られた神聖なる場所である。
「昨夜行った夢見の方は如何でしたか。モノ(1)。否、教皇猊下。」
「うーん。夢見では、今代でわたしを含めて枢機卿候補が13人全員揃う未来を見たけどね。トリ(3)の水晶盤はどうなの?」
「今年の祝福の儀では、枢機卿候補者は、オベリスク帝国西部に住む1人でした。不思議なことにフローラル王国では祝福の儀で、女児に過去世を得た者が居ました。使徒の記憶を持つ枢機卿候補の生まれ変わりは、アトラス大陸では本来男児のみですよね?教皇猊下。」
「そんな馬鹿な。 枢機卿候補に女児だなんて有り得ない!!トリよ、一度フローラル王国へ行って調べてくれるか?それと此の星見の部屋では、教皇猊下では無くモノと呼べ。」
「畏まりました。ふふ、初代ユリウス様。」
「チッ!」
「では、年寄りである儂は、故郷のオベリスク帝国に赴くとするか。」
「頼みました。ヘプタ(7)。」
──────そして、再び静寂───。
収穫祭前の涼やかな風が神聖教皇国の聖都に吹く秋の夜。
月光と星々の明かりは、不思議な輝きを放つユリウス大聖堂を静かに照らしていた。