ep11 男爵令嬢デジレ・ヴァーニュ
私は、乙女ゲー【ライラックの花が咲く頃に】で、名前も背景のシルエットの中にも出て来ない。
モブにすらなれてない存在‥‥そんな私が、デジレ・ヴァーニュと言う7歳になる男爵令嬢だ。
お披露目会が開かれた中庭で、悪役令嬢オリビア・アーシュレイを見て、私は唐突に前世の記憶【ライラックの花が咲く頃に】と言う乙女ゲームを思い出してしまった。
倒れなかったけど、茫然としながら母のロザリーに付き従ってイベントをなんとか終え、現在は領主館で用意して貰った母と一緒の自室に籠って、脳内整理をしている所。
いっそのこと気絶してしまえれば楽だったのに。
──────『なんで悪役令嬢の取り巻きになんて転生しているのよっ!?』
などの心の絶叫は一先ず置いて於く。
私が生れたヴァーニュ男爵家は、アーシュレイ侯爵家を寄り親として仕えている家系だ。
祖父の代まで侯爵家騎士団の騎士だったが、前当主の御隠居様から可愛がられて、小さな形ばかりの男爵領を頂き、拭けば飛ぶようなヴァーニュ男爵家を興し、アーシュレイ侯爵家の腰巾着を旨として暮らしている。
「主家が第一」は、祖父が作った我が家の家訓。
忠誠って言うのとは、微妙に少し違う気がする。
祖父は前当主のレナール・アーシュレイ様を。
父や母は、単に若奥様であるクラウディア様を大好きなだけの人達なのだ。
父はアーシュレイ侯爵家騎士団に勤め、騎士団を引退した祖父がヴァーニュ男爵領で領主をしている。
で、母のロザリーが主家であるアーシュレイ侯爵家の後継ジルベール様の乳母をしている。
そして乳兄弟の弟セルジュが、ゲームの攻略対象者であるジルベール様に仕えている。
私、デジレを含んだヴァーニュ男爵家の存在は、全く前世でプレイしていたゲームでの記憶にない人たちだ。
まあ、当然と言えば当然の話。
だって乙女ゲームでの主要キャラクターに仕えている従者や乳母の名前なんて出て来ないモノ。
唯一、出て来るのはオリビアのサイドストーリーで、ゲームイベントに反映しない侍女長サマンサのことくらいだ。
祝福の儀の後、領主館で行われる7歳のお披露目会なんて、ゲームイベントには登場しないしね。
序に吃驚したのが、オリビアが水属性の魔力があったこと。
【ライラックの花が咲く頃に】のゲームでは、魔力無しだったのに。
あっ、オリビアのことは「お嬢様」と呼び慣れてないと明日から不味いわよね。
ポロリと呼び捨てにとかしてしまったら、大変なことになる。
折角、こんなに広くて素敵な部屋に住む母の元へ引っ越せたのに、追い出されたくない。
母のロザリーは、メンヘラ攻略対象者のジル‥‥、いえ、ジルベール様の乳母に選ばれてから、領主館2階に在るこの部屋で暮らしていた。
私は、今まで広大な領主館敷地内に在る騎士団の社宅みたいな小さな屋敷で、騎士である父たちと暮らしていたのだ。
5人兄弟の末っ子セルジュが生れてから、母のロザリーはジルベール様の乳母にと望まれ、末弟と共に領主館へと引っ越して行った。
それは、私が2歳と言う幼い頃だった。
本来なら、下位貴族レベルのヴァーニュ男爵夫人で或る母のロザリーに、寄り親でもあるアーシュレイ侯爵家の嫡男ジルベール様の乳母など任されるハズは無かったのだが、若奥様のクラウディア様が領内移動の際に、護衛騎士をしていた父を気に入り、それが縁で母のロザリーを弟セルジュの出産後、乳母へと召されたのだ。
父から、他言無用と言われたのだけど、どうやら若奥様のクラウディア様は、オリビア様の乳母ドロテア夫人と相性が合わなかったらしい。
ドロテア夫人は、オリビア様の祖母にあたるミッシェル・アーシュレイ夫人出身の公爵家の縁戚で、非常に保守的な方なのだと、父が話していた。
北方のブランシェ辺境伯出身のクラウディア若億様は、どうも中央貴族出身のドロテア夫人と養育方針が違ったようなのだ。
嫁姑問題勃発なるか?と、父は懸念したらしいけど、強いて揉めることなく母の登用が決まった。
それでも母のロザリーは、上位貴族である後継ジルベール様の乳母になるのを荷が重いと辞退したようなのだが、3歳に成ったら養育係を付けるので、マナーなどの心配は不要だとして、熱心に乞われたそうだ。
両親たちが、王都のタウンハウスからアーシュレイの領地へ婚姻してから一度も帰って来ない次期当主であるロベール様の仕打ちに腹を立て、若奥様のクラウディア様に、いたく同情してしまっている。
表立っては口にしないけど、王都で愛人を囲っているのも、ジルベール様と同い年の子供がいることも知られている為、領地では女の細腕で頑張っているクラウディア様を応援している領民が多いのだ。
それに、我がヴァーニュ男爵家の嫡男の王立ロイス貴族学院に通う学舎費用を、母のロザリーが乳母になることで援助して貰える。 吹けば飛ぶような地方の貧乏男爵家にとって、身に余る有難い話を若奥様から頂いたのだ。
そして私も母の伝手で、主家のお嬢様の侍女見習に成れると喜んで、今日のお披露目会へと勢い込んで参加したのである。
それが、まさか前世の記憶が戻るきっかけになるなんて・・・。
もしかしてオリビア様がゲーム通りに断罪されたら、そのまま私も巻き込まれてしまうの?
うーん。
いや、未だ焦る時間では無い。
私は、急遽波乱に満ち溢れてしまった未来に遠い目をしつつ、自分の心を宥めてみるのだった。
エリート街道に乗っかった心算でいたのに、急転直下した暮れ行く夏の午後だった。
◇◇