朝が来なければいいのに
──目が覚めたとき、彼はもう起きていて、服を着ていた。
部屋の中に差し込む朝の光が、眩しかった。
私はまだベッドの中にいた。昨夜の名残を身体に感じながら、ぼんやりとその背中を見つめていた。
彼は振り返って、ジッとこちらを見る。
ベッドの中で見た彼の熱い視線を思い出して顔が熱くなる。
「おはよ。起こしたか?」
そう言って、視線を逸らし、シャツのボタンに手をかけていく。
私は言葉に詰まったまま、薄いシーツを胸元まで引き寄せて、
小さな声で言った。
「……ねぇ、ちょっとだけ話してもいい?」
彼は少し驚いたように眉を動かしたけど、
そのままソファに腰を下ろして、「うん」と短く頷いた。
私はベッドの端に座り直して、足元に落ちた服を無意識に指で弄びながら、言葉を探した。
喉が、きゅっと詰まる。
「……私さ、ずっと、ちゃんとできなかった」
彼が「ん?」と首をかしげる。
私は視線を落としたまま、続けた。
「普通に、笑ったり、会いたいって言ったり、素直に甘えたり……
そういうの、ほんとは全部したかったのに。
でもできなかった。
勝手に、怖がって、拗らせて、全部自分から離れてったのに、
最後にこうして会いたいなんて言って……ほんと、ずるいよね……」
気づけば声が震えていた。
「……ごめんね」
そう言った瞬間、涙がポロッと零れ落ちた。
止まらなくなるのがわかっていたから、
顔を隠すように両手で目元を押さえた。
それでも、堰を切ったみたいに涙が溢れた。
「ほんとに、ごめん……
ちゃんと好きだったのに、ずっと好きだったのに、
どうして素直になれなかったんだろ……
あのときのままでいたかったの、
何も変わらないまま、ずっと、あの頃みたいに……」
彼は静かにうん、うん、と頷いていた。
それが優しさだとわかっていても、
どこか遠く感じて、余計に苦しくなった。
「……きっとね、こういう女、君は一番嫌いだよね。わかってる。
だから、そうならないように、気を付けようと思いながら接してた。
感情こじらせて、泣いて謝って、今さら“好きだった”とか言って……
ほんと、台無しだよね……」
何度も目元を拭っても、涙は止まらなかった。
心の奥底で我慢していたものが全部、今さらになって溢れ出していた。
「でも、ほんとはずっと一緒にいたかったんだ。
会いたかったし、手を繋ぎたかったし、
でも、それを言っちゃいけないと思ってた。
“彼女がいる君”のままでいてほしかったの。
その“枠”があるからこそ、安心できてたの。
踏み込めない関係だから、壊れなかった。
だから、あのときのままでいたかった……
好きって気持ちがバレてても、伝えるつもりなんて、なかったの……」
喉の奥が締めつけられて、言葉が詰まりそうになった。
なのに、伝えたいことは山ほどあった。
彼は黙ったまま、私の髪をそっと撫でて、
泣き顔のままの私に、小さく囁いた。
「……知ってた。ずっと。
お前が、不器用なことも、俺の気持ちを知ろうとせず、逃げていたことも。
わかってたけど、どうしてあげたらいいのか……
俺も、わかんなかったんだ」
優しい声だった。
いつもの、私が安心できる声だった。
けれど、彼を困らせることだけはしたくなかった。
それなのに私が勝手に押し付けていた距離も理想な形も、全部、私が壊したんだ……
私は首を振りながら、もう一度ぽつりと呟いた。
「……もう、会わない、」
彼は「うん」とだけ言って、私を抱き寄せた。優しくて大きな手が強く抱きしめてきた。
時が止まった感覚だった。このままずっと時が止まってほしかった。
「お前をつらくさせるなら、もう合わないよ」
最後にぎゅっと私を抱きしめると、
彼はゆっくりと立ち上がった。
もう何も言えなかった。
ただ、一夜の記憶だけを胸に、彼の背中を見送った。
扉が静かに閉まる音。
それが、私と彼の物語の、終わりだった。
残ったのは、温もりの余韻と、
枕にしみ込んだ涙のあとだけだった。
つづく