ルシールの場合
◆
ルシール・セラ・ハルフォードは貴族の家柄といっても一代貴族である。
剣術の腕を買われ、騎士団に指南することで男爵位を賜った父の下に生まれ、幼い頃から道場で鍛錬を積んできた。
血筋こそ浅いが、礼節と規律を重んじる厳格な家庭環境の中で育ち、本人もまた謹厳実直な性格をしている。
その生真面目さは、かつてとある貴族の嫡男──しかもすでに婚約者のいる男──が執拗に言い寄ってきたときも変わらなかった。
相手は多少地位が高い家に生まれた程度の馬鹿者としか思えず、ルシールは即座に拒絶の意志を示した。
だが結果としてその男は逆恨みの末に「ルシールが自分の婚約者に陰湿な嫌がらせをしている」というデマを吹聴するに至る。
父の名誉も損なわれる形で噂は広まり、ついには彼女は実家から出ざるをえなくなった。
流れ流れてたどり着いたのが、フェルメという街である。
追放という形で家を出たルシールにとって、もはや自分の剣の腕以外に頼るものはなく、冒険者という新たな生き方を選んだ。
もっとも、ルシールには男という存在への強い嫌悪がこびりついていた。
上っ面の仰々しさで近づいては、下卑た欲望を押しつけてくる連中ばかり。
だが冒険者仲間もやはり男が圧倒的に多い。
自然とソロで依頼をこなすことが増え、他者とのパーティを組む必要があるときも最低限のやり取りしか交わさなかった。
そんな彼女がザジと出逢ったのはある日受けた討伐依頼の現場だった。
はじめはどこにでもいる男の一人としか見ていなかったが、ザジの動きは洗練されていた。
魔狼の群れを前に動じず、そして危機に陥ったルシールを救う際にも微塵の下心を感じさせなかった。
命の危険をかえりみず、自分を庇ってくれたザジの頼もしい背をルシールはいまでも鮮やかに思い起こせる
(あの方は、魔狼を斬ったあとも決して私に触れようとしなかった。もしあのとき、下卑た欲望を抱いていたのなら……動けない私など、好きにできたはずなのに)
間抜けにも罠にはまり動けない彼女を抱きとめたザジの手は、意図せずではあるが彼女の“もっとも秘するべき箇所”に僅かに触れた。
だがそれが故意ではない事は“ルシールの目には”明らかだった。
その後、街へ帰還するとザジはさっと姿を消してしまった。
礼を述べる間もなく去ってしまったザジに、ルシールは胸のときめきを覚える。
礼の品を抱え、情報を頼りに「三日月亭」という宿を訪ねようとしたルシールだが──
フェルメのどこを探しても、そんな宿は見つからない。
「ゲーリック」という名で冒険者を探しても、誰もそんな奴は知らないときた。
途方に暮れた末、事情を話せる相手としてルシールはクラリサを頼った。
自分なりにザジの外見を伝えると──クラリサは少し考え込んでから「ああ、もしかしたらザジ様のことかもしれませんね」と教えてくれた。
聞けば、近場で最も大きな都市リンドバーグに行く可能性が高いという。
(あの方は私の肌に触れたのだ。それだけでなく、私にとって最も秘する部分にも、指先が触れた。ならば婚姻するのが当然……)
ルシールはひそかに頬を紅潮させる。
自分を救い、決して辱めなかったあの人にこそ身も心も捧げられるだろう、いや、捧げたい──そんな想いでルシールは街を出た。