屑⑥
◆
そうしてザジとルシールは村へとたどり着き、馬車に乗り込む。
帰り道の馬車では、行きの重苦しさと打って変わり、やけに会話が弾んだ。
「俺がまだ日雇いみたいな下っ端だった頃には、そりゃあもう数々の伝説を打ち立てたもんよ。大賢者にだって腕を買われたことがあるし、ほら学歴なんざからっきしでも、結局モノを言うのは実戦経験ってわけだな」
ザジはありもしない自慢話を畳みかけるように披露する。
ルシールは相槌を打ちながら、やや大げさに瞳を輝かせる。
「すごいですわ……それほどの剣さばきがある方なら、魔狼ぐらい造作もなかったのでしょうね」
褒め言葉に気を良くしたザジは、さらに調子に乗る。
「造作ねえどころか、あいつらなんざハエ叩き程度だぜ……俺が本気出しゃあ、こっちの剣が唸った瞬間に連中の血しぶきが上がるわけよ。こないだだって、もっとデカい魔物……」
その“もっとデカい魔物”とやらが本当に存在するのかどうかは誰も知らないし、ザジ自身も怪しいものだが、ルシールはまるで大発見でもしたかのように目を丸くしてみせる。
「まあ、ゲーリック殿……いえ、あなたほどの方でしたら、納得ですわ」
「へへ……」
ザジは下卑た笑みを浮かべながら、尻の位置を整える風を装ってルシールとの距離を縮める。
しかしルシールはそんなザジの所作を何とも思っていないどころか、肌と肌が触れ合う事に何か乙女めいた妄想でも浮かべたのか、目を潤ませて僅かに耳を赤らめる始末であった。
命を救われた衝撃はそれほど大きいということだ。
◆
街の門が見えるころには、すっかり日が落ちかけていた。
埃まみれの馬車が石畳の入り口に停まると、ザジはルシールに手を貸しながら馬車を降りた。
「ルシール、あんたは金があるんだろ? そんな装備をしているくらいだ。だったらさっさと治癒師にでも見てもらうんだな」
「はい、そうします……」
ルシールは申し訳なさそうに頭を下げながら、か細い声で呟いた。
「本当に……今回は助けていただきありがとうございました。あの……もしよろしければ、後日改めてお礼をさせていただきたいのです。ゲーリック殿の常宿を教えていただけますか?」
ザジは一瞬だけ迷うような顔をしたが、すぐに口を開いた。
「宿か? ……ああ、『三日月亭』ってとこさ。街の外れにあるんだが、すぐわかるだろ」
もちろんそんな宿は存在しない。
ルシールが深々と頭を下げ、ほっとしたように礼を言うと、ザジは素っ気なく手を振って立ち去った。
一発くらい貴族女陰にぶちこんでやりたかったという思いはあったのだが、そこはリスクヘッジという奴だ。
訳アリ風な貴族に手を出すほどザジは肝が据わっていない。
そんなザジが向かった先は、冒険者ギルド。
表扉を押し開けると、受付嬢クラリサが顔を上げた。
彼が依頼を完了したらしいことはすぐ察したようだ。
「報酬の受け取りですね。魔狼討伐、確かに確認いたしました」
そういってクラリサは銀貨が入った袋をザジに手渡す。
「楽勝だったぜ」
得意げにそんな事をいいながら、中を確認する。
「ん?」
ザジが妙な事に気づく。
報奨金がやけにおおいのだ。
というか多すぎる。
最初に提示されていた額とはそれこそ桁一つ違っている。
だがザジがそれを申告することはなかった。
(冷血女のクラリサもミスをするんだな、へへへ、儲けたぜ)
ザジの内心はこうである。
とことん卑しい性根なのだ、ザジという男は。
そしてついでとばかりに話を変える。
「ああ、それでよ。俺ぁ街を移る事にした」
クラリサは一瞬だけ眉をぴくりと動かし、冷静な声で問い返した。
「急ですね。理由を伺っても?」
ザジはわざとらしく肩をすくめ、いつもよりやけに白々しい笑みを浮かべた。
「旅ってもんがしたくなったのさ。男はみんな旅をするもんだ」
クラリサは呆れ顔で大きくため息をついた。
「要領を得ない理由ですね……。ま、わかりました。こちらの書類を提出すれば、新たな街でもギルドの登録を移行できます。気が変わったらいつでも戻ってきて構いませんが」
そういって書類を差し出すクラリサはいつも通りの無表情だ。
冒険者ギルドには、一種の“拠点移動”制度が存在している。
冒険者は本来、登録した支部を拠点として依頼を受けるものの、各地を渡り歩く者も少なくない。
移動先で最小限の身元確認と提出書類を満たせば、従来の資格や等級を引き継ぐ形で活動を再開できるのだ。
なぜザジが拠点を移動することを決めたのかといえば、ルシールの事が原因であった。
(あの女が抱えている問題ってのがどんなもんかは知らねぇけどよ、巻き込まれるのはごめんだな)
くだらないトラブルには自分から突っ込む──というか、自分で火種をまいて火勢を大きくするくせに、深刻なトラブルからは一目散に逃げ出すというのがザジという男の人柄を表している。
向かい合うという事を知らない男、ザジ!
そんなザジは渡された書類をひらひらと振り、踵を返してギルドの扉を押し開けた。
背後でクラリサが「ご無事で」ともう一度だけ声をかけるが、ザジは振り返りもしない。
クラリサの言葉の端に僅かに滲んだ感情に気づきもしない。
そして、女を好きなだけ抱きたい、名誉が欲しい、金がほしい──そんな俗な欲望塗れのザジは、街から姿を消した。
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──自分が何を逃したのか、あるいは何から逃れる事が出来たのかを知らないままに。