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屑④

 ◆


 浅層と中層の境目あたりで、ザジは身を屈めて地面に生えている草をかき分けて何かを探し始めた。


(多分……この辺だと思うんだよな)


 ザジの目当てとはすなわち──


「おっ」


 ザジが声をあげる。


 視線の先には──罠。


 ──『地元の猟師も対応はしているようですが、手が回らないようですね』


 脳裏にクラリサの言葉がリフレインした。


(猟師が仕掛けた罠か。一つだけってことはあるまい)


 恐らくは複数の罠が散らばっているに違いない──そう思ったザジは不細工な顔を顰める。


(くそ……猟師の仕掛けたのが散らばってるとなりゃ、うかつに走り回れねぇじゃねえか)


 未確認の罠が数多く潜んでいるとなれば、こちらが動きにくくなるのは必定である。


 まともに剣を振るえない状況を想像して、ザジの胸底に暗い焦燥が広がっていた。


(畜生が! こんな時に襲われたらたまったもんじゃねえぞ!)


 しかしながら、ザジという屑は楽観だけは人一倍である。


 たとえば「そうは言っても罠はせいぜい二、三個だろう……全部回避できるに違いねぇ」と浅はかに踏んでいるのだった。


 だがいつも通り、その楽観的予想は外れた。


「げっ……」


 念のために、ともう少し調べてみれば罠が更にもう一つ。


(こんな近い場所にもう一つ? よほどばらまいてやがるな、糞ったれが……)


 ──逆に、ザジが抱いた一番嫌な想像、すなわち「こんな時に襲われたら」という悲観的な予想が見事に当たる羽目になる。


 森の中層へ少し踏み込んだあたりで、ザジは音もなく首筋にちりちりとした殺気を感じ、咄嗟に身を捻った。


 上半身を半回転させ、右肘を叩き込んだのは完全に本能的な動作だった。


 魔狼が獰猛な唸り声を上げながら背後から飛びかかってきたのである。


 剣ではなく肘を選んだのは、剣を抜く、そして振るうという一連の動作が間に合うかどうか疑問だったからだ。


 肘鉄を食らわせるだけなら腰をひねるだけで事足りる。


 肘をまともに受けた魔狼は悲鳴交じりに吹き飛び、枯れ枝を砕きながら地面を転がった。


「へっ、ざまぁみやがれってんだド畜生が!」


 そう吐き捨てるように叫ぶと、ザジは荒い息をつきながら魔狼に駆け寄った。


 勢いよく剣を抜き放ち、その腹に止めの一撃を深々と突き立てる。


 再び魔狼が短く嗚咽を漏らして息絶えるのを、ザジは唇の端を釣り上げて見下ろした。


「犬畜生がよ」


 罵言を飛ばしながら、ザジは魔狼の牙をへし折った。


 これで一頭分の討伐証明ということだ。


 しかしすぐに顔を上げ、前方をぎろりと睨みつける。


 三匹の魔狼がこちらに向かって牙を剥いていた。


 ◆


 ニタリと嗤ったザジ。


 そして足元に転がる魔狼の死骸を蹴り転がすと、その眼窩に指をずぶりと差し込み、何を思ったかぐりぐりと抉りだした眼球を口に含んだ。


 眼球を咀嚼し、頬を空気で膨らませ──まるで子供が種飛ばしでもするかのように空へ向かってぶうっと吐き出した。


「おい聞け犬っコロ共! イキモノってのにはなぁ、役割ってモンがあるんだ。女がこの俺のチンポの鞘であるように、てめぇら犬っコロは俺のメシだ! そのままこうして食われるか、それとも俺にぶっ殺されて牙をへし折れるか選べ!!」


 元々安定した情緒とは言えないザジだが、ついに狂ってしまったのか? 


 だが三頭の魔狼は明らかに竦んだ。


 その一瞬の怯みを見逃すザジではない。


 身を屈める動作はまるで肉食獣が獲物に襲い掛かるかのようで、一気に三頭の間合いを詰め──


 重々しい斬撃が一頭目の首を跳ね飛ばし、返す刃が二頭目を切り裂き、最後の一頭も喉を割られてゴボリと血を噴いた。


 魔狼は確かに普通の狼より身体能力が高いし、さらに賢いゆえに高度な連携をとってくるため手ごわい存在であるはずだった。


 しかし賢いがゆえに、ザジの狂気じみた振る舞いを前にして恐怖してしまった。


 ザジはそこに付け込み、あっという間に三頭を斬り殺してしまったのだった。


 ◆


 ザジは四匹分の牙を取りながら、己のポーチに乱暴に放り込んだ。


(まあ、こんなところでいいか)


 元々割に合わぬ報酬である。


 これ以上深入りすれば、罠に嵌って動けなくなり、逆に自分が犬っコロの餌になるかもしれない。


 何より──


「これ以上引っ張ったら夜になっちまわぁな」


 夜の森が危険なのは言うまでもない。


 さっさと帰って、酒でも呷りながら馬鹿ども相手に「魔狼狩りの武勇伝」でも吹聴してやるのが得策というものだった。


 ザジは小気味よい足取りで元来た道を引き返し始める。


 しかしその歩みが、ふと止まった。


(ん……?)


 妙な違和感が肌を撫でる。


 森が騒がしいのだが、風や木々のざわめきといった自然のものではない。


 どこか人工的な音──金属同士のぶつかる音、悲鳴のような叫び声、それに魔狼の呻き声が入り混じっていた。


(同業者か猟師か……まあ、どっちにしたって殺し合いか)


 ザジは唇を舐め、目を細めて不敵な笑みを浮かべた。


「へっ、運がよけりゃあ臨時収入って奴が手に入るかもな……」


 森の中では、誰かが戦闘で命を落とすことなど珍しくない。


 そして死者の財布や道具を拾い上げることが罪悪だなどと、この男が感じるはずもなかった。


 意気揚々と音の方向へ進んだザジの視界に、やがてその騒ぎの正体が飛び込んでくる。


(なんだよ……さっきの女狐じゃねえか……)


 そこには、先ほど馬車で同乗していたあの女剣士が、五匹ほどの魔狼に囲まれ、絶望的な防戦を強いられている姿があった。


 彼女の左足首は罠に食い込まれ、真っ赤な血が滴り落ち、顔は痛みと焦りに蒼ざめている。


 身の軽さを売り物にしている剣士こうして罠にかかって動きを封じられれば、残された末路など見えている。


 それでも周囲には何匹かの魔狼がすでに屍と化しており、彼女の腕前が並ではないことを証明していた。


(ざまあねえってんだ)


 ザジは内心で嘲笑う。


 先ほどの態度を思い出せば、この傲慢な女剣士が無様に野垂れ死にする姿は、さぞかし爽快であろう。


(まあ、腕が良かろうが、このままじゃくたばるんだがな)


 ザジは口元に歪んだ笑みを浮かべ、しばらく女剣士の苦戦を高みの見物と洒落込んだ。


 女剣士は懸命に魔狼を牽制しているが、足が動かせぬ以上、剣の届く範囲には限りがある。


 魔狼たちはじわじわと円陣を狭め、まさに彼女の最期を待っているのだ。


(へっ、ちょっとばかり可愛い面してやがるが、あの太腿に歯形をつけるのは犬っころどもに譲ってやるぜ)


 助けに入るなどという考えは毛ほどもなかった。


 それはザジという男が非情だから──というのもそうなのだが、なにより魔狼五匹とまともに相対すれば手傷を負う可能性もあるからだ。


(殺って殺れねぇことはねぇ。だが万が一ってこともあるからな。本気を出せば全く問題はねぇが──あの女狐の為にそこまでしてやる義理はねぇ)


 だが、そんなザジの存在に、女剣士は目ざとく気がついてしまった。


 顔を上げた女剣士とザジの視線が絡み合う。


(ちっ! 気付きやがった……面倒くせぇ、助けを乞われちゃかなわねえぞ)


 ザジは瞬間的に腰を浮かせ、逃げ出す準備を整えた。


 魔狼たちは女剣士にかかりきりで、今なら安全に逃げられるだろう。


 ところが女剣士はちらりとザジの顔を見たにもかかわらず、すぐに無関心な素振りでぷいと顔を背けたのだった。


(はあっ……!?)


 その行為は、ザジの矮小な自尊心を激烈に刺激した。


(おいおいおい……! 冗談じゃねえぞ、このクソアマ! 鼻水垂らして助けを求めるならともかく、なんだその態度はよ! 女の分際で──孕み袋の分際で俺を、俺様を馬鹿にするってのか? てめぇみたいな乳臭ぇ雌狐に、俺が、このザジ様が舐められる謂れなんざこれっぽっちもねぇんだよッ!)


 ザジの内面では、自虐的な怒り、鬱屈した愚痴、そして低俗極まりない罵詈雑言が嵐のように吹き荒れていた。


 結局この男は助けを求められても腹が立つが、無視されたらされたで更に腹を立てるというどうしようもない性分なのである。


「おい、てめぇ!」


 気が付けばザジは、大声を張り上げていた。


「さっきから何澄ましてやがる! 足を罠に挟まれて情けなく突っ立ってる女が、俺を無視するとはいい度胸だなぁ!?」


 女剣士が忌々しげにザジを睨みつけ、吐き捨てるように叫んだ。


「馬鹿が! 貴様の様なロートルがどうにかできる状況ではない! とっとと逃げろ!」


 女剣士の辛辣な罵倒が、ザジの癇癪玉に火をつけるには十分すぎた。


 ザジは顔面を真っ赤に染め、額に青筋を浮かべながら、唾を飛ばして吼え返す。


「ロ、ロートルだと!? てめぇ! その尻に俺のイチモツをぶち込んでやろうか!」


 咄嗟に放たれたその卑猥な怒声には、森に充満した緊迫感を一気に削ぐほどの下品さがあった。


 だが、ザジという男は事こういうシーンではしょうもないだけでは終わらないのだ。


「──だがその前に」


 と、今度は右手に剣を握り、左手には隠し持っていたナイフを取り出す。


 怒り狂った魔狼たちは獲物を狩る邪魔をされて狂奔し、ザジ目掛けて一気に殺到した。


 正面一匹、左右から二匹ずつ──完璧な連携攻撃だった。


 女剣士は身をよじり、罠から抜け出そうともがいたが、どうにも動けない。


「くそっ……!」


 助けようにも助けられないことに苛立つ彼女は、次の瞬間、信じ難い光景を目の当たりにすることになる。


「てめぇらからあの世に送ってやるぜ!」


 ザジの瞳が、左右それぞれ別々の動きを取ったのだ。


 ぎょっとした女剣士の目前で、ザジは右手の剣と左手のナイフをまるで無軌道な嵐のように振るい始める。


 ──散眼。


 かつて名のある剣豪や達人のみが修めることのできたという、高度な戦闘技術である。


 両目をそれぞれ別方向に動かし、死角なく敵を捉え、多方面からの攻撃に完全に対応するこの技を使いこなす者は極めて少ない。


 ましてやザジのような屑にそんな高度な技術が備わっているなど、誰が予想できよう。


 しかし現実はまさにその通りで、次の瞬間には魔狼五頭が血飛沫を撒き散らしながら、瞬く間に地に伏していた。

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