屑②
◆
石畳は雨に濡れて鈍色に光り、露店の油煙が纏わりつく。
ザジは首筋を掻きながら路地を抜けた。
舌の奥に残る鉄の味は怒りとも悔恨ともつかず、ただ胸を焦がす雑味となってザジの表情を歪ませる。
「ちくしょう……フレイの奴、学歴だの血筋だのひけらかしやがって……」
吐き散らされる愚痴。
ちなみにフレイが学歴だとか血筋をひけらかした事など一度もない。
ザジからフレイの素性というか、無遠慮にいろいろ尋ねて、それで教えてもらった背景に勝手に嫉妬しているだけである。
そうしてあてどなく歩いていると、ふとある事に気づく。
「──まてよ? 連中とおさらばしたって事はよ……」
(今夜の宿はどうするんだ)
そう、ザジはこれまでフレイがパーティメンバー分とっている宿に厄介になっていた。
しかしもうザジはフレイのパーティのメンバーではない。
懐の革袋を振ると、銅貨が三枚ほどばらばらと落ちてきた。
「宿代すらねぇのかよ……」
ギルドの灯りが遠くに見える。
ザジは勢いのまま入り口の両扉を押し開けた。
受付台の向こう、亜麻色の髪を一つに束ねた受付嬢クラリサが顔を上げた。
「本日はどんなご用件でしょうか?」
ザジは肘をつき、にやりと歯を覗かせた。
「新しいパーティを紹介してくれよ。ちょっとばかし腕が立つ連中をな」
クラリサの琥珀色の瞳が、ひときわ冷たく瞬いた。
「申し訳ありませんが、ザジ様には既にフレイ様のパーティをご紹介したはずですよ」
「だからよ、連中は駄目なんだ。覇気ってモンがねぇ。背中を預けるにはちっと、な」
背後の酒場スペースから、低い笑い声が漏れ聞こえた。
振り向けば、木卓を囲む若い冒険者たちが口元を歪めている。
「また問題起こしたんだろ」
「ツケ踏み倒しのザジ様のお帰りだ」
「今度はどこの女抱いて逃げたんだ?」
嘲弄の矢が背中に突き刺さる。
ちなみに彼らの罵言は全て真実である。
あちらこちらでツケを踏み倒し、女郎部屋では金を払わず逃げたりもした。
まあそれで逃げ切れるほど世の中は甘くなく、衛兵にとっつかまって監獄にぶち込まれた事もある。
要するに、罵言を投げつけられるのは全て自業自得なのだ。
だが、そんな道理をザジという屑がまともに受け止めるはずがない。
(この、屑共が! ケツの青いヒヨコどもがよ! 俺が剣をびゅんと振れば、てめえら揃ってお陀仏だってわからねぇかッ!)
などと心の中で吠える。
が、それだけだ。
怒り狂って殴りかかったりはしない。
というかこの男、意外な事だが暴力沙汰を起こした事はないのだ。
だからザジより等級が低い冒険者もザジを「口だけ野郎」といって舐めたりする。
ちなみにザジは確かに問題児なのだが、ギルドとしては中々ザジの首を切れない事情がある。
それはザジがギルド屈指のソロ依頼成功率の高さを誇る有能な冒険者であり、ギルドに対して利益をもたらす存在だからである。
──屑は屑なのだが。
ただ、ギルド追放に至るほどの重罪を犯した事はない。
まあ食い逃げやツケ、借金の踏み倒しなどは普通に犯罪なのだが、冒険者ギルドがそれに対して問題視することはなかった。
殺人などよほど深刻なものでないかぎりは黙殺である。
この姿勢はザジに対するもののみではなく、全ての探索者に対してそうだ。
基本的に冒険者ギルドに身を寄せる者などどいつもこいつも脛に傷がある身なので、取り締まろうと思う事自体が時間の無駄である。
それでも冒険者という存在が社会に受け入れられているのは、魔物という危険な存在が蔓延るこの世界だからこそといえるだろう。
冒険者という存在は、結局のところ社会が背負いきれない面倒事を肩代わりする便利屋なのだ。
例えば、山ほどいる不真面目で手癖の悪い冒険者たちも、定期的に襲い来る魔物や暴れる獣どもを排除してくれるとなれば、多少の粗相には目をつぶるという暗黙の了解があった。
ザジのように品性の欠片もない男であっても剣一本で凶暴な魔獣を仕留められるというだけで、一定の居場所を得られる仕組みなのだった。
もちろん、だからといって冒険者たちが尊敬されているわけでは決してない。
むしろ逆である。
──役所仕事すら務まらぬ社会不適合者、賭博や女遊びに耽溺した人間の成れの果て、それが冒険者という種族である。
◆
(ああ、くそ、どいつもこいつも俺を馬鹿にしやがって……)
ザジは「で、パーティ紹介はしてくれるんだろうな? なあに、多少弱くたってかまわねぇんだ。俺がズバっとよう、前衛としての仕事をこなしてやるぜ」
そう言って、薄ら笑いを浮かべながらザジは受付台ににじり寄った。
クラリサの細く整った眉が、ほんの少し不快げに歪む。
「申し訳ありませんが……ザジ様の噂は既に広まっております。フレイ様はそれでもとザジ様の腕を買ってくれた数少ない冒険者だったのですが」
言外に、“自業自得ですよ”とでも言っているような冷たい声。
しかしザジはめげない。
「なあクラリサちゃん……頼むよ……俺だって少しは心を入れ替えるからよぉ。この季節、外で野宿って、そりゃああんまりじゃねえのか?」
ザジの情けなくも浅ましい懇願に、クラリサははっきりと首を横に振った。
「申し訳ありませんが、無理なものは無理です。いまザジ様にご紹介できるパーティはありません」
ザジは奥歯を噛み締め、大きく舌打ちを響かせた。
「ちっ! だったらよ、何か俺ひとりでも片付けられそうなソロ依頼はねぇのかよ?」
クラリサは無言で手元の依頼簿をめくり、一枚の依頼書を差し出す。
「近隣の黒籾の森で魔狼が繁殖しています。地元の猟師も対応はしているようですが、手が回らないようですね。つまりは間引きの依頼です。討伐証明は牙一本。報酬は銀貨五枚」
魔力を帯びた狼──魔狼。
とにかく凶暴かつ狡猾な獣である。
大きな個体になると体高は大人の胸ほどに達し、鋭く研ぎ澄まされた牙と爪を持ち、人間の喉笛を容易く噛み切る。
しかも群れで行動するため中々に手ごわい。
そんな危険極まりない獣の討伐にしては、銀貨五枚という報酬は全く割に合わない。
「相場よりも報酬は低いですが、それは依頼主の懐事情によるものですのであしからず」
「これしかねえのかよ……怪我でもしたら依頼料なんて吹っ飛んじまうぜ」
「問題ばかり起こすザジ様を目こぼしするためには、こういった奉仕依頼の類もこなしてもらいませんと」
クラリサはすげない。
糞が、とぶつぶつ文句を垂れつつも、依頼書を手元に手繰り寄せてじっと睨む。
(魔狼、ね。まあ後ろのウラナリ共じゃあぶっ殺されるだけだろうがよ)
俺になら出来る──そんな事を思いながら、ザジは依頼を受ける事にした。
「仕方ねぇ……まあ、俺様にかかりゃあ楽勝の部類だがな……」
そう吐き捨てるように呟きながら、ザジは懐に依頼書を突っ込んで乱暴に扉を蹴り開け、午後の薄日差す通りへ出ていった。
その後ろ姿を見送っていた冒険者たちの中から、若い男がクラリサに問いかける。
さきほどザジを嘲笑っていた男たちの一人だ。
「なあ、あんなおっさんに魔狼なんか倒せるのか?」
他の街から流れてきた新参者──カルロスという若者である。
カルロスの質問に、地元の冒険者であるヴォイドが笑う。
「あんた、ものを知らねぇなぁ。いいかい、あのザジっておっさんは屑でカスでゴミだが、魔狼ごときに遅れを取るようなタマじゃねえよ」