元教え子 東 紅 彼女は恵まれていた
私、東 紅の人生は恵まれていた。
父は年功序列気味の公務員にしては珍しく、若くして国家公務員の部長を任されその先も期待されていた若手のホープ、母は父の務める役所で事務をこなし、家庭と私の面倒を見て公私ともに父を支えていた。
父も母も忙しい中でも私に沢山の愛情を注いでくれたし、やりたい事はやらせてくれた。
友達もそれなりにいて、何不自由なく楽しい幼少期を過ごしていた。
けれど、私の幸せな日常はダンジョンの発生と適合者の発現によって簡単に崩れ去ってしまった。
何の前触れもなく発生したそれは社会生活に多大なダメージと人的被害を出し、行き場の無い怒りや悲しみは同じタイミングで発現した適合者に向かう事になる。
急に姿が変わったからかなのか、テレビやラジオ、ネットで拡散されたからか最初は何故そうなってしまったのか分からない。
だが社会は確実に適合者排斥に動いていた事は確かだ。
後で知った事だがそれは日本だけでなく、全世界的に起こった事だったという。
日本では一時的に拘束され、急遽用意された隔離施設に収容される事になった。
当時7歳だった私も例外ではない、緊急事態を理由に驚くべき早さでその施策は実施され、発生後一ヵ月と経たない間にある山奥の施設に収容される事になった。
私が連れて行かれる際の下を向き悔しそうな父、泣きながら連れて行かないでと懇願する母。
そして人ではない何か、まるでバケモノを見る様な担当者の目。
初めて明確に向けられた悪意に怯え、私は大人しく連れて行かれるしかなかった。
乗ったバスの様な車内には色んな人がいて、耳が尖っている人、顔が犬になっている人、目が3つある人、手足が植物の根っこの様になっている人等多種多様な人達がいた。
その人達の一部には暴力を受けたのか、怪我をしている人もいてより一層私の恐怖が助長される。
車内はお通夜の様な雰囲気に包まれ陰鬱な影に支配されていた。
移動中に車外から向けられる蔑むような視線、車に石を投げたり耳を塞ぎたくなる暴言を吐く人。
幼い私は移動中震えながら耳を塞ぎ下を向き震えて涙を流した。
移動しながらも次々と適合者を作業の様に車内に押し込む職員、抵抗する人の叫びに懇願、人々の罵倒。
隔離施設に着く頃には涙は枯れ、感情は絶望で満たされ何も考えられなかった。




