戦い終わって
戦いが終わったあと、森はひどく静かだった。
風が戻り、鳥の声が聞こえ始める。
さっきまであれだけ張りつめていた空気が、嘘のように和らいでいた。
「……終わった、のかな……?」
リゼが祠の外で、小さな声を漏らす。
その表情には安堵と、まだ抜けきらない恐怖の色が混ざっていた。
エルは黙って頷き、双銃を腰のホルスターへ収める。
なぜか、祠の奥に“ちょうどよく”設置されていた。まるで最初から自分のために用意されていたかのように。
「村に……戻るか」
「え……いいの?」
「ここで放っておけるわけないだろ。お前の体力も限界に近いしな」
「うん……ありがとう。エルは、冷たいけど優しいね」
「……余計な一言だ」
互いに小さく笑い合って、それきり何も言わなかった。
夜の帳が下りる前に、ふたりはルステア村へ戻った。
村に戻ると、ちょうど夕餉の時間だった。
エルの顔を見て村人たちは安心したように笑い、
見慣れぬ少女を連れていることにざわめきはしたが、すぐに彼の言葉に耳を傾けた。
「森で倒れてたんだ。魔物に襲われた形跡はなかったけど……記憶が曖昧らしい」
「わたし、リゼルディアっていいます。少しの間、お世話になりますね」
丁寧なお辞儀に、村の老婆がにこやかに微笑んだ。
「……まぁまぁ、細かいことはいいんだよ。こんな田舎に可愛い娘さんなんて久々だよぉ」
エルは小さくため息をついて、リゼの肩をぽんと叩いた。
「とりあえず、今夜はゆっくり寝とけ。明日から、ちゃんと働け」
「えー! ちゃんと!? 働くの? わたし?」
「当然だろ。飯食うなら働け。ルールだ」
――平穏。
一時的でも、そう思える瞬間があった。
(翌朝)
「リゼ、お前、まだ寝てんのか」
朝日が差し込む簡素な木造の家の中。
エルが寝台の前で腕を組んでいると、布団の中からもぞもぞと白銀の髪が揺れた。
「んぅ……五分……あと五分だけ……」
「……この村にそんな文化はない。起きろ。水汲み行くぞ」
「えっ、水って井戸から? 誰かが運んでくれるんじゃ――わぁ、さむっ!?」
布団を剥がされたリゼが声を上げて跳ね起きる。
髪はぼさぼさ、寝癖も見事に跳ねていた。
「な、なによ! いきなりっ!」
「働くって言ったよな?」
「言ったけども! まさか本気で言ってたとは……」
「言ったことは守ってもらうぞ。村の掟だ」
そんなやり取りの後、二人は朝の村を歩いた。
リゼは足元がおぼつかず、草履の履き方にも戸惑っている。
「この道、石がゴロゴロしてる……足痛い……」
「慣れろ。貴族様じゃあるまいし」
「まさかの当たり。でもわたし、そこまで偉い家の子じゃなかったはず……たぶん」
「“たぶん”な時点で説得力ねぇな」
井戸で水を汲み、薪を割り、食材の仕分けを手伝い――
リゼは文句を言いつつも、村の手伝いをこなした。
「……やっぱり、こういう生活っていいよね」
昼下がり。
洗濯物を干しながら、リゼが空を見上げてぽつりと言う。
「ん?」
「なんでもない。こうやって、誰かと並んで何かしてるの……初めてな気がするから」
エルは黙って、隣に洗った布をかけていった。
口では何も言わないが、なんとなく、隣に誰かがいるのは悪くなかった。
「うわっ!?」
リゼの叫び声に、エルが思わず顔を上げると――
桶いっぱいの洗濯物が、干し縄ごと地面に落ちていた。
「……何やってんだ」
「ち、違うの! 引っかかったの、わたしの髪が!」
「引っかかるほど動くなよ」
「だってっ、風が気持ちよかったからちょっと回ってただけで――あぁっ! 泥がついてるじゃない!」
「もう一回洗え」
「うぅ……やっぱり、貴族のお嬢様って扱いが懐かしい……」
「だから自称すんなっての!」
午後は薪割りに挑戦してみた。
「薪って、こうやって持って、斧をこう振るうのよね……えいっ!」
――ゴン。
「……なんで斧が跳ね返るの?」
「刃が入ってねぇからだ。勢いだけじゃダメだって、言ったろ」
「だって斧重いし! ……えいっ! えいっ! えええいっ!!」
「やめろ! 地面まで割れる!」
そして、極めつけは夕方の炊事だった。
「わたし、料理だけは自信あるのよ!」
「ほんとかよ」
「うん! 魔法で鍋をあっためて、湯を沸かして、あとはこうして――」
ボンッ!!
「……わあああ!? なに今の爆発音!?」
「火力調整って知ってるか!?」
「こんなに強かったっけ、わたしの魔法……!」
煙と鍋と焦げた野菜が散らばる台所に、エルは呆然と立ち尽くした。
「……明日からは火の番だけ俺がやる」
「わたし、どんどん仕事減ってない!?」
そんなこんなで、村の一日は、喧騒の中で暮れていった。
どこか不安定で、けれどあたたかい。
リゼの記憶はまだ戻らない。
けれど“今ここにいる自分”に、少しだけ居場所を感じ始めていた。
「ふぅ……やっとひと段落?」
夕日に照らされながら、リゼが井戸の縁に腰掛けて、はぁっと息をついた。
村の子どもたちがはしゃぎながら遊ぶ声。遠くで炊事の鍋がカラカラと鳴る音。
そのどれもが、リゼには新鮮だった。
「なんだかんだで、よく働いたな」
エルが水を飲みながら、素っ気なく言った。
「でしょ? 最初はどうなるかと思ったけど……意外と、楽しかったかも」
「薪割りの現場、見せてやりたいくらいだ」
「うっ……あれはちょっと失敗しただけ! 初回は練習っていうか!」
「台所爆破は“ちょっと”じゃねぇけどな」
「うるさいなー……ふふ」
リゼが笑った。
無邪気で、どこか切なさを含んだその笑顔に、エルは少しだけ目を細めた。
「……なんだよ」
「ううん、ただね。なんか、不思議なの。あなたとこうして喋ってるのが、初めてじゃない気がして」
「そりゃ記憶がねぇからだろ」
「違うの。……ちゃんと“はじめまして”はしたのに、何かこう……懐かしいっていうか」
「……気のせいじゃねぇの」
「かもね。でも、悪くないかも。こういうの」
リゼはそう言って、空を見上げた。
茜に染まった雲が流れ、ゆっくりと夜が近づいてくる。
「この村、好きになれそうだよ」
その言葉が、ほんの少し、胸にひっかかった。
――けれど、それが“長くは続かない”ことを、エルはどこかで感じていた。