死にたがりと死んだ奴
生暖かい目で優しく読んでください。
安楽死、日本で早く導入してくれないかな。
そう願いつつ瞼を閉じる。いつものルーティンだ。
「あー…生きるのしんどいな……。」
---
スマホのアラーム音が耳に響く。
「楓、起きろ。支度しろよ。」
瞼を少し開くと、見知った顔が俺を覗いている。
"そいつ"の声を無視し、布団と一体化していた身体を無理矢理起こす。
暖房のタイマーが消えた部屋は冷え切っており、思わず身震いしてしまう。
再びエアコンを付け、腑抜けた思考を洗い流す為に顔を洗う。
タオルで顔を拭きながら、背中越しにそいつの気配を感じる。
家族でもない、同居人でもない、はたまた生身の人間ではない"ソイツ"が現れたのは、いつ頃だっただろうか。
半年前、遠方に住む母親から珍しく着信があった。
「落ち着いて聞いてね、実は優太君が……。」
鈴木優太、俺の昔からの幼馴染が亡くなったという連絡だった。
小学校4年生の頃だったか、優太は転校して来た。第1印象は小柄な体型で色白、気弱そうという印象しか覚えていない。
休み時間は1人で読書、昼休みは気付けば図書室で過ごすなど、1人時間が好きな奴なのだと思っていた。
同じ様な服をローテションで着ているのだろう、シワと少々の黄ばみが目立つ服装、穴の空いた靴下、解れた箇所をフェルト生地で縫われた手提げ袋、黒ずんだ上履き。
俺と同じ家庭環境なのだと分かるには容易い事だった。
「お前、何の本読んでるの。」
確か、俺のこの一言からか。
明確に優太と親交を深めたきっかけは思い出せない。けれど、互いの片親家庭という共通点もあり、高校まで親友だと自慢出来るほど楽しい日々を過ごしていた。
社会人になってからは、連絡は全く取れずじまいだったけれど。
「今日は最低気温3℃らしいから、暖かくしろよ。」
会社指定のポロシャツの上からダウンを羽織る。
数年前、セール品で購入したダウンだが、裏起毛なのでこの冬は重宝している。
「行ってらっしゃい、今日は夕方から雨降るみたいだから、折り畳み傘忘れるなよ。」
お前は俺の母ちゃんか、と心の中で反応しつつ、玄関を開ける。
いつもの平日、死んだ人間が俺を見送る日々。
毎朝優太は、どんな表情で俺を見送っているのだろう。
♢
『どうして、急に…まだ若いのに…。』
『鈴木くん自殺だなんて……。』
『しかも飛び降りとか、お母さん可哀想に…。』
鼻水を啜る音、布が擦れる音、僧侶の声と木魚のBGM。
参列している人々が優太の死を嘆く反面、俺はぼうっと僧侶の後ろ姿を眺めていた。
祖母の時以来だなと、葬式独特の雰囲気を感じながら遺影に納められている優太の笑顔を見つめていた。
『優太のお母さん、何か雰囲気変わったよね。』
鮪寿司を頬張りながら、高校時代の旧友が呟く。
『高校の時とか、優太のお母さんってモデルみたいに綺麗だったよね。』
『そういえば、何かしらの宗教にハマったとか…』
『優太って何で死んだんだっけ、確か……』
彼らは自分達が野次馬のように好奇の目で口角を上げながら話し合っている事に気付いているのだろうか。
気味が悪い、その一言に尽きる。
『皆、わざわざ遠くからありがとうね。少しだけれどお寿司沢山用意して貰ってるから、食べていってね。』
『あっ、ど、どうも。』
お酌の番が回ってきたのだろう、優太の母親が俺達のテーブルに来た。
推定年齢より上に見える顔の皺、乾燥した髪質の黒髪を1つに束ねている彼女は、確かに高校時代に会った"モデルの様なお母さん"では無くなっていた。
けれど、それは愛息子を亡くした母親と苦労を考えれば、老いは当然の事だろう。
『楓君、久々だね。元気してた?』
『あっ、はい。ぼちぼちやってます。あ…っと、何か手伝います。1人で色々、大変ですよね。』
『良いのよ、喪主なのだから当然よ。』
笑顔という表情を無理に貼り付けて笑っている。
よく見れば、涙の乾いた跡が顎まで付いていた。
『優太の顔、ちゃんと見てお別れしてやってね。
楓君の事、あの子本当に大好きだったんだから。』
-----
『ただいま…はぁ…疲れたな。』
雑にネクタイを外し、部屋着にも着替えず敷きっぱなしの布団に身体をうずめる。
火葬される前の優太は、年相応というか、言い難い容姿であった。
元々痩せ型だったが、更に頬はこけていて。
お化粧されてはいるものの、目下のクマが隠しきれておらず悲壮感漂う顔に、俺は眉間に力が入っていたと思う。
『……優太、本当に死んじゃったのか。』
『俺、死ねたのか。』
『!?』
突然部屋に響く声に、反射で飛び起きる。
自分だけの空間に自分以外の存在を認識した時、人の反射速度は想像以上らしい。
息を吸う事わ忘れ、目の前に佇む存在を見つめる。
嘘だ、居るわけが無い。何故、どうして?
『ゆ、うた……?』
生前の、酷く悲壮感漂う顔立ち。先程眠っていたソイツは、その大きな目に俺の顔を移していた。
---「西山君、今日納品数多いから気合い入れて頑張ってね。」
「あっ……は、はい。頑張ります。」
いけない、仕事に集中しなければ。
持っているファイルに視線を落とし、今日の納品店と納品数を確認する。
週末だからか、納品数は格段に多い。その為、移動ルートをいかに効率よく回るかが重要となる。
「あとさ、今日の利用者さんの人選、俺が特別に仕事出来る人達だけ選んで配置したからさ、頑張れよ。」
背後から、職場の先輩が俺に耳打ちをする。
同時に複数の声が耳に響く。
「流石にエグいわ。」
「笑っちゃうから止めてやれって、…ふっ。」
奥歯にぐっと力を入れつつ、軽く会釈を返す。
もう慣れたけれど、今日の利用者の名前欄を確認する。
分かっていたけれど、俺達職員にとって接し方が難しい人達だらけだ。
「西山さ~ん、もうこんなに重い籠持てないよ~。」
「階段も辛いし、午前中に終わるの?私膝悪いのにどうして外作業に配置されたのかなあ。」
使用済のおしぼりが入った籠を車に積みながら、利用者達が愚痴を零す。
無理もない。今日のメンバーは精神的な障害や身体的にも外作業は難しいだろうと、普段なら配慮される人達だらけだ。
「大丈夫ですよ、時間内に終わらなければ俺達職員が後で納品しに行きますから。」
「就労支援の職員さんって本当大変だねえ。私凄いって思うわあ。」
「もうお昼だよ、お昼準備もあるから早く戻らないといけないよ、西山さん。」
「……何か、苛苛してきてしまった、帰りたい。早退させて欲しいんだけど。」
悪気も無い、嫌味もない。理解している。
ただ、俺の焦りや肉体的な疲労が彼等の障害や精神状態に影響しているだけなのだ。
「西山さーん、お昼間に合わないよ。」
癖になりつつある奥歯に力を入れ、まだ納品し切れていない店舗欄に印を付ける。
「……そうですね、取り敢えず午前中作業は終えて、昼飯食べに事業所に戻りましょう!」
----
「お帰り、ご飯食べないのか?顔色悪いぞ。」
右耳に聞こえる優太の声を聴きながら、天井を見つめる。
風呂も入っていない汚い身体で、布団と一体化している俺をまさか心配しているのか。
幻聴幻覚にしてはサービス精神が多過ぎる。
数滴残っているビール缶に口を付ける。
液体は当然唇の端を湿らせ、枕に染みを付けた。
TVの中の雑音をBGMにしながらゆっくりと瞼を閉じる。
「飯を食べないと元気が出ないんだぞ。」
うるせえな。
残業して疲れているんだ、食欲なんて湧くか。
「酒は程々にしないと身体壊すぞ。」
「楓は身体が弱かったじゃないか、直ぐに風邪引いていた。」
「煙草も駄目だ。中学の頃、試しに吸ってみたらとても不味くて二度と吸わないって約束し合ったの忘れたのか。」
うるせえ、今更俺に干渉してくるなよ。社会人になって連絡1つ寄越さなかった癖に。
お前死んだんだろ。
奥歯に力を入れる。口から溢れそうな言葉を無理矢理飲み込む。
優太らしきソレが現れたその日、母親からの一報から抑えていた感情が湧き上がる。
何故死んだのか、何故"自殺"したのか、今まで何処でどんな生活を送ってきたのか。
けれど、聞かなかった。
ソレの顔も、その時以来見ないようにした。存在も全て無視しようとした。
俺はただ疲れているんだ。毎日毎日疲れてるのに何も考えたくない。
面倒くさい。面倒くさい。
「ちゃんと歯磨いてから寝ろよ。」
頼むから、お願いだから、黙ってくれ。黙って消えてくれ!!
♢
「あらまあ、ちゃんと定期的に片付けてるの?喚起しないと運気下がるわよ。」
数ヶ月に1度、俺の休みに合わせて母さんが訪ねてくる。手作りの煮物や惣菜、レトルト食品等を抱えて。
「母さん、有難いけど俺も一人暮らし長いんだから、大丈夫だよ。こっちに来るのも大変だろ。」
「良いでしょう、別に。たまに来るぐらい。それに貴方掃除もろくにしてない癖によく言うわよ。」
小言を言いながら冷蔵庫にタッパーを入れる母親の後ろ姿を見て、偉く小さくなったなと感じる。
母1人子1人で育ち、母親には迷惑や世話を掛けっぱなしだ。
「そうそう、会いに来たのはそれだけじゃなくてね、」手提げ袋の中から、母親は酷く懐かしい物を俺に差し出す。
「卒業アルバム……高校時代の?」
「そう。でもこれ、楓のじゃなくて優太君の物なの。」
「優太の…?何で母さんが持ってるの?」
「優太君のお母さんに渡されたのよ。優太君の私物があると色々辛いから、良かったら楓に渡してくれないかって……。」
「おかしいだろ、それは。何で俺なんだよ。」
「優太君と1番仲良かったからって。捨ててくれても構わないって言ってたわ。」
懐かしいアルバムに視線を落とす。やく10年前の物だからか、色落ちもしているしやや誇り臭い。
「彼女、色々あってから精神的に辛そうだったから。あまり無下にも出来なくてねえ…。」
深い溜め息を落としながら話す母親の表情から、旧友が言っていた宗教絡みの信憑性は高まった。宗教ではなくても、根深い何かがあったのは間違いない。
「分かったよ、取り敢えず持っておく。」
「そうして。…さあ、ちゃっちゃと掃除終わらせるわよ!手伝いなさい!この後イオンモールで爆買いする予定だもの!」
アルバムを手にした瞬間から、視線を全身で感じる。優太も懐かしい気持ちになっているのだろうか。
---「有難う、また連絡するよ。本当に感謝してる。気を付けてね。」
「はいはい。部屋ちゃんと定期的に片付けんのよ。それに、あんた痩せてるから沢山食べな!」
「ははっ、有難う。」
「……本当に、食べなさい。じゃあ、またね。」
最後、優太みたいな事言うんだな。
母親を見送り、綺麗に清掃され換気が行き届いた部屋の真ん中で身体を上に伸ばす。
少しだけ、頭がスッキリした感覚がする。
「楓、そのアルバム俺のだな。」
唐突な声に思わず肩を跳ねさせる。
真後ろに立っているのだろう、視界の端にソレの腕を捉える。テーブルの上にあるアルバムを指している。
恐る恐るアルバムを手にし、適当に数ページを開く。
10年前の記憶が詰まった写真の数々と鮮明に思い浮かぶ過去の景色が、今の俺には眩し過ぎる。
文化祭、体育祭、授業風景、友人とじゃれ合っている写真、複雑な感情で胸が苦しい。
「……見るなよ。」
「え?」
唐突な、聞いた事の無い低い声に反射で後ろを振り向く。
背後に居るソレは以前の無表情では無く、怒りや悲しみ、それとも恨みだろうか、一言で済ますには形容し難いその表情に、背筋が凍る。
何を、何を見るなと言っているんだ。
鼓動が速くなる。恐怖心と好奇心が入り交じった動悸と興奮。ソレが剥き出しにした感情の原因がアルバムにある。
次のページは確か、順番的に個人写真が各教室毎に貼ってあるページ……
「見るな!!!!」
「っ……!!!」
「あ……、え……っ……え……。」
ゴトンと分厚いアルバムが床に落ちる。
足元に落ちたアルバムはパラパラとページを揺らし、1つの見開き状態に落ち着く。
「な、んだよ、これ……。」
毛穴全てから脂汗が滲み出る。
瞬きも息を吸うのを忘れ、そのページを凝視する。
個人写真が掲載されている見開き全体に、黒いマジックで『死ね、辛い、憎い、死にたい、どうして俺が』と、大きい文字で書きなぐられていた。いや、それよりも、それよりも、俺の顔写真だけが黒ずんでいるのは何故だ。
鉛筆か何かで擦ったのか?いや、今そんな事はどうでもいい。俺の写真だけという事が問題なのだ。
必死に思考を巡らせる。敵意?殺意?何だ?震える前歯と止まらない脂汗、これを書いた本人が真後ろに立っているという現状。
俺は、恨まれていたのか?
瞬間、張り詰めた糸の切れる音がした。
---
あの一件から、ソレは現れていない。
もう数ヶ月経っただろうか、ソレの声も聞こえない。
見えなくなった事が幸運なのか、本当に化けて出ただけなのか。
悩む時間よりも迫る日常に精一杯で、目まぐるしい。だから俺は疲れていたのかもしれない。
「納品作業好きだよね、今日こそちゃんと時間内に終わらせろよ~?」
いつもの言葉と作業内容。
「職員の西山さんって、暗いよね。しかも作業効率悪いから、指示が良く分からない時が多いよ。」
「分かる~。あんまり笑わないし、愛想無いよねえ。」
いつもの職員への愚痴。
いつもの残業、もう慣れた事。
帰宅時間は20時過ぎ、半額シールが貼られている冷めた惣菜を咀嚼する。
TVの音を遠くに感じながら、ただ本当に、本当に無意識に
「死にたい。」そう声に出せた。
♢
『俺の母ちゃん、最近彼氏が出来たみたいでさ。
セール品じゃない服とか買ってんだよ。』
『明日の卒業式の後、お祝いで食事会するんだろ?3人で。』
『そう!緊張するわ~!というか、クラス会に俺が居ないからって拗ねるなよ。』
『うるせーな、別にお前が居なくても変わらんわ。精々楽しめよ、彼氏さんに意地悪すんなよ!』
高校卒業式の前日の優太との会話を思い出す。
あの会話以降、何度連絡をしても優太からの返事は無かったな。
『西山~、聞いた?最近優太ヤバいらしいぞ。』
顔も思い出せない旧友が俺に耳打ちする。
『ヤバいって何が?』
『何か、大学中退してホスト?っていうか夜の界隈で働いてるらしい。落ちぶれたもんだよアイツ。おばさんも変な宗教に浸かってるみたいだし。』
『……噂だろ、そんなの。』
近況と遠回しの職業マウント、性欲が透けて見える男女の絡みとアルコールの匂い。
反吐が出る同窓会だった。
【元気?忙しいだろうけど、たまたは息抜きに飲みでも行こーぜ。】
既読のつかないLINE。
明るくて、人気者で母ちゃん想いだった優太。
一方的に縁を切られていたとしても、仕方ない。環境が変われば人も変わる。
仕方ない、俺もきっと変わったのだから。
そう、思っていたのに。
空きビルの階段をゆっくりと登る。
身体が鉛の様に重く、足を数cm上げる動作さえ疲れてしまう。まるで高齢者を疑似体験しているようだ。それか、身体年齢が高齢者になってしまったのか。
階段を登切り、ドアノブに手をかけ錆び付いた扉を開ける。外気が一気に俺の身体を覆った。鋭利な冷気が体温を奪う。
「おー、おー、もう22時過ぎなのにまだこんなに明るいもんなんだな。」
周りのビルの何室かは部屋が明るい。遅くまで残業しているのだろう。
視線を落とせば今度は電灯の明かりや人の群れで賑やかだ。
空を見上げる。無数の恒星を見たのはいつぶりだろうか。
今は毎日足元を見続ける事が当たり前になった。
「ああ……死にてえ。」
そう呟いた瞬間、俺の背後にソレの声が響く。
「…………優太。」
ゆっくり、ゆっくりと振り返る。ボサボサの黒髪。コケた頬。葬儀の時に見た優太がしっかりと俺を見つめている。
風に靡く俺の髪と違い、垂直に伸びたままの優太の姿を見て、現実に存在するものでは無い事が否応なしに実感してしまう。
幽霊か、幻覚か幻聴か。そんな事はもうどうでもいい。
「俺、分かったんだ。優太がどうして俺の前に現れたのか。あのアルバムを見て。」
「生きろ、楓。」
「お前さ、何か俺に恨みとかあったんだろ?俺が嫌いって言ってたよなあ?ずっとそう思って俺と一緒に過ごしてたのか?」
「生きろ、楓。」
「俺何かしたか?何でその時に言わ……っ、いやどうでもいいわ面倒くせえな。」
「……楓。生きて欲しい。」
拳に力が入る。爪が食い込む。
「生きろ生きろ五月蝿いんだよお前はあああっ!
!!!!」
臭い嘔吐物を吐き出す様に、汚物が言葉として溢れ出す。
「何なんだよお前さあ!機械みたいに同じ事ばっか気色悪い。
俺を恨んでたから化けて出たんだろ?俺を連れてくつもりだったんだろ?
いいぜ、お望み通り死んでやるわ!!こんなクソみてえな現実、俺だって死にたいからな!!」
「楓、聞いてくれ。楓。」
「仕事のストレスや愚痴だってなあ首の皮一枚で耐えてたんだよ!それなのに、それなのに、」
奥歯に力を入れ、必死に生きているだけなのに、
「何で死んだ奴に楽しかった思い出全部全部全部!壊されなきゃいけないんだよ!!!」
視界がぼやける。凍え震えている身体とは裏腹に、熱い液体が頬をつたう。
目の前に立っている楓の表情が見えない。
「……俺は、お前がずっと羨ましく感じてたんだ。」
開いた口が塞がらない。俺の今の、どこが、どこがだ。
「母ちゃんは、とても優しくて、弱い人だったから彼氏に騙されて借金背負わされて、」
ポツリポツリと、ゆっくりと優太は続ける。
「俺が働かなきゃいけなくて。でも、母ちゃん弱いから狂っちゃって、俺の事なんか忘れちまった。」
「俺、疲れて、誰にも相談出来ずに、辛くて。なのに楓は自分の人生生きてて、
すごく妬んで、どうでも良くなって、気付いたら楓の部屋に居た。
…妬んだ気持ちはあった。だけど、お前の命を奪ってやろうとか全然違う。
俺は、お前に生きて欲しいと、思ってるんだ。」
…何を、コイツはほざいているのだろう。
「俺の…っ、俺の辛さとお前の辛さを、お前の物差しで測るんじゃねえよ!!
それに相談出来ないって、…俺が何度も連絡してき……っ。クソ!!!」
優太と連絡が付かなくなった俺の感情、定期的に送っていたLINE。
俺の気持ちも届かずに、勝手に死んでしまった。
死んだお前は、生きる事に疲れた人間の気持ちを誰よりも理解出来るお前が、何故生きて欲しいとほざくんだ。
鼻水と涙が混ざった顔を袖で拭う。
ややクリアになった視界の優太は俯いていて、表情は読めない。
沢山傷付けたいのに、伝えたいのに、言語化出来ないほど頭の中がぐちゃぐちゃだ。
「もう……消えてくれ……。」
数分か数十分か。酷く長く感じる沈黙に耐え切れず、口を開こうとした、その時だった。
「……生きて欲しいと伝えたのは、俺が死にたいと感じた時に最も聞きたい言葉だった。
死を覚悟した時は最も聞きたくない言葉だった。」
優太の声が俺の脳内に響く。
今まで微動だにしなかった身体を揺らし、少しずつ俺との距離を縮める。
「辛かったら、しんどかったら命を絶つのもソイツにとっての救いなんだ。救われると思う選択をすればいい。
俺がそうだったから、生きたいよりも救いだったから、分かる。」
「っ、なら、俺の気持ちが分かるだろ?!何で生きて欲しいとか言っ、」
「俺のエゴだよ。大好きな親友には幸せであってほしい。俺の本心だ。」
手が頬に触れる。温かさなんて感じない。
「連絡出来なくてごめん。妬んでごめん。」
顔を歪めながら、優太は笑う。
「俺、生きられなかったや。」
「ちが、謝るとか違う、違うよ仕方なかったんだよ……謝んな……っ。」
やっと、やっと見れた顔なのに、二重にぼやけてしまう。
熱のない物体のない手を握る。
こんな形で会いたくなかったのに。
葬式でお前の顔なんか見たくなかったのに。
俺の事を妬む程病んだなら、アルバムに書き殴るぐらいなら、直接暴言の1つを言いに来れば良かったのに。
死にたい時に、俺に死にたいと訴えれば良かったのに。
「優太……!俺はお前に……っ!」
たった一瞬、涙を拭ったその一瞬。
「……ゆう、た……?」
あいつの姿はどこにも無かった。
---
「奥さん、施設に入所する事になったみたい。」
「息子さん亡くなった頃から、徘徊とか酷かったもんねえ…。」
「何度も通報されてたみたいだし、まあ、良かったんじゃない?」
「徘徊と言えば、真向かいの間宮さんのお爺さんってさ……」
早朝から盛り上がる主婦達の井戸端会議。
周りに聞かせているのかと言いたい程、声のボリュームは大きい。
不快な音に反吐が出そうになりつつ、俺は懐かしい我が家のインターホンを鳴らす。
かすかに聞こえる足音の後、ガチャりと扉が空く。
「お帰り、楓。…勝手に入って来れば良いのに!」
「…ただいま。母さん。」
「急に帰るって連絡が来てびっくりしたわよ。」
「はは、ごめんって。」
家を出てった頃から何も変わっていない。
いや、少し物が減ったか。
辺りを見回す俺に、母さんはクスクスと笑う。
「何も変わってないでしょ。ほら、好きだったでしょ、歌舞伎揚げ。あとココア。」
「懐かしいな、全然食べてなかった。ありがとう。」
ココアを1口飲む。甘い味が舌全体に広がり、久しく感じていなかった味覚が蘇る。
実家の安心感に身体の力が抜けたようだ。
「それで、どうしたの。何かあったんじゃないの?」
緑茶を1口飲み、母さんは真剣な眼差しになる。
「……はは。いや、…うん。その、さ。俺仕事休職してて、さ。」
優太が消えたあの後、俺は結局飛び降りなどせずに帰宅した。
死ぬ勇気なんて、初めから持ってなかったのかもしれない。いや、分からない。
「ごめん…、ちょっと人間関係で色々あったりして…、辛くて…。ほんと、ごめん…。」
「…そう、かあ。」
母さんの表情は見れない。両膝に固く握った自身の拳を見つめるだけで精一杯だ。
恥ずかしい、こんな息子で恥ずかしい。
「きゅ、休職中だけど、また新しい職探し頑張るからさ、心配しないでほし、」
「はあああ~!!なんだあ、良かったあああ!!!」
母さんは突然机に突っ伏したかと思うと、瞬時に顔を上げ、俺の腕を握る。
予想していなかった反応に、思わず顔を上げた。
「えっ……良かった…って?」
「あああ~っ、辛いなら辞めちゃいなさい!仕事なんて!何だあたし、てっきり犯罪とかに巻き込まれたのかなーとか…。あ、それにねえ!!」
俺の頬を母さんが両手で包み込む。
「気付いてんの?あんた。
みるみるうちに痩せて、顔色悪いったらありゃしない!!」
人肌の温もりを久々に感じ、目頭が熱くなる。
あったかい。あったかくて恥ずかしくて、でもとても嬉しくて。
「ははっ、そっかあ。ごめんね、心配かけちゃって。」
「…心配沢山かけて良いんだよ。辛かったね、頑張ったね、楓。」
そう言い、俺を抱き締めた母さんの温まりは熱くて、良い匂いで。年甲斐もなくまた涙が溢れ、母さんの小さくなった背中に手を回した。
---
後から聞いた話だ。
優太の母は精神的により参ってしまい、今は施設に入所しているらしい。
宗教へ貢ぐ為に、優太の学費にまで手を出した。
同窓会で聞いた優太の話もあながち嘘では無かった。
「俺を恨んでないのに、どうして俺の所に現れたんだよ。」
萎れ枯れている墓花も新しいのと交換する。
墓石を綺麗し拭き、供物も備える。
そして線香に火を付け合掌する。優太が眠るこの墓に。
「どうして、だとか、お前の苦悩とか、いくら考えてもお前はもう居ないんだもんな。」
あの夜の出来事を1つ1つ思い出す。
優太の言葉、表情を俺は一生忘れないし、忘れられない。
「…無視しなきゃ良かったな、ちゃんとお前の顔を見れば良かった。」
後悔もある、現状は何も解決していないし、死にたさも消えていない。
ただ、前とは違う。少しだけ違うんだ。
「もう暫く、生きてみるよ。」
「楓ー!早く帰らないと夕飯の支度に間に合わないんだけどー!!」
遠くで母さんが呼んでいる。
「今行くよ!じゃ、優太、またな。」
優太に会えるのはすぐかもしれないし、まだずっと先かもしれない。
けれど今はまだ、最期の救済である"自分で死ぬ"事は、まだとっておこうと思う。
使う時の俺はどうなっているんだろう。使わなかった時の俺はどう生きているんだろう。
安楽死、日本で早く導入してくれないかな。
まあ、それまで暫くは生きてみるけれど。
「はあ~、生きるのしんどいわー!!」
憎たらしい程の晴天に向け、叫ぶ。
鼻を掠める線香の匂いがふわりと俺を包んだ。