152.夢
その夜。ママルは夢の中に居た。
なぜだか、妙に現実味がある、だけれど、これは夢だ、
解っている。ママルはそうどこかで自覚するも、
目は覚めないし、覚めたいとも思わない。
自分のベッドに、―――がゆっくりと入って来て、上から体を預けて来た。
やがて無言のまま見つめ合い、そして、唇が重なる。
夢の様な気分、と言える夢だ。
好きだ。そんな気持ちが、相手からも伝わる。
嬉しい。伝わっている。想われている。心が、満たされて行く。
体は疼く。でもそれ以上に、そんな事よりも、このまま、いつまでも…。
互いに額を押し当て、瞳を見つめる。
唇はいつまでも触れ合い、
どこまでも互いに、愛の言葉を綴る。
おかしい。この全ては、物理的に、同時に叶うものでは無い。
解っている。何か、異常だ。
違う、だって、ただの夢だ。
だけれど、この幸福感を手放したくない。
色めくこの今を、麗しいこの時を。
どこまでも甘く、どこまでもときめく、この夢を…。
何度も、お互いの唇が触れる。
次第に、2人の舌が絡もうとする。
幾度も、欲しい言葉が投げかけられる。
たまらず、手の平でその胸に触れた。
その柔らかさと、高鳴る鼓動を感じ取る。
同時に、自分自身の鼓動が高鳴っているのを感じる。
今、心が1つになっているんだ。
そして、…今から。
……どうか……このまま……いつまでも……どこまでも……。
夢幻の情欲に飲まれる様に、意識が、沈んでいく。
思考が定まらない。
もう、夢かどうかなんて、どうでもいい。
この先に、辿り着きたい。
だけど、きっと知らない方が良いんだ。
答えを出すと言う事は、答え以外を切り捨てる事だから。
だから、今が、いつまでも、続いて欲しい。
――
エイヴィルは恍惚とした表情で、ホテルヘヴンへ向かって歩いている。
「愛と夢。それが、私の力…、どこまでも幸福で、終わりのない。
肉欲なんかでは遠く及ばない、だから、あなたの種族も、性別も、趣味趣向も、関係ない。人は誰しもが、愛を求めているのだからっ!」
クルクルと踊る様に回りながら敷地内を歩く、
手首にぶら下げているポーチが、無意味に美しい軌跡を描く。
そしてホテルのロビー内へと足を踏み入れた。
すると、従業員の1人から声がかかる。
「え?あ~、あの、すみません、現在当ホテルは貸し切りとなっていまして」
「≪パフューム:惚香≫」
エイヴィルの口から放たれた煙を、従業員は嗅いでしまった。
すると、脳天を突き抜けた様な、激痛とも、快楽とも呼べるような衝撃が奔り、
ビクっと体を震わせた後、その場に倒れ込む。
「ふふ、大人しくしてなさい。良い夢、見させてあげるわ」
そう言いつつ、倒れた従業員の上に跨り。その口元を片手で塞いだ。
そしてその掌で、魂を吸い上げ、食らう。
「んうッ!!!っハァァアア……。さぁ、もう一度、目覚めてもいいわよ…、私の中の悪魔……ナイトメア!」
すると、エイヴィルの姿が変異し始めた。
2本の角、蝙蝠の様な両翼、細長い尻尾が生え、
肌の色は至極色へ、瞳は黒く染まり、その体中へ魔力が満ち溢れる。
何よりエイヴィルが最近気にしていた、目尻の皺もすっかり消えた。
「アハーーーッ!ハーーッ!!最ッッッ高!!!!」
絶頂に震えた様に、その口から涎が零れる。
そしてそのまま、カウンター奥から鍵を掠め取り、ママルが居る最上階を目指す。
エレベータが音を立て動く。
「ママル…、魔王…、城からの通達で知った。小さい、獣人……絶対に、殺してやる…」
目的の6階へと到着し、ママルらが居るだろう部屋の扉を開くと、真っ暗な室内に侵入する。
その時、背後から何者かの声が聞こえた。
「≪巣蜘血≫」
エイヴィルは背中を何かに思い切り引っ張られて、廊下へと逆戻りする。
「≪除連殺≫」
「ぐっ!!!」
背中を幾度もナイフで突かれた。
強烈な連撃は魔力防御を貫通し、血が噴き出す。
焼かれるような痛みを感じながら背後へと視線を送ると、1人の女と目が合った。
「ああ゛アアア゛ァァァァ!!!」
大袈裟に叫び声を上げ、両腕を振り回すと、女が距離をとった。
その隙に≪巣蜘血≫を力尽くで千切って脱出する。
「≪デリューショナル:迷夢≫」
エイヴィルが負った傷口は、黒い靄が溢れると徐々に塞がって行った。
「くそ…いてぇなぁ!!てめぇ………」
「あなたの体、どうなってるの……この化物め……」
「あぁ?!!」
「皆ぁぁあああ!!起きてぇ!!!」
メイリーは室内に向かって大声を上げるが、返事は無い。
(こいつは…たまたま起きていたのか…?だけど、どうでもいい、こんな奴)
「さっさと片付けてあげるわ」
「……皆に何をしたのよ」
「ふっ…頭が悪いのかしら?教える訳ないでしょう」
「…私は…頭は良くないけど…、こういうのは、術者を殺せば解けるってママルちゃんが言ってたわ。だから、私があなたを殺す…」
「生言ってんじゃないよ!女が!顔を傷物にして、醜いわねぇ!生きてたって辛いでしょう?」
「ちっとも辛くない…あなたみたいなモンスターには、何も解らないわ!」
「小娘が…上から物を言ってんじゃねーわよ!!」
「≪糸蜘血≫!」
エイヴィルは咄嗟に両手をクロスするようにガードすると、
ナイフは左腕に突き刺さる。
そのままメイリーは駆け出して接近、同時にナイフを手元に手繰り寄せエイヴィルに襲い掛かる。
「≪ハルシオン:夢想≫」
エイヴィルの周囲が、陽炎のように揺らめいた。
その範囲へ侵入してしまったメイリーは、周囲の景色がブレて、足元の床が亡くなった様な、どこまでも落下して行くような感覚に囚われ、その場に立ちつくす。
無防備に呆けるメイリーを前に、エイヴィルはその右拳に全力で魔力を込めた。
そしてメイリーを殴りつける。まさに渾身の一撃。
その勢いで、メイリーは廊下をぶっ飛んで、壁へと激突する。
「ぐぅ…ぅぅ………………ぁぁ………」
意識が希薄になっていた所への強烈な一撃は、メイリーに強烈なダメージを与えた。胃が、腹筋が、あばら骨や背骨が軋む様に痛む。
「アハーッハ、口ほどにもない…、魔人となった私に、貴様の様な小娘が敵う訳ないじゃないの」
そう言いながら、左腕の傷をまた≪デリューショナル:迷夢≫で治癒していく。
「………解っているわ…」
「あらそう、じゃあ、大人しく殺されなさいな」
エイヴィルは、屈んでいるメイリーの元へと歩み寄る。
「ママルちゃんは、私達が、傷つく方が、辛いのよ」
「…なんだって?」
「ごめんね……≪羅刹胎慟・黒縄≫」
メイリーはナイフを強く握締め、呪具によって得たスキルを発動した。
「なっ……」
悍ましい程の、力の奔流。
魔力も、気力も、完全にさっきまでとは別物だ。
何より、呪力さえも感じられる。
(何だ。これは………、くそっ!たかが魔王の配下如きが………、
人質として捕えるのも困難か…。こんな奴を相手にしている場合じゃ…)
エイヴィルは、メイリーに向かって突進する。
…フリをして急旋回。室内へと強行。
そして奪う様にママルを抱え、窓を突き破り外へ飛び出した。




