1.起床
黒井太一は疲れていた。
ここ数か月、酷い残業続きにも関わらず、
ほぼ日課となっているMMORPGへのログインを行い、
特に面白いとも感じていない(ただし報酬的に欠かせない)デイリークエストを、
ただの1日も欠かさずに毎日行っているためだ。
仕事の疲労と睡眠不足で、このままでは間違いなく、良くて入院コースといった状態にあった。
人付き合いが苦手な黒井は、現実ではここ数週間、仕事の話以外声に出していない。
ついでに、声に出さない話という意味では、
ゲーム内の自動マッチングシステムによって一時的に一緒になったパーティーメンバーに、
「お、今揺れた@東京」と言われ、
「俺のとこも揺れました」と返したのが一週間前。
それより前となると、だいたいが暴言の類いだ。
どう見ても熟練のヒーラーが、どう見ても初心者のファイターに対し、
「ちょっとDPS出てないですよ」とか言って、
初心者が「すみません」とだけ返した時。
「その分お前が殴れよ、そのレベルでこのダンジョン来て回復だけしてイキんな」
とか、ついチャットして。
そんなやり取りをするたびに、黒井太一の人間嫌いは加速していった。
とは言え、それでもMMORPGをやり続けるのは、
人間的な繋がりや温度を感じられる唯一の場だったからだ。
本人が特別意識したことはないが、結局、本当の意味で完全に1人で生きる事は避けていたのだろう。
今日も今日とて、帰宅するなりPCを起動する。
明日は日曜日、好きなだけゲームするぞと意気込み、
コンビニで買ったおにぎりを食べつつビールを飲みながら、
見慣れたアイコンをクリックし、
件のゲーム【アドルミア】を起動した。
ログインすると、そこに1人の小さいキャラクターが降り立つ。
種族はポポルと言って、成人でも100cm程度の大きさだ。
顔は人間種の子供に見えなくはないが、大きな耳とモフモフな尻尾がついていて、
幼児向けキャラクターのような可愛らしさがある。
だがアドルミアでは忌避されがちだ。
大体が、いわゆる地雷だと思われているためだ。
可愛らしい外見から暴言が吐かれると、そのギャップにより不快感が強まる。
冗談みたいな空気も出てしまうため、その効果はより強く印象に残りやすいからだ。
パッと見では男女の区別は付きづらいが、性別はある。
黒井太一の分身は女性だ。プレイヤー名はママル。
種族などは、単純に可愛いから選んだ。
動物が好きだし、性別は特にこだわりはなく、最初のキャラクリで使える髪型で決めた。
クラスは呪術師。アドルミアには50近いクラスがあるが、
デバフを得意とし、それらの解除なども出来る。
器用貧乏めいたクラスだが、黒井は気に入り呪術師に特化させている。
キャラクターのレベルは当然、現在最高の250。
2か月前に来た最新アップデートで、240から更新されたばかりだ。
クラスのレベル=キャラクターレベルなので、当然呪術師も250となる。
それとは別に、クラスがどのカテゴリーに属するかという、ベーススキルというものも持っている。
呪術師ならマジックキャスターがベース。
剣術士、拳闘士ならメレーファイター、弓術士、銃術士ならレンジシューターのスキルが使えるといった具合だ。
つまりマジックキャスターと呪術師の250レベルまでのスキルが使える。
早速いつもの、1~2時間程度かかる日課を終え、目的のアイテムと交換するためには後何日かかるかなぁ…。
などと計算していたとき、日々の疲れと、明日が休日だと言う感覚から気が抜けて、
黒井太一は寝落ちした。
3つ買ったおにぎりの、最後の1つの半分を手に持ったまま。
しばらく眠りこけた後ゆっくりと目が覚めるが、目を開けても中々何も見えてこない。
(…なんだ、寝てたのか…でも、暗いな、モニターや部屋の明かりは…?)
違和感に襲われ覚醒する。
目を凝らすと、周囲の景色が徐々に見え始めてきた。
「は?」
思わず声が出る、その後、わざとらしくも声に出し、
そのたびにこれが夢ではないと、脳が訴えかけてくるようだった。
「え?ちょ、え?待って、おにぎりは?……やば…」
どの方向を見渡しても、周りは木々や葉ばかりだった。
なんで、どうしてこんなとこに居るんだろう。
生い茂る草木により、殆ど月明かりさえ入らない。
あまりの状況に混乱しつつも、徐々に恐怖が勝ってくる。
恐怖に気付いてしまったが最後、どんどん悪い妄想が膨らみ、更に混乱する。
(攫われたのか?酔って1人で歩いてきた?森はどこまで続いている?現在地は?夢じゃないのか?いや、てかさっき、俺の声、変じゃなかったか?)
直後、ガサリ、と後ろの葉が揺れた。
振り向くとほぼ同時に襲い掛かってきたそれは、一見虎のようだった。
慌てて伸ばした手にガブリと噛みついたその顔を見ると、
赤く爛々と輝く目がこちらを睨んでいる。
「うおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!し、し、死ぬ!し、…」
混乱しつつも噛まれた腕を見てみると、
その牙は、自分の皮膚を少し爪で押したように、ぷにっと凹ませている程度だった。
訳も解らず、もう片方の自由な手で、噛み付いている虎の鼻っ柱を全力で殴りつける。
すると風船でも割るかのように、虎のような頭部は弾け、
辺りに鮮血をまき散らし、頭を失った胴体がゆっくりと倒れた。
その死体をみて、少し吐き気を催す。
全て。夢にしては、あまりに現実感がありすぎる。
だが、吐き気のおかげか、逆に冷静さを徐々に取り戻し、
口元を押さえていた自らの手を見て、なんとなく違和感を覚えた。
(いや、いくら訳わかんない状況だからって…)
そんな事を思いながら凝視して、掌と甲を何度もひっくり返しながら見る。
「え?てか、指短くね?いや、てか、声、かわいくね?」
そのまま自分の全身を、見たり、触ったり。
「モフモフ尻尾がある。ケモ耳も…。」
この体格、身に着けている装備品、何度も見た、間違いない。
「俺が、ママルになったのか…?このフリフリの衣装で歩くの抵抗あるな…」
弾かれたように、股間を触ってみると、案の定、女だった。
「マジかよ……」
何とも言えない虚しさに苛まれつつ、
一応は女性なこの体に多少興味を抱くも、黒井に少女趣味はなく、
胸が平坦な事を理解し、キャラメイクした過去の自分を呪った。
(こんな事なら別の、もっとエロい種族にしとけば良かったな…)
しかしその後、そんな事を考えてる状況ではないと思い直し、自分を罵倒した。
「おい。おい!しっかりせい!俺!!」