【Side】松戸雪哉 ~拐われた姉 その1
姉さんが僕の目の前で拐わかされた。
相手は人力車だ。死ぬ気で追いかければ追いつけるかもしれない。
いや待て……
死ぬ気で追いかけて息が切れている自分、脇差の1本も携帯していない現実、
香取くんがいない今、自分だけでは特殊な能力もなく戦力にならない。
それに……
あれは内務省御用達のややごつめの人力車だったし、引いてたのは・・・
人力車の中に姉が連れ込まれた瞬間、人力車をひいていた俥夫がこちらを向いて顔が見えた。
あの顔は知っている。
いつも内務省の詰め所にいる男で、車が出払っている時にお茶を淹れてもらったこともある。
それから挨拶したりちょっとした会話をしたりしていた。
名前は、たしか八坂さんではなかったかな。
姉はたぶん無事だ。
自分の望みとして使った『恙なく暮らす』のギリギリラインは保たれているはず。
ならばむしろ香取くんの方が危ないのではないだろうか。
冷や汗と震えと鳥肌が同時に起こる。
考えろ!敵は内務省だ。
この時代の日本では皇室に負けない実権がある。無策で対抗できる相手ではないのだ。
それよりも
自分も身を隠したほうがいいかもしれない。
家に入り一応厳重に施錠する。
『真ん中の部屋』の例の手あぶり火鉢をずらして階段を降り蔵まで歩くとそこには縄のはしごが隠してあって蔵の屋根裏のような隠し部屋にあがれる。
明日は早々に内務省に出向き何もなかったふりをしながら情報収集にあたろう。
敵もまさか内務省の中 しかも人の多いところでは何もできないだろう。
後から思えば八坂さんはわざと顔を見せてくれた気がする。
もしいつも通りに詰め所にいるならばどこに連れていかれたのか教えてくれるかもしれない。
まさかとは思うけど、姉の誘拐に加担したくらいで口封じに殺されているなんてことはないだろう。
ないといいな……
動悸が早くて激しくてなかなか考えがまとまらない。
心音に邪魔されながらもうとうとと微睡むと、ふいに御神木の光が目の前に現れた気がして飛び起きた。
が
目が覚めたそこは暗闇だった。
「夢か……」
そういえばあの時、光が指示した方向に歩いていったら香取くんと再会できた。
『香取くんに会えますように・・・』と言ったからあの光が香取くんのいる方向を教えてくれたんだと思っていたけど、さらにあの先に何かがあったとかいうことはないのだろうか……
翌朝早くに内務省に赴き俥夫の詰め所を訪れた。
早い時間に登庁したお役人を送ってきた俥夫が3人ばかり休んでお茶を飲んでいた。
「おはようございます」
雪哉はなるべく笑顔が引きつらないように愛想よく一番手前にいた俥夫に話しかけた。
「他の方はまだいらしてないんですね。」
どうやら八坂さんはまだ来ていないようだ。
「あ、そういえば東京の地図ってありますか?」
話しかけられた俥夫が、「これが一番見やすいかな。何を調べるんだ?」と一枚の大きな地図を出してくれた。
松戸神社から亀有の香取神社の直線上・・・ふと目についた神社のマークに八幡神社と書かれている。
「八幡様か・・・関係ある気がしないな・・・」
指を指しながらふとこぼしたつぶやきに、地図を出してくれた俥夫が
「雪谷か」と答えた。
「今なんて?!」
「そこは荏原郡にある雪谷八幡さまだ」
そういえば姉が大学の時に「大田区の南雪谷に友達がいてね・・・」と話していたことを思い出した。
ユキヤだったかユキガヤだったか忘れたけど少なくても「雪の字」が使われている時点で何かあるかもしれないと思い立つ。
そこに一仕事終えた八坂さんが入ってきた。
「おはようございます八坂さん!この地図の八幡さまに行きたいんです。多めにお支払いしますのでお願いできますか?」
八坂さんはビクッとした顔をしてから周りをみまわし
「ああ、いいぜ」と答えた。
お茶を飲んでいる俥夫達に
「荏原まで行ってくるから何かあったら伝言を頼む。」と言い残して立ち上がった。
「私用なので普通の人力車で大丈夫です」
「さて、これは急ぎの御用なのかな?」
大きな街道を走り抜けて人気のない通りに入ると、八坂さんが突然スピードを落として話しかけてきた。
しまった!この人が敵じゃないって何で思ったんだろう。罠だったのか?!
「俺は敵でも味方でもないぜ?飯が食えなくなるから仕事がなくなったら困るだけだ」
「わかった。いくら払えばいい?」
「八幡さんに行くのに多めにくれるんだろう?それでいいよ。買収されたと思われたくねぇし。帰りの分も行きと同じだけ多めにくれよ。そしたらついうっかりアンタの家族がいるトコ通って、ついうっかりそっちを見ちまうかもな」
「あぁ,わかった。それで頼む」
金で動く宣言は味方ぶって優しくされるより百倍信用できる。
仮に敵だとしても余計な事聞かれない分安心できるからだ。
八坂さんに参道の手前で待っていてもらう。
境内まで来てもらって もし御神木が光ったりしたら
自分が妖怪かと思われてしまうかもしれない。
境内に入るとまだ午前中だというのに木々が鬱蒼としていてうす暗く、御神木がどれなのかはわからなかった。
「御神木ないか……やっぱり気のせいだったのかな。」
ダメ元でお社に参拝しようと手を合わす。
「自分の大切な人たちを守りたいです。誰にも負けない特殊な力を下さい。」
僕は能力がなくて自信もない。
高校の時、剣道の都大会で優勝したけど、それが悪かった気がする。
元副部長の姉は手放しで喜んでくれて、単純すぎる僕は勘違いをしてしまった。
結果、全国大会はボロボロ……何をいい気になっていたのだろうと思い知らされた。
あの時代の高校生の中でも大したことない自分が、この時代の真剣で戦ってきた人々に叶うわけないのだ。
最後の礼をして顔を上げると三年前に見たあの淡い光がほわほわと社の横の茂みに落ちた。
光が落ちた茂みを分けると一本の日本刀があった。
これは短刀なのか、小脇差なのか。
去年、廃刀令が施行され、まだ帯刀している者もたまに見かけるが、刀は必要ない物とされるようになった。
軍刀もサーベルが基本だ。
要らなくなった刀を誰かが捨てて行ったのだろうか?
光にこれを受け取れと言われた気がするし、そうじゃなくても泥棒にはならないはず。
有り難く頂戴しよう。
刀を取ろうと手を伸ばすと青白い光とともに
バチバチバチと衝撃がきた。
「あー懐かしいなこれ、静電気だ!」
素手ではなく袖口から手を引っ込め袖ごと刀を掴んだ。
さいごにバチっと大きな衝撃がきて刀は何もおこらなくなった。
「はははっ静電気くらいでびびるかよ」
刀を抜いてみたけど、普通の刃渡りだった。
それは大事にされていたらしく刃こぼれ一つない。
「拝借します」
もう一度 社に向かって一礼すると八坂さんの待つ参道の入り口に戻ってきた。
八坂さんが、さっきまで持っていなかった刀を見て
「なんだそれは?」
と大きな声をだす。
「あっ、この刀?頂いたんだ。神様にね。」
それほど間違えて無い気もするが、敢えて冗談ぽく笑ってみせる。「盗んできたんじゃないよ」と。
「それ妖刀だろ?刀の周りからモヤモヤしたの出てるじゃねぇか。制御できんのか?おっかねーからここで抜かないでくれよ」
「妖刀…………これが?」
漫画やアニメにでてくる妖刀は抜刀すると何かがブワッと刃をとりまいたりしているけど、さっき抜いた時は何も無いようにみえた。
「八坂さん、妖刀なんて実在するのかな?」
「伝説は多いんだからあるかもしれねぇだろ?徳川の村正なんか有名だし、刀鍛冶の怨念だったり妖怪が棲みついていたりするんじゃねぇか?」
「八坂さん 詳しいんですね」
「あぁ、好物だ」
「……好物?」
「そういう話しが好きだってことだよ」
「……」
「でも、相当な刀の使い手じゃないと使いこなせないとも言われているなぁ」
「じゃあこれが妖刀だとしても僕には使えませんね。がっかり……」
「どうあれその刀は普通じゃねぇ、透明な湯気のようなものがでてる。気をつけろよ。」
八坂さんの凄い脚力であっという間に紀尾井町の家まで戻ってきた。
本当は内務省に情報収集に行くつもりだったけど、
「家でその刀の研究してみた方がいい。どうせ明治政府で簡単に味方なんてできやしないよ」の助言とともに家に戻されたのだ。
姉さんが拉致されているらしい場所は意外にも同じ紀尾井町の外れの武家屋敷の離れのような場所だった。
その場所を通る時に八坂さんがスピードを緩めてそちらを向きわざとらしく咳払いをして教えてくれたのだ。
『ありがとう』をこめてさらに多めにお金を払うと
「あの場所、夜は外には見張りがいないみたいだぜ」と
聞こえるか聞こえないかギリギリの声で言い、頭を下げて帰って行った。
刀は普通の小脇差だった。
頑張れば懐に隠せないでもないけど何かの役にたちそうもない。
明治になって10年。いまだ江戸時代の感覚を持った人が多いこの世界は、
殺るか殺られるかの覚悟が必要だ。
香取くんはその能力で賊を跡形もなく葬り去る。
だけど自分は……
真剣を持ち抜刀まではするけど人を斬った事はない。
情け無い!
姉さんに,覚悟が足りないなんて言える立場じゃない。
「庭に降りて素振りでもしてみるか……」
相当な刀の使い手じゃないと意味ないなら、使いこなせない自分はどうしたらいいのだろう?
もう一度刀身を見ようと鞘から抜こうとすると一瞬だけ淡く光って見えた。
このあとイラストを更新予定です