6.ちっぽけな虫
竜王神事をやる祭壇がまるでドラゴンと人間との闘技場の舞台のようになっている。
王族の価値は血筋ではなく、〝竜王との契約者〟となれる点にある。竜王に認められなければ契約できないから、歴代の〝赤〟はあの手この手でドラゴンをねじふせ契約を結ぶ。
王族席にリメラ王妃の姿はなかった。心配性の彼女は「まだ早い」と最後まで反対していたし、とても儀式を見られないのだろう。
(まぁ、いいさ。リーエンが見ていてくれるし。それにしたって竜王が相手なんて……)
「心配するなユーティリス、お前がダメでもカディアンがいるし、王家で〝赤〟をだせなくともレオポルドがいる」
父王アーネストの席に近づくと、赤い髪の獅子王はユーティリスの緊張をほぐそうとしたのか、わりと無神経なことを言う。
重要なのは血筋じゃない、かわりはいくらでもいると言われた気がして、やつあたりのような感情が湧いた。
(僕じゃなくてもいいなら、なぜあいつは〝赤〟の儀式を受けない。自分で名乗りをあげればいいだろう!)
レオポルド・アルバーンはまだ見習いとはいえ、成人したら師団長に就任すると言われている。彼からは離れていても、魔力の圧をひしひしと感じる。
魔術学園時代から天才と呼ばれた彼は緻密で力強い魔法陣を描くだけでなく、竜騎士団でドラゴンに乗る訓練も受けているという。
(僕が十八歳になったとしても、あいつに追いつけない気がする)
努力したら努力したぶんだけ、相手はもっと先をいくだろう。いつまでたっても追いつけない、それを認めてしまうのはやっぱり面白くない。
そのときアーネストの横にすわるリーエンが、青ざめた顔で呼びかけてきた。
「ユーティリス、僕はもっとこう……おごそかな儀式か何かだと……想像していたのとだいぶちがうみたいだ」
リーエンは間近でみるドラゴンに本気でおびえているようだった。レクサもミストレイを食いいるように見ている。
魔術師団長のローラ・ラーラが結界を張るし、彼らのまわりには竜騎士たちが護衛につく。万一のことがあってもリーエンやレクサに、危害が及ぶことはないだろう。
「それよりは荒っぽいかもね。僕らはドラゴンに守られているわけじゃないことを、きみに知ってもらえると思うよ」
ユーティリスは彼を安心させようと、いつものように優しく笑って見せた。
「いったい何をするんだい?」
「きみが『面白い』といっていた、学園でやる転移マラソンと同じだよ。あれが必修なのはこのせいさ、竜王と追っかけっこをするんだ」
リーエンとレクサは目をみひらいた。
「何だって?」
「転移マラソン……まさかあれにそんな意味が!」
ユーティリスはふたりにむかって説明する。
「僕たち子どもがドラゴンとまともに戦っても勝てない。けれど己を竜王に認めさせなければならない。だから転移でひたすら逃げながら、ドラゴンのスキを狙うんだ。そして竜王の生き血を飲めば契約は完了だ」
「生き血……〝精霊契約〟でおこなわれる〝血の約定〟は自分の血を精霊に与えるが、竜王との契約はその逆なのか。ああ、だから人間のほうが魔力の干渉を受けるのか、髪と瞳が赤く染まるのはそのせい……」
彼の説明にリーエンが考えこむようにしてぶつぶつとつぶやく。
「そういうこと。じゃあそろそろ僕はいくよ」
「まって!」
ハッと顔をあげたリーエンが立ちあがって駆け寄ってきて、ユーティリスはめんくらった。
「何……」
「きみの顔をよく見せて。染まる前の瞳をよく見ておきたい」
白くて長い指がユーティリスの顔にふれ、そっとほほを包むようにした。黒曜石の瞳が琥珀色をした彼の目をのぞきこむ。
「放課後、窓辺にすわって話すとき、きみの琥珀色をした瞳は金色に輝くんだ。太陽の光を閉じこめたみたいな温かい色で、とてもきれいなんだ」
「そ、そう?」
ふいを突かれた衝撃でユーティリスがドギマギしていると、リーエンはこくりとうなずいた。
「陽が透けると榛色の髪がキラキラと光るところも、僕は見ていてうらやましかった」
そんなことをとてもきれいな顔で真剣に言われたら、ユーティリスだって顔が赤くなる。ポーッとしそうになったところを、興味深そうに見守っている父アーネストの姿が目にはいって、彼は我にかえった。
「ありがとう、じゃあいってくる」
すこし身をひいてほほから離れた指を捕まえ、ギュッと握りしめる。
だいじょうぶだ、というようにほほえんでみせれば、リーエンの指にも力がこもった。
「気をつけて」
考えが合わないところはある、生まれ育った境遇も似ているようでまったくちがう、それでもこうして純粋に心配してくれるのはうれしかった。
(そうだリーエン、きみが見ている……僕はやり遂げなければならない、竜王との契約を)
ユーティリスは一歩一歩、祭壇へ続く階段を登った。逃げだしたいのに見られていると思うだけで、カッコつけたい気持ちが湧く。
壇上では緑の髪をなびかせた竜騎士団長デニス・エンブレムが待ちかまえていて、ユーティリスに白い歯をみせて笑いかけた。
「ようこそユーティリス殿下、〝赤〟の儀式へ。われわれ師団長も手を貸しますし、そう心配いりません。ミストレイの機嫌がよければ、わりと早くカタがつくかもしれません」
スキルによりドラゴンと感覚共有しているときの竜騎士は、目つきもどこかドラゴンに似ている。穏やかな口調がかえって不気味だった。
竜騎士団長がユーティリスを見ているときは、ミストレイもその目を通して彼を見ている。視線を動かしてミストレイを見あげれば、金の瞳がすがめられた。
「ミストレイから見たら僕はちびっ子だろうな」
自虐的につぶやけば、デニスは首をかしげて正直に答える。
「どっちかといえば虫ですかねぇ。踏みつぶそうとしてもチョロチョロ逃げ回って捕まえにくいし」
「虫……」
ちっぽけな虫。蒼竜と目があえばまさしくそんな感じが伝わってくる。
サルジアの皇族は支配者であると教わり、エクグラシアの王族はドラゴンから「オマエ、虫」と教わる。
(とてもリーエンには教えられないけどね)
ユーティリスはため息をついて、青いドラゴンの巨体をみあげた。