13.呪術師マグナゼ
次回26日更新『グレンとの契約』で完結です。
日々の社交に疲れていたリーエンの心に、ユーティリスの優しさが沁みていく。けれど頭の中で警鐘が鳴る。
「ありがとう……すごくうれしい。けれどダメだ、もう僕に近づいては……」
「どうしたんだリーエン、レクサがいなくなってから、きみの様子は変だ。あのマグナゼという男が何か……」
男の名前をだしたとたん、リーエンの顔が恐怖にゆがんだ。早く、早く彼をここから逃がさなければ……。
「ダメだ、ユーティリス。きみは帰ってくれ。奥宮なら安全だ……王城には強力な護りが……」
けれどそのとき音もなく床に展開した魔法陣から糸が伸び、ふたりの体は絡めとられた。
「何だ!?」
「何をするマグナゼ、僕たちを解放しろ!」
「これはこれは……皇太子のために仕掛けた罠に、ひっかかるネズミがいるとは。この王子には弟が……スペアがいる。消しても問題ないでしょう。ドラゴンの守りを得た者など、目障りなだけですからな」
動きを封じられたユーティリスに、どこからともなく現れた黒い影が近づいた。悲鳴のようなリーエンの叫びが外に聞こえないよう、結界に閉ざされた部屋はすでにマグナゼの支配下にあった。
「やめて。僕は何もされていない……彼は何もしていないんだ!」
必死に指を動かして術式を刻もうとしたリーエンに、マグナゼはニィと口の端を持ちあげただけだ。呪術師の力で結ばれた結界は強固で、ふたりはその罠に捕らえられた小鳥だった。
「不完全な子どものあなたに、我が術が破れるとでも?」
そうして彼が懐から取りだした二本の小瓶を見て、リーエンの顔色が変わり、口のなかで何かをつぶやいた。
「…………」
「〝呪いの赤〟を持ってこなかったのが残念です。あれが心臓を食い破るさまをこの目で見たかったが……契約者といえど子どもなら、これでじゅうぶんでしょう」
マグナゼは一本の瓶のフタを抜きとり、ユーティリスの口に突っこむと、喉の奥に直接毒を流しこむ。
「うぐっ」
むせながら飲みくだした毒は、ポーションのようにさっと全身を巡り、呪術を乗せた魔素で痺れさせる。
「うああぁっ!」
苦悶の表情を浮かべる王子を楽し気に見おろし、マグナゼは手にした小瓶を皇太子に差しだした。
「ひとつは心の臓を止めるもの、そしてもうひとつは精神を破壊するもの。皇太子はこちらを飲むといい」
「最初からそのつもりだったのか、マグナゼ」
髪を乱したリーエンは、余裕たっぷりのマグナゼをにらみつける。
「賢くて用心深い皇太子が疲れ果て、判断力が鈍るのを待っていた。この王子まであらわれるとは予想外だが……麗しき友情に殉ずるがいい。さて、解毒剤はここにある」
懐をポンと叩くと、マグナゼはリーエンの前に小瓶をかざした。
「この王子を助けたければ、あなたはこれを飲むしかない……さぁ!」
「だ、ダメだ……リーエン!」
必死に呼びかける声のほうをむいて、サルジアの皇太子リーエンはほほえむと小瓶を受けとった。
「だいじょうぶだユーティリス、きみは助かる。僕がこれを飲むからね」
リーエンは小瓶の栓を抜くと、ためらいもなく中身をひと息にあおった。白く細い首筋がこくこくと動き、毒が飲み干されていくと、マグナゼの高笑いが部屋に響く。
「ふははは。これで皇太子は我が傀儡……サルジアに帰る前に、エクグラシアを手に入れるのも悪くない。我が手の中でどのように踊らせようか」
「リーエン!」
がくりと膝をついたリーエンに、ユーティリスは必死に這いずって近づこうとした。
「ごめんねユーティリス、もう少しだけ待って。マグナゼ……私を傀儡になどさせぬ。皇国の枢なる〝黒〟の長子、リーエン・レン・サルジアの名にかけて。お前が手にするのはただの石っころだ!」
呪術師マグナゼがいぶかしげに眉をひそめた。いつも穏やかで涼しげだったリーエンの顔には怒りが浮かび、マグナゼに向けられる黒曜石の瞳は、鋭利な刃物のように鋭くきらめいた。
「こんな状態でも魔術の小技は使えるのさ。お前が言ったんだろう、『賢くて用心深い皇太子』だと。ひとつは心の臓を止めるもの、そしてもうひとつは精神を破壊するものだったか。小瓶の中身を入れ替えた。お前のことだ、解毒剤など用意していないだろう。お前が用意した毒のおかげで、我が願いは成就する!」
「まさか……まさか致死毒をわざと飲んだというのか!?」
顔色を変えて手にした小瓶を確かめるマグナゼに、リーエンはゾッとするほどきれいな笑顔で告げる。魔術学園で見せたのと同じ、堂々とした態度だった。
「傀儡が手に入らなくて残念だったな。皇太子殺しの汚名をその身に受けるがいい。本国でどう申し開きをするのか楽しみだ」
「くっ……おのれっ!」
悔しげに顔を歪めたマグナゼのまわりに赤い魔法陣が展開し、次の瞬間には彼の姿はかき消えた。ようやく呪縛から解放されたユーティリスは、王城にエンツを飛ばして倒れたリーエンに駆けよった。
「リーエン!」
「だいじょうぶだ、ユーティリス。傀儡の毒では死なない……解毒はきっとグレン・ディアレスなら……」
ほほえむリーエンの顔からどんどん血の気が失せていく。一刻の猶予もなかった。
「何を言ってるんだ、早く助けを!」
「いいんだよ、これは僕の望みだから」
「望みって……毒を飲むことが? わけわかんないよ、きみはいつだって毒味されたものしか食べなかった!」
助けられるものなら何だってするつもりなのに、当のリーエンは首を横にふる。
「心のどこかでわかっていた。きみに近づけばチョーカーの魔石が外れる日が早まると。だからこれでいい……」
「バカを言うな。きっときみはきれいになるよ。そうしたら僕と城でダンスを踊ると約束したろ?」
「ごめん……ごめんよ、ユーティリス。僕は……生きて帰るつもりはなかった。ここに来たのは〝消失の魔法陣〟を手に入れるため。死して体を残さないためだ」
「最初から……最初からそう決めてたっていうのか?」
ささやかれた言葉に、動きが止まったユーティリスのほほに、リーエンの長くて細い指が伸ばされた。
「きみは生きて……大人になったら女の子と城で……魔導時計のある大広間で踊るんだ。かっこいいだろうな、ドラゴンの王子」
ふれる指先はまだ温かいのに、急速に進行する魔石化はもう止められない。
「待て……ダメだリーエン、生きようとしてくれ!」
ほほから離れようとした指先を捕まえて、ユーティリスは自分の額に押し当てた。リーエンは彼を見つめたまま、うれしそうにほほえんで……消えた。
消失の魔法陣により魔素が凝集し、体が解かれていく。
捕まえた手のぬくもりも、最期のほほえみすらも消え失せて、カラーン……と音を立てて鈍色のチョーカーが床に落ち、ユーティリスの手には魔石だけが残った。
はじめて見た人の死はそれほどにあっけなかった。