「フハハハ。おまえの街を滅ぼしたのは我ら魔族ではない。女神だ」 復讐のため討伐した魔王はそう言って死んだ【ジャンル間違いではありません。ハッピーエンドの純愛物です】
男が俺の前に横たわっている。
側頭部から前方に伸びる牛のような角は、こいつが魔族であることを示している。
右腕は斬り落とされ、腹と胸からどくどくと血が溢れ出している。
こいつの配下は全て討ち倒した。
魔王城に残る魔族は、この目の前で倒れてる魔王のこいつだけで、こいつももう虫の息だ。
今際の際にあるが、死に怯える様子は一切無い。
ギラギラとした目で俺を睨み付けている。
さすが魔王だ。
「なぜ……なぜ、ギデオンの街をなぜ滅ぼした?」
「……なに?」
俺の問い掛けに魔王は意表を突かれたような顔をする。
「答えろ!
おまえは、手始めにギデオンの街を滅ぼした。
そうして人族と魔族の全面戦争の端緒を開いた。
なぜだ?」
「……まさかそれを尋ねるために、敢えて無力化するような戦い方をしたのか?」
「そうだ。
おまえの首を刎ねるだけなら、いつでも出来た。
この質問をするために、おまえを動けなくしたんだ」
「なぜ、そんなことを聞きたいのだ?」
「ギデオンは、俺の故郷だ。
おまえたちに街を滅ぼされて、大切な人を失った。
その復讐のためだけに、俺は生きてきた。
やっと首謀者のおまえに会えたんだ。
滅ぼした理由ぐらい、聞いても良いだろう?」
「そうか。
おまえは、あの街の出身か。
我らと戦ったのは復讐のためか……」
「答えろ。
ギデオンは辺鄙な田舎の小さな街だ。
おまえたちからしたら、戦略の要衝にはなり得ないどうでも良い街のはずだ。
魔族領と人族領の境界からも離れているし、進軍ルートとも無関係だ。
そんな街を、なぜ最初に滅ぼしたんだ?」
「あれをやったのは我らではない……女神ノルーンだ」
「嘘を吐くな!!」
怒鳴り声を上げてしまった。
魔王の言葉は、荒唐無稽なものだった。
女神ノルーン様は、俺に勇者の加護を授けてくれた神だ。
人族を加護する神であり、魔族とは対立関係にあるはずだ。
そんな女神様が、人族の街を滅ぼすなんてあり得ない。
「本当だ。
女神ノルーンは、我らと同じく魔獣を操ることが出来る。
あのとき魔獣を操ったのは、女神ノルーンだ」
「そんなこと! あるはずがないだろう!?」
「……フフ……フフフフフ……フハハハ……フハハハハハハハ」
死に掛けの魔王が笑い始めた。
初めは口から零れるかのような笑いだったが、ついには気が触れたかのような大笑いになった。
命を燃やし尽くすように、魔王は力いっぱい笑った。
「フハハ、ハハハ……信じられないなら『審判』の魔法を儂に掛けるがいい。
人族も、裁判ではこの魔法を使うだろう?
それほど魔法を鍛え上げたのだ。
その魔法を使えるはずだ」
「……そんな魔法が、魔王のおまえに掛かるわけがないだろう!」
魔王の自信満々さに怯んで、一瞬言葉に詰まってしまった。
平静さを取り戻せたのは、ブラフだと気付いたからだ。
魔族は強力な魔力耐性を持っている。
人族の魔法で効果があるのは、勇者が鍛え上げた魔法ぐらいのものだ。
ただ勇者が使う魔法というだけでは、魔族には通らない。
勇者という選ばれた存在が長く苦しい鍛錬によって魔法を鍛え上げ、初めて魔族に通せる魔法に成る。
俺が鍛え上げたのは攻撃魔法だけだ。
事務系魔法も一応は使えるが、全く訓練してない。
魔族に、まして魔王に掛かるはずがない。
「儂に受け入れの意思があるなら可能だ。
掛けられる者に受け入れの意思さえあれば、魔王にだって魔法は掛かる。
それが魔族の特性だ」
「そんなこと、あるはずが……」
「騙されたと思って掛けてみるが良い。
魔法が発動すれば、儂の上に銀の天秤が現れる。
発動したかどうかなど一目瞭然だろう?」
女神様はずっと、俺の復讐を手助けしてくれた。
勇者の加護だって、女神様が授けてくれたものだ。
そんな女神様が俺の街を滅ぼしたなんて、そんなのあるはずがない。
それなのに、なぜこいつはこんなに自信満々なんだ?
「……どうした?
知りたかったことではないのか?
遠慮は要らんぞ」
「くっ! 真実の天秤よ。我らに正義の道を標せ」
『審判』の魔法を魔王に掛けた。
放った魔法は弾かれることもなく魔王の体に吸い込まれていく。
横たわる魔王の頭上に銀色の天秤が現れる。
その言葉が真実なら天秤は青く輝き、嘘であるなら天秤は黒い靄を放つ。
「天秤の下に問う。
ギデオンの街を滅ぼしたのは、おまえか?」
「違う。女神だ。
戦争準備も終えていない段階で、どこの馬鹿が戦端を開いたのかと我らも調べたのだ。
調査官の報告では、周辺の魔獣たちには女神の力の残滓があった。
魔族の魔力は、一切検出されなかった。
女神の仕業であることは間違いない」
なんてこった……。
天秤は青く輝いた……。
「フハハハハハハハ。
おまえは復讐のために、魔族と戦っていたのだったな?
だが実際には、復讐相手の犬になって奴を喜ばせていたわけだ!
フハハハハハハハ。
これは愉快だ」
◆◆◆◆◆
俺はギデオンの街の孤児だった。
ゴミ捨て場の残飯を漁ってその日を生き抜く、そんな子どもだった。
あの日、俺はいつものように路地裏に座り込んでいた。
何もすることがないときは、座って動かないようにしてる。
動くと腹が減るから。
大通りから数歩入っただけだが、俺がいつもいるその路地裏は狭い。
狭いから暗い。
川も近くてジメジメしてる。
だから大人は、ここをあまり好まない。
そんな場所だから、子どもの俺でも縄張りに出来た。
「ねえ。パン食べる?」
「は?」
路上に座り込む薄汚い子どもに話し掛ける女がいた。
壁にもたれ掛かって座る俺と、しゃがみ込んで目線を合わせてその女は笑う。
俺は、疑いの目で女を睨み付ける。
浮浪児に施しを与えるような奴は、何か謀んでる奴だ。
食べ物で釣って、子どもを人目の付かない路地の奥へと連れて行く。
付いて行ったら攫われて、人買いに売り飛ばされる。
そんなことをするのは大抵大人の男だが、今回話し掛けて来たのは女一人、しかも俺と同年代の子どもだ。
それでも警戒は必要だ。
油断して付いて行ったら、その先には大人の男数人が待っていた、なんてこともよくある話だ。
「パン焼き過ぎちゃったの。
食べてくれない?」
無言で睨み付ける俺なんてお構いなしに、その女は俺に笑顔を向け続けた。
その笑顔が、薄暗い路地裏には似合わない春風のような暖かさで、俺は面食らってしまった。
俺にパンを無理矢理握らせて女は去って行った。
「食べてね?」
そう言い残して。
一人になって、薄暗い路地裏で俺はパンを食った。
良い匂いで、甘くて、途轍もなく美味かった。
そして、焼き立てで温かかった。
座る地面と寄り掛かる壁の冷たさとは、まるで正反対だった。
◆◆◆◆◆
「ねえ、アラン。
またパン焼き過ぎちゃったの。
食べてくれない?」
「……ああ」
あれから何度かパンを貰った。
そんなことをしているうちに、彼女と話すようになった。
この女はメア。
年齢は八歳だと本人は言っているが、本当の歳は彼女自身も知らない。
俺もそうだ。
自分の歳を知らない。
この女も、俺と同じく貧民街の孤児だった。
路上にいたところを攫われて遊郭に売り飛ばされた。
貧民街から見て、川を挟んだ向こう側が歓楽街だ。
彼女は今、そこに住んでいる。
メアは今、遊女になるための勉強中だ。
もう少し仕事を覚えて年齢も上がったら、彼女は遊女になる。
遊郭に入ってからは金にも余裕が出来た、とメアは言う。
最近は休日にパンを焼いているらしい。
たくさん焼いて、貧民街で幼い子を見かけると配ってるんだそうだ。
貧民街の孤児には到底不可能な、贅沢な趣味だ。
「また喧嘩したの?
目にアザなんか作って」
メアは座り込み、路上に座り込むパンを食う俺と目線を合わせて言う。
「喧嘩ってほどでもないさ。
ただの残飯の取り合いで、いつものことだよ」
ふーんと言うメアは、そんな俺を哀しげに見ている。
暴力は嫌いだと、メアは言う。
でも、喧嘩をするなとは言わない。
たとえ殴られても、奪われるより先に拾ったものを口に投げ込まなきゃならない。
そうしなければ、貧民街じゃ生きていけない。
それが、弱い奴の貧民街での生き方だ。
それは、メアもよく分かっている。
だから喧嘩をするなとは言わない。
◆◆◆◆◆
拾った木材を組み合わせて作った俺の家で、俺は寝ていた。
そこに敷き詰めた藁が俺の寝床だ。
藁の中に潜り込んでじっと動かずにいる。
熱を出してしまったからだ。
今日は雪が降っている。
藁の中で体を丸めても、寒くて震えが止まらない。
冬に熱を出す奴は大抵、次の日には冷たくなってる。
俺の知る貧民街の子どもも、こうやって死んだやつは多い。
あいつらと同じ死に方を、俺もするんだと思った。
目を覚ましたら、布団の中だった。
どういうわけか、俺の家じゃない立派な建物の中だった。
「あ、目覚ましたんだ。
良かった。
心配したよ」
目覚めた俺の顔を覗き込み、ほっとした顔でそう言ったのはメアだった。
死に掛けてた俺を、メアは自分の部屋に連れ込んで自分の布団に寝かせた、とのことだった。
男を連れ込むな、とメアは大層怒られたそうだ。
だが死に掛けの俺を見て、メアを管理する人も目こぼししてくれた。
「あのね。
すごく臭ってたからね。
体、勝手に拭いちゃったの。
ごめんね」
メアは恥ずかしそうに笑う。
とてもまぶしくて、とても暖かい笑顔だった。
頭が真っ白になるぐらい、輝いていた。
◆◆◆◆◆
「アラン!?」
俺の顔を見てメアは驚きの声を上げた。
メアは水揚げされ、遊女になった。
俺はメアの店に客として訪れ、彼女を指名した。
そこそこの高級店だ。
絵に描いたような貧乏人の俺が来たら、そりゃ驚くだろう。
「ははは……。
知ってる人だと、やりにくいなあ」
メアは苦笑いする。
「大丈夫だ。
今日は、メアを抱きに来たわけじゃない」
「へ? じゃあ何しに来たの?」
「おまえを口説きに来たんだ」
「ええっ!?」
「メア。ずっと、おまえのことが好きだった」
「え?
ちょ、ちょっとアラン?
な、なに言ってるの?」
狼狽えるメアが可愛らしくて思わず笑みが零れる。
「本気だ。本気で好きなんだ」
「……ありがとう」
「今はまだ無理だけど、いずれおまえと結婚したいと思ってる」
「……ははは。無理だよ。
私、遊女だもん」
諦めたような笑顔でメアは言う。
その日、俺はメアとお喋りだけして帰った。
◆◆◆◆◆
「ありがとうございました。
またのお越しをお待ちしております」
「ああ。また来る」
またメアのところに来た。
もう何度も来ている。
部屋を出るとき、扉口でメアが業務用の挨拶をする。
俺は気持ちを込めた笑顔を見せるが、メアは業務用の笑顔のままだ。
貼り付けたような笑みのまま、メアは素っ気なく扉を閉める。
時間を知らせに来た女の子に、店の出口まで案内してもらう。
十歳ぐらいの女の子だ。
水揚げ前の子は、こういう雑用が仕事だ。
「素っ気ない態度ですけど、エスメラルダ姉様も大分お客さんのこと意識してるんですよ?」
楽しげに話し掛けてくる女の子の言葉に、俺は歓喜する。
意識してくれたのか!
嬉しくて飛び上がりたいぐらいだ!
指名し続けたのは、無駄じゃなかった!
「……そうなのか?」
努めて冷静に言葉を返す。
取り乱すことは出来ない。
それが噂になってメアの耳に入ってしまう。
メアの中では、クールで格好良い男でありたい。
エスメラルダはメアの源氏名だ。
貴族っぽい名前の方が客も付く。
だから、こんな源氏名になった。
「はい。
遊女って、毎日お客さんのお相手はしてますけど、恋する機会なんてほとんどありませんからね。
お客さんみたいな人は、とっても珍しいんです」
そうだろうな。
遊女が客と心中する歌を吟遊詩人が歌うこともあるが、あれは珍しい事件だからこそ歌になるんだ。
毎週のように心中事件があったら歌にはならない。
大抵の男は、身請け金のべらぼうな高額さで諦めてしまう。
苦も無くそれが払えるようなお大尽は、遊女以外にも多くの選択肢がある。
身請けするつもりもなく口先だけで遊女を口説く男もいるが、百戦錬磨の遊女を騙すのは簡単ではない。
そういうのと恋仲になる遊女は、疑似恋愛を楽しんでいることがほとんどだ。
「だから、エスメラルダ姉様を傷付けないで下さいね?
急に態度変えちゃったら、エスメラルダ姉様を嗤う人もいると思います。
エスメラルダ姉様は……とっても優しい人なんです」
「そうだな。
とっても優しい人だ。俺もそれで救われた。
心配すんな。
傷付けるつもりは一切ない。
大切にしたい、そう思ってる」
◆◆◆◆◆
いつものように俺は店に行き、またメアを指名した。
もう一年はメアの許に通ってる。
メアの部屋に通されると、二人で他愛もないお喋りをする。
蝋燭一つの薄暗い部屋の中、小さなテーブルを前に並んで座り、メアが作ってくれた酒を飲みながら。
とても楽しい時間だ。
「ねえ……また、抱かずに帰るの?」
「そのつもりだ」
「……私が好きなのは分かったけどさ。
別に、抱いてもいいんじゃないの?
何で抱かないの?」
「俺は、メアの客になりたいんじゃない。
恋人に、夫になりたいんだ。
だからそういうことをするのは、恋人になってから、夫になってからだ。
そう決めてる」
「……私を身請けするのって、相当お金掛かるよ?
お貴族様とか大商人じゃないと払えないような額だよ?」
「大丈夫だ。
冒険者は実入りが良いからな。
これでも将来有望な若手なんだ。
すぐに貯めてみせるさ」
「……遊女ってね……みんな病気になるの。
私もそのうち病気になって……アランに感染しちゃうかも……」
「覚悟の上だ。
メアが病気になったら、俺に感染してくれ。
一緒に病気になって、一緒に死のう。
死ぬならメアと同じ日が良い」
メアの目が潤む。
「……避妊のために飲んでるヘンルーダ草ってね。
ずっと飲んでると、飲むの止めても子どもが出来なくなっちゃうの。
だから……もし一緒になれても……アランの子どもは、産んで上げられないと思う……」
「全く問題ないな。
俺は子どもが欲しいんじゃない。
メアと一緒になりたいんだ」
「……私、汚いよ?」
「メアは綺麗だよ。とても綺麗だ。
遊女でも、物乞いでも、殺人鬼でも、メアは世界中の誰よりも綺麗だ」
堪えきれずメアは涙を零し始める。
「……毎日、他の男に抱かれてるよ?」
「それでも、そんなメアでも、俺はおまえの恋人になりたい」
「じゃあ……私をアランの恋人にして……」
泣きながらメアは、そう言って俺の手を握った。
稲妻に撃たれたかのような衝撃だった。
気が付けば口をぽかんと開いてメアを凝視していた。
俺に見詰められ、メアの顔はみるみるうちに赤くなる。
「メア! 好きだ!」
真っ赤になるメアを、強く抱き締めた。
「……今日は、私を抱くの?」
俺の腕の中でメアは言う。
「いや、あの……」
「……やっぱり……汚いよね」
「そうじゃなくて!
……俺……未経験なんだ……その……心の準備が必要で……」
みっともないことだから、本当は隠しておきたかった。
だが正直に言わないと、メアを傷付けてしまう。
恥ずかしくて顔が熱い。
メアは大笑いだった。
「うちの常連なのに」と涙を零しながらも笑ってた。
「でも、ちょっと安心したかな。
私もね、心の準備が必要だったの。
恋人とそういうことするのって、私も未経験だから……。
少し時間がほしかったの」
その日から、俺たちは付き合うことになった。
◆◆◆◆◆
「アランっておまえか?」
冒険者ギルドで、縦にも横にもデカい筋肉質な男が俺に話し掛けて来た。
「そうだが」
「これやる。
俺が作った剣だ」
その男は、俺に剣を差し出す。
「へ? 何でだ?」
「おまえ、メアさんの恋人だろ?」
「ああ」
「俺、昔は浮浪児で、メアさんに助けられたんだ。
今は鍛冶屋で働いてるけど、これもメアさんが遊郭の客に口利きしてくれたんだ。
貧民街で死ぬこともなく今俺がこうやって働いていられるのは、全部メアさんのおかげだ。
これは、メアさんへの恩返しだ」
「……メアへの恩返しなら、俺じゃなくてメアにしろよ」
「メアさん、おまえが装備もろくに調えずに無茶な依頼こなしてるって心配してたよ。
おまえが装備調えないことが今の一番の悩みだって、メアさん言ってた。
おまえにまともな装備渡すのが一番の恩返しになるんだよ。
受け取れ」
冒険者の客に聞き回って、メアは装備にやたら詳しくなった。
およそ銀級冒険者の装備じゃないことは、すぐに見抜かれた。
店に行く度に、メアはそれを心配する。
死んだらどうするのかと、いつも怒られる。
だが武器や防具は金が掛かる。
そんなことに金を使うぐらいなら、その金をメアを身請けする資金に充てたい。
剣はありがたく使わせて貰うことにした。
あと少し、あと少しで身請けのための金が貯まる。
この剣さえあれば、更に危険な依頼も受けられる。
街から少し離れたところにある危険な区域に行く依頼を受けることにした。
◆◆◆◆◆
驚愕で言葉が出なかった。
依頼のために、しばらく街を離れていた。
数日ぶりに戻って来たら、街は見るも無惨に滅ぼされてた。
◆◆◆◆◆
メアが死んだ。
魔獣の群れに街が襲われた。
ギデオンは、辺鄙な田舎にある小さな街だ。
街壁も、土を盛り上げた程度の簡単なものしかない。
魔獣の大群に襲われたら一溜まりも無かった。
種類の異なる魔獣が協調して行動するなんて、普通はあり得ない。
あるとしたら、魔族が魔獣を操ったときだけだ。
いくつかある種族のうち、魔族だけは魔獣を操ることことが出来る。
街が一つ滅んだことを切っ掛けに、人族と魔族の戦争が始まった。
俺も参戦した。
いつも最前線に志願した。
魔族を殺したくて堪らなかった。
街が滅んでから戦い方が変わった。
それまでよりずっと深く、死地に踏み込むようになった。
これまでは、敵の刃から少し距離を取って、十分な安全マージンを確保して躱していた。
今は、刃先が肌を掠めるほどのぎりぎりで躱している。
どす黒い復讐の炎は、俺を焼き続けている。
その痛みを緩和するには、死線に踏み込み魔族を殺すしかなかった。
戦争が始まって二年ほど経った頃、俺は女神から祝福を受けて勇者になった。
飛躍的に強くなり、更に多くの魔族を殺せるようになった。
俺は取り憑かれたように魔族を殺し続けた。
終には魔王さえ討伐した。
死に際の魔王から、街を滅ぼした黒幕は女神だと教えられた。
◆◆◆◆◆◆
俺は今、神が住まう地ガムウラプサの前にいる。
目の前には虹色に輝く穴が宙に浮いている。
ガムウラプサは普通の方法では辿り着けない。
条件を満たし、次元の扉を開くことでようやく辿り着ける。
遂にその条件を満たし、次元の扉を開くことが出来た。
この虹色に輝く穴が、次元の扉だ。
この扉の先には、女神ノルーンがいる。
虹色の穴の先は、地面が雲で出来てる奇妙な世界だった。
空は澄み渡り雲の大地どこまでも広く、遠くには山があり川も流れている。
少し歩くと、屋根だけの建物があった。
屋根の下には巨大な水晶玉があり、水晶玉の近くに女が一人いた。
「女神ノルーン!!」
声にも力が入ってしまう。
興奮を禁じ得なかった。
魔王討伐後、この女を殺すためだけに俺は準備と努力を重ねて来た。
その苦労が、ようやく報われようとしている。
「なぜだ!
なぜギデオンの街を滅ぼした!」
「ふふふふふ。
私に勝てたら教えて上げるわ」
その笑い声が、俺を苛立たせる。
気が付いたら、女神の手には剣があった。
どこから取り出したのか分からない。
女神は剣を構える。
……強い。
相手は神だ。
莫大な魔力を持っていても、恐ろしい膂力を持っていても、不思議ではない。
だが、この女神はそれだけではない。
構えに隙が無い。
俺が構えを少し変化させ女神の隙を作ろうとしても、女神は見事にそれに対応する。
実践に裏打ちされた確かな技術だ。
「あら? 来ないのかしら?」
覚悟を決める。
元々、勝つ見込みの薄い無謀な戦いだ。
最初から全力で、捨て身で戦ってやろうじゃないか!
女神に向かって全力で踏み込む。
「なに!?」
俺の初手は、心臓を狙った突きだった。
女神なら、十分対応出来る一手だった。
剣を受ける際に生まれる隙を素早く見つけ、二手目にそこを狙うはずだった。
だが女神は、避けも防ぎもしなかった。
俺の剣は、女神の胸に突き刺さっていた。
「おめでとう。あなたの勝ちよ」
そう言って女神は笑う。
嘘みたいに、晴れやかな笑顔だった。
「なぜ避けなかった!?
おまえなら躱せたはずだ!」
「慌てなくてもちゃんと説明するわよ。
こう見えても神よ。
心臓を刺されたって、死ぬまでにはかなり時間があるの。
ゆっくり説明するぐらい問題なく出来るわ」
剣で貫かれながらも女神は笑う。
「まず、この世界の成り立ちから説明するわね。
詳しくはそのうち分かると思うけど、この世界には人族が必要なのよ。
弱くて、自分勝手で、考えなしで、放っとくとすぐ自滅しちゃう生物だけどね。
それでも、この世界には人族が必要なのよ。
人族が一定数あそこで生きてれば、神々の世界を含めた世界全体も問題なく命を育むことが出来るの。
あなたたちにとっての植物みたいなものね。
大地に植物があるからこそ、人は呼吸のための酸素を得ることができるでしょ?」
「酸素? 何だそれは?」
「すぐに分かるわ。
とにかく、一定数の人族がこの世界には必要なの。
それで神々は、人族を絶滅させないためのシステムを作ったわ。
あそこにある大きな水晶玉がそれね」
「何の話をしてる? システム?」
「ええ。私はシステムと呼んでるわ。
人族が滅亡の危機に陥ったとき、いつも勇者が現れて人族を救ってるでしょ?
あれはね、幸運でも神の加護でもないの。
システムが人族を救っているの」
「何を言ってる?
魔族を倒すために、おまえは俺に勇者の加護を授けたんじゃないのか?」
「私は、加護なんて与えてないわよ。
たまにあなたみたいな人がいるのよ。
人間離れした力を持ってるけど、自分の力は人間の枠内のものだと思い込んじゃってて、本来の力を発揮出来ない人が。
そういう人は、神託で『加護を授ける』って言うだけで本来の力を発揮できるようになることが多いの。
あなたはそれよ。
私が与えた力じゃなくて、自己暗示でリミッターを外しただけなの」
「なんだと!?」
「話を戻すわね。
人族の危機を察知すると、システムはその解決手順も計算するわ。
システムが計算した解決手順の一環が、あなたの村を滅ぼすことだったわけ。
村を滅ぼされたあなたは文字通り死に物狂いで強くなって、私の神託を聞いて潜在能力を覚醒させた。
そして、命の危険を顧みずに単身で魔王領に入って、数多の魔族要人を殺して、終には魔王も討伐した。
システムの計算通りね」
「システムというのはよく分からない。
要するに、俺に魔王を殺させるためにギデオンの街を滅ぼしたのか?」
「そうよ。
そのために魔物を操ってあの街を滅ぼしたの。
可哀想だとは思うけど、間違ったことをしたとは思っていないわ。
だって、あなたが魔王を倒さなかったら、人族は絶滅まで追い込まれるもの。
人族の絶滅とあなたの村の全滅。
どちらを取るかなんて、決まりきったことでしょ?
人族が絶滅する頃には、あなたの村だって滅んでるしね」
「それなら!
それなら、なぜ魔王討伐をしろと一言伝えてくれなかった!?
おまえはここに居ながら魔物を操れるし、神託だって下せる!
一言俺に伝えるぐらい、簡単に出来ただろう!
そうすれば、街を滅ぼす必要なんて無いじゃないか!」
「それじゃ駄目なのよ。
人族は滅びるわ」
「なぜだ!
俺に魔王討伐を命じれば、同じことだろう!?」
「私が覚醒させたのは、あなたの潜在的な力よ。
私が授けたものじゃないの。
しっかり実力を伸ばさないと、潜在的な実力も魔王討伐には至らないものになっちゃうの。
魔王を倒せるほどの実力を付けるには、命懸けで実力を付ける必要があるの」
「だったら、命懸けで実力を上げろって言えば良いだけじゃないか!」
「駄目よ。
強い思いがないと、人は命懸けで戦ったりしないの。
あなただってそうでしょ?
もし街が滅ぼされてなかったら、十分な安全マージンを取って戦うことばっかりだったんじゃない?」
「うっ……せ、世界の危機だって教えてくれたら、頑張ったはずだ!」
「無理ね。
街が滅びなかったら、あなたはメアって子と結婚して子どもが生まれていたわ。
幼い子を抱えた妻を置いて、あなたは一人魔王領に向かうことができる?
何年も家に帰って来られない、それどころか生きて帰れるかも分からない旅になるのに。
もしあなたが死んだら、メアは幼い子を抱えた未亡人よ。
生活は、かなり苦しいものになるわね」
「そ……それは……」
「断言するわ。無理よ。
あなたは、家族を犠牲にしてまで世界の危機に立ち向かったりはしないの。
家族がいたら、あなたは勇者にはなれないのよ。
あのとき魔王を倒せる可能性があるのはあなただけ。
あなたが駄目なら人族が滅びちゃって、この星と繋がる世界も滅びちゃうのよ」
「……」
「いいこと?
勇者っていうのはね。
家族を顧みない人なの。
自分よりも世界よりも大切な家族がいる時点で、もう勇者失格なのよ」
「た、確かにそれは……そうかもしれないが……」
相変わらず胸に剣が刺さったままの女神はごぷりと血を吐く。
「そろそろね。
ようやく死ねるわ」
「……死にたかったのか?」
「そうね。死にたかったわ。
でも、神は基本的に不死身なの。
システムが死ぬことを許してくれないの」
「さっきおまえは、死ぬまでには時間があると言ったな。
あれは嘘だったのか?」
「死ぬ方法は一つだけあるわ。
後任の神が見つかったときよ」
「……まさか」
「正解。
次はあなたがこの世界の神よ。
頑張ってね、後輩君」
口から血を流しながらも女神はころころと笑う。
「ようやく終わったわ。
神になってから四千年ぐらいかな。
長かったー」
「神になる前、おまえは何をしていたんだ?」
「あなたと同じね。勇者よ」
勇者だったのか。
熟練の戦士のような剣の扱いは、それが理由か。
「私も前任の神に家族を殺されて、一矢報いようと思ってここに来たの。
これが私の家族よ」
女神は既に剣を手放している。
何も持っていない女神の手に一枚の絵が現れた。
「今どうやって?」
「ああ。『アイテムボックス』っていう魔法よ。
時間だけはたくさんあったからね。
色んな魔法を研究したのよ」
「なんだこれは!?
まるで景色をそのまま切り取ったかのような絵だ!」
「これは『遠隔カメラ』って言う魔法で作った絵よ。
時空を隔てた風景を画像として記録することが出来るの」
絵には、三人が描かれていた。
女神と、その夫と思われる男と、五歳にも満たないような子どもだった。
三人とも、幸せそうに笑っていた。
「さて。そろそろ引き継ぎ作業も終わりね。
もうすぐあなたとシステムがリンクするから、そしたらシステムの使い方も分かるようになるわ」
「システムというのは誰が作ったんだ?
おまえではないなら、前任の神か?」
「実はね。
私たちにも神がいるの。
あ、私たちにも神がいるってことは、人間には教えられないことよ。
これから神になるあなただから教えるの」
「なぜ教えられないんだ?」
「地上の人間みたいな醜い考えの下等生物じゃ、私たちの神について考えることさえ不敬なのよ。
私みたいな人間からの成り上がりじゃない、本当の神はね。
森羅万象全てを知覚する存在なの。
この星全体の人間の考えを同時に把握しているの。
邪な考えの生物が、狭い見識と汚い考えでその神のこと考えると、それがそのまま本人に伝わっちゃうのよ」
「俺に教えて、なぜ問題ないんだ?
俺だって人間だ。
汚い考えの生き物なんじゃないのか?」
「ここに来るまでに、あなたはたくさんのものを捨ててるでしょ?
勇者なら爵位だって簡単に貰えるのに、貰ってない。
勇者の名声があるんだから、街にいればみんなからちやほやして貰えるのに、あなたは私を倒すために山籠もりの特訓なんてしてる。
それだけ強ければ冒険者として大金も稼げるのに、それも諦めてる。
女だって侍らせ放題なのに、それもしてない。
地位も、名誉も、金も、女も、あなたは全部捨ててここに来たのよ。
つまりね。
あなたは、他の人よりずっと欲が少ない綺麗な心を持ってるのよ。
だからこそ神になる資格があるし、そんなあなただからここに来られたのよ」
「それで、システムというのは、おまえたちの神が作ったのか?」
「それは、分からないわ。
人の上に神がいて、神の上にはまた神がいる。
じゃあ、その上にまた神がいてもおかしくないんじゃない?
その神から見たら私たちは汚い思考の下等生物で、存在を知ることさえ不敬ってことも十分あり得ると思わない?」
もう立っていられないのだろう。
女神は、崩れるように座り込む。
「……そもそも、システムはこの世界を存続させるためのものよ。
作ったこと自体に罪はないわ。
だから、復讐はここまでにしておきなさい。
それがあなたのためよ」
「……後任を俺にするつもりのようだが、俺が神の役割を放棄したらどうするつもりだ?」
「放棄はしないでしょ?
放棄するってことは、人族を絶滅させてこの星を滅ぼすってことだもん。
助けられる命を見殺しにするなんて、あなたには無理でしょ?
システムはそう計算したわよ」
……そうかもしれない。
だが気分が悪い
全てが、誰かの手のひらの上のようだ。
「後輩君に、大事なこと教えて上げるわ。
人から成り上がった神が死んだら、もう一度人の世界にその魂が戻って輪廻するの。
輪廻の管理はシステムの領域よ。
どこで生まれるか、誰と結婚してどんな子が生まれるか、システムで全部制御できるわ」
座り続けられず横になった女神は、そう言って笑う。
剣は刺さったままなので横向きに寝ている。
「まさか、死にたかったというのはそれが理由か?」
「そうよ。
ようやく家族の元に帰れるわ。
長かった。
記憶の中の家族の顔がね。
だんだん暈けて来ちゃって、本当に怖かったの。
忘れたくなくて、必死で『遠隔カメラ』の魔法を作ったの。
でも、そんな苦しい思いも、もうお終い。
もう一度あの人と出会えて、もう一度あの子を抱くことが出来るわ」
女神は笑う。
とてもこれから死ぬとは思えない、希望に満ち溢れた笑顔だった。
「……そうそう。
大事なことを……教えて上げるわ。
システムには裏コマンドが……あってね。
それを使えば……今持ってる記憶や力を……そのままに転生出来るわよ。
千年以上掛けて……ようやく見付けたの
いつか人に戻るときは……それを使ってみてね。
最初から勇者の力があったら……きっと楽しい人生になると……思うわ」
『遠隔カメラ』の魔法など、それ以外にも色々なことを女神は教えてくれた。
そのお節介な女神は、もう息絶えている。
とても安らかで、嬉しそうな死に顔だった。
◆◆◆◆◆
あれから千四百年経った。
今、俺は神をしている。
女神の言ったことは本当だった。
この世界の存続には、一定数の人族が不可欠だ。
システムとリンクして初めて理解出来た。
システムの管理を放棄して、俺より上位の神々に打撃を与えることも最初は考えた。
だがすぐに、その選択肢は存在しないことが分かった。
メアの魂も、この世界で輪廻している。
それを壊すなんて、絶対にあり得ない。
結局俺には、システムの計算通りに動く以外の道がなかった。
面白くはないが、仕方ない。
女神は、人族の女として転生した。
システムは人の輪廻や運命を制御する。
彼女が出会う運命の男性は彼女の夫だった人で、彼女が産む最初の子どもは彼女の子だった人だ。
魂の巡り合わせを、女神はそう調整していた。
後任の俺でさえその運命を覆せないほどに、何重もの仕掛けが施されていた。
さすが、四千年も神をやっていただけはある。
執念深く念入りに調整されている。
彼女は、前世の記憶を持って転生した。
俺のことも覚えてる。
結婚したときと子どもが生まれたとき、神託で「おめでとう」と伝えた。
それからサービスで祝福の光を降らせてやった。
「ありがとう。頑張ってるね後輩君、じゃなくて運命神アラン様」
と笑顔で言われた。
この地で見た笑顔とは違う、幸せに満ち溢れた柔らかな笑顔だった。
ちなみに、神が交代したことは神託によって地上に伝えている。
システムの管理を始めて分かったのだが、この世界は相当不安定だ。
ちょっと気を抜くと、すぐに人族が絶滅寸前になってしまう。
たとえば、誰かが大量破壊兵器の基礎技術を発見するだけで、もう数百年後には滅んでしまう。
だから俺は、人族が致命的な技術を発明しないように、そのアイディアを思い付く直前でくしゃみをさせたりしている。
それらは全部、システムが計算してくれる。
そんなわけで、俺の転生条件を整えるのも大変だ。
ほんの少しイレギュラーな要素を入れると、その影響が広範囲に波及してしまう。
あと二百年もあれば、ノルーンのように後任さえ手を加えられないほどガチガチに条件を整えた転生も可能なんだがな。
残念ながら、まだ後任がいたずら出来てしまう程度のものしか出来てない。
そんなことを考えながら、いつものようにシステムを操作する。
すると次元の扉が開く。
入って来た女は俺を見ると血相を変え、射殺さんばかりに睨み付ける。
「運命神アラン!!!
おまえか!?
おまえが、私の家族を殺したのか!?」
「フフフ。俺に勝ったら教えてやろう」
思わず笑みが零れてしまう。
ようやく、ようやく待ち望んだ人が来てくれた。
そう言えば、女神もこの地に入って来た俺を見て笑ってたな。
千四百年待った今なら、あのときの彼女の気持ちも理解できる。
◆◆◆◆◆
「……い、家はう、売りません……帰って下さい」
「んなこと言わねえで、早くここから立ち退けよ。
じゃねえと痛え目に遭うぞ?」
「へっへっへ。
お嬢ちゃん、子どもなのに良い体してんじゃねえか。
ちょっと俺と遊べよ」
家の玄関前で、少女はガラの悪い男たちに囲まれていた。
十代前半で金髪のその少女は、真っ青になっている。
「おまえたち! 何してる!」
そこに現れたのは、少女と同じぐらいの歳の子どもだった。
まだ声変わりも終わっていない甲高い声だった。
「おいガキ!
正義の味方ごっこはガキ同士でやれや。
じゃねえと怪我すんぞ?」
「おまえら、さっさと消えろ。
じゃないと、おまえらこそ怪我するぞ?」
男の一人が少年に向かって凄むが、少年は怯まない。
不敵な笑みを浮かべながら言い返す。
「あ゛あ゛!?
生意気なクソガキが!」
不愉快げに顔を歪めた男は少年に殴り掛かる。
「なんだと!?」
様子を見ていた男が驚愕の声を上げる。
殴り掛かった男の拳を片手で受け止め、少年は男の腹を殴った。
大して力を入れているようには見えなかった。
それなのに男の体は、二階の屋根ほどに打ち上げられた。
驚愕で固まる男たちに少年は襲い掛かる。
いとも簡単に男たちは伸されてしまった。
地面に転がり呻き声を漏らす男たちを、少年は放り投げる。
十二、三歳ぐらいの少年だ。
そんな子どもなのに、屈強な男たちを片手で軽々と十メートルほど離れた場所に放り投げる。
投げ飛ばされた男たちは、少女の家の庭の外に転がった。
「おい」
地面に転がる男の髪を掴んで少年は話し掛ける。
髪を掴まれた男もその仲間の男も、得体の知れない力を持つ少年を怯えた目で見ている。
「おまえたち全員、今日中にこの街から出て行け。
明日もまだこの街にいるようなら全員殺す。
今おまえたちを殺さないのは、彼女が見てるからだ。
彼女のいないところじゃ容赦はしない。
仲間の額を見ろ。刻印が見えるだろ?
『追跡』の魔法を掛けておいた。
街にいたらすぐに分かるぞ?」
少年はそう凄み、殺気を男たちに浴びせる。
この世界に生きているのだ。
男たちだって当然、魔獣に遭遇して命の危険を感じたことはある。
そんな彼らからしても、少年から感じられる恐怖は別格だった。
ゴブリンよりも、オークよりも、オーガよりも、少年はずっと恐ろしかった。
もしかしたら魔王よりも恐ろしい存在ではないのか。
そう思ってしまうほどの、圧倒的な恐怖だった。
真っ青を通り越して土気色に顔色を変えた男たちは、震える足で懸命に逃げた。
誤ってドラゴンの巣に入り込んでしまったような、そんな酷い慌てぶりだった。
「あの、助けてくれてありがとうございました」
立ち去る男たちに油断なく視線を向ける少年に少女が声を掛ける。
「ごめん。来るのが遅くなって。
後任にちょっと意趣返しされちゃって」
「え? 遅くなった? 後任?」
「あ、いや、何でもない。
その……初めまして……俺……ルドルフって言うんだ……。
……会えて嬉しいよ……本当に……本当に……嬉しい」
「ええっ!? あの、大丈夫ですか?」
少女は驚く。
愛おしそうに少女を見詰める少年が、挨拶の途中で涙を溢れさせたからだ。
必死に平静を装っても堪え切れなかったかのように、少年は涙を溢れさせる。
突然泣き出す初対面の少年に、少女は困ってしまう。
「そうだ!
パン食べます?
パン焼き過ぎちゃったんです。
食べてくれませんか?」
少女はそう言う。
少年を元気付けようと。
その言葉で、彼の涙が止まることはなかった。
逆効果だった。
「……全然……変わってないなあ……」
そう呟いた少年は、より一層、顔をくしゃくしゃにして泣き始める。
泣きながら少年は、少女には聞こえないような小さな声で呟く。
「今度こそおまえを守る。絶対に」
誰にも聞こえない小さな呟きで、少年は揺るぎない誓いを立てた。
魔王さえ容易く屠る絶大な力を、一人の少女のためだけに使うと、彼はそう心に決めた。
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それから、新作も書き始めました。
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