嬉しいハプニングと嫌な気持ち
階段の踊り場でひとしきり笑って、満足した様子の高山先輩。
先輩は、問題の上着とスマホを持つと、顧問に渡しに向かった。
「顧問の先生を呼んでくるから。怖いから、覚悟してなよ。そこで正座して待って、誠意を見せた方が良いかも」
高山先輩が行く時にそう言ったので、俺は言われた通りに、苦手な正座で待つことにした。
一人で戻ってきた先輩は、また笑い出した。
「中谷君、正座しなくて良いから!」
「えっ? だって正座してろって言ったじゃないですか」
俺は先輩を見上げながら、うろたえた。
「冗談だよー!
ごめんね、汚いとこ座らせて。立って立って。ほら手」
彼女は笑いながらそう言って、グイグイと俺の手を引っ張った。
女子に触られることに慣れてない俺は、慌ててしまった。
足が痺れてしまっていたのに、急いで立ち上がろうとした。それがマズかった。
「あ、足が――」
転びそうになった。別に転んでしまえば良いのに、とっさに先輩の肩を掴んでしまった。
「わっ」
先輩は驚きつつ、俺を受け止めてくれた。
「大丈夫?」
「すみません、足がまだダメで……」
俺は、なんとか階段の手すりまで歩いて、しがみついた。
「ふう。ありがとうございます」
「もう変なことさせないからね。許してね。本当にごめんね」
先輩はそう言うと、ズボンを優しく叩いてくれた。俺が正座中に床に接していた部分を、きれいにしてくれたのだろう。
「うーん、ズボンはそんなに汚れなかったかな? そんな問題じゃない?」
俺はこの時、自分の心臓の鼓動に驚いていた。
至近距離で俺を支えてくれた先輩の顔。あれを見てしまったら、心臓が大変なことになってしまった。
なんだこれ。なんなんだこれ。俺、こんなに女好きだったのか?
触ってしまった肩がすごくやわらかくて、髪の毛から良い匂いがして……。
俺は頭が混乱していた。しかし俺があれこれ考えている間、先輩も当然何かを考えているわけで。
先輩は俺に近寄り
「――ねえ」
と、心配そうに見上げた。
また俺の心臓が跳び跳ねた。
「あ……えっと、なんでしたっけ?」
「もう足は痺れてない? 大丈夫そう?」
「えっと……」
俺は考えた。俺の顔は、触らなくても分かるくらい発熱している。かなり赤いんじゃないだろうか? 今すぐに上に行ったら、誰かにからかわれないだろうか?
とにかく、もう少し時間が欲しいな。
「――多分もうちょっとですかね」
俺は嘘をついた。
しかし、俺はすぐに後悔した。
先輩が、困った顔をしてこう言ったからだ。
「うわあ、ごめんね。ずっと座ってたんだね。肩貸す?」
俺の嘘のせいで、先輩が責任を感じてしまった。嫌な気持ちが俺の胸を苦しめた。さっきまでとは違った、嬉しくない苦しさだ。
「肩なんてそんな。滅相もない」
「滅相もないって……」
高山先輩が口を押さえてクスクスと笑った。
「高校生が言うとちょっと変だよ」
「ええ!? なんて言えば良かったですか?」
「嫌ですとか?」
「嫌じゃないですよ! ただ、先輩に迷惑をかけたくなくて」
「迷惑じゃないよ。私が変なこと言ったせいで足が痺れたんだから、頼って良いんだよ」
「こんな足、痺れさせときゃ良いんですよ。心配する必要ないです。
さっきなんて、ちょっと痺れたからって転びそうになりやがって。もう少しで先輩を押し倒しちゃうところでしたよ。
俺、今日でこの足が大嫌いになりましたよ」
「なんで自分の足にそんな冷たいの!?」
高山先輩は、笑いながら俺に聞いた。
俺は、先輩に笑顔が戻って少し安心した。
よし、もっと足に文句を言ってやろう。
「正座しただけで足が痺れるって、よく考えてみると使いにく過ぎますよ。
すぐに靴擦れするし、冬は足つるし。なんか小指の爪も切りにくいし。
この足はいつか何かやらかすぞと思ってたんですよ。そしたら案の定しでかして。
先輩のせいじゃなくて、最初からこういう足なんですよ。優しくすることありませんよ」
先輩は大笑いした。最初は俺の服を掴んでなんとか立っていたが、とうとう俺の足元にうずくまってしまった。
俺はそれを見て、とても幸せに感じた。女の人に笑ってもらえることがとんでもなく嬉しいことだと、俺はこの日に初めて知った。