①それぞれの思い
桐生の庭は素晴らしい日本庭園であった。四季折々の草木が計算され植えられている。庭の中心には池があり、錦鯉が優雅に泳いでいた。
ここが街中の一角と忘れるぐらいの佇まいで、鹿威しの音色が庭に響く。
今は紅葉も終わりに近づいていた。沙良は四季の移り変わりがよくわかり、この落ち着いた庭を気に入っていた。
今はもう10月も終わろうとしていた。
沙良はこの桐生の家に引き取られ、数か月が経過していた。宗一郎の配慮から、屋敷ではなく離れが用意され、自分の周りの世話をしてくれているのは女性のみであった。他に尋ねてくるといえば、蒼ぐらいである。この屋敷で沙良に接触していいのは、世話係の女性の他は、屋敷の主人である宗一郎と蒼のみであった。
沙良は「恵まれているな」と思っていた。本当なら母親も死去し、路頭に迷うところであった。背景はどうであれ、こうやって衣食住に困らず勉強や進学さえも支援してもらっていることにとても感謝していた。
少しでも自分のことは自分でしたいと申し出て、部屋の掃除と洗濯は自分でさせてもらえることになった。それ専用に洗濯機置き場や物干し場を作ってもらったことには困惑していたが、宗一郎が「ウチは野郎ばかりだから、それくらいは必要だ。2階を増室したほうが干しやすいかな」と言い出し、慌てて首を横に振ったのを沙良は思い出した。庶民の、それも古いひと間のアパートに住んでいた沙良にとっては、全てが規格外でいつも断ることに必死だった。
沙良の感情は全て欠落しているということもなかった。何かしら反応はあるが、乏しいという表現が的確であろう、という程度だった。心に喜怒哀楽が……あまり湧かないというのが正しかった。無関心というのがぴったりかもしれない。本人には自覚がなかった。
朝食だけはいつも宗一郎と蒼と共に食していた。時間に遅れることもなく時間に合わせ規則的に着替え始めた時、何気に声が掛かった。
「沙良、ちょっといいか」
襖を開けると、ちょうど着替えている沙良の下着姿の背部が目に入る。
「あ、ちょっと待って欲しい……」
という沙良と目が合ったが、それは既に遅かった。
「ご・ごめん! いや……」
「うん、大丈夫だから。とりあえず閉めて欲しいかな」
その言葉で、蒼は静かに襖を閉じる。そしてチッと舌打ちすると唇をかみしめた。
「動揺すらしないのか……」
その言葉が物語るように、沙良は年頃の女の子が恥じらうという感情を露出させなかった。見られて欲しくないという思いはあるのか閉めて欲しい要求はあったが、それが正しい感情の表出ではないことを蒼は痛感していた。今に始まったことではない。しかし、この反応を目の当たりする度に、過去の自分の不甲斐なさに苛まれていた。
「……クソッ」
苛立ちを抑えるので必死である。そんな時に襖が開いて沙良から声が掛かった。
「ごめん、何か用だった?」
「あ、いや……予備校で持ってこいって言われてたの何だっけ?」
「あー、あれね。進路調査の書類でしょ? 今日提出だったはずよ」
笑顔で答える沙良。この表情だけ見れば、感情欠如など何かのジョークだと思える。しかし、沙良の笑顔を……自分に向けてくれたあのキラキラした笑顔を知っていた蒼にとっては、それは単なる社交辞令と同じものだと実感していた。それを物語るように、笑顔に感情はほぼ無かった。