⑧もう戻れない
予備校で先日受けた模試の結果が返ってきた。
「蒼くんは予備校とか要らない気がするよ」
その結果を交換してため息をつく沙良。蒼の偏差値は70に近づきそうな勢いである。
「こんなの有名国立入れるじゃん……蒼くんって頭良すぎたんだね」
「まぁ、今までまともに勉強したことなかったもんな」
蒼はまんざらでもない顔をしていた。予備校入りたてでは、沙良の方が偏差値は高かったのだが今では期待のホープである。
「ある種殺意すら湧いてくる」
結果の紙をまじまじを見ながら、沙良は呟いた。
「そりゃ本望。殺意が出たら遠慮なく殺せ」
蒼は満面の笑みでそう答えた。そして、それはある種の期待でもあった。
何であれ、感情が芽生え衝動に駆り立たれるのであれば、それは本望であった。その前に今まで幾度となく修羅場には遭遇していたので、少々のことでは死ぬ気すらなかったのだ。
そこまで意図は読み取れていなかったが、全てに於いて「余裕」は感じ取れていた。
「いいなぁ~、そういう余裕」
「沙良も頑張ってるじゃん。これならなんとか合格圏内入るんじゃね?」
「そのギリギリが嫌なのよ。ランク一つ下げようかしら……」
「俺も志望校変更して、沙良と同じ大学の学部にしようかな」
え? と沙良は蒼を見た。予備校ではおちゃらけている蒼の……普段見せないような真面目な視線が目に入る。なんでそんなことを言い出したのか、発言の意図が分らず困惑した。
その時後ろからポンッと背中を叩かれる。
「沙良―結果どうだったー?」
そう言い覗き込む梨絵。
「何そのすさまじい結果は!」
「いや、これ私ではない」
「え? くろさき……あおい……」
氏名欄を読み上げ、蒼を見る。
「黒崎ってこんなに頭良かったんだ!」
その声が教室に響いた。なんだなんだ、と人だかりできる。
「え、うそ! まじ黒崎その偏差値!」
「ちょっと知らなかった! そんなに頭良かったら大学選びたい放題じゃん!」
「え? 東大行くの?」
周りからは様々な驚愕の声が響く。蒼は「やばっ」という顔をしていたが、時すでに遅し。その日から「地味な黒崎は秀才」というレッテルを貼られることとなる。蒼からしたら「秀才ってより天才だよ」と自分を評価していたが、従弟の結城も頭脳明晰なことから桐生の血統であり、後者であるほうが自然だった。
「それでも結城には及ばんだろーなぁ」
と悔しそうに蒼は呟いた。
講義が終わり、蒼は困惑していた。
今日の暴露からクラスでは蒼を見る目が変わっていた。ゲンキンな奴らだと蒼は感心していた。
「くろさきぃ~帰りにちょっとそこのマック寄って行こーぜ」
クラスの唯一の双子の片割れが声を掛けてきた。今まであまりクラスメイトとは関わっていなかったのは、ヘタな関係を作ると後が厄介だったからである。
「あ、じゃあオレもー」
と双子の相方含め挙手数名、有無を言わせない雰囲気が出来上がっていた。
「あ、いや……俺は」
ヤバッと沙良を見る。
「たまには行ってきたら?」
微笑んで視線に対して返答をする沙良。
「はい! 彼女からの許可出ました~」
そう囃し立てられると、引っ張られて行く。
それに手を振り「いってらー」と梨絵が返答していた。
❖ ❖ ❖ ❖
蒼は少し不機嫌だった。
急なクラスメイトからの優遇。沙良の傍に居れない苛立ち。
「でもオレ黒崎には興味あったんだよねー」
1人がそう言いだして、周りが賛同する。
「だって、普段から別に話さないとかないのに、なんか近寄りがたい雰囲気出してるじゃん」
「それそれ、なのに工藤さんにだけは優しい雰囲気出してやんの」
携帯を打っていた蒼の指が止まる。
「なんだよ、それ」
「えっ、気づいていなかったんだ? ある意味有名な話じゃん」
「有名って……」
「お前が工藤さんと付き合ってるのは周知の事実だけどさ。それ以上の『何か』があるんだよな」
「なにそれ……」
蒼にとって意外な事実のオンパレードである。
「だって工藤さん1ヶ月ぐらい休んだ時も、お前一緒に休んでたしー」
「あれな、絶対『駆け落ちだよな』って噂してたんだよな」
「カケオチですか……」
周りの奴らの想像力に脱力感が出てきていた。いや、普通はこんな感じなんだろう、と今まで感じたことない周りの空気を知って蒼は驚愕していた。
(たぶん、沙良もこんな〝普通〟の生活だったんだろうな)
そう思えて何も言えなかった。こんな感じが普通だったら……今が「異常」なのは蒼でも分かる。
「で、どうなん? 大学行ったら同棲とかするん?」
蒼の気持ちなどお構いなしで、周りの妄想は膨らんでいく。
「結局のところは付き合ってるんだろ?」
「そこが知りたいのか、お前ら……」
蒼は肘をつきため息をついた。今日呼ばれたのはいったい何だったのか……と落胆する。
「そんなんじゃねーよ」
一言、蒼はそれを一掃した。
(そんな世界だったら良かったんだ)
蒼はそう心の底から思った。
でももう戻れない。




