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冬以外の四季を縫い合わそう。でなきゃ、とても肌寒い。

晩秋、紅葉枯れ尽きて、そして

作者: 浜能来

拙作『晩夏、雨の残り香』から話が繋がっております

「先輩、これどうするんですか?」

「聞くのはいいけど、基本の確認までは自分でやってみたのか?」

「もちろんです。図示して、力の書き込みをして、軸の分解から三大公式までぶち込みましたよ? それでも答えが合わないから聞いてるんです」


 不満げに彼女はまくし立てて、ずいっとノートを押し付けてきた。僕は平謝りしながら、彼女を宥める。図書館の一角を間借りする僕らに突き刺さる、不快とも嫉妬とも取れない視線が煩わしかった。

 夏祭り、失恋を涙とともに流し切った、少なくとも外面はキレイにした彼女。僕の目の前で自分の頬を張ってみせて、真っ赤に腫れた顔で彼女は僕に頼んだ。


「先輩、勉強教えてください。受験を理由に振られたので、受験に復讐するんです」

「……どういうこと?」

「彼よりいい大学に行ってやるんです。だから先輩、勉強教えてください」


 どうせまだ夏休みだし、暇ですよね。

 急に元どおりになった彼女に呆気を取られていたからか。あるいは、あの雨の残り香がそうさせたのか。いや、格好を付けてるだけで、ただの下心に決まってる。

 とにかく、僕はその場で安請け合いをして。途中でポロリと、土曜は全休で暇になりそうだなんてこぼしたものだから、大学が始まってからも惰性で勉強会が続いた。


 彼女に適当なヒントを与えると、眉根を寄せながらノートに向かい始める。僕はその場で伸びをして、なんとはなしに周りを見渡した。

 十一月、肌寒い冬を前にして、土曜の真っ昼間から図書館にいる人間なんて、それこそ受験生が主だ。決まった曜日の、決まった時間に来るものだから、なんとなく見覚えのできてしまった顔ばかり。エアコンの送風音と筆記具たちの刻むリズミカル。

 窓の外に見える木々には、紅葉と呼ぶには生命力の感じられない葉っぱが宙ぶらりん。風に揺られて、ただ落ちるのを待っていた。


「先輩。ねぇ、先輩」

「なんだ、聞こえてるよ」

「話を聞くというのは、人の目を見てするものです」


 言われて視線を戻すが、彼女はノートに向かっていて、僕の方など見ていなかった。


「お前も僕を見てないじゃないか」

「乙女にはそういう時もあるんです」


 とんでもない屁理屈だった。僕はため息をついてみせる。彼女はこうして、勉強に飽きると僕で遊ぶのだ。そして僕は、別にそれが嫌なわけじゃなかった。

 去年、彼女と僕だけの部室で二人過ごした、あのゆっくりとした時間。全く同じものがここにある。

 昔から何も変わっていないといえばその通りだが、前に進もうと思うにはあまりにも--


「昨日、彼に告白されました」

「え?」


 突然告げられた。

 次の問題の解説をしようと読んでいた参考書、そこに羅列した文字列が、抜け殻じみて意味を失った。


「先輩。ねぇ、先輩」

「聞いてるよ」

「話を聞くというのは、目を見てするものです」

「そんなこと言って」


 どうせ、彼女はノートから顔を上げていないだろう。

 そう思ってあげた視線が、彼女の視線とぶつかった。彼女の横一文字に閉じられた口元が、嘘をついていないことを物語って。ゆっくりと流れていた時間が急速に消えていく。

 緩く結んで肩口から流した髪を梳き撫でて、彼女は言葉を続けた。


「あの時はごめんって。やっぱり付き合いたいって。受験に受かったら、付き合ってほしいそうです」

「それは……」

「自分勝手ですよね。私もそう思うんです」


 彼女はうっすらと、しかし確かに嘲笑った。そういう口調。

 僕の喉元にはやけに威勢の良い同意の声が駆け上がって。だけど、堰き止めた。単純に、断って終わったという話ではないと告げる理性。

 ノートにちらりと見えた、震えた彼女の字がそう思わせる。


「でも私、嬉しかったんです。それまで何くそと思っていたはずなのに」


 彼女の表情が綻ぶのがわかった。それが腹立たしくて、参考書を机の上に投げ出す。すると、えらく冷え切った心が顔をのぞかせるのがわかった。


「なら、受ければいいじゃないか。その申し出」

「……」

「僕は、とんでもなく軽薄なやつだと思うけどな」


 我ながら、意図のわからない発言をするものだ。

 彼女は、わかっていたとばかりにその言葉を受け止めていた。そんな彼女の沈黙が何より怖かった。

 頭の中で飛び交うどんな弁明も、嘘も、妄想も。この沈黙だけは打ち破れないだろう。

 図書館全体が息を潜めて、僕ら二人を見守ってるよう。


「でも、恋心っていい加減なものなんだろうって。最近、先輩を見てると思うんです」

「……っ」

「先輩。ねぇ、先輩」


 話を聞くというのは、目を見てするものです。

 言われなくても、もう彼女から目を離せなかった。

 なんの変哲も無い黒い瞳が、どこまでも底なしに見えてしまう。あるいは、ただ丸く塗っただけの平面か。もしかしたらその瞳は、僕の心の底なんてとうに見透かしていて、みっともないあれやこれを鷲掴みにしているのかもしれなかった。


「何か、言ってくれないんですか?」


 もう言ったじゃないかとはとても言えない。彼女は真正面から僕に聞いているから。投げやりを許してはくれない。

『先輩を見てると』という、たったのワンセンテンスが、僕の思考をスクランブルエッグのようにぐちゃぐちゃに変えていた。自意識過剰な期待感と、自業自得の後ろ暗さ。

 何一つとして決まらないまま、僕の口は沈黙に押し流されるように開く。


「僕は」


 僕は、お前が好きだ。

 今まで言えたのに言わなかった言葉。今となってはそれが関係を壊してしまう可能性が胸の中で膨らんで。


「僕は、お前の恋を見守る立場だ」


 そうとしか言えなかった。


「納得してるなら、良いじゃないか」


 きっかけを得れば、あとは饒舌だった。


「これで僕も、お前に勉強を教えなくて済む。僕をおちょくりながら勉強するより、好きなやつと教えあう方がよっぽど健全だ」


 続けるほどに自分に跳ね返ってくるのを無視して。平静を装うのはくだらない意地。


「僕らはこれまで通り、気の許せる先輩後輩。どうしようと、僕は気にしない」


 そして、僕は大ウソを吐いた。

 吐き出しきって、ようやく彼女の顔が脳内に焦点を結ぶ。彼女は、薄氷みたいな笑顔で僕を見つめている。


「そうですね。私たちは気の許せる先輩後輩です」


 彼女は妙に居住まいを正してそう言った。

 そして、足元のカバンに手を伸ばしたかと思うと、僕の前に赤い一つの本を置いた。


「そろそろ過去問を解こうと思うんです。ここまで付き合ったんですから、最後まで付き合ってください」


 つまりは、予習しろということ。僕はその表紙に手を添わして、大学名を見て思考が固まる。


「それじゃ、今日は私帰ります。彼の心を掴む返事を考えなきゃいけなくなったので」


 なんで。

 それを聞こうとする僕を拒絶するような声色で、彼女はまくし立てる。机の上に広げたノートや問題集を乱雑にカバンにしまって。

 止める間も無く彼女は帰っていった。

 手元に残ったのは、他でもない僕の通う大学の名が記された赤本。


『ごめんなさい。来週もよろしくお願いします』


 呆然として。なんとなく取り出したスマートフォンにはそんなメッセージが表示されていた。今、彼女に連絡してもしょうがないのだと。

 窓の外を見やると、宙ぶらりんだった紅葉の成れ果てが、はらりと落ちた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] おお、続きがあるのですか。変わらず良い雰囲気ですね。諦めていいのか期待しても良いのか、恋情に振り回される感じが好きです。 なんというかやばい。性癖ドストレートでぶん殴られてる感じがすごい…
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