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問題

 ビュウっと一陣の風が吹いた。


 どこか、物語の始まりを予感させる、きっとそれは・・・そんな・・・熱い熱い風だった。きっと高いところ目指して、その風は吹いたのだと思う。


 そんな風を見上げながら、一人の女性が歩み出る。


 長い黒髪。すらりとした体形。前だけを見つめる切れ目が、利発的な印象を抱かせ、一般的な女性よりも高いその人が、ピシッとスーツを着こなしているためだろうか、いかにもこの人は非凡であるというオーラを醸し出していた。

 不敵な微笑みとともに、その人は目の前の建物をギラギラした瞳で見つめている。

 「間宮塾」そう書かれた看板がかかった小さな私塾がそこには建ってるのだけれど、女性はそれがただの私塾でないことを知っていた。


―人々曰く、どんな人間だろうとも、

―人々曰く、どんな難関な大学であろうとも、

―人々曰く、どんなに貧しい家庭であろうとも、


一度、その塾に入ることが許されたのならば、自分の希望する大学に入ることが約束される塾。

 平凡な雑居ビルに存在する小さな私塾が謳うにはあまりにも大言壮語すぎるその噂は、しかし、女性はそれがあながち嘘偽りではないことを知っていた。

 胸が高鳴る。


―ここならば―


カツカツとハイヒールを鳴らしながら、私塾へと近づく。


―きっと・・・、ここならば―


ふと見上げたそれは雲一つない晴天だった。


―あの夢みたいな日々の続きを―


もう一度、笑う。それはさっきとは打って変わって、ちょっとだけ寂しそうな笑顔だった。


―見ることが・・・できる・・・―





「さあ、物語の始まりだ。」








――同日、同時刻雑居ビルの中にて――

「ふぅ。」

教壇に立つ前に一息つく。なんてことはない、講義を始める前のちょっとした儀式みたいなもんだ。

教壇からざっと見渡してみる。

スマホをつついている人が4名。他の人と談笑している人が2名。窓の外をぼーっと眺めている人が1名。

 桜舞うこの季節、この塾の講義を初めて受講する生徒たちなのだからこんなものだろう。

「ええっと・・・、皆さんは昨日のドラマを見ましたか?」

話の滑り出しは、昨日テレビを見てた時にこれにしようと決めていた。勉強と全く関係ない話題、それをテンポよく相手の興味を引くようにしゃべっていく。あのシーンがよかっただとか、タレントさんがかわいかったとか、基本的にどうでもよさそうなことを、さながら、落語家のように淡々と、でも強弱をつけて話していく。教育用語でいうところのアイスブレイキングを試みているわけなのだが、ちらりと見た生徒たちの反応は、あんまり芳しくないようだった。

 相手の様子を見ながら、話し方と話題の方向性を変えていく。

 どうやら、このクラスはドラマの話題よりも、スポーツの方が食いつきがよいようで、

それならば、昨日の野球の話をするのがいいだろうか。ちょっとづつ、口が止まり、俺のもとに視線が集まってくる。その視線に合わせて、語尾を少し強めて、話にアクセントをつけていく。

「八回裏の送りバントなんですけど、俺が思うにあそこはバントじゃなくて、打ちにいってよかったと思うんですよね。なんというか、あの場面は弱気な姿勢を少しでも示してほしくなかったというか・・・。」

何人かが、あんたもそう思ってたのかって顔でこちらを見てた。

どうやら、魚が本格的に食いついたようだ。

 焦る気持ちを、いつものように抑えて、会話を紡ぐ。ついに寝ていた最後の一人が、重い顔を上げた。全員の目が俺の方を向く、・・・狙ってた・・・その瞬間。

(今だな。)

ピリオドを打つように、話すのをやめた。

「はい・・・・そんなところで自己紹介をしようと思います。この間宮塾で数学を担当しております、土屋と申します。よろしくお願いいたします。」

 

 おおよそ、どこかの物語の主人公になるにはあまりにも平凡な・・・そんな平凡な男が俺だった。


 そんな平凡な主人公君はいつものルーティンワークのようにしゃべりながらプリントを配布していく。

重要なのは、この雰囲気を崩さないこと。釣ったと思った最後の瞬間に魚に逃げられてしまうのは、素人の証だ。

 きっと、私立校などではもっと先の単元に進んでいるのかもしれないけれど、大体どの学校でも今習っているであろう単元をチョイスしたものがプリントされている。

 嫌な顔をしながらも、全員が筆を動かしている。最初の講義にしてはこれだけでも及第点だろう。

 見て周りながら生徒がどのような状態なのかを把握することに専念する。問題に全く手を付けることができてない生徒がいたならば、今度はその前提となる公式の理屈を把握するための問題を渡す。

 回答の過程が、整理できていない生徒には、途中の過程がある程度書かれている虫食いの問題を出すか、今以上に計算の単純になっているものを出す。逆にすらすらと解けている人に対しては、より実践的な問題を渡していく。

 案外、数学の授業は医療行為と似ているのかもしれない。その人の病気の問題点を探し出し、それに見合った処方を見繕う。

 それを繰り返していけば、遅かれ早かれ事は成就できるものだ。

 大切なのは、常に歩ませ続けること。その人に合った最適の課題を提供し、ステップ学習をちゃんと刻ませてあげること。そして、安心感を与えないこと。

 再度見ると、皆がちゃんと取り組むことを継続できていた。・・・・どうやら今回の生徒も問題なく発進できたようだ。


「ふぅ。」


 かじ取りもある程度定まったところで、改めて教壇から生徒たちを眺めた。この場所から生徒たちを眺めるといつも思う。



 ここにいる生徒のうち何人が人生の中に生きる意味みたいなものを見つけることができるのだろうか・・・と。



 おそらく、行き着いた先に見える自分の存在価値なんてものは世界の中で考えると本当にちっぽけなものでしかないのだろうけど、それでも一度きりの人生をただ何となくで終わらせてしまうのは、きっと悲しいことだ。

 だから勉強を教えるのだろうか?勉強そのものに意味を見出せなくても、その行為が人生の幅を広げるのだろうと・・・。


――と、その時・・・


 教室の後ろのドアが開いた。生徒は今日全員そろっているはずだし、他の講師は特別な用があるでもしない限り、講義中に入ってこないはずだ。

 気になって目を向けると、入ってきたのは一人の女性。


 黒のスーツをきっちり着こなし、堂々とした態度で入ってきたその女性は、品定めでもするように教室を見渡している。  

 その女性と一瞬目が合う。


 その瞬間、その人の表情をどう言い表したらいいのか上手く言えないのだけど、その人は何とも言えない悲しみのような、嬉しさのような、驚きのような・・・そのどれでもないような・・・あるいはそれをすべてごちゃ混ぜにしたような・・・そんな表情をしていた。

 その人は、目が合った一瞬で、その瞳の中に様々な感情を宿したように見えたのだ。ただ、その正確な感情を知る前に、彼女はすぐに目をそらしてしまった。

 特に見覚えのない女性だったのだけれど、あの一瞬の中に垣間見えたあの表情が、なぜか俺のなかで妙にしこりとして残っている。彼女は特に何をするでもなく授業が終わるまで授業風景を眺めていた。



・・・



 授業が終わり、事務室兼休憩室に入ると、先ほどとは違った女性がお先にーと言わんばかりにソファに子供みたいにどっかり座りながらコーヒーを飲んでいた。

「まったく、はしたないですよ。」

「まぁまぁ、そんな固いこと言わないでさー。ほら、セツ君も、コーヒーを飲みたまえー。」

そう言って、テーブルの上に置いてあるコーヒーを指さす。

 コーヒーは、いまだ湯気が立っていて、淹れてから時間があまりたっていないことがわかる。瞳が全く見えないほどの度がきつい丸渕メガネをかけた、いつものぼさぼさ白髪ヘアーをしたこの女性が、極度のドケチであることを、長年の付き合いで俺は知っているので、おそらく、この状況は目の前のこの人が意図してセッティングした状況なのだろう。

「で、何か話でもあるんですか、塾長?」

「もぉ、いつも名前で呼んでくれって言ってるのに・・・」

そんな感じで、のほほんと話しかけてくる我らが間宮塾の塾長である間宮彩なのだが、今から話そうとしているのはおそらく・・・

「さっき、知らない女性が講義を見に来てましたけど、そのことに関してですか?」

「ああ・・・、話が早くて助かるよ。」

いつもするみたく、ニヤッと笑った。

「入ってきたまえー。」

そう言って隣の応接室から入ってきたのは・・・、やはりさっき顔をのぞかせていたあの黒髪切れ目の女性だった。

 さっきは、一瞬目が合っただけだったから気づかなかったけれど、目の前でスッと立っているこの女性、かなりの美人だった。まさに、立てば芍薬という言葉がぴったり当てはまる。

「さあさあ、久々の再会なんだ。挨拶でもしたまえー。」

目の前の美人さんが、改めて俺を見る。その瞳はこっちを見ているのに、なぜかまるで目をそらしているように感じられた。

「・・・・・・・・・初めまして、文部科学省特別推進課に所属している、三条芽衣という。よろしく頼むぞ。」

初対面なのに敬語を使わないのは、本来失礼だな、なんて思ったりするはずなのに、目の前で男っぽく話す、その口調が不思議なくらいマッチしていて、その言い方を自然と受け入れてしまう自分がいた。

「特別・・・推進課?」

聞きなれない、言葉が出てきた。それ以上に・・・政府のお偉いさんがこんなところに何用なのだろうか?

黒髪の女性、もとい三条さんが笑って返す。笑うとさらに美人だなって不覚にも思ってしまった。

「特別推進課というのは最近できた部署で、今ある教育問題を従来の視点とは違った方向から解決していくことに重きを置いている部署だな。」

「はぁ・・・・なるほど。」

なんというか、何とも曖昧な部署だなんて思う。

「まあ、新設されたばかりでな。どの局にも属していないはぐれ者部署さ。」

そのような、曖昧なものが公の一部として、認められるのだろうか?なんて思ったりするのだけれど、そんなことを言ったって、相手の心象を悪くするだけなので、曖昧に笑ってごまかした。

「で、・・・だ。」

それまで黙って、おこちゃまのようにソファーでだらけていた塾長が話し出す。でも、その前に、


「もぅ、塾長、 お客様 の前なんですから・・・ちゃんとしてくださいよ。」


「はは・・・ お客様のまえ ・・・ねー・・・。」


そう言って、塾長は蛍光灯を見上げる。塾長は自分勝手で自由な人なので、あまり自分の態度を隠そうとしない。公の人だからって嫌っていなければいいけど。

 三条さんを見ると、案の定、悲しそうな顔をしていた。

「ま・・・いっか、セツ君。君の言うように、折角のお客様なのだから。この塾のことを案内したまえー。」

「え?俺がですか?」

「いえす、ゆーきゃん。誠に残念なのだがね、私はだらだらするのに忙しいから、君に頼むしかないのだよー。」

「いや、そこはweって言いましょうよ。」

ああー、頭を抱えたい・・・もう、もう少しこの人は塾長という立場を理解してほしいものだ。


「ええっと・・・すいません・・・あんな塾長で。」

俺は、事務室を出てから三条さんに謝る。

「ああ、いや・・・変わり者だというのは知っていたから・・・気にしてないさ。」


「そういえば・・・さっき久々の再会って言ってましたもんね。塾長とはもともと知り合いだったん

ですか?」


「・・・・・・・・まあ、そんなところだ。」


「いやー、それは何というか・・・お気の毒です。」

「・・・・・。」

そういう会話をしながら、俺たちは、三階を目指す。

 そうして、三階と二階のちょうど半分辺りについたところあたりだろうか、今日も騒がしいというか、塾で聞こえたらまずいだろと思うぐらいの、壮絶すぎる黄色い声の嵐が聞こえてきた。

キャアーだとか、ワーだとか、そんな声が絶え間なく聞こえてくる。


「・・・あの。」


気まずそうに三条さんが聞いてくる。

「・・・気にしたら負けです。」

三階に近づけば近づくほどに、何だかそこだけが異空間のように感じてくる。

まるで、メタルバンドのライブ、もしくは試合中のサッカーの試合会場のように、その階は異様な熱気に支配されていた。

 そしてついに俺たちは、三階という名の異空間に足を踏み入れた。


「・・・あの。」


若干引き気味に、三条さんが聞いてくる。

「・・・気にしたら負けです。」

流石に、この光景は想像できていなかったのか、三条さんが目を点にしている。

 三階の廊下には、机が一つ置いてあるのだが、何故かそこには、用途不明のサイリュウム(ヲタクがライブで振ってるやつ)が机から落ちそうなほどに山積みにされていたのだ。まるで、ライブ会場に特設された売店であるかのように・・・。


「・・・あの。」


今すぐ帰りたいといった声音で三条さんが聞いてくる。

「・・・気にしたら負けです。」

その教室に近づくほど、熱気は高まる。なんだろう、有名な芸能人でも来ているんだろうかと思わせてしまうほどにその場所は・・・異空間だった。

 そして、極めつけはこれだ。

 教室のドア、そこにはなぜか紙に血を連想させるような赤い文字でこう書かれていた。


――抜け駆けしたものは・・・・・・・・・コロス


「・・・あの。」

俺は、三条さんが

「・・・気にしたら負けです。」

ふう、と一息をつく。

本当は、入りたくないのだが。

意を決してその扉を開く。

――ガラガラ・・・・

「さて、この雨夜の品定めと言われている、光源氏たちの話し合いなんですが!」


「ワァーーーーー」


今日も、その人は世の男性を悩殺するであろう、優しさスマイルで、この塾をライブ会場へと変化させていた。

「ここには、一つ現代と通じるところがっ、あります☆」


「キャーーーーー」


物凄い、興奮を爆発させた熱い目線を向ける、生徒たち。

「頭中将が、みすぼらしい屋敷など、そんなにこの家の女性が実は超絶美女だった時に自分は一番燃えるんだ!・・・みたいなことを言ってますが・・・」


「ワァーーーーー」


「さすが、一時期お茶の間をにぎわせ続けた元人気アイドルなことだけは・・・ありますね。」

「ええ。」

三条さんが、ちょっと呆れた風な感じでそう言った。

国語科担当、立花浅葱。目の前で講義を行っているこの女性、三人しかいないこの塾の講師の中、国語科を担当しているのだが、何を隠そう元アイドルなのだ。しかも、超売れっ子だったらしい。そんな人が、ある日突然、アイドルを辞めたかと思うと何故か・・・塾の講師をしていた。

「実はこれ、現代でいうギャップ萌えのことを如実に体現しているんですよねっ。」


「キャーーーーー」


 咲き乱れる黄色い声の嵐。皆が、ここが何をする場所なのかを忘れたように熱におかされていた。

「土屋さんも、やっぱり、ああいった方が好みなのか?」

三条さんが訪ねてきた。確かに、あの笑顔は世の男性を食い物にしてるのだろうが・・・

「いや、ちょっと俺には・・・・。」

と、その時・・・

「あ、あのー先生。」

一人の男の子が意を決したという風な感じに、おずおずと手を上げた。瞬間に周りの生徒たちから、羨望と殺意の混ざった視線が集中する。

(いや、こえーよ・・・ほんと。)

「はい、今田さん。」

そんな、空気に気づいてないのか、それとももう慣れてしまったのか?立花先生は仮面かぶりまくりの優しい笑顔で、手を挙げた生徒を指名した。

「あの・・・光源氏もすごく・・・かっこよかったんだと思います。・・・でも・・・」


「ごくり・・・」


「光源氏よりも、頭中将よりも・・・」


「ごくり・・・」


「先生の方が・・・」


「ごくり・・・」


「百倍かわいいと思います!」





.

「ブヒーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。」






(なんでやねーん。)

授業をしなさい。授業を。

 先生の容姿じゃなくて、雨夜の品定めについて質問しなさい。

っていうか、光源氏男なんだから、比べちゃダメでしょ!

 ただ、目の前の光景と裏腹に、生徒たちの成績の伸びは常軌を逸していた。  

俺と塾長の講義では、だんだんと成績が上がっていくのに対し、立花先生の場合、初めての講義を受けた次のテストから、生徒たちは毎回満点近くの点数をたたき出すのだ!

彼らは、目の前の女性に認められたいがために今日も帰ってもう勉強に励むのだろう。

「恐るべし・・・元アイドル。」

「本当に・・・すごい熱気だな。」

三条さんのその声は、やっぱり多分に呆れを含んでいた。

 ただ、正直むさ苦しさを覚えた俺たちは、早々に教室を後にした。


「えっと、・・・すごい・・・熱気だったな。」

「ああ・・・えっと、あそこはいつもあんな感じですよ。」

「・・・・。」

「でも、実績を出している人ですからね。たまに、騒音でクレームきますけど。」

三条さんの顔に、本当にそれでいいのかと書かれてある。

「ま・・・まあ、気を取り直して、次はあの脳科学者で有名な間宮先生の教室なのだな。」

「ああ、はい。塾長のですね。」

「この階は、静かそうだな。」

ほっと胸をなでおろす三条さん。

そろそろ塾長の講義が始まる時間だ。あのまま、ソファで眠りこけていなければだけど。

「脳科学でなおはせたのだから、授業の内容も・・・かなり、期待できそうだ。」

「うーん、・・・・・・それは・・・どうでしょう?」

急に三条さんが立ち止まる。



「・・・・あの。」


「はい?」

「あれが・・・扉・・・なのか?」

「はい。」


 目の前には、防空壕真っ青といった感じの、頑丈な扉が鎮座している。まるで、この教室だけ核爆弾を想定した、避難シェルターのようだ。


「ここは、塾なんだよな?」

「はい。」

「この中で・・・間宮先生が講義をなさってると。」

「はい。」

「・・・・・。」

「三条さん。」

「・・・・・。」

「・・・気にしたら負けです。」

今日もうんざりするほど、重厚なその扉を開けた先に待っていたのは・・・、無音の世界だった。

「・・・・?」

というか

「・・・・・?」

生徒全員が・・・

「・・・・・・・・・・・・・?」


寝ていた。


「やあー、三条さんじゃないかー、どうだね、わが塾は?」

やっぱり、今日ものほほんとした口調で、我らが塾長、英語科担当の間宮彩がにんまりと笑っていた。

「これは・・・授業なのか?」

「まあ、睡眠学習というやつだねー。」

そう、目の前で机に突っ伏して寝ている生徒たちは、絶賛勉強中なのだ。ただ、但し書きとして寝ながらというワードが付いてくるだけで・・・。

「今日は、関係代名詞について、今生徒たちには解いていってもらっているところだよー。」

そんなこと言われても、第三者からは何をやっているのか全く分からない。というか、この光景を見た保護者からは金を返せとの大ブーイングが起きそうだ。

 ただ、・・・・・彼らは間違いなく勉強をしているのだった。

「まあ、この装置から出る超音波で、夢を操作しているだけんだけどね。」

教壇には、まるでSFで出てきそうな、なんともシュールな装置がでかでかと鎮座していた。

「何なんだ・・・ここは。」

ぽつりと、三条さんが漏らした本音。

「一応・・・・・塾・・・・ですかね。」

俺も、それに倣って、ぽつりと出た言葉だけど、それが、果たして俺の本音だったのかは、イマイチ自信が持てなかった。



























寄り道その①










“どうして、生きていく上で必要ないのに勉強なんてしないといけないのだろう?

 本の前の皆さんも一度はこんな疑問を抱いたことがあるのでないでしょうか?おそらく誰もが抱いたとことのあるであろうこの疑問は、今日も元気に誰かの背中にのしかかっているに違いありません。

 私たちは、いつも勉強というワードを青春という二文字から除外しようと躍起になっています。まるで勉強さえなければ人生が光り輝くって信じているみたいに・・・。人々は勉強を目の敵にして、人生におけるノイズだと誰もが思い込もうとしているのです。

 私からしてみれば、勉強がどうのこうのという前に人生そのものがあやふやで、大した意味などないものなのだから、“どうして勉強なんてしないといけないのだろう?”という問いかけ自体がナンセンスだなぁだなんて思っちゃったりしちゃうわけなんですが・・・

 でも、あえて問おうと思います。

 もし・・・もしも・・・ですよ?

 勉強がゲームみたいに、楽しくって、楽しくって仕方がないものになったとするならば・・・

 この問い、その根底を覆すことができるのだろうか?・・・と。










 その場所は、重厚な空気に包まれていた。

 ただ、ほのぼのと笑う、元売れっ子アイドルと、今日も今日とておこちゃまのようなだらけた姿勢で座る丸渕メガネ女の存在のおかげで、その空気がちゃんと完成してるかどうかというのは、もしかしたら物議を醸しだすかもしれない。

 まぁ、とにかく重苦しい空気が伴っていなければならない空間であったことは、間違いないのだ。

 意外だったことは、お堅い役職についてあるはずの三条さんが、早くもこの空気に、適応し始めていたこと・・・。

 おかげで、一人お堅い空気を演出し、あくまでもこの物語が健全で真っ当なものだということを維持しようとしている俺が馬鹿みたいに思えてくる。

「へぇー、じゃあ間宮先生は、今も脳科学の研究は行ってるんですね。」

俺に初対面ながら、砕けた物言いだったこの人は、塾長だけには敬語のようだった。ぱっと見だと、俺も立花先生も塾長も同じぐらいの年齢だったのだが、やはり偉大な人には敬語を使うのだろうか?

「何だか、面白そうな人ですねっ。」

と、話しかけてきたのは、さっき熱烈なコンサート会場のような何かを作り上げていた、立花先生だ。かわいい外面でこんな風に話しかけられると何だか気恥ずかしい。

「・・・どうでしょう?」

「いやー、いろんなアイドルとか女優さんとか見てきましたけど私の中でも五本指に入る別嬪さんですよー。」

「確かに・・・。」

今も、塾長と話すその姿は、絵になるなぁなんて思っていた。

「そういえば、話は変わるんですけど、今週の日曜日、良かったらまた本屋に行きませんか?」

「何か、期待しているものでも入ったんですか?」

「ええ、空野朝っていう作家さんがいるんですけど・・・」

「いや、ちょっと待て・・・」

「どうかしました?」

「今って重要な会議のはずじゃあ・・・?」

「んー?どうなんでしょうねー。ねー彩先生会議どうします?」

「あー、会議ねぇ、今、私は芽衣ちゃんとの会話で忙しいのだよー。会議は、また今度ということで・・・」

と流そうとするのだが、

「おっと、間宮先生、それとこれとでは、話が別です。ちゃんと、会議はさせてもらいますよ。立花先生もよろしいですね。」

三条さんは、その言葉を上手く飲み込む。

「あー、私はいつでもウェルカムですよっ。」

変わり者の二人を上手く誘導しているあたり、想像以上にこの人できる人かもしれないと(すでに学長は三条さんのことを芽衣ちゃんなんて呼んでるし)、俺は三条さんの認識を改めることになりそうだ。それから、地味に自分に聞かれなかったことが悲しい。

「よし、それでは改めて皆さんの講義を見させてもらった。正直、私の想像を超えてユニークなもので、私の予測をはるかに裏切るものが、ここにはあった。」

だからこそ、と三条さんは机に前のめりに手をつきながら皆を見渡す。話の強弱のつけ方や間の取り方が上手く、自然と話しに飲まれてしまう、そんな話し方だった。あと、机に腕をつけたことで、かなり胸が強調されてしまい、目に毒だ。

「皆さんに、ぜひ力を貸してほしいプロジェクトがある。」

「プロジェクト・・・ですか?」

のほほんと、立花先生が聞く。頭の上にはクエスチョンマークが浮上かわいいしている。

「そう、プロジェクトだ。皆も存じていると思うが、世界は今目まぐるしく変化している。少し前まで途上国だった国が今や先進国と肩を並べているのが現状だろう。・・・・・対し、日本では多くの産業で成長がストップしている。」

三条さんは、立ち上がりホワイトボードに日本の現状について記していく。

「もともと、資源や領土に乏しいこの国ではただでさえほかの国よりハンデを背負っている状態だ。このまま低成長を続けるならば、遠くない未来にただの極東の島国とランクダウンしてる・・・なんてことは、起こりうる結末だろう。」

「えー、でも、結構日本ってお金持ってるんじゃないでしたっけ?ほら、個人的な貯蓄はあるからまだ大丈夫だとか・・・。」

「んー、それはちょっと違うかなー、浅葱ちゃん。」

そこで、塾長が話に入る。

「え?何か自分変なこと言いましたか?」

不思議そうな顔をする、立花先生かわいい

「確かに、お金を社会の中心に置くのは・・・一つの考え方だ。だがしかし、ここは教育の世界。社会の中心を置くならば・・・・。」

そこで、そっと三条さんをちらっと見る。話の続きを促す素振りだ。

「ああ、間宮先生の言う通り、社会の中心は、人だ。だが、我々日本はこの人のありようでもまた・・・大きなリスクを負ってしまっている。」

三条さんが一息ついた。

「一つは、少子化問題。働き手の減少というのは経済の成長に大きな打撃を与えているだろう。現在でも年金問題は常に国の中心的な問題だ・・・。ただ、この問題は今までが人口が増加しすぎてたとみるならば、案外・・・自然なものの流れともいえるかもしれない。長期的スパンで考えるならば、問題かどうかを考えるのはできないのことと、我々のできる範疇を超えている。」

「じゃあ、何を問題にしてるんですか?」

立花先生の頭の上に合ったクエスチョンマークがさらに強調(かわいい)される。

三条さんが、人差し指をびしっと立てて、立花先生を指さす。

「それは・・・・若者の主体性の欠如だ。」

「主体性?」

「つまり、やる気を持って自ら動こうという人が少なくなってしまっている現状が一番の問題だといいたい。」

「あー、なるほど。」

「そこでだ。」

三条さんは、ホワイトボードに大きな文字で「ニート」と殴り書きした。

「皆さんには、主体性の欠如してしまったものの、代表とされている、こいつらを更生させるプロジェクトに参加してもらいたい!」

塾長がにんまりと笑った。

「ふむふむ。」

ただ、不気味に笑う塾長とは別に俺たちは半信半疑だ。

「いけると思いますか?」

立花先生が話しかけてくる。

「いやー、ちょっと厳しそうですよね。」

正直・・・微妙な空気が流れた。

「あのー。」

そこで、俺は持っている疑問をぶつけてみることにした。

「ゲームみたいな依存性の高い娯楽が溢れている現状・・・彼らに主体性を持たせるのは、容易ではないと思うのですが。」

ごもっともとでもいうかのように、一つ頷いて、

「ふむ、妥当な意見だな。もちろん、私もそれは想定していた。」

不敵に笑いながら三条さんが返す。

三条さんは、再度息を吸ってはいた。

「そこでだ。」

ゆっくりと、三人の講師を見渡す。

「皆さんには・・・・」

バンと机をたたいて、不敵に笑った。

















「ギャルゲーを作っていただく。」


















 正直流れたのは、これまた何とも言えない沈黙だった。

「ギャルゲー・・・・・ですか?」

立花先生の頭の上にあるクエスチョンが、抑えきれないほど増大かわいいしていた。

「ああ、ただし・・・ただのギャルゲーじゃない。」

「・・・というと?」

「あくまでも、ギャルゲーとしての面白さを残しながら、英語の学習ができるギャルゲーだ!詳しくは、この企画書に書いてある。」

 そう言って、三条さんは俺たち一人一人にとある企画書を渡した。そこには、まごうことなき、ギャルゲーの企画が書かれていた。

「・・・・なるほど。」

 要するにこういうことだ。美少女とイチャイチャすることが目的のゲームがギャルゲーなわけだが、そこに登場するヒロインを海外から移住してきた日本語の話せない外国人の少女で行おうというのが、三条さんの目指しているものだった。

 なるほど、確かに女の子に好感を持てれば・・・英語の勉強も少しは緩和されるかもしれないが・・・

(正直、上手くいきそうかと聞かれると、厳しい内容そうだなぁ。)

立花先生も、横目で見るとネガティブな感想を抱いていそうな表情をしていた。

 そう、あの人を除くと誰も賛同できる内容ではなかったのだ。


「くっくっく・・・・」


そう、唯一の例外を除いて・・・


「くっくくっくっくくく・・・」


だんだんと笑いをこらえるのが難しくなってきたのか、我らの塾長は、


「あーーーはっはっはっはっは・・・・・だめだ・・おもっ・・おもしろすぎる!」


盛大に笑いこけていた。正直・・・・どこにそんなに受ける要素があったのかは不明だ。あと、パンツ見えそうになるから、足をバタバタさせるのは、やめなさい。

「イイ、面白い!面白いじゃないかー・・・これ。」

正直、一人笑いこけてる塾長は不気味でしかなかったけど、三条さんもまたそれを予期していたようににやりと笑った。

「では、参加していただけるのだろうか?」

「うーん、そうだな。参加してみるのも面白そうだな。」

抑揚のない言葉でそう返す塾長、

「そうか・・・その意見が聞けて・・・」

良かったと言おうとしたのに、

「ただし、一つ質問に答えてもらう。」

三条さんの言葉をこの人は遮った。

 塾長は、にんまりと笑っている。

「なんだろうか?」

三条さんの表情に動揺は見受けられない。

 塾長は、三条さんを直視する。


「君が行おうとしているこの企画は・・・」


メガネが光る。

塾長のにやけ顔が一層濃くなる。







「正義かね・・・・それとも・・・・悪かね?」







決して大きい声で言われたわけではないのに、その言葉は、ずしりとした重みをもっていた。

 何を言ってるんだこの人はと思う俺の予想とは裏腹に、三条さんは、軽く目を見開いていた。瞳孔が軽く開いた目は、間違いなくこの人が動揺したことの証。

 気づくと空気が変わっていた・・・。一瞬でこの空間に、息をするのもしんどくなるような空気が溢れていた。

 思い重圧が、空間が変貌していく・・・聞かなくてもわかる、この後の三条さんの答えで、このプロジェクトに俺たちが参加するかどうかが決まると。塾長は必要な時にしか真剣に話さない。つまりは、そういうことだ。

 三条さんは、一瞬驚いた表情を見せてたはずだけど、一瞬後には普段通りの表情に戻っていて、あの一瞬の瞳の揺れが嘘みたいだった。

 だから・・・

 ただただ、不気味な沈黙だけが・・・・場を支配するのみだった。

 三条さんと、塾長はお互いに目を話そうとしなかった。ただただ無女だけ。

 でも、間違いなく・・三条さんは外面上には表れない葛藤と戦っている。

 何を自分は答えればいいのか、何を答えてはいけないのか・・・

 すました顔の彼女は、間違いなく、そのはざまで・・・戦っていたのだ・・・

 イヤな汗がしたたり落ちる。

 それでも皆が、三条さんを見ていた。

 この人の次の答えを・・・待っていた。

 そして・・・

 長い長い刹那が過ぎ・・・・・・・時が動く。

「この企画は・・・」

三条さんが口を開いた。

「少なくとも・・・」

もう、後戻りなんてできない。・・・できるはずない。

・・・・・彼女はどのような回答を示すのか。

「・・・・・。」

「・・・・・。」

「・・・・・。」


「正義では・・・・・・・・・・・・・・・・ない。」


政府の人間がおそらくは口にしてはならないだろう、反模範的な回答・・・そんな言葉が彼女の口から洩れた。

「ふむ・・・・正義ではない・・・・か。」

塾長はゆっくりとソファーにもたれかかった。

「・・・決めた。」

塾長は、にんまりと笑った。












「この企画・・・・・参加しようじゃないか。」














 手紙1


妹へ

 調子はどうでしょうか?兄ちゃんは今日も頑張ってます。


 最近変わったことがあって、なんか政府のお偉いさんが来て、よくわからないまま、


美少女ゲームを作ることになっちゃいました(なんでやねーんって感じなのですが本当


の話です)。いつか、花蓮にもこのゲームをやってもらえたらなって思います!そして


いつかもう一度あの部屋が出てきてくれたらなって・・・・


                     今日も今日とて働く兄ちゃんより





―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



兄さんへ

 お手紙読んだよ!美少女ゲームを作るの?なんだかとても楽しそう!


 完成したら、わたしも・・・いつかやってみたいなー。


 兄さんと一緒にもう一度遊んでみたい・・・


 でも、やっぱり私には部屋を出るのは大変そう・・・(こんな妹で本当にごめんね?)


                     今日も今日とて引きこもりの妹より








――日曜日


 俺は喫茶店にいた。

何故か俺の真向かいにツインテールに髪をまとめた美しいというよりも、かわいらしいという表現の似合う女性がいる。当たり前だけど、別に彼女と俺は知り合いだったというわけではない。

ちょっと待って、どうやったらいきなり話が飛んで喫茶店にまたまたかわいい女性と一緒にいるんだ、貴様はハーレム系ラノベの主人公か!って怒りの声が聞こえてきそうだけど、俺自身、どうしてこうなってしまったんだと頭を抱えたい気持ちでいっぱいだ。

 頭痛の種となりかけている原因は、一昨日、塾の講義が始まる前の日中に行われた第一回ギャルゲー作成作戦会議にまでさかのぼる。


 「・・・というわけで、ギャルゲーにはかわいいイラストが必須なのだ!」

と、三条さんがその日も男っぽい口調で言い出したのだが、どういうわけでそういう話につながったのかは、思い出すのも億劫になる。

 もともと、ちょっと変わり者の立花先生と完全に変人の塾長で構成されたなんちゃって塾講師の塊だったわが塾に、それを上手く統制してくれる人が現れると思ったのに・・・

 結果としては、逆だった。


あの人・・・だめだ。


 立花先生と塾長が車を変なベクトルにぶっ飛ばすためのエンジンだとしたら、あの人はそれを統制するためのサスペンションかブレーキだと思わせておいて、実際はニトロだったのだ。己の力を増幅する力を得た車は、宇宙のかなたまでぶっ飛びそうなほど、今日も元気に爆走中である!

 しかも、質が悪いことに立花先生と塾長は本能的にそれをやってるのに対し、三条さんは、それを理性的にやっているところ・・・。おそらく、この変人たちを無理やり従わせるよりも、放牧しておいた方が、己の理になると考えたのだろう。

 会議だと思っていたのに、実際にそれは宴会でべろんべろんに酔ったおっちゃん達も真っ青になるぐらいの混沌具合だった。

 正直、会議をするといった三条さんがお菓子を片手に現れたときから、もうすでに今日の会議が、会議のていをなさないことを俺は悟ってたけど。

 ぶっちゃけ九割がどうでもいい雑談だった。その場の雰囲気を表すのならば、友達の家に集まった女子中学生たちって感じだろうか。大事なのは、女子大生でもなく、女子高生でもなく、女子中学生だということだ。このチョイスから今日の会話のレベルを察してほしい。

「へっへっへ、ねーちゃんいいけつしてんなー。」

俺は、冷めた目でそのやり取りを見ていた。

「もー、塾長、変なとこさわんないでくださいよぉ。」

(・・・・・アルコールなんて、おいてないよな?)

「へへへへっ、良いではないかー。よいではないかー。」

 しかし、それでも驚いたのは、絶対にこの会議は何の意味も持たないぞって思ってたんだけど、憎らしいことに、三条さんが上手く話しをつなげて、ちゃんと会議としての話は進んでいるところだ。

三条さんは、上手いこと相手に合わせてどうでもいい会話をしているのだけど、その実この部屋を訪れてから、一度も姿勢を崩していない。牡丹のような姿勢を維持したまま、己はお菓子に口をつけずに接待のような会話を永遠と繰り返して、自分の意見と本題を絶妙なバランスで加えてくる(時折にやりと笑いながら)。

(こいつ、飼いならしてやがる・・・・・!)

正直、わが塾のおバカさん二人は完全に三条さんの手のひらの上だった。

 恐るべし!公務員!

まぁ、そんな感じで宴会・・・もとい会議は進んでいき、丁度イラストレーターをどうするかという話になったのだが・・・

「ぶっちゃけた話、イラストレーターはもう決まっているのだ。」

「よっ、芽衣ちゃん!できるおんなー!」

「姉御!さすがっスー!」

ああ、もう・・・・帰りたい。

そう言いながら、姉御・・・もとい、三条さんはスマートフォンを手に取る。

「ああ、双葉さんか・・・ああ、丁度話がまとまったので、入ってきてくれるか?」

そうして、十分後現れた女性が、今回シナリオライターをやってくれるという人物だった。

 三条さんには及ばないけれど、双葉さんという方ももかなりかわいい女性だった。ツインテールを使いこなせる女性というのはかなり洗練されたルックスを持つ者だけだといわれてるけど(詳しくは某ラノベを読み給え!)、その子はまず間違いなく二十歳を超えているはずなのに、上手くその武器を使いこなしていたのだ。

「初めまして、双葉といいます。イラストレーターをしています。」

あえて、ツインテールに似合いそうなかわいい名字だけ名乗って、名前を名乗らないというのも、コアなファンからはポイントがもらえそうだなって思ったけど、双葉さんは何故か俺の方向だけは向こうとしなかったためにそのルックスを正確に語るのはできそうにない。

「では、イラストレーターも決まったところで、シナリオライターも決めなければならないのだが、当然、普通のライターではだめだ。ちゃんと、そこに学習を含ませられる人にする必要がある。」

三条さんは、俺たちを再度見渡した。

「そこで、シナリオはこの中の三人のうち誰かにやってもらいたいのだ!」

なるほど、確かに学習を取り組むにはただのシナリオライターには難しいのかもしれない。俺は、立花先生を見る。国語のスペシャリストなら、シナリオを描くのに適しているのではないだろうか?いや、今度は塾長を見る。単純に英語という観点で行くならば、塾長だろうか?

 俺が頭をひねっていると、双葉さんがそっと手を挙げた。

「どうしたのだ、双葉さん?」

「シナリオライターなら・・・」

双葉さんがとある人を指さす。

「・・・・あの人でお願いします。」

指が指し示す方向には・・・何故か・・・・

「・・・俺?」

俺が・・・・いたのだった・・・。




そして、今日の喫茶店いたる。ちなみにほかのメンバーはいない。なぜか、完全に俺に丸投げされたのだ。

「ま、頑張りたまえ―。」

と、塾長からありがたい言葉を頂戴したのだが、正直何をどう頑張ればよいのかさっぱりわからない。

そして、さらに困ったことに協力関係にあるはずのイラストレーターの双葉さんは、ずっと無言のままで・・・、一切、こちらを見ようとはしない。

(俺、何か・・・怒らせることしたっけ?)

もちろん、身に覚えなどあるはずもなく・・・会話の糸口を探すことで俺は必死になっているのだった。

「あの・・・」

双葉さんは、反応しない。ただ窓の外を眺めるだけだった。

「・・・どうして・・・俺を選んだんですか?」

「・・・・・。」

無言。・・・・そう、無言のままゆっくりと顔をこちらに向ける。その目は・・・なんだか怒っているように見えた。

 そのまま、彼女は自らのカバンに手を伸ばすと、一冊のライトノベルをテーブルに置いた。

 読めということだろうか?

 見覚えのない本だ。でも、差し出されたそれに手を伸ばすときに、何故か手が震えた。心のどこかで、それを見るなって・・・誰かが叫んでた。

 表紙には、『藍が愛に染まるまで、君が君を忘れてしまっても』と書かれていた。

 でも、正直タイトルなんてものは・・・どうでもよかった。

「なんで・・・?」

タイトルの下に書かれている作者名・・・そこには・・・俺の妹・・・土屋カレンの名前があったのだ。

「どうして、こんな結末になっちゃったんだろうね?」

泣きそうな笑顔で、双葉さんはこっちを見てた。正直、その言葉の真意は分からない。ただ、初対面のはずなのに、その顔はどこかで見たことがある。

「これは、妹が書いたんですか?」

「・・・・・そう、・・・・・かもしれないね。」

「でも、妹は・・・・ずっと・・・引きこもりで・・・」

「・・・・・そう。」

双葉さんは、悲しそうな顔で、ずっとこちらを見たままだ。

「あんたには・・・・・そう見えてるんだ・・・・この現実が。」

「?」

「・・・・・残酷だなぁ・・・。」

何かが、止まる・・・何かが壊れる。この続きを見てはいけないと、本能が叫ぶ。動悸が激しい。

俺はそれに手をかけた・・・でも・・・

「だめ。」

双葉さんが、手を伸ばしてそれを止める。

「どおして?」

「また・・・壊れちゃうから。」

「俺が・・・壊れるんですか?」

「・・・・・そう。」

「・・・・・・。」

「・・・・・だから、」

「・・・・・・。」

「・・・・・私が許すまで・・・開けちゃ・・・だめ。」

「・・・・・。」

きっと、目の前の・・・・この子の言葉を無視することはできる。

・・・・・

・・・・・

・・でも、

それを許せない自分がいて、

それを怖がる自分がいて、

・・・・結局、俺にはそれができなかった。

「・・・・・それから。」

「・・・・・。」

「・・・・・私に、敬語を使うのは・・・・やめて。」

「・・・・・分かった。」

結局、喫茶店でシナリオが描かれることはなかった。
























手紙2

妹へ


今日、不思議な子に会いました。


その子は、花蓮がライトノベルを書いてたことを教えてくれたよ。


今まで、気づけてなくて、ごめんな。


でも、どうしてだろう?花蓮が書いた小説なのに俺は開けないんだ。


だから、ごめんな。


今日も今日とて働く兄ちゃんより




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

兄さんへ


そうです、実は私はラノベ作家だったのだ!どうだ!すごいでしょ?


実は結構売れていたりする(笑)


でも、お願い・・・


一つだけ、お願いを聞いて・・・


どうか・・・・私のことだけは、探さないで。


いつまでも、あなたの妹でいたいから

                       今日も今日とて引きこもりの妹より








――日曜、夜、自室にて

 

俺は、自宅の机にいた。

「・・・・。」

言葉は、何も漏れてこない。

 俺は、廊下に出た。廊下の端、開かずの扉・・・・暗く閉ざされたその場所で・・・・僅かな光がドアの隙間から漏れていた。その光は、そこに誰かがいる確かな証。今日もその場所には長い間部屋から出ることのできなくなってしまった妹が住んでいるのだ。両親を早くに亡くした俺にとって・・・もう何年も素顔を見ていない唯一の肉親。

 そうだ、だから俺は毎日、朝二人分の朝食と、妹の分の昼食と夕食を作ってから仕事先に向かってる。

 ・・・・・・何も・・・・・おかしいことはないのだ。

 

 朝になったので、今日も二人分の朝食を作る。二人が同時に座ることがないテーブルに今日も一人で着席して、一人で合掌する。

 塾長から勧められているビタミン剤を飲むと、何故か少しだけ前向きな気分になれた。

「よし、今日も頑張るぞ。」

 妹との唯一のコミュニケーション手段である手紙を今日も書いて朝食の隣に置いておく。昼食も夕食も冷蔵庫に入れておいたから、準備は万端だ。あとは、いつも帰ったらテーブルに置いてある、妹の手紙を楽しみに仕事に行くだけ。

「行ってくるよ。花蓮。」

玄関から出る前、まるで誰もいないかのように静まり返った我が家を振り返りながら、俺は、いつものように一人で挨拶をして出ていった。


――月曜午後、塾にて

 今日もまた変わらず、この塾では二階でアイドルライブ、地下では妖しい実験が行われている最中で、そんな非日常が、繰り広げられていた。

 先に行っておくけど、別にこの物語はベッタベタのシリアスが支配する、ぶっちぎりの悲劇というわけではない。

 その証拠として、塾の講義が終わった今日この頃、この事務室では中学生レベルのだらけきった会議という名のおしゃべり会が開催されていた。

 その中には、双葉さんの姿もあった。双葉さんは何事にも無関心というか、ぼんやりしているというかあいまいな空気を持った女性だった。

 何かを聞かれても、

「はあ。」

とか、

「どうでしょう。」

とか言ってる。

 自ら部屋の隅を陣取って、一人黙々とイラストを画用紙に書いていた。その空間だけ妙に浮いていて、さながら双葉ワールドといったところだろうか。

 ただ、不思議とそれは浮いているだけであって、疎外されていると同義ではなかった。その彼女の行動は彼女のアイデンティティとして、しっかりとコミュニティに溶け込んでいたのだ。

 まあ、なにはともあれ俺にとっては、カオスなあの談笑に混ざりきらない一種の同志のように思えた。

 まあ、それでも積極的に俺から話しかけるだけの勇気もないのだけれど。

「そういえば、思ったんですけどー。」

「どうしたんだ?」

「このプロジェクトって、ギャルゲー作ったら、それで終わりなんですかねっ?」

「たしかに、シナリオを描いてるセツ君たち以外は、手持無沙汰だねー。」

塾長も、同意だといった感じで頷いた。

「そう思うなら手伝ってくださいよ。」

「それとこれでは話が別だよー。」

塾長はどこ吹く風だった。

「いや、・・・・・続きは考えてある。」

「そうなんですか。」

「ギャルゲーいうなれば、導入のゲームでしかないのだ。ゲームをしながら学習することの楽しさにユーザーに気づいてもらうことが、ギャルゲーを出すことの一番の目的となる。」

そして、と三条さんはつなげる。

「本命となるゲームは別個に用意する。」

俺も会話に参加する。

「どんな内容になるんですか?」

「ありていに言えば、既存キャラクターとコラボした、授業のシミュレーションゲームといったところだろうか?」

「既存キャラクターとコラボ?」

「ああ、・・・詳しくは、出版社ですでに出ているアニメなどのキャラクターに教師役をやってもらいながら授業をするといえばいいのか。」

「うーん、なんか漠然としていますねー。」

「まー、確かにこれだけだと漠然としているな。」

うーん、といいながら三条さんは顎に手をやる。

「もし、良かったら、土曜に取引先に会いに行くんだが、誰か一緒に来ないか?おそらくそこで話を聞けば概要が見えてくると思うんだが。」

「土曜ですか?ちょっと、先約がありますね。」

「私も、ラボがあるから厳しいなー。」

だから、当然というように塾長、立花先生、三条さんがこちらを見る。

「えー、また俺ですか?」

「よろしく頼むよー、セツ君。しっかりと、見極めてきてくれたまえー。」

ちらりと、双葉さんを見たけど、案の定双葉さんは我関せずといった感じにイラストを描いていた。

「はぁ。」

俺にできるのは、一人むなしくため息をつくことだけだった。


――土曜日、午後

「まじかよ・・・。」

 それを見た瞬間の一声は、こんな言葉だった。

 東京都の千代田区にある大きなビル。その会社のロゴには、

――スメラギ書房

と書かれていた。

 いや、既存キャラを出すといったところで、ある程度予測しておくべきだったのだが、

「超大手じゃねえか。」

いや、緊張するなんてレベルじゃない。

目の前にある大きなビルがなんだか摩天楼のように感じた。

「どうした、土屋君?ぼやぼやせずに行くぞ。」

「えぇ?」

あんた、この魔王城みたいに大きな建物を見ても何も感じないのかよ。絶対ここ、ラスボスの居城だぞ。多分、デス〇ークとか出てきちゃうよ?

三条さんは、先に歩きだしてた。その後姿に、畏怖のような感情は見いだせない。

「場慣れしてるなぁ。」

俺は、とことこと三条さんの後に続いて会社に入った。

「今日アポを取っていた、三条だ。取り次いでもらえるか?」

「えーっと、三条様ですね?少々お待ちください(クスクス)。」

三条さんの男っぽい口調に苦笑いしながらも、受付嬢はパソコンをカタカタと打ち込みだした。

(ああ、絶対珍客だと思われてるよ・・・。)

まあ、塾長との付き合いでこういう反応をされるのは慣れているのだが・・・。

――と、

 一瞬、受付嬢の表情が変わる。

「・・・・。」

受付嬢の顔が青ざめて見えるのは、先ほど笑いをこぼしてしまったから?

「し、失礼をいたしました。社長がお待ちですので、会長室までどうぞ。」

もてなし方が、珍客から重要人物を扱うそれに変化していた。・・・・ていうか・・・

(・・・・・社長?)

俺の疑問が解消される前に、三条さんは、手早くエレベーターの中に乗り込んでいる。

押したボタンは、見受けられる限り、一番上の階のボタンだ。それは間違いなく、この建物の中の最重要人物がいることを指示している。

(・・・うそでしょ?)

 チン、と音が鳴る。スーツ一丁で挑むにはあまりにも分が悪い戦い、せめてエリクサーの一つでも持っておきたいというところだけれど、ビジネスという戦場では、当然後戻りというイージーモード御用達の救済措置など設けられているはずもなく、鋼鉄の扉にも思える、会長室と書かれたそれを俺たちは開けることを余儀なくされた。

 扉の先に待っていたもの、それは一人の女性だった。

 不思議な笑みをする女性だった。誰でも受け入れそうな柔和な笑みであるようであって、誰も一定以上近づいてくるなという、拒絶の笑みであるようにも感じた。

 その見た目は老齢を感じさせる年齢であるようであり、その瞳は成人式を迎えたばかりの若人であるようにも見受けられた。

「お久しぶりです。美玲社長。」

皇美玲。出版業界を牛耳るその一角を担う人は、なるほど、それに見合うだけの“何か”を確かに持っている。

「ええ、その後お変わりはないですか?三条さん?」

「はい、元気にやらさせていただいてます。」

「えっと、後ろの方は?」

「ああ、こちらは間宮塾で講師をなさっている土屋さんです。」

「お初にお目にかかります。スメラギ書房で社長を務めさせていただいております。皇美玲と申します。」

必要なことのみしか言ってこない、シンプルな挨拶。まるで、俺のことなど眼中にないとでも言ってるように思えてしまうのは、俺が青二才だからだろうか。

「えっと、塾講師をしています。土屋雪といいます。どうぞ、よろしくお願いします。」

「こちらこそ、よろしくお願いします。」

美玲社長は柔和な笑みを浮かべながら、シンプルにそう返してきた。

「二人とも、どうぞソファにおかけになってください。」

何だか、思ってたほどには硬い空気は流れているようにも思えて、その実、見えない奥底で確かに重い空気が流れている。目の前に出されたお茶が、これから長丁場が舞っていることを予見させて、憂鬱感が蔓延ってきた。・・・・・でも、

「・・・やっと、始まるんですね。」

美玲社長が放ったのは、意外にも、そんな一言だった。その口調は静かながらもどこか弾んでいる。

 思ってた以上にこのプロジェクトの始まりは深いところにあるようだった。政府と大企業がバックにいるこの事業は、ここまで来るのにどれだけの物語を紡いできたのだろうか?決して、面白おかしいだけの過程ではなかったはずだけど・・・

 以外にもその物語の主要人物である二人は静かに笑みを浮かべていた。

そこは不思議な空間だった。大人達の持つ未来に対する不安と、子供達の持つ道へのワクワク感、本来混ざり合うことができるはずのない水と油が、今、この場所では、混ざることが許されていたのだった。

「こちらが、資料になります。はい、土屋さんにも。」

渡されたそれには、『アニメ、マンガ、及びライトノベルのキャラクターの教材への二次転用』と書かれている。

 幸いというか、隣の二人は話し合いに夢中で、俺に意識が向くことはなさそうだったので、渡された資料を読むことに専念する。





 要するに、こういうことだった。

 今や、日本の文化の一翼を担うまでになったアニメなどの娯楽文化であるが、昔からとあることに制作者側は頭を抱えていた。

 それは、アニメなどに登場するキャラクターを二次活用の難しさに関してだ。

 せっかく良いアニメが作られてその作品の中で魅力的なキャラクターが生まれたとしても、一度その作品が完結しまえばキャラクターたちはこの世界での存在場所を失ってしまう。もちろん、フィギュアなどに活用されることもあるが、画面の中で動くこともなく喋ることのない彼らははたして、彼らの魅力を十二分に活かしているのができているのだろうかという疑問はどうしても湧いてしまうのだろう。

 そこで、ここで提案されているのが、勉学の先生を彼らにさせてみたらどうだろうか?という内容であった。

 確かに、人に何かを教えるという行為は、人生で誰もが行う行為であるといえることからしても、どのような個性的なキャラクターであってもその役割を担うことができる。

 つまり、汎用性が高くキャラクターの二次活用にもってこいなのである。

 では、生徒視点ではどうだろうか?

 彼らは現実世界の人間が行っていた授業というものをアニメなどのキャラクターが代わりに行うことに違和感を覚えるのだろうか?

 仮に授業中に生徒が何かしらの疑問を抱いたとして、現実に生きている人間とプログラムで形成委されたキャラとの間には、大きな違いが出るに違いない。現実の先生なら状況に応じて適切な返答ができるのに比べてプルグラムではケースバイケースの対応をするというのは、難しい問題であるからだ。

 だが、そこでふと思う。今、この現代社会において、授業中に自ら疑問を探してそれを先生に質問するような主体的な生徒がどれだけいるというのだろうか?

 教師が淡々とカリキュラムに沿って、それこそ一種のロボットのように勧める授業風景が日常となってしまっている現状、それを現実の人間が行おうとアニメのキャラクターが行おうと、それは大差のないことではないのではないだろうか?

 要するに、この教育という分野において、今焦点を合わせるべきはそう言った高度なことではないのだ。疑問にちゃんと返答できるか以前に、生徒が先生に疑問をぶつけてみようと思うぐらいの主体性を持たせることができたならば、きっと・・・いや、間違いなくその試みは成功なのである。





 でも、それでも問いかけてみたいことはある。

「あの・・・?」

俺はしずしずと手を挙げた。二人は話し合いをやめて、俺の方を見た。

「土屋さん?どうしたのだ?」

「こちらがこんな質問をするのもおかしな話なのですが、何かしらのキャラクターが先生役を担うとしても、生徒は主体性をもって授業に取り組むことができるものなのでしょうか?」

依頼する立場である、こちら側がこのような質問をするなど、言語道断なことは分かっている。でも、このプロジェクトを進めていくうえで間違いなく重要なファクターになるであろうこの問題を、俺はどうしても見ぬふりはできなかった。

「ふむ。」

美玲さんは、しばらくの間考え込むようなしぐさをする。一瞬俺を見た、それは軽蔑の瞳というよりも、俺に興味を持ったという印象を抱かせた。

「土屋さんは、アニメなどをよく見られたりするのですか?」

「いえ・・・あまり見ないです。」

俺は正直に答える。

「・・・そうですか。実をいうとですね、授業をゲームや漫画などで行おうという試みは昔からあったんです。例えば、日本史を漫画風にしたものがその代表例と言えるでしょうか?」

美玲社長は静かな笑みを浮かべてた。

「ですが、学校という枠組みの中では、越えなければならない一線を越えることが出なかった。」

教育基本法に載っている、教育の目標に人格の完成というのがある。現状、立派な人格者に育てるうえで、アニメやマンガというのは、それを阻害してしまうと考えられがちだ。 だから、マンガを教材などとして教育を取り入れることができても、いわゆるオタク達を魅了する、常軌を逸した個性を持つキャラクターだったり、描写が過激になりがちになる萌えキャラなどからは一線を引かざるを得なかったのだ。

「・・・なるほど。」

「ですが、競争の増すこの業界において、モラルに抑制されて表現したいことを表現できていない作品が視聴者読者の心をつかむというのは、私の経験上、限りなく・・・・・ゼロなのです。」

確かに、それはそうだろう。

「つまり、今の教育の方針ではニートたちの主体性を生むのは難しいといいたいのですね?」

美玲社長は一つ頷くと、

「そういうことです。逆に見る者の心をつかむことができた作品は、限りない可能性をそこに宿すもの。・・・ここからが、土屋さんの問いかけに対する答えになるかと思うのですが、土屋さんは聖地巡礼という言葉を知っておられますか?」

「ええっと・・・イェルサレムなどに向かうことでしょうか?」

「本来的な意味で使うならば、そういうことになりますね。ただ、私の言うそれとは少し意味合いが異なってきます。」

「・・・というと?」

「アニメ業界では、作成費削減などが目的で、実際に存在する土地を土台にしてアニメの作品の背景として取り入れる場合があるのですが、舞台となった場所を実際に訪れてみることを、彼らはそう呼ぶのです。」

彼らというのは、いわゆるオタク達のことだろう。

「特別何かがあるわけではないのです。それでもたくさんの人がその聖地巡礼というものを行っている。場所によってはこの行為が大きな商業的な利益をもたらしたという例も出ています。」

だんだんと話が見えてきた。

「不思議なものですよね。本来何もない場所にアニメの背景として使われたというだけの理由で向かう。おそらく理由は人それぞれあるのでしょうが、少なくとも言えることは、魅力的な作品にはそれほどまでに人を動かせるだけの何かを持っているということです。そして、そのモチベーションは間違いなく勉学という分野にも生かすことができる。」

コスプレや同人活動、確かにオタクという分野の裏には大きな人を動かす原動力が存在している。そのベクトルをもし、勉学に向けさせることができたのならば・・・・・もしかすると・・・すごいことが起きるのかもしれない・・・・・。

嫌なことが、嫌なことでなくなった時、人はどれだけ前に進むことができるのだろうか?人類はどれだけの速さで進化することになるのだろうか?

なるほど、目の前で繰り広げられている、この会話の中に流れるこの重苦しさと、このワクワク感の正体が分かった。

もしかすると、この事業は人類の未来にもかかわるのかもしれない。


――日曜日、正午

 結局のところ、昨日の話し合いはつつがなく終わった。結局分かったことは、このプロジェクトの道筋と、そしてその始まりであるこのギャルゲーは失敗してはならないという事実だった。

「責任重いなぁ。」

前を見ると、ファミレスの向かいの席で今日も双葉さんがイラストを描いている。

 このツインテールの子、妹について何かを知っているようだけれど、今はそれどころじゃない。このゲームのシナリオを完成させなければならないのだ。

「なあ、双葉さん?」

「何?」

「今更だけど、ゲームのシナリオって、みんなどうやって書いてるんだろ?」

無視されるかと思ったけど、双葉さんはイラストを描くのをやめてこちらを向いた。

「普通、プロットなんかをはじめに書く。」

「プロット?」

「その物語が、どんな粗筋になるのかざっとまとめたもの。」

「へぇ。」

それならば、そのプロットというのを、まずかけばいいのだろうか?

「でも、あんたはそうしないほうがいい。」

「どうして?」

「あんたは、理論じゃなく・・・・感覚に頼るタイプだから。」

「でも、それじゃあ話がまとまらないんじゃあ・・・」

「大丈夫。」

双葉さんが、俺の目を見た。初めて、俺の目を見た。

「私が、サポートするから。」

やっぱり、その瞳をどこかで見たことがあるような気がした。

 真っ新な原稿用紙を見た。正直そんなに上手くいくものなのかなぁと思っている思考とは別に、心のどこかで何故かそれができて当たり前だと思う自分がいて、とりあえずペンを持ってみることにしたのだ。

「お待たせしましたっ。ブレンドコーヒーになります。」

どこかエルフを彷彿させる店主さんのコーヒーをすすりながら、眺める。


 そこにあるのは真っ新な世界。


 何の色も音も存在しない場所。俺は何を描いてみたいのだろう?


 いや、考えてはいけない気がする。


 カツ、カツと時計の秒針の動く音だけが聞こえる。


 ペンは動かない。


 どんどん頭の中から感情が抜けていく。


 クリアになればなるほど、感受性が膨れてくる。


 心が何かを満たそうとうごめく。


 だんだんと、針の音も聞こえなくなって、その音も光もない先に・・・


――一人の少女を見たような気がした。


ペンが動く。


 頭の働きとは別に、勝手に世界が色を持ち、紡がれていく。


 まるで自分とは違う生き物みたいに動く右手に合わせて、ちょっとだけ自分のアイディ  

アを混ぜる。


止まらない、止めてはならない。


指が痛くなっても、心のどこかにあるその衝動が俺にその行為をやめさせることを許し 

てはくれなかった。


世界が壊れ作られていく。この世界には存在しない非現実性とその物語が物語として存在できるだけの現実性が、絶妙なバランスで織り交ざっていく。


自分の中の、何かが完全に壊れてしまうまで、俺はペンを動かし続けた。


気づけば夕暮れ、目の前には何十枚という四百字原稿が散らばっていた。

自分でも、不思議なくらいその物語は簡単に書かれてしまった(といっても、完成したのは、途中までだったが・・・)。

「ふぅ。」

パンパンになった頭と心をクリアにするために一息つく。と、そこで気づく。

 時計は六時手前を指示していた。つまり、五、六時間ほど、双葉さんの存在を忘れていたのだ。もしかしたら、俺のことなどほっといて、帰っているかもしれない。

恐る恐る顔を上げると、意外なことに双葉さんはそこにいた。そして、食い入るように俺が書いた原稿を見ていた。

「・・・・・面白い。」

双葉さんはそう言うと、原稿をおいてこっちを見る。

 笑ってた。

「時間が経っても、やっぱり、あんたはあんたのままなんだね・・・土屋。」

嬉しそうに・・・・・笑ってた。

 どうしてだろう、その笑顔を見た瞬間、ぎゅっと胸が締め付けられた。もちろん、それは恋だとかそういった感情ではない。本能からくるシンプルな感情じゃなくて、もっと複雑な何かだ。

 無愛想な人だと思ってたけど、この笑顔は無垢な少女のそれで・・・俺は、何故か見たことがあると思ったその笑顔を、ずっと見てたいと思ってしまった。だけど、双葉さんは、添削して後日持ってくるからと言い残して、一人先にファミレスから出て行ってしまう。

 俺の頭の中には、まだ双葉さんのあの笑顔がこびりついている。


――月曜日、午前

 「というわけで、今日から皆さんには、指導案の作成を行ってもらう!」

何がというわけなのかという部分の詳細は、省かせてもらう。詳細は机の上に散乱しているお菓子と、今日も満足そうな塾長の笑顔から連想してもらうしかない。(まぁ、要するにギャルゲーが終わった後のこのプロジェクトの方向性を塾長たちが理解したので、その準備を今から行おうとなったのだ。)

 ちなみに指導案というのは、先生たちが授業を行う前に作成する、授業の計画のようなものだ。

 土曜日の美玲社長との話し合いをまとめるなら、まず、俺たちが授業の計画、つまり指導案を作成する。そこからゲーム会社に委託して、指導案に沿った授業のシミュレーションゲームを作成してもらう流れとなる。ちなみに同時並行で行っているギャルゲーも、ゲーム会社に委託することになっている。

 ただ、この狭い雑居ビルには、みんなで集まって作業する部屋というものは存在しないので、各々自分の教室で行うということになった。まぁ、それはいいのだが・・・

 なぜか、俺の教室には俺以外に三条さんの姿もあった。

「えっと・・・どうして、三条さんが・・・いるのでしょうか?」

三条さんは、朗らかに笑う。

「ああ、土屋さんは、同時並行してギャルゲーのシナリオ作成も行ってもらっているからな。授業の指導案作成は私も手伝った方がいいと思ったのだ。」

なるほど、確かに理にかなっている。ただ・・・・

 もう一度、三条さんを見る。立花先生、双葉さんもかわいいけど、正直、この人の美人の度合いは群を抜いている気がする。俺が今まで送ってきた人生の中で、間違いなく一番の美貌を誇っているだろう。そんな人と教室で二人きり・・・・

 正直、一人でやった方がはかどるんじゃないかと思ってしまう。

「さて、始めるぞ。」

でも、そんな強気な姿勢で声をかけられると、

「ええ・・・・・よろしくお願いします。」

なんて答えるしかない。

そんなわけで、二人で机を押し並べて指導案の作成に取り掛かる。

「えっと、指導案の作成についてなんですが?」

「どうしたのだ?」

「今回のプロジェクト、一体どのようなところに注意して指導案を作ればいいんでしょう?」

「なるほど、確かにそうだな。やはり留意する点は、どれだけ生徒たちに授業を受けているという感覚を払しょくできるかにかかっているんじゃないだろうか?」

「授業のイメージですか?」

「そうだ、理解しやすい授業よりも、より親しみやすい、授業を受けるのが苦痛ではないものを作成しなくてはならない。なぜなら、これの本質は授業ではなく、ゲームなのだから。」

「なるほど。ただ・・・・・、数学でそれを行うとしたら難しそうですね。」

うん、と三条さんは首を縦に動かす。

「そうだな・・・。正直、数学ではキャラクターたちの魅力を引き出すというのは難しい。」

例えば、英語ならばこちらがオリジナルのストーリーを作って、そこにアニメのキャラクターを登場させるなどしてアニメのキャラクターを有効に使うことができる。国語もまたしかりだ。

 ただ、数学においてはキャラクターを登場させてあげられるだけの物語性を授業に組み込むことは、数学の持つ特性上とても難しい。教師役をキャラクターにやらせてあげる以外に、キャラというアドバンテージを生かせる場所がない。

「逆に、土屋さんはどのような授業を作りたいのだ?」

今度は三条さんが聞いてくる。

「そうですね。普通の授業と違って、生徒たちは時間に縛られる要素がないじゃないですか。」

「まあ、そうだな。」

「だから、普通の授業以上に速度を落として一つ一つ丁寧に教えてあげられる授業だったり、生徒の弱点をカテゴライズして、ケースバイケースの授業構成なんか、できたら楽しそうだなと思ってます。」

算数から数学という表記に変わったとき、人は一種の恐怖心を覚える。今まで見たことのない記号を使うようになってから、それを算数とは別次元の何かだと勘違いしてしまう。 

実際のところ、名前が変わろうと、x、y、√だったり、今まで見たことがない文字が出現してきたとしても、それは足し算掛け算の延長線でしかない。

 しかし、一度そこに壁を感じてしまったものは、理解することを放棄する。公式の裏にある物事の原理を理解することを諦め、これはそう言うものだと自分の中でごまかし、公式の中にある数字の中にある規則性、あるいはその数字の持つ意味について考えることをしなくなる。

要するに、暗記に走ってしまうのだ。

 暗記というのは、数学においては逃げでしかない。確かに、思考を放棄して見たものを見たものとして頭の中に押し込むという行為は、楽ではある。ただ、作業ゲーがつまらないといわれるように、思考を放棄した、ただの作業の繰り返しは、結局のところつまらないし、まったくもって応用が利かないのだ。だから、難しい問題がいつまでも解けないまま、数学嫌いが誕生してしまう。

 数学は、別に一部の数学の素質にあふれたものだけができる、とりわけ高度なものというわけではない。数字という言語の奥にある規則性に気が付けば誰にでも説くことのできるパズルゲームでしかない。

 ただ、その規則性に気づき自分の中で解釈できる速度は個人差が生まれるから、できてる人とできないひとというくくりが、全員が理解できるまでの途中の段階で生まれてしまうのも事実というだけ。

何度もやりこめば、いつかは誰しもが数学の問題を解くことができるようになると俺は断言できる。だから、三年間というカリキュラムに縛られない、理解の速度が極端に遅い人でも、自分の中に公式を落とし込めるぐらいの緩やかなステップでその人に合った授業を作ってみたいという願望は、かなり昔からあったのだ。

「ふむ、なるほど、確かに目の前にある壁が小さいほど、そこに感じる焦燥感を下げることができる。ならば、こういうのはどうだろう?」

三条さんが目の前の用紙に、指導案を箇条書きで書きだした。

 カリカリというか、スラスラというか、三条さんがペンを動かす音が聞こえる。

 普通こういった男女二人っきりになるシーンだと、攻略レベル一のチョロイン攻略イベントだったりとか、ニュートン先生もびっくりのおパンツ丸見えシーンだとか、読者に対するサービスシーンが登場するのが、現代のラノベの定石というか、テンプレだったりする。むしろそれを描かずして、お前は何を得描こうというのだ!・・・なんて天の声が聞こえてきそうなものだけど、こと、隣の三条さんとの付き合いにおいてのみは健全真っ当なストーリーが跋扈しており、Rの悪魔の入り込む余地など、一寸もありなどはしないのであるけれど・・・・


 時折触れそうになる手だったり、

 やっぱりどこか目をそらしているような視線だったり、

 何かを我慢してる、もとい、耐えてるような表情だったり、

 

 そんな三条さんを見てると、心臓とは違う何かが、ぎゅっと締め付けられる。

もちろん、俺は異常に恋愛に疎い、やきもき系主人公君ではないので、それが恋愛感情であるならば、すぐに気が付く自信はある。

でも・・・違うんだ。

 この感情は、恋ではなかった。

 もちろん、三条さんが美人だから、喜んでいるという感情でもない。

 似ているものがあるとすれば、・・・・きっとそれは悲しみ。

 何か大切なものを失った時の・・・あの時の悲しみに・・・何故か・・・似ていた。

「そういえば、土屋さん。」

三条さんが、顔を上げた、やっぱりどこか、目をそらしたような視線で・・・

「・・・どうしたんですか?」

「美玲社長に、質問を投げかけたときは、正直、肝が冷えたぞ。」

三条さんが、しゃべる。

「やっぱり・・・まずかったですか?」

あの時、美玲社長に質問したのは、だめだったようだ。

「まあ、こちらは依頼する立場だったからな。」

三条さんは、そこでかすかにほほ笑んだ。それは・・・なんというか・・・

「ただ・・・なんだか、土屋さんらしいなとも思った。」

「俺らしいですか?」

俺が知っているはずの・・・笑顔だった。

「ああ、利害を無視して、気になったことを聞いてしまう、その姿勢は・・・とても土屋さんらしいと思う。」

何だろう。三条さんのしぐさや紡ぎだされる言葉は仕事仲間に抱えられる言葉というよりも、旧知の仲の友人にかけるようなそれで・・・。

 なんだか、そう思ってしまう自分がおかしくて、俺はクスリと笑った。


――君は・・・そんな笑い方をするようになったんだな。――


自分の心の声なのか三条さんが発した言葉なのか判断の付きにくいそんなセリフが放たれたとき――

ガラガラっと後ろの教室のドアが開いた。

「あー、お取込み中すいません。」

 教室に顔をのぞかせたのは、今日もツインテールがトレードマークな双葉さんだった。双葉さんはすたすたと俺たちの前に来ると、

「あー、お取込み中すいません。」

なぜか、もう一度そういった。

「べ、別にそういうわけではないぞ。」

「そうですか。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はい、土屋。」

そう言って渡されたのは、俺が描いたシナリオの改稿版だ(ていうか、渡すまでの間が怖い)。

「えっと、ありがとうございます。」

「敬語・・・」

「え?」

「敬語はダメ。」

「えっと・・・・・ありがとう。」

「どういたしまして。」

双葉さんは、三条さんに見せつけるようににっこり笑った。

三条さんは、それに笑顔で答えているが、何だか、こめかみがぴくぴく動いているように見えるのは気のせいだろうか?

「とりあえず、読ませてもらうよ。」

俺が書いたものを双葉さんが改稿したもの、その内容は、かなり様変わりしていた。

 正直、目の前のツインテールさん、文章表現が上手い。簡素で淡白な表現がすごい彩り豊かになっていて、読み応えのある文章になっている。若干難しい表現があり、スッと頭の中に入ってくるわけではない部分があるけど、その部分もするめ味といえばいいのだろうか、読めば読むほど、奥深さが伝わってきて、いい味を出している。また、シナリオ構成に関しても、平安時代の歌物語のように、場面場面のつながりが薄く、全体的なまとまりに欠く文章だったものが、上手くつなぎ合わさっていて、登場人物たちの内面の変化が綺麗につながっていた。

 まさに痒い所に手が届くような仕事をしてくれたわけだ。

「ふむ、・・・・なかなか面白いな。」

隣で呼んでいた三条さんも、同じような意見を下していた。

「どうも。」

双葉さんは、それだけいうと、教室の部屋の隅を陣取っていつものようにイラストを描き始めた。

それを見た三条さんは、

「ここで・・・するのか?事務室なら空いていると思うが?」

そういった。別に彼女がどこでイラストを書こうと、勝手だと思うのだが、彼女は双葉さんがここで仕事をするのが気に食わないらしい・・・どうして?

「あー、お取込み中でしたか?」

双葉さんは、淡白にそう返した。

「あー、お取込み中では・・・・・ないな・・・・・。」

「そう。」

そう言って、イラストを書くのを再開した。

 (三条さんでも、上手く操れない人がいるんだなぁ。)

俺は、二人のやり取りを見ながら、そう思った。

そして、夕暮れが来る。俺はいつもそうするように、塾長からもらっているビタミン剤を取り出した。

「土屋さんは、いつもそれを飲んでいるのか?」

三条さんが聞いてくる。

「ええ、塾長からもらっているんですけど、これ飲むと、何だか調子が良くて。」

「そうか・・・」

その時の三条さんの表情は初めて教室であったときの、あの何ともいえない表情だった。

「指導案も、ギャルゲーのシナリオも結構順調に進んでますね。」

目の前の成果品を見ながら俺は言った。

「ああ、そうだな。思った以上に開始日は早いかもしれない。」

普通こういった物語だと、途中何か障害にぶつかって、それをみんなと力合わせて解決するところに面白さがあったりするものだけれど、この物語にそう言った要素は望めそうもなかった。





















寄り道②









 一+一は本当に二なのだろうか?算数や数学のおそらく一番基礎になるこの式において、しばしばこのような話題を見かけます。誰もが当たり前だと思って誰もが不正解だと思うはずのないこの数式において、しかし、そのことを証明するのはとても難しいのだそうです。

 この世界は一見、当たり前と常識でおおわれているように見えます。でも案外、それは当たり前でも常識でもないのかもしれません。

 授業中、自分だけがほかの人と違う意見を持ってしまった時、自分だけが世界の認識からずれてしまっている感覚に陥ってしまいます。だから、それが本当は正しいのかどうかを確かめる前に、人はそれを悪だと断定してしまう。

自分以外のすべての人がそれを正しいといっているのに、自分だけが違うといってしまったら、まるでそれは自分が悪者になってしまったような気がしてしまうから。

 自分だけその場所に取り残されるのは嫌だから、私たちは正しさを追求なんてしたりはしない。

 その追及する過程にあるのは、結局のところ孤独しかないのだから。

 でも、このことだけは言えるのではないかと思います。

世界の認識とずれた場世に立ってしまったあなたは、案外間違っているわけではないのかもしれない・・・・と。









――水曜日、午後、

 俺は、三条さんに呼び出されていた。見るからに、深刻な表情をしている。

「土屋君・・・」

「どうしたん・・・ですか?」

「私自身・・・このプロジェクトの主任をやらせてもらっているのだが・・・実は大きな問題が一つあるのだ。」

「えーっと・・・はい。」

あーなんか、この雰囲気、塾長が問題を連れ込むときの雰囲気に酷似してるななんて思いながら返事をする。

「本当のところを言うと、私自身・・・あまり、ラノベとかに詳しくないのだ。」

「いや、・・・・・なんであんた主任やってんの?」

「考えてもみてくれ、そもそも、お堅い役職の我らの部署に、正真正銘のヲタクがいると思うのか?」

「た・・・確かに・・・。」

「ま・・・隠れヲタならいるが。」


「・・・・いるんだ。」


「正直、アニメなどの持つポテンシャルについては理解しているつもりだが、やはり現物に触れておきたいと思ってな・・・それで、良かったら・・・」

三条さんが、恥ずかしそうにもごもごしている。

「今度の土曜日、一緒に秋葉に行かないか?」

上目使いに、そう聞いてきた。正直、破壊力満点だ・・・。

「うーん、・・・それは別に構わないんですけど・・・」

「どうしたのだ?」

「ぶっちゃけ、俺も底まで詳しくないんですよね・・・アニメ・・・」

「そ・・・そうなのか・・・。」

三条さんが見る見るうちに落胆していく。

「ああ、でもいいアイディアがあります。」

「本当か?」

「ええ、土曜日を楽しみにしててください。」


――土曜日 午後

「というわけで、お姉さん登場なのだっ☆」

隣には、若干あきれ顔の三条さんと、何故かお姉さんぶってる立花先生がいる(ちなみに、おれよりも年下である)

「あー、土屋さん、いいアイディア・・・というのは・・・?」

「ええ、立花先生のことです。」

「・・・そう・・・か。」

対する立花先生はこちらに期待の目を爛々と輝かせていた。その姿は頼れるお姉さんというよりも、餌をねだるわんこのようである。

「ふふん、アキバはお姉さんの庭のようなものなのだよっ。」

誰も聞いてないのに、立花先生は誇らしげに程よい大きさの胸を張る。

 まあ、でも実際間宮塾において、一番この文化に精通しているのは立花先生であろう。立花先生、気に入ったラノベを見つけると、毎回布教だなんだといって、俺にラノベを勧めてきたり、事あるごとに、メイド喫茶に行こうとせがんできたりするのだ。その姿は、頼れるお姉さんというよりも駄々をこねる子供に近い。

 まあ、この異境地ではこの人のステータスが存分に発揮されることは間違いなしだろうから、この配役が適していることは間違いない。

 と、それはいいのだが、さっきから突き刺さってくる視線が痛い。

「え、あの子アイドルのアサギちゃんじゃね?」

だったり、

「どうして、アサギちゃんが、あの子もうアイドルやめちゃったんだよね?」

だったり、

「あのアサギちゃんにべっとりされてる男誰?ゴゴゴゴゴゴ・・・・」

みたいな、会話がなされてる。っていうか、物凄い非難の目が俺に向いてる。・・・怖い・・・

 今は塾講師をしている立花浅葱先生。もともと超売れっ子アイドルなのだ。当然ルックスも超が付くほどかわいらしい。

 対して、三条さんも超が付くほどの美人だ。まあ・・・要するに・・・俗にいう両手に花状態なわけである。

 一歩歩くごとに、みんなの視線がこっちを向いてくる。

かくいう立花先生は、

「ほら、土屋先生、いくよっ」

そう言って、俺の手を取った。視線のことには気づいてないのだろうか?

「お・・・おい、ちょっと待ってくれ・・・」

三条さんが付いてくるけど、

「ふふん、ここでは土屋先生は、アタシのものだからっ」

そんなことを言って、小悪魔みたいな笑顔を三条さんに向ける。いつのまにか、指のつなぎ方が恋人つなぎに変わってる。

いや、そんなことしたら・・・

 案の定、周囲の視線がいつの間にか殺意に変わっていた。

 そして、なぜかその中には三条さんの視線も含まれてるような気がした。

(ああ・・・・帰りたい・・・・。)

俺は一人、心の中でごねた。


 そんな俺たちがたどり着いたのは・・・一軒の古本屋だ。

古びた建物で正直、派手な印象の秋葉原とのアンマッチ感がすごい。

「ここは・・・?」

看板には、「シロの店」と書かれている。

「えっと、私的、穴場スポットかな。ま、とりあえず、はいろうよっ」

そう言って、入った店内に俺は目を奪われた。

 所狭しと並ぶ、ライトノベルのラインナップ。外見は、こじんまりとした感じだったのに、店内は物理法則を捻じ曲げたかのように広い。

「・・・・いらっしゃい。」

無愛想な言葉と共に出迎えた女性は、紫がかった銀髪ツインテールの女性だった。

(最近はツインテールでも流行ってるんだろうか?)

双葉さんといい、その店員さんといい、ツインテール女子を直見かける。その、店員さん目の下に独特のタトゥーを入れている。よく見ると、俺がよくいく喫茶店の女店主さんと同じ文様をしていた。

(あのタトゥーも流行ってるのかな・・・)

 まあ、店員の外見などは置いておいて、これだけのラインナップなら、お目当ての本もすぐに見つかることだろう。

「すごい量の本ですね。」

小声で立花先生に話かける。

「いや、これはごく一部だよ。」

「え・・・そうなんですか?」

「うん、この店何でも置いてあるの。私古文書が欲しいときとか、この店使うから.」

いや、古文書って・・・(古文書とは要するに昔の文体で書かれた文章のことだ。)

「えっと・・・コピー・・・ですよね?」

「私も始めそう思ったんだけど、鑑定してもらったら、本物だって言われた。」

いや、ちょっと待て・・・いくらすると思ってんだ。ていうか、金で買えるもんじゃないだろ。

 俺は、試しに店員さんに聞いてみる。

「あの、連れにこの店は何でも本が置いてあるって聞いたんですけど・・・?」

「・・・・・ある。」

店員さんは、無愛想にそう返してきた。

えっと・・・・

「じゃあ、平安時代の物語文学なんかも・・・・」

「・・・ある。」

そういって、店員さんがレジ近くから台帳のようなものを出す。

「・・・・・これが一覧」

そこに書かれていた品ぞろえに俺は言葉を失った。

 平安時代に書かれた物語文学は、藤原定家などによって写本された源氏物語などを除いて、そのほとんどが歴史の中で消えていったとされている。

だが、そこに書かれていたのは、源氏物語や、伊勢物語はもちろんのこと、俺が・・・というよりも現代人が一度も見たことのないようなタイトルの古文書ばかり・・・並んでいた。

「文学部の教授が見たら、卒倒するレベルだぞ・・・こりゃ。」

「・・・ふふん。」

店員さんが誇らしげに胸を張る。

「えっと・・・どうやって・・・この本を入手したんですか?」

まさか、盗んだとかじゃないだろうな。・・・いや、そもそも現存してないものを盗みようがない。

 店員さんから帰ってきた言葉は、予想だにしない一言だった。

「・・・・その時代に行って、もらってきた。」

・・・・・・ん?

・・・・・・どゆこと?

「・・・・・ええっと・・・」

「タイムスリップして取ってきた・・・」

・・・何言ってんのこの子・・・?

「タイムスリップって・・・どうやって?」

「・・・、魔法で・・・」

いやいやいや、ちょっと待て、どうしていきなりこの物語にファンタジー要素が出てくるんだ?

 あくまで、この物語は真っ当な正当派塾物語(?)のはずだ・・・・

「えっと、じゃあこの本屋に現物がたくさんあるのは・・・?」

「・・・魔法でコピーした。」

「店の中が異様に広いのは・・・?」

「・・・魔法でおっきくした。」

 何でもありだな・・・魔法⁉

 よく見ると、この店員さん、八重歯が異様に長い。

 それに、目が深紅色で蛇みたいな目をしてる・・・・

 もしかして・・・もしかするのかもしれない。

 俺は、真相を確かめたい気持ちもあったけど、踏み込んだら後戻りができないような気もして、結局、真相は聞かずに三条さんたちの元へと戻った。


 「ライトノベルというのは・・・なかなかエッチだな。」

戻った俺に告げられたのは・・・そんな一言。

「ええっと、どうしたんですか急に。」

「いや、見てくれ・・・この表紙を。」

そう言って見せてもらったのは、超ミニのスカートをはいているのに、何故か体育座りをしているかわいい女の子だった。

「確かに・・・カメラアングルが、あと数ミリずれてしまうと〇ンツが見えてしまいますね・・・。」

「・・・だろ?・・・何とも破廉恥だ。」

「何言ってるんですか?お二人さん、そんなのまだまだ健全な部類ですよ。」

「「なっ!!」」

俺と三条さんの声が重なる。

「ほら、これなんか見てください。」

そこには、ほぼ全裸といって差し支えのない女の子が笑顔でダンスを踊っているワンシーンがえがかれていた。

「いつから、この世界は風俗画とタッグを組んだのだ?」

「だめだこれ、・・・完全に黄表紙だ・・・・」

「それだけ、この業界も切羽詰まってるってことなんでしょうねぇ・・・」

アイドルが売れなくなったために、そういった業界に転落するなんてことを遠めに聞いたことがあるけど、それと同じ現象だろうか?

「若者たちは、こういった本を通じて、大人への階段を上っていくんでしょうなぁ。」

え・・・なに・・・これって、そういう役割になってんの?

・・・すげぇな、ラノべ・・・

この業界の行く末が・・・正直不安だ。

 まあ、ともかく、今話題のラノベを数冊と、ミリオンセラーを達成しているというラノベを数冊買って、俺たちは店を後にした。

 店を出ようとしたとき、店員さんが妖艶な微笑みをこちらに向けてきたような気がしたけれど、俺は見ないふりをした。


 俺たちは、昼食をとることにしたのだが、

 目の前には、特大のオムライスが鎮座している。秋葉原らしく、

“萌え萌えキュンッ”

なるものが描かれているのだが、ここは、別にメイド喫茶というわけではない。ごついムキムキのおっさん店主が一人で切り盛りしている、大衆食堂のような・・・何かだ。

(なにこれ・・・ギャップ萌えの一種?)

爆盛り一直線のそのオムライスのために、俺たちは急遽残り二つの品をキャンセルし、三人でスプーンをせっつきあいながら、ご飯を食べていた。

 再度言っておくが、目の前にいる二人、超絶美人である(しかも一人は元売れっ子アイドル)。当然、そんな二人とスプーンでせっつきあってると、周りからの視線が痛い。

「何・・・あいつ。」

「なんで、あんな美人に囲まれてんの?」

「死・・・あるのみ・・・」

そんな言葉が、時折聞こえてくる。

 正直・・・帰りたい・・・

 ただ、目の前の二人には、そんな言葉が聞こえてないのだろうか、美味しそうにオムライスを頬張っていた。

 特に、立花先生は、昇天しそうな勢いの極上スマイルを浮かべている。

「お・・・おいひ~~~。」

そんな笑顔されると、周りからの殺意の目が濃くなるので・・・やめてほしい。

「ほら、土屋先生、あ~ん。」

何を思い立ったのだろうか、立花先生が、いきなりそんなことをしてきだした。

「いや、・・・さすがにそれは・・・」

「もぉ、こんな時ぐらいいいじゃないですかっ、ほらほら~」

そう言って、スプーンを近づけてくる。

 そして、近づくごとに増す殺気。

「こ、こえ~よ。」

ただ、どうすることもできずに、結局それを口に突っ込まれてしまう。

――間接キスですね・・・本当にありがとうございます・・・・

 正直言って嬉しくも何ともない。

 ただただ、周りからの殺意が恐ろしい・・・・。その殺意は、何故か三条さんのものも含まれているような気がした。

 立花先生が、勝ち誇った眼で三条さんを見ている。

 三条さんはいつものごとく、すまして笑っているはずなのに・・・何故か直視できない。

 そんな感じに、俺以外は楽しいランチタイムも過ぎていった。


「いやー、今日は本当に勉強になったよ。」

三条さんは、満足そうにそう言う。

「ええ、楽しかったですねっ」

「正直・・・疲れた・・・。」

「もぅ、ホントは楽しかったくせに・・・」

うん、多分立花先生が恋人みたいに、デレデレと接してこなければ・・・もう少し楽しかったのかもね・・・。

 今も、現在進行形で周りの視線が痛い。

 そして、何故かその中には、やはり三条さんの視線も含まれていたのだった。





















手紙3


妹へ


今日、久々に秋葉に行ってきたよ。


秋葉っていうのは俺たちの現実とは隔離されてるなっていう気持ちはあったんだけど


あそこって俺の想像以上に未知なものがあったんだなぁ。


秋葉は、奥が深いなと思う今日この頃です

今日も今日とて働く兄ちゃんより






―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

兄さんへ


 アキバは、魔境だからね!


 噂によると、出現するモンスターは経験値豊富で、一部の冒険者たちからは、重宝され


ているみたい。


兄さんも今度行くときは、しっかりと装備を整えてから行くよーに!


今日も今日とて引きこもりの妹より






――金曜日、午前

 われらの塾長であり、ちょっぴり有名な脳科学者でもある間宮彩という人間は、だがしかし、俺から言わせてみれば、ただの変な人だ。その感覚は、脳科学者という立派な肩書を持ちながら、塾長という立場に身を置いていることからもわかっていただけるのではないだろうか?だから、

「セツ君、急で悪いのだけれど、明日デートをしよう。」

と言い出した時も、ああ、またこの人は変なことを考えているんだろうなー、なんてことを漠然と思った。

「あのー、一応聞いておきたいんですけど、別に俺たちって付き合っているわけじゃないですよね?」

「まあ、そうだねー。」

「これからの未来でも、付き合う予定もないですよね?」

「まあ、そうだねー。」

「あのー、俺の認識が間違っていたら申し訳ないんですが、デートとは付き合っている者同士が行うものでは?」

そういうと、塾長はちっちっちと言いながら、人差し指を左右に揺らした。

「あまいなぁ・・・いいかい?言語とは生き物なんだよ?言語の内包する意味というものは、われわれ人間が変わっていくのと同じくして、進化するものだー。ほら、マンガでもあるだろ?好きな人と一緒にちょっと過ごしただけで、デートと勘違いしてしまうヘタレ主人公とか。」

いや、あんたが勘違いって述べちゃダメだろ・・・(っていうか、それじゃあまるで俺がそのヘタレ主人公だといっているように聞こえるんだが・・・)

「何だか、聞くところによると、私をほっといて、女の子二人とデートしてきたそうじゃないか」

「いや・・・デートじゃないですよ。」

「・・・この写真を見てもそれを言うのかね・・・。」

 そう言って、塾長は一枚の写真を見せてきた。

 そこには、恋人つなぎをした俺と立花先生の姿が・・・

どうやら、道中の誰かが撮影したようで、表題に“元アイドルのアサギちゃん、デートか?”と記されてた。

SNSでは、絶賛炎上中らしい・・・

「あー。」

「さて・・・弁明の余地があるかね?」

「・・・ないです。」

「じゃあ・・・私ともデートしてくれるね?」

 どうあがいても目の前のこの人に言いくるめられることも、長い付き合いの中でわかっているので、俺は早々に自分の意見を貫くことを諦めた。

「はぁ、・・・まあ、・・・いいですよ。」

「快諾、ありがとー。」

すこしは、その優秀な頭を使って、快諾の前についているため息の意味を考えてほしいもんだと思うのだけれど、どうせ言っても意味のないことは分かっているので、すんでのところで飲み込む。

「それじゃあ、明日の九時に駅前に来てくれたまえー。」

塾長はそれだけ述べると、軽やかに事務室から出ていった。

 無意識のうちにまたため息が漏れた。


――土曜、午前

 午前九時、予定通りに駅前の広場で塾長を待つ。いいかげん、自分から呼び出しておいて、自分は遅刻するという習慣を直してほしいものだ。

 デートだといわれていたが、服装は普段着で来ている。髪型も、ドライヤーで寝癖を直したぐらいだ。まぁ、相手が塾長なのだから、ドライヤーで髪を整えただけでも、上出来だろう。

 昔、塾で働きたいという事務員がいたが、塾長の奇行に耐えることができず、働き始めて一週間後には辞表をたたきつけるという出来事があったことを鑑みても、俺が今この場にいるだけでも及第点なのではないだろうか?

「おや、なんだい、デートだというのに普段着じゃないかー?」

そんなことを考えていると塾長が現れた。

「そういう塾長も普段着を着ているように見えるんですが・・・?」

塾長は驚いたような表情を見せた。

「私の普段着を一瞬で見破るとはセツ君は本当に私のことが好きなんだなぁ。」

「いや、あんた・・・いっつもそれか、あのくたびれたチェックのものしか外出時に来て来ないじゃないですか・・・。」

塾長はさらに驚いたような表情を見せた。

「ばかな、私の持っている服を網羅しているだと?好きという認識を改め、変態だったという認識に変えなければならないな・・・。」

「・・・・はいはい。」

もうすでに、頭が痛い。

 塾長は、そんな俺のことをお構いなしにクスクスと笑ってた。

「じゃあ、そろそろ行こうかー。」

とことこと歩く、この人の後姿を見る。実はこの人、死んだ母親と父親と同じ研究所に所属しており、両親の後輩にあるのだそうだが、とてもじゃないけど、そんな年には見えない(実際に聞いたことはないけど、おそらく三十の半ばだ。)。

 ぱっと見だと俺と同じくらいだろうか?

「セツ君は、今年いくつになるんだい?」

「えーっと、二十六ですね。」

「確か、君の面倒を見るようになったのが、中学生の時だから、もう十年以上の付き合いになるんだね。時がたつのは早いなー。」

そう言いながら、塾長はゲームセンターに入っていく。ゲームセンターというチョイスが、この人らしい。

 あふれ出るノイズの中、塾長はほかには目もくれずに、格ゲーのコーナーにやってきた。このチョイスもまた、この人らしい。

「よーし、久々に格ゲーやるかー。」

「えー、塾長強いんだから、手加減してくださいよ。」

「馬鹿だなー。手加減とか接待でやるゲームが一番の失礼だということを君は知らないのかねー。あと、それから。」

塾長がメガネを取る。茶色と、ちょっと青みがかった若干片方ずつで色の違う瞳が俺を見た。

「せっかくのデートなんだ、たまには昔みたいに呼んでくれよ。」

そう言って、笑った。

「はいはい、分りましたよ。彩さん。」

「よーし、それじゃあ、やるか。」

塾長・・・もとい彩さんの家系では、今でいうオッドアイと呼ばれる瞳をもって生まれるのだそうだ。ただ、彩さんはその瞳が嫌いだから、いっつも相手には瞳の見えない変な丸渕メガネをつけている。

 俺の選んだ熊のキャラクターが開始十秒も持たずにタコ殴りに合って、ノックアウト、おそらく、彩さんは、向こう側でにやにや笑っていることだろう。

 二戦目も、同じく十秒と持たずにノックアウト、これじゃあ、ただのサンドバックだ。

「もおー、セツ君は、相変わらずゲームが弱いな。」

彩さんは、笑った。優しく笑ってた。まるで、本当の母親のように。彩さんは人前ではメガネかカラーコンタクトをつけて接するけど、俺の家族にはそうしない。何でも、生まれて初めて目が綺麗だといわれてたのが、うちの母親だったのだそうだ。

「よし、次はあれだな。レースゲームをやろう。」

瞳を綺麗だといわれてから、うちと両親と彩さんの関係は深まった。正直研究の方では、彩さんがうちの両親の何倍も成果を上げており、頭の上がらない状態だったらしいのだけれど、日常生活などで、彩さんはうちの両親にかなりお世話になったのだそうだ。

「はは、セツ君は、レーシングゲームも弱いなっ。」

「いや、俺が弱いんじゃなくて、彩さんが強すぎるだけですよ。」

「まっ、私は天才だからね。」

「あー、はいはい。」

「あー、昔は佳織さんにこうやっていろんなところに連れて行ってもらったな。」

「えー、母さん、ゲーセンは来ないでしょ?」

「ああ、ゲーセンはいかなかったな。でも、本当にいろいろなところに連れてってもらって、いろんなことを教えてもらったよ。」

彩さんの家庭は、どうやら特殊な環境だったらしくて、両親に会うまで、日常的な生活をほとんど知らなかったのだそうだ。

「ほんとはもっと、一緒にいたかったな・・・。」

「そうですね。」

そんな俺の両親も、俺が中学に上がる前に、実験中の事故で亡くなった。

「よし、そろそろ、ゲーセンも飽きたし、外に出ようか?」

そう言って、彩さんに連れられて外に出た。

 外に出る瞬間、外の光がまぶしくて、俺は目を細めた。暗い世界からいきなり明るい世界に出てきてしまったせいで、普通以上に景色が白く見える。まるで、ふわふわ浮いた夢の中のように俺は感じてしまった。

 彩さんは、近くの広場のベンチに座って、俺に隣に座れとジェスチャーしてくる。近くで、おじさんが餌をやっているためか、たくさんのハトがいた。

「セツ君は、塾講師は楽しいかい?」

まるで、母親みたいなことを言ってくるけど、両親を亡くして、親戚中をたらい回しにされそうになってたとこを彩さんに引き取ってもらったので、実際、俺と妹にとってこの人は、二人目の母親みたいなものだった。

「ええ、思ってたより楽しいですよ。だから、意外と彩さんには感謝しているのかもしれません。」

「むむ?意外とは失敬だな。」

でも、引き取ってもらったとは言っても、ぶっちゃけ彩さんは家事全般が全くできないダメ人間だったので、実際は俺や妹が面倒を見てたという方が、正しいのかもしれない。

「まあ、色々な奇行に付き合わされてきましたからね。何度勘当しようと思ったことか。」

「そう言われると、傷つくなぁ。」

全く傷ついたそぶりを見せずに、彩さんはそう言った。彩さんとずっと一緒にいたけど、一度も彩さんの本心を垣間見たことはないような気がする。この人が怒ったところを、俺は見たことがないし、泣いたところも見たことがない。いつも、にやにやと笑ってばかりだ。でもなぜか、この人が俺たち兄妹のことを大切に思っていることだけは、知ってる。

「セツ君は、ニート達を更生させようとする今回のプロジェクトには、実際のところ賛成かい?それとも反対かい?」

「やってみないと、正直何とも言えないなぁというのが俺の意見です。でも・・・」

「でも?」

「このたくらみが成功すれば、もしかすると妹があの部屋から出てきてくれるんじゃないかという期待はありますね。」

「・・・・・・・そうか。」

彩さんは悲しそうに笑う。

「なあ。」

「どうしたんです?」

「優しいぬるま湯で満たされた虚構の世界と、冷たくて残酷な砂ぼこりで満ちた現実。人が生きるには、どちらの方が幸せなのだろうね?」

「うーん、どうなんでしょう。」

「もし、セツ君なら、優しい嘘なら、ついていてほしいと思うかい?それとも、残酷なことだとしても、ちゃんと真実を知りたいと・・・思うかい?」

質問の意図することはよくわからないけど、それでも考えてみる。おそらくこの質問は、彩さんにとって大事なことなんだろうなと思ったからだ。

 彩さんは、基本自分が楽しいと思うこと以外で無駄なことをしない。だから、デートと銘打って俺をここに呼んだのは、この質問をするためだったのでは、ないだろうか?

 俺は、そんな風に思った。だから、

「俺だったら、真実を知りたいと思いますね。冷たくても、残酷でも、虚構の中にその人の居場所があるとは思えませんから。」

俺なりにちゃんと質問に答えた。妹に、あの部屋から出てきてほしいのは、俺の本心だ。

「・・・・そうか。」

気づけば、夕暮れ。沈みかけの太陽が頑張って世界を照らしているけど、どうしても寂しさを覚えてしまう、そんな時間。昼前にはのんびりと時間を過ごす人が多かったのに、今は家路を急ぐ人で溢れている。

 彩さんはぼんやりと帰り道を急ぐ人を眺めていた。その先には、楽しそうに笑う家族の姿もあった。

 その横顔は、母親とは思えないぐらい若いのに、なぜか少しだけ、母親のように見えた。

「・・・、久々に家に来ませんか?」

寂しそうに雑踏を眺める彩さんをこれ以上眺めていたくなくて、俺はこんな提案をした。

「セツ君の家かい?」

彩さんが振り返る。

「ええ、久々に一緒にご飯を食べましょうよ。」

「ああ・・・そうだね。」

彩さんは、ためらいながらもそう言った。


 俺が、ちゃんと成人して以来、彩さんはほとんどこの家に上がっていない。食えるようになったのだから、私は必要ないだろうと、あの頃の彩さんは言っていた。

「いや―久々だなー。」

「そうですね。」

久々に家で明るい会話をした。それが、ちょっとだけ嬉しい。

「おっと、この壁の焦げ跡、まだ残ってるんだな。」

「ああ、あの時は、本当に大変でしたよ。っていうか、その犯人・・・彩さんじゃなかったでしたっけ?」

「悪いが、都合の悪いことは、忘れる主義だ。」

まあ、それが・・・彩さんらしいけども・・・

「えっと、スーパーの食材冷蔵庫に入れるんで、先に、ソファーにでも座っててください。」

「ああ、そうさせてもらうよ。」

そうして、冷蔵庫に帰り際に買った食材を入れていく、・・・と、何故か背後で着崩れする音。・・・・・もしかして・・・

振り向くと、案の定、下着姿の彩さんがいた。

「もー、昔っから、家でもちゃんと服着てくださいって言ってるじゃないですか。」

「そんなかたいこと言うなよ、家族みたいなもんだし、別にいいだろ?」

この人は、昔からこうだ。家に帰れば、服を着るのがめんどくさいとか言って、服をそこらへんに投げる。しかも、自分では洗濯をしない。

「ちゃんと今は、家事とかできてるんですか?」

「失敬だなー、洗濯ぐらい、できるようになったさ。」

メガネを取った彩さんというのは実際のところなかなか美人だ。おそらく、この姿を見せれば、結婚なんてすぐできるだろうに、この人はそういうことをしない。

 興味がないのか、それとも・・・

 彩さんと一緒に、食卓を囲む、ちゃんと妹の花蓮の分も作っておいた。あとで冷蔵庫に入れておこう。

「ああ、そういえば、彩さんからもらってるビタミン剤、そろそろ切れそうなんですよ。また、追加分もらえますか?」

「・・・ああ、悪いけど、ビタミン剤はちょっと在庫を切らしていてね・・・・、すぐには新しいのは渡せそうにないな。」

あのビタミン剤の出どこは、彩さんの所属している研究所らしく(っていうか、そんなものを一般の人に飲ませてよいのだろうか?)彩さんが出せないのなら、出せないのだろう。

「あ・・・そうなんですか。もしかして、結構貴重なものなんですか?」

「まあね、不死鳥の羽根とか使ってるからね。」

「いや、あんた死者でもよみがえらせようとしてるのか?」

「ふっふっふ、今更気づいたのかい?君は実は、偉大な計画の実験台だったのだ。フハッハッハッハ・・・。」

「・・・はいはい。」

「最近、セツ君また私に対する風当たりが強くなったよね。」

そんな感じで、しばしの間、二人で談笑に花咲かせた。

 昔の思い出話は、いつまでも色あせることなく二人の間で残っていて、それを実感できるというのは、寂しくもあり、嬉しいものだとも思う。

「佳織さんが亡くなったとき、君たちを引き取って育てたこと、私は後悔などしてないよ。」

突然、彩さんは、そんなことを言い出した。

「でも、私のやってきたことは間違いだらけだったのかもしれないな。」

「まあ、家事とか、全然できませんでしたもんね。」

「・・・・・。」

彩さんは、返答をしなかった。その顔はいつものにやけ顔ではない。その瞳が、言いたいのはそう言うことではないと、言っていた。

「もし、君が事の真相にたどり着いた時、きっと私のことを許しはしないのだろうな。」

なんだ、この突然の展開と思いつつ、何となく、このような展開が来るような予感もあった。

「・・・俺に隠し事でもあるんですか?」

彩さんは自嘲気味に笑った。

「この世は、隠し事だらけさ。」

俺は聞いてみることにした。

「双葉さんに会った時、妹が小説を書いていることを知らされたんです。でも、俺は・・・何も知らなかった。」

「・・・・・。」

「彩さんは知ってたんですか?」

「・・・・・。」

彩さんは、何も答えない。

ただ、悲しそうに俺を見ていた。長年彩さんとは一緒に過ごしてきたけど、初めて見せる表情だった。

「きっと、真実を告げたら・・・」

沈黙

「この優しい空間は・・・なくなってしまうのだろうな・・・」

沈黙

彩さんがこちらを見てる。悲しそうな顔で・・・

「・・・お願いだ・・・その質問の回答は保留にさせてくれないか?・・・あと少しだけ・・・私は、君にとってちょっとおかしくて・・・優しい・・・私でいたいんだ。」

それは、これ以上聞いてくるなという意思表示。俺は、はぐらかされた真実を追求しようとも思って、でも悲しそうなその顔が、もっと悲しくなってしまうことを恐れてしまって、

「分かりました。」

結局、あの悲しそうな顔の理由がわからないまま、口つぐんだ。彩さんはそのあと帰っていった。


――日曜日、正午

 何週間か経った日曜日の正午、俺は今日も双葉さんと共にギャルゲーシナリオの作成に追われていた。今日も今日とて、双葉さんと一緒に執筆を行ってる。変わったことといえば、最初はお互いに向き合って座っていたのが、今は隣同士で座っていることだろうか?

 隣同士というのは、なんだか不思議な距離感だなと思う。物理的な意味では近いともいえるし、目が合うことが少なくなるということを意識してみれば、遠い距離でもあるような気がしてくる。

 手を伸ばせばすぐに届いてしまう距離でもあり、ちょっと目を離した瞬間にはいなくなってしまうような、焦燥感を覚えてしまう距離でもあった。

 この遠すぎず、近すぎない距離感は意外と悪くない。別に相手の顔が見えないから、変に気を使う必要もないし、指が疲れたときは、遠慮なく腕を伸ばすことだってできてしまう。だから、この距離感は・・・意外と心地いいものだ。

 俺が左に座って双葉さんは右に座る。俺が右利き、双葉さんが左利きなので、二人がペンを持つと、対称的な絵になる。何となく、ベーシストは左利きの方が見栄えがいいというのを思い出した。

俺が書いたシナリオを隣にいる双葉さんが、赤ペンで修正していく。なんだか、このあり方は俺を懐かしい感情にさせる。なぜだか、俺たち二人は、上手く型にはまっているというか、本来の在り方を取り戻したというか、そんな感じを俺に覚えさせたのだ。

 二人は、何もしゃべらない。ただ、ペンが原稿の上を走る音だけが聞こえる。

 音が重なれば重なるほどに二人を隔てていた距離が限りなく近づき、二人の見ているものが一つになる。

 横を見ると、双葉さんは笑っていた。

 ほとんどしゃべらないと思っていた双葉さんは、やっぱりあまりしゃべる人じゃなかったけど・・・・・、でも、思ってた以上に・・・よく笑う人だった。

 ただのつまらない、この単調な作業にどのような面白さがあるのかと、きっとほかの人なら思うのだと思うのだけれど、不思議と俺は彼女の見えている面白さに共感ができるような気がした。

 時間が経ち、しばしの休憩に入る。時計を見ると、三時を指している。

「今日は、あの薬飲まないの?」

「え?ああ・・・・ビタミン剤のこと?」

「そう。」

「なんか、在庫が切れているとかで、最近は飲めてないんだ。」

「そう。」

双葉さんは、二言で返した。

「・・・紅茶のお替りください。」

通りかかった、店主さんに双葉さんが声をかける。

「あっはい!紅茶のお替りですね!」

今日もエルフを彷彿させる店主さんに紅茶のお替りを頼んでいた(ちなみにだが、この店の名前は『クロの店』というらしい。なんだか、秋葉原にあった古本屋を彷彿させる名前だ。)。

 場の仕切り直しだとでも言わんばかりに、頼まれていた紅茶が目の前に置かれる。+

双葉さんは、砂糖を入れることなく、それを口に運んだ。

「砂糖、入れないの?」

ツインテールをしているから偏見でも湧いてしまったのだろうか?砂糖を入れない彼女がひどく不自然に思えた。

 コトッとカップの置く音が聞こえる。

「昔、私の親友に、からかわれたから・・・ストレートで飲むことにしてるの。」

言い方が、ぶっきらぼうなもんだから、怒ってるのかと思ったけど、意外なことに静かに笑いながら、双葉さんは言った。

「そうなんだ。」

 でも、何だかその笑顔は寂しそうだなって思った。

 寂しそうな笑顔、見えてこない、何か・・・・・何故だか、その二つは繋がっているような気がしてならない。

 そして、その原因の中心には、何故か自分がいるような気がした。

「ねぇ。」

「何?」

「双葉さんにとって、俺の妹はどんな存在なの?」

双葉さんは、俺の目を見た。まっすぐな瞳だなと思った。

 数秒の間見つめあう。

「そろそろ・・・・頃合いなのかもね。」

「頃合い?」

双葉さんは、何も言わずに今度はカバンを漁りだした。取り出したのは、あの本。

妹の名前が表紙に載っている、あのライトノベルだった。

「あなたが、思い出したいと思うのなら・・・・・読んで。」

俺は、その本を手に取った。やっぱり、少しだけ手が震えた。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

そのライトノベルは、この一文で始まった。


「きっと世界は、愛することを捨ててしまったから、こんなにも曖昧に見えてしまうんでしょうね?」

恋の本質なんて誰にも分るものではないけれど、それでも、世界は恋というものを忘れてしまったらしいのです。

 その人は悲しそうにそう言います。でも、自分は女神だから、きっと誰かに本当の恋をさせてみたいのだそうです。でも、現状女神様は力を失っていて、恋愛を成就させるためには、主人公君の力がどうしても必要なのだそうです。

 正直に言ってしまいますと、主人公君にとって、別にその子の言うことなんてものはどうでもよかったのだと思います。でも、主人公君にはその目が見に協力するだけの理由があったことも事実でした。というのも、その当時主人公君には恋心を抱く女の子がいたのです。

主人公君は目の前で自分は女神だと言い張る、その人のことを本当に女神だとは思っていなかったのですけれど、自分の恋愛の手伝いをしてくれるということを条件に、その子のお手伝いをすることになりました。

でも、主人公君の抱いていた恋心は、だんだんと薄れていってしまうのでした。現実の恋は、決して綺麗ではありませんでしたので、主人公君は女神様の手伝いをする度に、自分やみんなの恋心の奥底にある醜さみたいなものに気づき始めてしまったのです。そして、その恋心はある日霧散してしまうのです。

主人公君は見てしまうのでした、好きな女の子がお金目的で他の人と交際している現場を。主人公君は自嘲的に笑いました。

「俺の好きは、結局本当の好きじゃなかった・・・。お金で体を売ってるってだけで、こんなにも・・・気持ちが冷めてしまう・・・なんて・・・。」

女神様も泣きそうな顔で主人公君の話を聞いてました。

「なあ、あんたが本当の女神様なら教えてくれよ・・・この世界に本当に好きだっていう感情は存在するのかな?」

女神様はやっぱり泣きそうな顔で、ぽつりと言うのです。

「私にも・・・分からないよ。」

言葉では分からいから、女神様は主人公君を抱きしめました。

「こんな女神様で・・・・・・ごめんね。」

女神様が力を失ってる理由、それは女神様自身が、恋というものを信じられなくなってるから起こっているのでした。


その後も主人公君と、女神様の誰かを助ける行為は続けられました。

 誰かを助ければ、助けるほどに二人の距離も近づいていきました。主人公君はだんだんと女神様に好意を抱くようになっていったのです。そして、女神様もまた、主人公君を好きになっていくのでした。

 ですが、女神様が主人公君のことを好きになればなるほど、好きっていう感情が分かればわかるほどに、本来あった力みたいなものを取り戻していきます。

 それは、嬉しいことでもあるのですが、本来女神様や神様は人々からは目視できない神聖な者。力を取り戻せば取り戻すほど、女神様は誰からも見えなくなっていくのでした。

 今や、女神様の存在を認知できるのは主人公君だけ。でも、主人公君にも見えなくなるのは、時間の問題でしょう。

 そんなある日、消えてしまいそうなわずかな時間、女神様は言います。

「もし、私がよぼよぼのおばあさんになっても、あなたは私のことを好きでいてくれますか?」

主人公君は、まっすぐと女神様を見ながら答えます。

「はい。」

「もし、私とあなたがけんかをしてしまっても、心の底では私のことを好きだって思ってくれますか?」

「はい。」

「もし、私が人間じゃなくて、いつかあなたの心の中から消えてしまうとしても、私のことを好きだといってくれますか?」

「はい。」

「・・・・・よかった。」

女神様は、泣きそうな声で笑います。

「あなたに出会えて、良かった。私のことを好きだといってくれる人がいてよかった。」

女神様が近づいてきます。あと少し近づけば、キスできてしまう距離。

「私も誰かを好きになることができて・・・・・本当に良かった。」

女神様と主人公君は優しく口づけしました。でも、次の瞬間には、女神様は完全にいなくなってて、主人公君も女神様の存在を忘れてしまうのでした。

 残ったのは、不思議と止まらない、両目からあふれる涙だけ。

おしまい。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「どおして?」

ぽつりと、そんな本音が漏れた。

 間違いなく、俺がこの物語を見るのは、初めてのはずなのに・・・・・

「俺は・・・この物語を知ってる。」

もちろん、アニメ化や実写化なんてされてない、この小説を俺が知っているなんてことはあり得ない。

「そう・・・でしょうね。」

双葉さんは、それが当然の結果であるようにそう答えた。

目の前のこの子が知っている事実。何かが崩れて少しずつピースがはまっていく感覚。それは・・・・知ることができればいいなんて、優しいものじゃなくて、きっと、今すぐにでも思い出さなきゃならない・・・・・大切な何かだ。

「ねぇ。」

「・・・・」

「君は・・・何を知っているの?」

俺は、双葉さんを見る。

双葉さんも、こちらを見てた。

彼女はぎゅっと唇をかんでた。怒ってるっていうよりも、理不尽何かをぶつけるような・・・そんな感情をこめて。

 彼女の目に大粒の涙が浮かんだ。見る見るうちにそれが溢れてきて、彼女のほほを伝う。双葉さんは、それをぬぐうこともせずに、ずっとこっちを見てた。

「・・・・・全部だよ。」

彼女はそうつぶやいて、カバンを持って走り去った。

俺は、それを追うこともできずに、冷めてしまった飲みかけのコーヒーをぼんやりと眺めてた。


――月曜日、午前

このプロジェクトが始まってからの、俺の日常はかなり変わった。平日は、夕方までプロジェクトで使うための指導案の作成と会議が行われ、夕方からは塾の講義が始まる。土曜が唯一のオフ日で、日曜は双葉さんと、ギャルゲーのシナリオ作成が待っている。

 今触れたように、このプロジェクトが始まってからも、塾の講義は平常運転なのだ。今日も、皆に指導をしていく。でも、正直心ここにあらずといった感じで、講義に集中できなかった。

 頭の中で、永遠と繰り返される、物語の邂逅・・・・・どうして、俺はあの物語を知っていたのだろうか?

妹が執筆活動を行っていたことさえも知らなかったのに・・・・・。

 今でも、物語の詳細を鮮明に思い出すことができた。理由は・・・・・今もわからない。

 授業の終わり、生徒が嬉しそうに学校で行われたというテストの結果を伝えに来た。

 その用紙の、点数の欄には三桁の数字が書かれてあって、その子はその点数を取るのが生まれて初めてだったようで、本当にうれしそうに笑ってた。

 生徒のこういった笑顔を見るのは好きだ。塾講師をやってて、良かったなと思う。

 目の前で笑ってくるこの子も、きっといつかはばたく日が来るのだろう?その時、一体、どのような羽ばたき方をするのだろうか?

 この小さな塾で講師をやっている俺には・・・分からない。もしかすると、大きな仕事に就くのかもしれないし、部屋から出られずに・・・一生を終えるのかもしれない。

 決めるのは、本人にしか・・・できないのだから。

 でも、間違いなく、その時のその子は笑顔だった。


 帰り際、家にはすぐに帰らずに海を見ていた。太平洋だとか大きな海を見ていると、その果てしない光景に、何だか少し寂しさを覚えてしまう。

 東京湾をつなぐ橋が遠めに見えた。あの橋をつなぐ工事は、きっと大事業だったに違いない。でも、橋ができたおかげで、その土地に住む人々の日常は大きく様変わりしたのかもしれない。

 橋を作るのに携わった人は、どんな気持ちであれを作ったのだろうか?橋が完成することを前向きにとらえることができたのだろうか?

 橋ができたことで不利益を高じた人も中に入るだろうけど、でもやっぱり多くの人は、あの橋ができたこと、感謝しているに違いない。

 だから、今やってるプロジェクトが観衆にさらされたとき、俺たちに感謝してくれる人もきっと出てくるはずだ。

 きっと、そのおかげで人生が変わったという人も・・・・出てくるはず・・・・

 もしかすると・・・・その中には妹もいるのかもしれない。

 だから、俺はこの物語をちゃんと完結させてあげたいのだ。


――月曜、夜

気が付くと、無我夢中でシナリオを書いてた。この先に・・・望むものがあるなら、俺はそれを見てみたい。きっとその時には、胸の中にあるもやもやも晴れているはずだから・・・・。

シナリオの完成は、もう間もなくだ。



















手紙4


妹へ


花蓮、どうしてだろう?俺の知らないところで、何かがずれているような気がしてならないと思うんだ。


 俺が、おかしいんだろうか?


 花蓮が書いたはずの小説・・・・なぜか読んだことないのに、内容を知ってるんだ。


なあ、花蓮は、何か知ってるのか?



今日も今日とて働く兄ちゃんより


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


兄さんへ




そう、小説・・・読んじゃったんだね。


ねえ、兄さんは真実を・・・知りたい?


私は・・・・・きっと・・・・このままでいたい。


でも・・・・・覚悟はできてるよ。




今日も今日とて引きこもりの妹より


――月曜、午後

俺と三条さんは、今日も指導案の作成を行っている。

 双葉さんは、今日は休みのようだった。

「うーん、やっぱり数学の指導案は難しいですね。」

「うーん、そうだな。」

やはり、数学の授業にキャラクター的な要素を取り入れるというのは難しい問題だった。立花先生や塾長の指導案を前に見せてもらったのだけれど、二人の指導案には上手いことキャラクター達を授業の中に組み込むことができていた。それが、ひどく俺に重圧となっていた。

「一つ、教師役をキャラクターに行わせる以外に、キャラを上手く使う方法がある。」

三条さんは、そのようなことを言い出した。

「というと?」

「報酬として、彼らを用いることだ。例えば、授業の最後にテストを設け、それに対していい成果を上げたものには、アニメのイラストの描かれたタペストリーを渡すなどすればいい。」

「なるほど、褒美として、キャラクターを使うんですね。」

「そういうこと。」

確かに、良い結果を出せばご褒美がもらえるとなると、人はやる気になることだろう。ただ、それは主体的に授業を受けているとは言い難い。

 モチベーション、つまり動機付けには二つの種類がある。責任や罰則、周りのプレッシャーなど、本人の気持ちとは別に彼らを行動させる動機付け、そして、本人自身がそれを行いたいと思うことが、行動する根源になっている動機付け。教育の世界では、後者が優れていると言われている。

 いわゆるゆとり教育でも、後者の言うところの主体的な動機付けを生徒たちに持ってもらうことを一つの目標としていたところがある。報酬による動機付け、これはほとんどの場合前者にあてはめられる。つまり自分のやりたいという気持ちを伴うことなく、学習に臨むことになってしまうのだ。

「脱、ゆとり宣言・・・か。」

俺は、その一言が出た。

「・・・・ずいぶんと懐かしい言葉だな。」

「やはり、文科省に勤めていると・・・いやでも耳にする言葉ですよね。」

「ああ・・・・というよりも、・・・その宣言を行ったのが・・・祖父なのだ。」

「え?・・・そうなんですか?」

「ああ、祖父は、もともと・・・ゆとり教育の在り方に疑問を示していた。ゲームなどの娯楽文化が発達しすぎた現代においては、主体的に勉学に取り組むというのは、もはや机上の空論でしかないと、訴えていたのだ。」

「あの頃、ニュースになっていましたよね。」

「ああ、教育業界では、今までの教育の在り方を見直し、受験でよい結果を残すことを目的としたカリキュラムが組まれることとなった・・・でも・・・」

「その結果、ドロップアウトする生徒たちが急増した。」

「・・・そうだ。」

教育の在り方は、結局のところ、一長一短である。ゆとり教育にはゆとり教育の良さが、詰め込み式の教育にはその教育の良さがある。そして、それと同じく悪いところもある。

「私自身、かなりスパルタな教育を施されたよ。」

三条さんは、苦笑いを浮かべる。

「でも、そのおかげで、今の地位があるのでは?」

「まあ、そうだともいえるのだけれども・・・。でも、私は祖父のやり方には反対だ。」

「どうしてですか?」

「だって、上に行くことだけが・・・人生じゃないだろ?」

「うーん、そんなものですかね?」

じゃあ、このプロジェクトでやろうとしていることは何なのだろうと思ってしまうのだけれど、正直なところ、俺自身にもそれは分からない。ニートたちを更生させて、彼らにはどのような未来が待ち受けているというのだろうか?


――木曜、午前

 立花浅葱という人物は、塾長ほどではないけれど、やっぱり変わった人だ。人気アイドルだったのに、それを辞めて塾講師をしているというだけでも、それは分かってもらえるのではないだろうか?

 そんな変わり者のこの人は度々、俺を誘っては何故か本屋に足を運ぶ。なぜか彼女は、本屋に向かうことを、友達とどこかに遊びに行くことと同列に扱っている節があるのだ。今日は、会議が午後からになったということもあり、久々に二人で本屋に足を運ぶことになったのだが・・・


立花先生は、時々こちらを振り返っては、小説の感想を言ってくる。そこには多分にネタバレを含んでいて、聞く人によっては、激怒するに違いないけど、俺はそんなに小説に興味がなかったので、いつも適当に言葉を返してる。

立花先生は、俺のリアクションにいちいち、喜んでくれて、まるで世界を知らない子供のように見えた。

立花先生は、小説を何冊か買うと、いつも行く喫茶店に立ち寄る。

今日も、エルフを彷彿させる店主さんがいそいそと働いていた。余談だが、この店「クロの店」という名前らしい。

目の前には、あったかそうなコーヒーと、ニコニコと笑う元アイドルがいる。

「で、シナリオの方は・・・どうですかっ?」

今日も、男を悩殺するであろう優しさスマイルでそう聞いてくる。

「ええ、もうすぐ完成しそうです。」

「やー、それはよかったですっ。」

「でも、ギャルゲー業界って、ゲーム業界の中では不遇なポジションにあるって聞いたことがあるので、どうなるんでしょう?」

「うーん、そうですね。アドバイスになるか分かんないですけど、私、アイドルとして活動してた時に思ったことがあるんです。」

「何をですか?」

「むなしいなあって。どれだけ気持ちを込めて歌ってみても、どうしても現実世界で、満足する何かに・・・巡り合えなかった。歌えば歌うほどに・・・世界のほとんどが嘘っぽく見えてしまった。おかしなものですよね、皆を笑顔にすればするほど、それを嘘っぽいなと感じてしまう自分がいるんですから・・・。正直、嘘っぽい世界で、ありもしない、心と正反対の自分を演じるのは、苦痛でしかなかったんです。」

一拍、

「恋にしたって、青春にしたって、何か嘘っぽい。私はずっとそこから抜け出せる何かを探してたんです。そんなときにあの和歌に出会った。」

「和歌ですか?」

立花先生は、一息すって、


君待つと わが恋ひをれば 我がやどの


        簾動かし 秋の風吹く


聞いたことのない和歌だ。でもなんだか、寂しさの漂う和歌だなって思った。

「その和歌を詠んだ時、なぜだかはじめて本物に触れたような気がしたんです。私には帰りを待つ恋人の姿が、鮮明に映った。それは今まで味わったことのない感覚でした。私には目に見えている現実ではなく、文字の中に・・・・本物があるような気がした。」

「だから、国語の講師になったんですか?」

「そうです。・・・それで、土屋先生の問いかけに対してなんですけど、確かに小説など、文字が主体になるメディアって、一見映像が主体のメディアに劣ってると、思われがちです。」

「でも、立花先生はそう思わないと?」

「そうです。確かに瞬間瞬間で来る情報の量に関しては、映像作品には遠く及びません。

ですが、映像作品にも弱点はあります。」

「というと?」

「例えば、アニメの中で、どれだけ多くの表情を描けると思いますか?」

「表情の数ですか?」

「そうです。同じ表情に見えても、そこに本来ならば、同じ表情なんて存在はしない。例えば、怒りながらそれを隠すように笑う笑い。例えば、爆笑して涙を流す笑い。例えば、好きな人に告白を断られて、泣くのを隠そうと思って笑った笑い。例えば、子供が無邪気に笑う笑い。年寄りが悟りを開いたかのように笑う笑い。この世界には、表情一つとっても、様々なものがあります。でも、今の映像作品にどれだけそれを表現する力があるんでしょう。」

「・・・確かに。」

「おそらく、現実世界でも表情から相手の心理をすべて把握することなんて不可能です。でも、文字の世界ならできる。考えてみれば、私たちは文字を介して世界を認識しているんだから、思考にダイレクトにアプローチできる文字という媒介以上に物事を深く叙事できるツールなんてものは、存在しないんだと思います。まあ、ギャルゲーだと、イラストもつくので、情景描写など付きすぎてもいけないと思うんですけど・・・・。」

「・・・・・なるほど。」

「人の内面性や細かな描写では文字が勝っていると思うんです。・・・・・だから、」

そこで、立花先生はコーヒーを一服した。


立花先生は、何かを口にようとして、口をつぐんだ。そして、静かに笑みを携えると


「土屋先生の作ったギャルゲー・・・・楽しみにしてますよっ。」


そう言った。

 何を言いかけたのか、俺にはそのことを知ることはできない。


俺は、

「口調・・・・そっちの方が似合ってると思いますよ。」

そういうと・・・

「チッチッチッ、分ってないっすねー。今の時代、キャラ付けは重要なファクターなんっすよ?」

そう言って笑った。やっぱり、その笑顔は結構好きだなと思ってしまう自分がいた。

「それじゃあ、塾に向かいますか。」

「はい。」

俺と立花先生は連れ立って店を出た。


――木曜、午後

 今日も、いつもみたく、会議が行われていた。変わったことといえば、最近はお菓子がテーブルの上に並ばなくなったことだろうか?プロジェクトが進み、皆が主体的にこれに参加するようになった結果だろう。

「というわけで、ギャルゲーのシナリオも、完成が近づいてきたのだが、一つ重要なことを決め忘れていた。」

「と、言いますと?」

「ああ、プロジェクト名だ。本来最初に決めておくべきだったのだが、ここまで来るまでに、正直忘れていた。」

「ああ・・・確かに、ちゃんとついてなかったですねー。」

「うーん、プロジェクト名ねぇ、ニート更生計画でいいんじゃないんですか?」

「ダサ。」

グサッと心に突き刺さる。

「一応、若者にも受けるようなネーミングが好ましいな。」

「うーん、受ける名前・・・・ねぇ。」

「私は、このプロジェクトの特徴も含まれる名前がいいと思うよー。」

「うーん、特徴ねぇ・・・」

ニートに焦点を当ててること?それとも主体的にゲームを取り入れていることだろうか?

「学級がないこと・・・・」

その時、双葉さんがぽつりと言った。双葉さんが会議に口をはさむのは珍しいことだ。

「学級がない・・・・こと?」

「ああ・・・確かに。」

なるほど・・・確かに、そうだ。ニートたちの年齢層は様々、つまりは、クラス分けみたいなものは存在しない。

 そこで、学長が口をはさむ。

「もっと、アグレッシブに、学級崩壊というのはどうかねー。」

何とも、攻撃的だ。でも、確かにその言葉はわりかし的を得ている。ただ、あと一押しが欲しいような気がした。

学級でGQ、崩壊の頭文字でH、うーん、GQHじゃあ、しっくりこないけど、GQH・・・何かそれと似たような単語を日本史で習ったような・・・

 その言葉は、なんとなしに出てきた・・・

「・・・・GHQ」

「・・・・え?」

 戦前の日本社会を壊し、戦後の日本社会の基礎を作ったもの。

「GHQプロジェクト・・・・・・なんて・・・どうでしょう。」

今度は、皆に聞こえるように言った。皆が俺を見る。塾長は、いつもみたくにやりと笑った。

「なるほどーGHQか、いいねーそれー。」

学長は賛成のようだ。

「うむ、QとHを逆転させたというのも、崩壊って感じがしていいな。」

三条さんも賛成。

「私もありだなーと思います!」

立花先生もどうやらOKサインの様子。

「・・・・・賛成。」

「うん、反対意見もなさそうだし、この名前でいくか!」

とまぁ、そんな感じで我らのプロジェクト名が決まったのだった。

 GHQ(学級崩壊プロジェクト)、何とも、物騒なネーミングだけれど、ニートたちを部屋から出すには、このくらいの意気込みは最低限・・・必要なのかもしれない。


――日曜日、午後

ついに・・・この時がやってきた・・・。

「・・・完成した・・・ね。」

「うん・・・完成・・・した。」


「なるほど、・・・こういう終わり方か。」

そういった。俺の方を見て意見を言ってくれるかと思いきや、彼女はカバンから今まで完成したシナリオを合わせて、再度読み始めた。

 一時間ほど、彼女は俺を放置したまま、シナリオを読み漁っていた。彼女は、俺のシナリオを添削することを忘れて、完全な一人の読者となり果てていた。そして、再度読み終わった後、やっと俺の顔を見た。

「私からも・・・、土屋に見せたいものがある。」

双葉さんは、そう言って俺にイラストを見せた。

 初めて彼女のイラストを見たのだが・・・・そのイラストを見て、息をのんだ。

 そのイラストは・・・生きていた。

 ヒロインの女の子が、雨と戯れているワンシーン。シナリオでは、書ききれないこと細やかな情景が・・・そこに描かれていた。

 雨という悲しみの象徴の中で、その子は笑っていた。その表情としぐさから、その子の内面に抱く心情が事細かに伝わってくる。

 まるで、自分自身がその子であるように。

 その絵は、単純にきれいだとか上手いでは語れない。絵のタッチが優しいとか塗りが細かいとか、そういったことではないのだ。写実的な要素を入れたタッチに、時折印象画家を思わせるような色を混ぜあわせて、彼女の内面を彩る。

 その子はやはり・・・生きていたのだ。

 画用紙という平面に束縛された世界であっても・・・・その子の脈動が伝わってくる。

 一人異国の世界で過ごす寂しさと、雨の中に感じる不思議な温もり、孤独の先で見つけたほんのひと時の優しさと、彼女は戯れていた。

 シナリオでは、数ページで終わってしまうようなワンシーンに、本一冊では語りきれないような、感情の揺らぎを・・・その絵は綺麗に表現して・・・その絵は、決してライトノベルの挿絵として使われるような絵では・・・なかった。

「すごい・・・。」

俺の口からは・・・そんな一言しか・・・出てこなかった。シンプルだけど、それが俺の素直な・・・気持だった。

「ありがとう。」

双葉さんは、シンプルな返答を返してきただけだった。

 もう、俺のシナリオがどうだとか、そんなことはどうでもいいなんて思っている自分だがいた。

「このシナリオの修正が終わったら、私たちの仕事も終わっちゃうんだね・・・。」

双葉さんは、そんなことを言う。

「そうなるな・・・。」

こればっかりはどうしようもない。もともと、そういう内容の仕事だったのだ。ほんの数カ月の出来事。それもこうやって面と向かって作業をするのなんて、日曜ぐらいだったのだ、双葉さんと一緒に過ごした時間は驚くほど、少ない。

「なあ。」

「・・・なに?」

「最後に、双葉さんが知ってること・・・教えてくれないか?」

そういうと、彼女は悲しそうに首を横に振った。

「私の口からは・・・言えない。」

「・・・そうか。」

「・・・でも、ヒントはあげる。」

「・・・・?」

「高校時代の・・・・・アルバムを見て。」

双葉さんは、そういうと、立ち上がった。

「じゃあね、土屋。」

そう言い残して、喫茶店を出ていった。

 数日後、本当に完成したシナリオとギャルゲーに使われるイラストがメールで塾に届けられることになる。


――日曜、夜

 「えーっと、どこにあったっけ・・・?」

俺は、一人押し入れの中で格闘していた。もちろん、高校時代のアルバムを探すためだ。

「うーん、自分のアルバムなのに・・・どこに入れたのか・・・分からないとは・・・。」

さっきから、何だか妙な胸騒ぎがする。

 ちょっとずつ、真相に近づいている感覚が、妙に居心地悪いのだ・・・

「あった・・・。」

押し入れの奥、二度と人目に触れられることがないかのような奥底においてある段ボールの中に、それはあった。

高校時代の・・・思い出のそれ・・・

でも・・・どうしてだろう?

手に取った、その拍子に書いてある・・・学校名に・・・全く見覚えがないのだ。

「・・・・・どうして?」

今度は、口に出して・・・漏れた・・・

何度ページをめくっても・・・何度ページをめくっても・・・

俺の中にあるはずの、高校時代の記憶は、蘇ってこない。

高校時代の、自分の写っている写真は出てくるのだ。でも・・・

高校時代の担任だったという先生も、同じ時間を過ごしたはずのクラスメイトも、誰一人、俺の頭の中の記憶にはない顔ばかり・・・。

「そんなわけ・・・・」

俺は、必死に高校時代の記憶を呼び戻そうとした、修学旅行だとか、体育祭だとか、一つは思い出せていいはずの記憶は、


 ただの一つも・・・・思い出すことができなかった。


 俺の頭の中には、高校時代の記憶が、ただの一つとして・・・・存在していなかったのだ。

「・・・どうなってんだよ。」

俺にできるのは、ただそうやって・・・つぶやくことだけだった。


――土曜、午後・・・

「シナリオの完成・・・おめでとー。」

盛大にクラッカーの音が響いた。紙でできたひらひらが空中を舞っている。塾長や他のメンバーたちが嬉しそうに俺たちを祝福してくれてた。

 シナリオは、部分部分で、すでにゲーム会社に送っていたらしく、スクリプトの大半は、終わっているのだそうだ。

 イラストの挿入も終わり、後二、三週間ほどで完成するとのこと。つまり、このGHQプロジェクトの始まりの部分は終わったといっていい。

 今日は、それを祝っての飲み会となったわけだが・・・

 俺の心は、祝いの場とは正反対に沈んでいた。理由はあえて述べなくても察していただけるだろう。遠くで、皆の声が聞こえる。

「そういえば、このゲームどうやってニートの人たちにピンポイントで届けるんですかっ?」

――結局、俺は高校時代の記憶を思い出すことができなかった。でも、アルバムを眺めていて、気づいたことがある。

「ああ、それについては考えてあるらしいよー。浅葱ちゃんはGREED fantasyは、知っているかねー?」

――それは、二年生の後半から、俺の写っている写真が登場しなくなっていることだ。

「確か、今人気のソシャゲーですよね。」

――そして、自分の卒業証書も見つけることができなかったこと。つまり、俺は高校を卒業していない可能性が高いということになる。

「そうだ、そのソーシャルゲームで、ゲーム内時間が五百時間を超えていて、プレイ時間が昼夜関係なく行われているものを対象にゲームを配布することになってるらしい。」

――逆に中学生時代までの記憶は、ちゃんと思い出すことができた。つまり・・・

「なるほど、ゲーム時間でニートかどうかを見分けるんですね。」

――高校生の間に・・・・俺の身に何かが・・・起きたのだ。

「そういうことらしいね、そういう人物を対象に試作品とでも銘打って、ゲーム内で、ギャルゲーをメールで渡すことになってるそうだよー。」

俺は、パーティに参加しているメンバーを見た。パーティに参加しているもののうち、少なくとも塾長と、双葉さんは、高校時代、俺の身に何があったのかを知っているのではないだろうか。聞いてみるべきかどうか、悩んでいた、その時、

「いやー、土屋君もお疲れ様!」

三条さんが、俺の隣にドカッと座ってきた。お酒の匂いが強い。

 よく、小説とかで、性格が固めの上司が酒を飲んだ瞬間に性格が豹変するみたいなシーンを見たりするけど・・・この人の場合どうなのだろうか?

「ど・・・どうも。」

俺は三条さんの態度に押されてか、そんな返事しかできなかった。

「ギャルゲーのシナリオだけれど、正直、最初は素人の書いた文章だから、改稿を何回か繰り返したのち、没になるんじゃないかって思ってた。」

三条さんが笑いながら言う。いつもと比べて、ちょっと挑発的な表情だ。ただ、俺自身もその感想は抱いていたので正直に答える。

「実はそれ、俺も思ってました。俺みたいな素人の書いたもので、本当に良かったんですかね?」

うーん、っといった感じに思案する。お酒のせいで顔が赤い。

「正直なところは世に出してみないと分からないだろうな。まーでも、私は面白いなって思った。」

「本当ですか?」

「ああ、まあ、ちょっとシリアス寄りで、若干遊び手を選びそうだなって、印象を受けたけどね。」

「まぁ・・・確かに。」

それは俺自身も思ったことだ。

「でも、きっと知らない世界に異国の少女が一人で過ごすって・・・やっぱりシリアスな展開になっちゃうんじゃないんですかね。」

今回のギャルゲー外国の少女が日本にやってきたことから始まるのだが、やっぱり、そんな少女が簡単に周りに打ち解けられる図は、簡単には想像できなかった。

「うーん、まあ、確かにそうかもしれないね。」

三条さんも、ある程度俺の話に納得したようだった。

「きっと、自分だけ疎外されてしまうのって、けっこう・・・つらいことなんだと思うんです。」

「・・・そう・・・かもな。」

三条さんは、改めてこちらに向き直った。

「土屋さんも、感じたことあるか?自分だけが・・・世界から疎外されてしまう感覚。」

その言葉は、正直心にぐさりと刺さった。

「・・・・・変なことを言うようですけど、最近、何故か俺の見えている現実と、この世界が持っている、本当の姿は・・・若干違うのかもしれない・・・なんて・・・思ったりするんです。」

「・・・そうか。」

三条さんは、新しい缶ビールを開けて、グビっと飲み干す。

「君は・・・どこまで・・・たどり着いてるんだい?」

俺は、三条さんを見る。

 酔っている三条さんは、どういった意味で今の言葉を発言したのだろうか?

「さあ・・・・俺自身にもよくわからないです。」

三条さんは、酔った体をなしながら、次の言葉を放った。

「もしかすると、君が見ようとしている真実は・・・結構残酷なものなのかもしれない。」でも、と三条さんは言葉をつなげる。

「その真実の先で・・・君を待っている人も・・・きっといるはずだ。」

「えっと・・・それは・・・どういう?」

そう言いかけたとき、三条さんがにいっと笑った。この時、やっと三条さんが本当に酔っているんだと認識させられた。

「さあね。それ以上は自分で確かめた方がいい。」

そう言って、目をつむった。しばらくして、小さな寝息を立て始める。

好きだった女の子が、酔って醜態をさらしたために男からの好感度が下がるみたいなのは、よくあることだけど、寝息を立てながらこちらにもたれかかる三条さんは、それはそれで、絵になるなぁなんて俺は思った。

 とすると、今度は、双葉さんが隣に腰かけてきた。

周りを見渡すと、立花先生も、塾長も酔いつぶれて、机に突っ伏してる。

「・・・どうも。」

彼女の挨拶は、いつもシンプルだ。

「・・・どうも。」

俺も負けじと、シンプルな挨拶で返す。

「お酒・・・飲まないの?」

「うーん、あんまりお酒を飲みたい気分でもなくて・・・」

「・・・そう。」

「高校時代の・・・アルバム見たんだ。」

「・・・そう。・・・どうだった?」

「うーん、正直・・・よく分からなくなった。」

「まだ・・・思い出せてないんだ・・・。」

「なあ、俺って記憶喪失だったのか?」

「・・・どうなんだろうね。」

「・・・やっぱり・・・教えてくれないんだ。」

「私には、何が正しいのかなんて・・・分からないから。」

「・・・・・そっか。」

「でも、今の現状で、一番傷ついているのは、土屋じゃない。」

「じゃあ、誰なの?」

双葉さんは、俺の隣で幸せそうに眠る三条さんを見た。俺もつられてみる。

「きっと、土屋は・・・思い出した方がいい。真実を見て・・・そのうえで自分の感情に向き合えばいいんだと思う。」

「・・・思い出せるの?」

「うん、近々・・・全てを思い出すんだと思う。高校時代に・・・何があったのか・・・そして、知るんだと思う、このプロジェクトを三条さんが持ち込んだ理由を。」

どうやら、この企みには、双葉さん、塾長以外に三条さんも含まれているらしい。頭の中にある靄が晴れたとき、俺にはみんながどのように見えるのだろうか?

「さてとっ」

双葉さんは立ち上がった。

「短い間だったけど、あんたとのシナリオ作り、楽しかったよ。」

三条さんは笑った。蛍光灯に照らされた笑顔は、とてもかわいらしかった。

「そっか、双葉さんは、今日でプロジェクトから抜けてしまうのか。」

「まあ、私に頼まれていたのは、ギャルゲーのイラストだったからね。」

「そっか。そうだよな。」

「やっとこれで、他の仕事にもありつけるよ。」

「やっぱり、双葉さんって結構有名な絵描きなんだ。」

「まあ、そこそこね。」

何だか、ずっと双葉さんが隣にいるのが当たり前のように思ってしまっていたけど、そんなこと、あるはずもなく・・・

「願わくば・・・」

双葉さんは、まだこっちを見てた。照れたような表情で・・・

「いつか・・・私のことも・・・思い出してね・・・土屋。」

そんな言葉を言い残して、今度こそ双葉さんは、部屋を出ていった。



そして、一週間後にプロジェクトはスタートした。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



その日は、たくさんの雨が降っていた。でも、雨粒一つ一つはそんなに大きいわけではなくて、大量の雨ではあるんだけれど、それは優しい雨だった。

 そういう雨の日は傘をさすのがもったいないなと思ってしまうのは俺だけなのだろうか。よく恵みの雨なんて表現することがあるけど、そんな雨ならば傘なんかで遮断してしまわずに、全身で浴びてみたいと思うのは、別におかしなことではないように思える。だけど、皆が傘をさしているのに自分一人が傘をささずに歩くなんて度胸も持ち合わせてはいないのだから、俺は今日もしぶしぶといった感じで、皆に従っているのだった。

 だから、あの子を初めて見た時、感じたのは、綺麗だとかそういった感情ではなく、純粋なうらやましさだったのだろうと思う。

 横断歩道を渡った歩道橋の半ばで、その子はたたずんでいた。佇んでいたというよりも、雨と戯れていたという表現の方がぴったりくるだろうか?もちろん子供がはしゃぐみたいに動き回っていたというわけではない。ただ目をつむって、空を仰いでいたのだ。

 他の人からすれば、ただの変人だなんて思われたかもしれないけれど、俺にはその姿がうらやましく、そしてどこか神秘的に見えた。

 そこに、絵描きの人がいたならば、もしかすると、すぐに筆を取り出したかもしれない。それくらいに、俺の目から見えたその光景は・・・美しかった。

 でも、そんな彼女に嫉妬心があったのかもしれない。いや、単純に彼女が風邪をひいてしまうのを恐れたのかもしれない。

 俺は無意識のうちに彼女に傘を差しだしていた。

 その子は、自分の額に雨が当たらなくなったのを不思議に思ったのか、うっすらと目を開いて、こちらを見る。そして俺は気づいた。

 その子の目は青かった。

 雨と戯れていたその子は・・・日本人ではなかったのだ。

 その子は、不思議そうに首をかしげる。

 俺は、何だか恥ずかしくなって、

「濡れるといけないから。」

それだけ言うと、傘をその子に押し付けて、雨の中をかけだした。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



正直に言ってしまえば、このプロジェクトが成功するかどうかは、かなり厳しい問題であると思う。

おそらく、それはシナリオがどうこうで変わるという問題ではない。

 もし仮に、これが受験に追われる中高生だったら、話が違っただろう、嫌嫌させられる勉強と、楽しさを見出せる可能性を秘めた勉強。学生たちは、後者に飛びつくに違いない。退屈な学習に追われる彼らにとって、間違いなくこのプロジェクトは需要があるはずだ。  

対して、ニートたちはどうだろうか?

 彼らはすでに、多くのものを諦めた人間、そんな彼らが、更生につながる勉強というものにはたして興味を持つのだろうか?

 正直・・・厳しいところだろう・・・

 それは、そこに面白さを見出せたとしても・・・・変わりはしないのではないだろうか?

 いくら楽しさがあっても、それは勉学でしかないのだから。

 それでも、三条さんは、需要の望める学生たちではなく、ニートたちをプロジェクトの対象として選んだ。彼女は実益で物事を判断してこのプロジェクトを立ち上げてるわけではないのかもしれない。

俺は聞いた。

「正直、三条さんは本当にこのプロジェクトの行く末に、ニートたちの更生があると信じていますか?」

三条さんは、とうとうその質問が来たか、とでもいうようなしかめ面を作った。

「正直な本音を言うと・・・五分だと・・・考えている。」

「五分ですか?」

「ああ・・・。百パーセント成功するなんて思ってないが・・・百パーセント失敗するとも・・・・思っていない。土屋さんは・・・彼らが望んで部屋の中に引きこもっているんだと思うか?」

「いえ・・・そんなことはないと思いますけど。」

「そうだ。・・・自ら望んで、周りとの関係を自ら断ちたいと思う人間なんてそうそういるはずがない。実際に彼らの多くは、直接的なコミュニケーションを断ったとはいえ、インターネットを介して、誰かと関係を保っている。社会的な生物の私たちは、一人では生きてはいけないのだろうね。だから、彼らも人との関係を完全に断つことはできない。」

だから、と彼女は言葉をつなげる。

「彼らのほとんどは、そうならざるを得ない苦しみを味わったからそうしているだけで、きっと、心のどこかには、更生したいという気持ちを持ち合わせているんだと私は思っている。」

「そう・・・ですね。」

「これは、蜘蛛の糸なんだよ。」

「芥川龍之介・・・ですか。」

うん、と三条さんが頷く。

「そうだ。私たちにできるのは、本当に小さな可能性を提示することだけだ。本当に小さなとっかかりだけ・・・・。でも、零と一では、それでも意味合いが違う。可能性が少しでも生まれたならば、彼らは、あるべき日常に帰ってこられるかもしれない。少なくとも、勉学ができれば、その可能性は生まれる。」

「・・・。」

「私は見てみたい。虚構の中ではなく、現実の中で・・・・彼らが笑ってる姿を。」

そう言って笑う。まるで、勝率の全くない戦いにこれから挑む戦士みたいな笑みだ。

 三条さん自身も、この勝負が分の悪い戦いであるということを十分承知であるのだろう。でも、彼女は目をそらさない。

 勝率の少ない、小さな可能性と・・・ちゃんと向き合っている。やっぱりこの人は、強い人間だ。

「自分の殻の中に閉じこもっているのは、確かに安全かもしれない。でも・・・」

三条さんはちょっとだけ悲しそうな顔をした。

「それでも、本当の楽しさは、きっと殻の外にしかないだろう?」

三条さんは近くにある、パソコンの画面を見た。そこでは、今日配布されたギャルゲーのタイトル画面が映し出されていた。

きっと、このちっぽけなゲームの中には、無限の可能性に通じる、本当に本当に小さな可能性が・・・内包されているのだ。


 このギャルゲーの特徴は、前述の通りヒロインが英語を話すということにある。ゲームにおいては、プレイヤーの感じる快適性というのは、ゲームの面白さを決める一つの要因になることからも、このヒロインと英語でコミュニケーションをとるというのは害悪でしかないのだろう。

 ノベルゲームという、激化するこの戦場を生き抜くには、あまりにも心もとない武器で勝負するだけでも分が悪いのに、俺たちはそれに加えてさらに足かせをはめられているわけだ。

 ただ、それでも俺たちなりの悪あがきは行っている。


 このギャルゲーは、雨の中であった少女が主人公のいる学校に転校してくることから始まる。ただ、ギャルゲーのヒロインらしくなく、彼女はすべてを拒絶していた。

 担任から自己紹介を促された彼女はそれに頷くことさえせずに黒板にこう記した。

「I Cant Speak Japanese. So don’t touch me(日本語がしゃべれないから、私に触れないで) 」

それは、強烈な拒絶反応だった。外国の美少女が転校してくるということでお祭り騒ぎだった教室内はしんっと静まり返った。彼女は担任に促される前に、空いてる机に自ら座った。座る前にちらりと主人公を見ながら・・・

ことが動き出すのは、修学旅行のペア決めを行うHRの時だ。主人公君には、前々からあの雨の日どうして傘もささずにあの橋の上に立っていたのかと、アイサ(ヒロインの名前)に尋ねてみたい気持ちがあった。

どんどんペアが決まっていく中、彼女だけが教室で浮いていた。

彼女は転向してから今までクラスメイトと会話らしい会話を行っていなかった。彼女にとって、異国の地の人間は得体のしれないエイリアンと同等のように見えていたのかもしれない。ただ・・・それでも例外は存在するもので・・・。

アイサは主人公をちらりと見る。彼女にとって、ちょっとだけ特別な存在。見も知らぬ異国の地で、雨に濡れていた時、傘をさしだしてきた人。その人とだけは、他の人と超えることができない境界線、その境界線を少しだけ超えられるような気がした。

 ここで、初めての選択肢が生まれる。

1、転校生とペアを組む

2、他の人とペアを組む

当然、2を選んだならば、そのままバッドエンドである。1を選んでやっと物語は始まりを迎えることができる。

ところで、立花先生曰く、ギャルゲーには昔から越えられない壁があるのだという。というのも、もともと各々で選べる選択肢が限られてしまうノベルゲームでは遊べる自由度が限られてしまうというのが、それにあたるらしい。

例えば、選択肢を選ぶ行為、当たり前だけど二択の選択肢であるならば、その先には二通りの反応、二通りの未来しか存在しないことになる。限られた選択肢の中では、プレイヤーにどうしても機械的な印象を与えてしまうのだ。

その部分でいかに実際にその場にいるという臨場感を与えることができるか、これが古今東西から存在するギャルゲー業界の壁なのだ。

俺たちの悪あがきは、ここにいれてある。

修学旅行中、彼女は事あるごとに英語で質問してくる。

これに対して、英語で返答するというプレイヤーのアクションが入るのだが、例えばアイサが五重塔をさしながらWhat is This?と聞いてくる部分、この時に、pardonもしくは、one more please と打ち込むことで、アイサがしぐさを変えて同じ質問、もしくは違う言い方で再度質問をしてくる(まあ、何度も聞き直していると、彼女は質問をすること自体を諦めてしまうのだが・・・)。

また、英語が壊滅的な人のためにアイサと一緒に(辞書で)単語を調べるという選択肢もある。

さらに、more speak slowry だったり、想定される回答に合わせて、多種多様なアイサの返答が用意されてある。

さらには、ある一定以上、プレイヤーが反応できないでいると、アイサ自身が辞書をめくって拙い日本語で、プレイヤーに聞いてくる・・・なんてアクションまであったりする。

何が言いたいのかというと、一つのアクションに対して、主人公の選べる選択肢が多種多様で、それに対するアイサの返答も多種多様なのである。これによって、プレイヤーがよりその場にいるという臨場感を得ることができるのだ。

この工程には、血のにじむような試行錯誤がなされているのだという。今までのギャルゲーでは考えられないほどのプログラムが組まれているのだそうだ。

そして、この試みは英語の学習システムと上手く合致していた。日常会話と違って、英語で聞いてきて、それに回答を入れるという限定されたシチュエーションであるならば、プレイヤーからの回答をかなり限定することができる。

たとえ、全く関係のない文章を、プレイヤーが打ち込んできても、ある程度、日本語が不自由な相手という観点からごまかしを入れることもできる。そのために、日常会話に比べれば、打ち込むプログラムをかなり限定することができたのだそうだ。

つまり英語の学習ソフトだから、このアクションイベントは、仕様においても、内容においても現実味を帯びることができたのだ。

ちなみに、ゲームのスクリプトを組む工程にはこの塾きっての変人の塾長も参加したらしいのだが、

「このアクションフェーズで、おっぱい触らせてと日本語で打ち込むと、無言でアイサが近寄ってきて、平手打ちを打ち込んでくるというアクションが入る!どうだ‼すごいだろ‼」

って喜々とした表情で語ってたんだけど、ホントあの人、何やってんだ?

 このアクションは、英語に対して、英語で返答するというアクションを組み込んだこのゲームならではのアクション要素で、このゲームのささやかではあるが武器であるといえるだろう。


 ただ、進化し続けるゲーム業界では物足りなさを感じざるを得ない作品、綺麗なイラスト、作りこまれたシナリオだけでは、戦場に立つことが許されない修羅場において、この作品は飛べるだけの翼をもっているかというと・・・・。

つまらないゲームが最後までプレイされることなく、積みゲーになることも多いと聞く現状、トゥルーエンドまでたどり着ける人間は配布した人数の一割いくかどうかもわからない。

 単純な楽しさのみで勝負をせざるを得ないこの状況・・・かなり分が悪い

それでも俺は、彼らに一歩を踏み出してほしいと思っている。自ら閉じこもった世界(部屋)から踏み出す一歩を。


 夜、そろそろ帰ろうかと思っていたところ、事務室から光が漏れていた。

中を覗いてみると、塾長がぼーっとソファーにもたれかかっていた。

「やあ。」

俺の存在に気づいた塾長がまるで独り言でもあるかのような独白を漏らした。

「単純な需要を求めるならば、ギャルゲーは入れずに、最初から授業のシミュレーションゲームを配布するべきだった。」

「・・・そうですね。」

既存キャラクターとコラボをするシミュレーションゲームならば、かなりの需要を期待できたのかもしれない。俺自身、どうして、このギャルゲーを先に配布する手順を組んだのだろうかと疑問を持っていた。

「でも、このギャルゲーをクリアーするというのは、このプロジェクトを遂行する上では、避けては通れない道だったのだろうねー。」

「・・・・どうしてでしょうか?」

「勉強をさせるというプロジェクトに入る前に、苦しい道のりを得て、何かを得るという拾足感、彼らにはこの感覚を得てもらう必要があるからだ。でなければ、本命の授業シミュレーションゲームを行う時、彼らがそれを勉学のためのツールではなく、あくまでも好きなキャラクターの言動を楽しむゲームとして遊んでしまう恐れがある・・・。」

「・・・なるほど・・・。」

確かにそうだ。努力が実るというのは、小さくない満足感を人に与える。それがないのならば、努力できる人間なんてこの世からいなくなるに違いない。最終的な満足感や報酬が得られないのに、苦しい行為をずっと続けられるほど、人間は強くできていないことを、塾講師を続けてきた俺は、嫌というほど知っている。

 ただ、楽しいというだけではだめなのだ。

 でも、充足感を得るには、ある程度の苦しさを味わうことは必要最低条件なわけで・・・結局なところ、その部分は、プレイヤーたちの気持ちに左右されることになる・・・。

「上手くいくかどうかは、正直なところ運しだいだねー。」

塾長は、そういった。

 俺もそう思う。でも、できることならば、彼らがその一歩を踏み出せますように。

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