13話
蛙の面は水を吸い、アルデバラン様を撒くための戦闘で攻撃を受けすぎて、壊れてしまいました。
なので、今は空吹の面を被っています。
ここまでくると、もはやふざけているとしか言えませんね。
まあ、この面自体が狂言用の能面ですので、用途としては馬鹿げた場面に用いるのもあながち間違えではないはずです。ヨホホホホ。
しかし、アルデバラン様のしつこさは中々のものでした。
おそらくまた対峙することになりそうですが、会うたびに服をボロボロにされてはかないません。
これ、帝国の借り物となので。ヨホホホホ。
「さて…」
陸奥はもうソラメク王国でしょうか?
だとすれば、自分もばれないうちに合流しなければならないでしょう。
せっかく激闘といいますか、一方的にかじられ食われしただけですけど…。せっかく激闘をしてアルデバラン様が転移魔法を扱えることが判明したのです。この情報だけでも持ち帰らなければならないでしょう。
しかし、アルデバランといえばおうし座の一等星。アルデバラン様も外見は牛の魔族のようでしたし、ツノがあれなので。牛のような魔族でしたし、タフなのかもしれません。
しかし、自分の発勁をあれだけ食らってもかぶりついてくるとか、どっちがゾンビ戦法駆使しているのかわからなくなりましたよ。自分でさえ、そう感じたのですから。
タフにも限度というものがあるのですが…。
まあ、自分も人のこと言えないゴキブリを超える生命力を持っているので、これについては苦情を言える権利はないでしょう。ヨホホホホ。
なんとかアルデバラン様を撒くことはできましたが、次もこう行くとは限りません。
少なくとも、海での戦闘は圧倒的に不利なので避けるべきですね。
とりあえず、足場を伸ばして北に向かいます。
いずれ陸地に着くと信じて、ですが。大雑把に北に進み続けることにしました。
というか、御手杵どうしましょう? 新しい槍カクさんに頼んだほうがいいかもしれませんね。結構使い勝手良かったので、残念です。ヨホホホホ。
船旅が、いつの間にか海上散歩になりました。ヨホホホホ。
しかし、平和になると思っていたところに横槍が入ってきました。
背後から汽笛音がします。
振り向いてみると、夜の海をこちらへ進む大艦隊が見えます。
航空戦艦と潜航戦艦も多数備えた大艦隊です。
…あれは、国旗を見る限りアウシュビッツ群島列国、でしょうか?
なぜこんなところに?という疑問が浮かびますが、それは尋ねてみればわかるでしょう。
もっとも、戦艦ばかりならべてきている時点でおかしいとは感じていますが。
アルデバラン様は単騎で海域にいました。それを察するにしても、さすがに接近してくる艦隊は過剰に思える戦力です。
いえ、アルデバラン様と分かっていればその戦力でも妥当かもしれませんが、明らかにおかしな点が多すぎます。
そういえば、復興事業潜入中に話を又聞きしたというおじさんの話だと、神聖ヒアント帝国の密偵さんと思われる方はソラメク王国からネスティアント帝国の方に入ってきたと聞きます。
あの遊戯団?ですね。
となれば、もちろんソラメク王国に関する事柄も耳に入れていたとしてもおかしくありません。
例えば、子爵領の件だとか、怪しければ調べていたと思います。
占領されていること。魔族が軍を転移魔法で送っていたこと。ソラメク王国の討伐軍が行方不明になったこと。
魔族は密偵で探られるとか慣れてない脳筋バカ–––––ではなく、奇策搦め手に不慣れな正面突撃一徹タイプが多いので、人族の巨大な諜報機関を有する神聖ヒアント帝国ならばその動向を探ることは容易でしょう。勝てるかどうかはともかくとして。
そしてアウシュビッツ群島列国はこの海の先にある南方大陸との海峡の島々を中心として勢力を誇る国家です。神聖ヒアント帝国が討伐要請をネスティアント帝国がソラメク王国にした時と同様に、アウシュビッツ群島列国に対して行っていたとすれば、あの大艦隊は神聖ヒアント帝国が要請したことによる呼び出されたことになるでしょう。
ならば目指すはソラメク王国でしょうね。
…例えば、こんな仮説なんていかがでしょうか。
神聖ヒアント帝国は情報戦においては右に出るものなしの国家と言います。
ソラメク王国の騒動が勇者によって抑えられたことは知っているでしょう。あれだけ派手にやったのですから、調べようはいくらでもあります。素人でも可能ですよ。
それを知っている上で、あえて勇者も去ったこの時期を狙ってソラメク王国にアウシュビッツ群島列国をけしかけるとなると、神聖ヒアント帝国に利益はあるのでしょうか。
神聖ヒアント帝国はネスティアント帝国に比べて軍事力に劣る国家だと言います。数は揃えられるものの、艦艇の技術力の差と兵の練度が露骨に出ているそうですね。
となると、渡り合えるだけの力をつけてネスティアント帝国に挑むという選択肢が浮かびます。魔族が攻めてくれば流石にアレでしょうが、今の人族は統一国家がないと言いますからね。男なら、母国を頂点に立たせんと奮起するでしょう。
まあ、それはどうでもいいこととしまして。
その際に目がつくのが、アウシュビッツ群島列国とソラメク王国ですね。
大国であるネスティアント帝国とジカートリヒッツ社会主義共和国連邦に併合される前に、なら自分たちで飲み込んでしまい国境を接してしまえと考えるかもしれません。
しかし、まともに1つずつ攻略しては両大国の介入を招くでしょう。よしんぼ占領できたとしても、神聖ヒアント帝国の目的はあくまでもその先に控えるネスティアント帝国とジカートリヒッツ社会主義共和国連邦との戦争です。2国を攻め落として疲労が重なる神聖ヒアント帝国の国力が回復する前に、確実にネスティアント帝国は攻めたてるでしょうね。
結局どうしようもないという事態になっていましたが、そこに現れたのが魔族です。
ここは完全な妄想ですが、神聖ヒアント帝国がこれを利用してアウシュビッツ群島列国とソラメク王国の共倒れを引き起こしてまとめて占領しにかかるとすれば…案外ありかもしれなかったり?
…妄想乙、ですね。
下らない勘ぐりせずに、アウシュビッツ群島列国の戦艦に直接聞いてみることとします。
自分はとりあえず、防護魔法で巨大な壁を自分の背中に築き上げ艦隊の進路をあらかじめ塞いでから、先頭を進む海上艦に見える位置に仁王立ちをしました。
近づいてきた艦艇が停止します。
その艦首に、海賊のような統一性のない破れている服装の男が現れました。
「おい、ガキ! そこを退いてろ!」
一応警告はしてくれるのですね。
見かけはヴァイキングみたいですが、意外と紳士的かもしれません。
話の多少は通じそうなその人に、自分は問いかけます。
「えとですね、できれば目的を伺いたいのですが?」
「目的だと?」
「はい、目的です。何の用で、ソラメク王国の南部海岸地帯を目指すのですか?」
尋ね返してみると、男の目の色が変わりました。
自分のことを見下ろす目の色が、何やら暗くなったように見えます。
「目的…目的は…?」
何でしょうか?
男の様子がおかしいです。
不審に思った自分は、回復魔法をかけるために船に上がろうとしました。
しかし、それを制するように後ろの船から怒鳴り声が聞こえてきました。
「そいつは魔族だ、撃ち殺せ!」
その声の直後、艦隊が一気に騒々しくなりました。
警鐘が鳴り響き、艦隊が動いていきます。
しかし航空戦艦や潜航戦艦は自分の展開した防護魔法の壁によって阻まれます。
いきなりの展開に、自分は異変を感じました。
この人たち、明らかに正気ではない様です!?
「撃て!」
砲火が鳴り響くとともに、自分の元にとんでもない数の砲弾が飛来してきます。
潜航戦艦からは魚雷の様なものが浮上してきています。
「話し合いの余地もなしですと!?」
急いで防護魔法を展開します。
直後、大量の砲弾が雨あられのように自分のところに降り注いできました。
轟音と爆音と飛沫が視界を覆い尽くします。
ああ、防護魔法は音は通さないので、ここは爆発と黒煙というべきでした。ヨホホホホ。
とにかく、砲火によって全く見えません。
魔力ある限りこの障壁も維持できますが、それではジリ貧です。
ここは、ひとまず違和感を信じて医療の千里眼を用います。
人体も透けて患部を捉える(覗きに使おうにもスケルトンになるのでムリです)この千里眼にとって、黒煙など何の意味もありません。
アウシュビッツ群島列国の人たちに目を向けます。
すると、一部の方の脳に異常が見受けられました。
「脳ですか…えと、何々? 『魅了』…あ、なるほど」
ハニトラ引っかかったのですか、このおっさんたちは。
確かに引っかかりそうですね。ヨホホホホ。
犯人は、神聖ヒアント帝国でしょうか?
まどろっこしい小細工など抜きにして、軍部を掌握して群島列国の軍勢をソラメク王国にぶつけるつもりの様です。
諜報大国ならば女スパイも豊富にいるでしょうし。なるほど、この手にはことかかないということなのかもしれません。
説得は意味がないでしょう。
力ずくで黙らせて、魅力を解いていくしかないでしょう。
艦長クラス全員、最悪でも掌握されている人数はこの程度でしょうし。上官が正気に戻れば他の面子も手を引くはずです。はずだと信じたいです。
というわけで、防護魔法の外に飛び出しました。
黒煙を目くらましに、海中に飛び込み船に接近を試みます。
しかし、それを見透かしていたかの様に、潜航戦艦から多数の魚雷が打ち出されました。
防護魔法で1発を迎撃します。その際に発生する爆発の黒煙を用いて、うまく潜航戦艦の視野から外れます。
しかし、潜航戦艦は次弾を発射してきました。
数は6発。まるで見えているかの様に、自分を狙ってきています。
何ですか何ですか!? レーダーでもこんな中で人間サイズを捉えることは難しいのですよ!? この世界の索敵技術は、日本を上回るかもしれません。
致し方ないので、防護魔法を展開して迎撃します。
振動が水を通して伝わります。
とにかく、味方の誤射を恐れる様な状況に持ち込まなければならないでしょう。
爆発による流れを利用して、一気に加速した自分はアウシュビッツ群島列国の艦艇に接近しました。
これで魚雷を撃つことは難しくなるでしょう。外せば確実に味方の艦艇にあたりますから。
予想通り、潜航戦艦の方は諦めてくれた様です。魚雷の飽和攻撃は、実際に恐ろしいものでしたので。
そのまま艦に乗り込みます。
船縁に手をかけて、一気に甲板に飛び乗りました。
「今だ掛かれ!」
ところが、それに合わせて艦艇の乗組員たちが襲いかかってきました。
意識のある船員たちを使ってきましたか。
しかし、魔族ならばともかく人族の白兵戦が強化魔法で速くなった自分に追いつける道理はがありません。銃器も撃っているのは人です。銃弾もよければ何ら怖くはありませんとも。
「は、速い!?」
「無闇に撃つな!」
「おい、危ねえぞ!」
やはり末端の兵士に催眠というか魅了はかかってない様で、冷静な判断ができている様です。
ならば、狙うは指揮官でしょう。
一息に距離を詰めて、船首に立った男に回復魔法をかけます。
「艦隊司令!」
誰かが叫びをあげました。
めちゃくちゃ偉い人だった様ですね。
しかし、艦隊司令に何ら異常はなく、むしろ異常が元に戻った様です。
「あ? ここは、何処だ?」
魅了を解かれた艦隊司令の第一声は、それでした。
と、同時に下がった自分を一斉に屈強な男たちが取り押さえてきます。
また、艦隊司令の安全を確保するために自分から引き離すようにして取りかこみました。
「取り押さえろ!」
「すぐに処刑だ、この魔族め!」
「司令! お怪我は!?」
とんとん拍子他で物事が進むのを呆然と眺めていた艦隊司令ですが、自分がその場で射殺されそうになると慌てて止めに入りました。
「脳天ねらえよ」
「死ね、この魔族め!」
「待て待て待て!待てぃ!」
それまで殺せ殺せとわめいていた艦隊司令の突然の命令に、全員が呆然とします。
銃口が自分の頭を捉えており、あと少しすれば死んでいたかもしれませんね。
艦隊司令は慌てた様子で兵士たちに状況説明を求めます。
「お前ら何をやっているんだ! 彼はソラメク王国の復興に手を貸してくれた勇者だろ!? まず、ここは何処で、今は何時で、お前らは何をやっているのか説明しろ!」
「…え?」
本気で困惑している艦隊司令に、兵士たちが唖然とします。
まあ、無理もないでしょう。
しかし、この艦隊司令が自分の出自を知っている事に驚きです。こちらの皆さんには名乗った覚えがないのですが。
「命令だ! 彼を離せ!」
艦隊司令の怒号が響いたことで、ようやく自分は解放されました。
とはいってもめちゃくちゃ警戒されてますけどね。ヨホホホホ。
艦隊司令は自分と向き合うと、その場に座り込んでまさかの土下座で謝ってきました。
「本当に申し訳ない! 何が何だか分からないが、私の友人の住まう街の復興にあれほど尽力してくれた勇者にこの様な仕打ちをしたこと、深く謝罪する!」
友人の伝手で自分のことが伝わっていた様です。
まあ、それは構わないのですが、特に恨んでもいませんし。それよりも、部下の皆さんが大いに混乱している現状をどう収拾するのでしょう?
乾いた笑いが面の下でこみ上げてきます。
しかし、その前に感じ取った気配に自分はすぐに動きました。
大丈夫なので顔をあげてくださいと言おうとしたところにまるで水を差す様な登場です。
人族とは違う気配をまとったそれは、航空戦艦の1つから飛び出して、躊躇なく自分の前で謝罪をしている艦隊司令の背中に何かを撃ってきました。
「あ!?」
自分の両脇にいた兵士よりもはるかに速く動いた自分は、艦隊司令の背中に立ち、防護魔法をボウルの様な半円状に展開して船に流れ弾が飛ぶのを防ぐとともに、突如飛来した光線を全くの別方向に起動をそらせて空の彼方に飛ばしました。
「何だ、今のは…?」
「け、警戒態勢! 艦隊司令が狙われた!」
突然の光線の攻撃。
それが艦隊司令を狙ったものという認識が通った瞬間、兵士たちは即座に動きました。
同時に、艦隊司令も立ち上がります。
「航空戦艦隊の野郎が…撃ち落としてやる!」
「撃ち方始め!」
「一隻残らず海の藻屑にしてやる!」
「アホかお前ら!」
艦隊司令の怒号に再び艦内が静まる。
あと一歩で同士討ちが始まるところでしたな。
そう思いながら、自分は偉そうにそこに浮遊している狙撃犯のことを見上げます。
「あらあら、まさか勇者が出張るなんて。予想外はあなたの様ですわね」
そこに浮いていたのは、まるで天使の様な一対の翼を背中に生やし、頭には光の輪を浮かべる、夜空にまるで輝いて浮いている様な錯覚を覚える神々しい雰囲気をまとった、金髪の白いドレスに身をまとった美女でした。
ただし、少なくとも人族でないことは明らかです。
椅子に座っている様な姿勢で、組んでいる脚はロングスカートに隠れることなく出ています。
正直、美しいというよりも得体が知れないという印象を自分は真っ先に抱きました。
「天族…」
艦隊司令がその姿を見上げてつぶやくのが聞こえます。
柔和な笑みを浮かべながら浮遊するその姿は、まさに天使と呼ぶにふさわしいものでした。
アウズフムラ(アウズンブラとも)は北欧神話において登場する原初の牛(雌牛)です。
原初の巨人ユミルを牛乳で養っていた牛だそうです。オーディン、ヴィリ、ヴェーの祖父であるブーリを氷の中より出したといわれています。アウズフムラが北欧神話に登場するのはのちに神々によって世界とあらゆる生命のもとにされたこの原初の巨人ユミルと、神ブーリの登場するこの話の間に登場し、以降は名前すらも一度として北欧神話に姿をあらわす事はありません。『散文のエッダ』と「名の諳誦」の中で1度触れられる以外再び言及されることはなく、この牛の名前は他のどの古い文献にもみつかっていないそうです。




