25話
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呼吸を整え、弓を強く引きしぼる。
弓に乗せた矢は、放たれた瞬間から無数の矢に分裂する特別な矢である。
その一本一本には誘導性能が備えられており、一度視界にとらえた敵を当たるまで追撃する。
聞けば馬鹿馬鹿しいと言いたくなるが、それは現実に機能するものだった。
この異世界に来る際に女神によって授かった不思議な力。
北郷は突然与えられていたその力を把握しているわけではない。何しろ彼はこの力を知っており与えたと思われる女神にろくな話を聞いていなかった。同じく勇者として召喚される事になった変わり者のクラスメイトがその女神から勇者として与えられた力についてはある程度教えてもらったものの、完全に把握してはいない。
湯垣から聞いたのは主に2つ。
元いた日本においては一介の高校生に過ぎなかった自分たちが、見るからに人智を超えた化け物たち、魔族と呼ばれる種族を相手取り戦えるのは、勇者としての戦う力である『勇者補正』と『職種』という2つの力のおかげである。
湯垣の話では、北郷たちのいた世界とこの異世界は異なる世界であり、その世界相応の格というものが存在するらしい。
そして、北郷たちにとっての故郷である地球のある世界は、この異世界よりもはるかに高位の世界だという。
そのため、その高位の世界の住人であった北郷たちは、この世界においては超人的な身体能力、そして魔力を得られているという。それが『勇者補正』という恩恵。
もう1つが、この手に宿る弓を召喚した存在、『職種』である。
職種は個人差があり、女神が与えたのはあくまでもその個人がなるのに最も高い素質を有する職種である。
北郷の職種は、女神を信用していなかった際に、それでもと無理やり言われた事柄である。
今となっては、北郷は召喚された異世界人である自分たちを1人でも多く生き残らせようとこの『職種』を授けてくれた相手にひどい態度を取ってしまったことを悔いており、何としても謝りたかった。
だからだろうか。必ず、生きて帰ってみせると。
あの無駄に不気味なくせに良識と冷静な判断力を持つ湯垣の言葉に乗せられている自分がどこかにいる。
そう思うと、北郷は是が非にでも死ねないと決意を強くする。
北郷が授かった職種は、『武士』である。
まるで呼吸をするように、生まれつき知っているかのように、異世界に来て知りもしなかった筈の職種に応じた魔法を行使できるようになっている。
北郷は今まで弓にも刀にも触れたことなどない。
だが、『武士』の魔法で召喚した武器は当たり前のように振り回すことができる。当たり前のように取り扱うことができる。
北郷が授かった『武士』という職種は、北郷の創造性から物を『召喚』ではなく『創造』する魔法を扱う。
軍事力を召喚する富山の『将軍』の魔法と大きく違う点は、創造できるカテゴライズは狭いものの、北郷の思い描く創造された道具には無限の可能性を秘めているというものであった。
北郷が今ひきしぼっている弓もその1つである。
この弓は普通の弓ではない。
北郷の創造により、『壊れない』『矢が勝手に生まれる』『誘導機能がある』という夢か幻のような性能が付与されている。
また、腰に提げている太刀も同様で、『壊れない』『錆びない』『なんでも切れる』という普通の刀ではありえないような性能が付与されている。
軍事力そのものを使役する『将軍』と違い、創造したものに与える性能に限りがないというのが『武士』の魔法の大きな利点である。
北郷の狙いは、海藤をあのような目にあわせた空を飛ぶ魔族である。
女神にまた会うと。せめともの謝罪の意を込め女神が与えたこの力の限りを駆使して、1人も欠かすことなく帰還してみせると、そう決意していた最中に突如としてクラスメイトを襲った敵。
ネスティアント帝国の人たちには世話になっている。魔族は歴史から常に人族と対立していた種族であり、魔族の脅威に一番さらされやすい国がネスティアント帝国だ。魔族がどういう存在でありどういう考えを抱いているのかも帝国のリズ皇女から聞いている。
これ以上仲間を傷つけさせてたまるかと、あれの牙を帝国に向けさせてたまるかと。
北郷はなんとしてもここであの魔族を倒そうとしている。
姿形は把握している。弓を射れば、矢は当たるまで際限なくその魔族を追い続ける。
別にこの矢で仕留めようというのではない。位置さえ把握できれば、そこへ直接叩きに行くのみ。
北郷は引きしぼった矢を射ち出した。
矢は、10本、20本、100本と瞬く間に増え、その全てが同じ方向を目指して飛んでいく。
北郷自身も矢を追いかけようと走り出す。
だが、その行く手を遮るように進路上に次から次へと魔族たちが現れた。
「イヴァアアアアア!」
現れたのは、巨大なスカラベのような体長が2メートル以上ある黒甲虫型の魔族である。
魔族には高い知性、生物として人族を大いに上回る身体能力、個体で補助もなく魔法を行使できる魔力、人族をはるかに凌ぐ寿命と繁殖能力がある。
あらゆる面において人族を圧倒的に上回る種族である魔族だが、少なくともこの巨大スカラベからは知性というものを感じないと北郷は思った。
そも、言葉が発せていない。
「イヴァアアアアア!」
「イヴァアアアアア!」
「イヴァアアアアア!」
「イヴァアアアアア!」
次々と増援が現れて、前も後ろも包囲してきた。
まさにスカラベというにふさわしい群れだ。
生理的な嫌悪感を催す光景ではあるが、北郷は別にゴキブリを見たところで「またやつか…」程度しか認識しないように、虫が別段苦手というわけではない。北郷が動物に抱く感情は、害になるか益になるかという差でしかない。ゴキブリとネズミは駆除しても、放っておいても大した害にはならないだろうとゲジは放置しているくらいである。彼は不快害虫にカテゴライズされる虫に対して何1つ嫌悪感を抱かない人物である。
ゆえに、堅物。とにかく物事を正しいか間違っているか、役立つか役立たずか、使えるか使えないかといったの二極性にこだわる面倒くさいタイプである。結果、学業は優秀で品行方正(器物損壊は多数する)ながらも、多感な高校生らしからぬ堅物となっていた。
何しろ役立つからと、家ではアオダイショウとアシダカグモを飼っているほどである。
「イヴァアアアアア!」
「イヴァアアアアア!」
「イヴァアアアアア!」
「イヴァアアアアア!」
スカラベどもが北郷を仕留めんと駆け出してきた。
まさにゴキブリを彷彿とさせるような素早い行進に、北郷は退くことなく弓を捨てて太刀を抜く。
必要なくなった弓は金色の粒子のように変わっていきその姿を消す。
「イヴァアアアアア!」
先頭のスカラベのような魔族が、口を開き黄色い唾液を撒き散らしながら北郷を喰い殺さんと飛び跳ねた。
それを冷静に見据える北郷。
確かにその見た目も相成り嫌悪と恐怖を催す光景ではあるが、冷静に見れば自ら動きが大きく制限される空中に上がるなど愚策である。
北郷は少なくともこのスカラベのような魔族には知性が足りないと結論づけながら、一呼吸の間にそのスカラベを真っ二つに切り裂いた。
「イヴァアッ!?」
縦に斬られたスカラベは、黄色い体液を撒き散らしながら落下した。
落ちた時にはもはや動くこともできなくなっている。完全に息絶えていた。
「所詮は生物。切れば死ぬ。ならば、恐れることはない」
北郷の手にする太刀には、血痕の一滴も付いていない。
後続として走ってきてまた飛びかかろうとしてきたスカラベを、さらに一刀両断する。
「イヴァアッ!?」
首を断ち切られたスカラベは、驚愕の声とともに死亡した。
やはりというべきか、魔族にも、このみるからに知性のかけらもないスカラベどもにも、感情程度はあるらしい。
2体の仲間を瞬く間に斬り伏せた北郷に、スカラベたちは躊躇うように距離を取り始める。
その様子を見た北郷は、新たな発見など気にもとめず、太刀の切っ先を向けた。
「どうした? 屈強な肉体がありながら、貴様らが『家畜』とほざく人族1人倒せないのか? 群れる様など、貴様らの容姿共々、その家畜に集る虫に等しい」
北郷が軽く挑発すると、喋れはしないが言語は理解できるのか、スカラベたちの顔色が変わった。
「イヴァアアアアア!」
「イヴァアアアアア!」
「イヴァアアアアア!」
「イヴァアアアアア!」
喋ることはできないが、言語を理解することはできるということかもしれない。さもなくばこのスカラベ達に知性があるとは北郷は信じられない。
だが、怒ったスカラベたちがとった行動は、一斉に空高くに飛び上がり口を開いて飛びかかってくるという行動だった。
スカラベどもの影で周囲が暗くなるが、北郷にそんな事では何も通用しない。
なるほど、確かにその光景は対峙する敵を威圧し、恐怖と嫌悪感から冷静な判断力を失わせる魔法も使わない心理にかけた攻撃方法でもあるのだろう。結果としてはそうなっているだけであり、奴らがそれを狙っているのかどうかまでは、北郷にはわからないが。
だが、北郷はそんな光景で冷静さを欠くほど愚かではない。
むしろ、最初に殺された仲間と同じ方法をとるこのスカラベたちに対して脅威に成り得ないという印象を抱いた。
魔族が人族の知性を上回るなど、少なくともこれらを見れば北郷には思えない。このスカラベたちに知性を感じろなど、北郷にはできないことであった。
仲間が殺されることで学習するなど、知性が劣る獣や虫でも理解できることである。教訓を生かすなど、知性以前に思考回路が存在する生物ならばもって当然のことだろう。
それさえも怠るような者には、知性のかけらもないというものである。
北郷は、スカラベたちを呆れながら見上げ、太刀を構える。
スカラベが飛び上がれば、その動きを冷静に見極めるなど簡単なことである。
何しろ空中では落ちることしかできない。
そのルートを予測して、あの無駄に大きな口に当たらぬように太刀を入れるなど、勇者補正という力まで授かったと北郷には容易いことである。
先頭で落ちてきたスカラベの首を切り落とす。
悲鳴をあげることもなく、スカラベは即死する。
魔族も生き物。切れば死ぬ。切られれば死ぬ。
そして、この太刀はスカラベを切ることができる。
恐れる理由など、北郷にはなかった。
2体目を切り捨てる。
スカラベたちは連携という言葉を知らないらしい。
逃げ道や移動する先を塞ぐようにではなく、我先にと考えなしに落ちてくるだけ。
数が多いため逃げ道などないように感じるが、冷静に見極めれば穴だらけの陣形に隙は無数にあった。
それにスカラベどもは一体一体が無駄に大きい。
日本人の中では高い部類に入る身長のある北郷よりもさらに一回り大きいので、余計に穴が多くあった。
それを利用し太刀を振るう。
3体目を切り捨てる。
「イヴァアッ!?」
骸を利用して4体目の攻撃をかわし、即座に首を断ち切る。
「イヴァアッ!?」
それは落ちてくるスカラベを次々に切るという単純だが、一度として同じ行動ができない難しい作業の繰り返しである。
勇者補正の身体能力のおかげで、見極めて動く程度の余裕はある。
だが、誤ったり間違えたりした際には、途端にその牙の餌食となる。
それでも、北郷は焦ることなく持てる余裕を最大限用いて正解の行動を導き出し、確実に一体ずつ斬り伏せていく。
正解か不正解か。
あらゆる物事にこの二極性を持ち込みがちな性格の北郷は、単純だが複雑なスカラベ狩りとでもいうべきこの工程にも妥協を一切せずに動き続けた。
一太刀。
「イヴァアッ!?」
さらに一太刀。
「イヴァアッ!?」
もう一太刀。
「イヴァアッ!?」
突いて切り上げる。
「イヴァアッ!?」
横一文字に一閃。
「イヴァアッ!?」
太刀を持ち直し、切り返す。
「イヴァアッ!?」
半身を右に引き、躱してから首に一閃。
「イヴァアッ!?」
それが、最後の一体であった。
太刀に血など残さない。
完璧を求める北郷は、静かに太刀を手元で回してから鞘に納めた。
このスカラベ達に絡まれる前には石化の魔法を扱うイグアナのような魔族との戦闘で教会を壊してしまったが、今回は往来に虫の死体を無数に転がすだけで建物への被害を与えることなくことを片付けることができた。
鬼崎や現地の人からしてみればこれでも十分な迷惑かもしれないが、戦時中であればむしろこれは最小限の被害と言えるはず。
そう自分に言い聞かせつつ、自身の通ってきた後ろの道に目をやる。
こんなことをしている暇などないはずなのだが、早く魔族を追う矢を追わなければならないはずなのだが、鬼崎に見ろと言われているような気がしてしまい、振り向いた。
正直、想像しただけでもスカラベなどよりもはるかに恐ろしく思えてしまう。普段は温厚で良識のあるどこぞの貧乳怠慢娘とは大違いなできた人なのだが、鬼崎は本当に怒らせてしまうと誰よりも恐ろしい。
大抵の場合、その鬼崎を怒らせてみせる天才はあの能面なのだが、異世界に来てからは北郷と土師に対する説教回数が増えてきている。
だが、それは振り向けば案外納得できるものだった。
瓦礫の山、山、山…。
北郷は自身が作り上げてしまった光景を振り向いてみて、感じた。
確かに、これは、誰が見ても怒る光景だろう。
台風が過ぎ去ったような被害を個人で出す。
北郷は、勇者補正による力をなんとか制御できないかと新たな目標を定めることにした。
…それもいいが、まずは土師と喧嘩をしないことから始めるべき。
理由は不明だが、北郷の本来ならばとても優秀な頭脳は、この結論に至ることだけは頑なに拒否する性質がある。
スカラベというのは、フンコロガシなどをまとめた甲虫類のエジプトにおける呼称です。古代エジプトでは太陽神と同一視して神聖視されていた虫でもありますね。
ハリウッドのミイラが有名な映画に登場しますけど、本来のスカラベに属する虫たちはおとなしい生き物です。
無論、ここに登場するのはスカラベみたな外見というだけで無関係の魔族です。




