スローバラード
2006年
市営グラウンドの駐車場。朝日と小鳥のさえずりの中、ただ一台の車がとまっていた。
ブルーの空に広がった薄い雲は、すでに朝焼け色から真白に変わり、かすかなスピードで西から東に動いていた。
運転席の清太がかすれた声で純に聞いた。
「……起きてる?」
「うん」
純の声もかすれ、小さかった。
「いつ、起きた?」
「……今」
純は寝返りをうって顔を天井に向けた。
朝の光が清太の顔に射す。清太はゆっくりと目を開けたが、まぶしさにまた目を細めた。つけっぱなしのJ-WAVEから、ボサノヴァが流れている。
「7時に来るんだ」
「……誰?」
「警備員。朝の見回り。それまでに出なきゃ」
純が胸元の毛布を目の下まで引き上げて口元を隠した。
「……いやな夢。聞く?」
「聞かないよ」
「いやな夢?」
「分かんない」
二人でくるまっていた毛布をたたんで後部座席に置き、清太はハンドルを握って青いマーチをゆっくりと駐車場から出した。
多摩川の土手沿いの道路に出ると、清太はタバコを口にくわえ、窓を開けた。100円ライターで火をつけ、煙をゆっくりと車の外に吐き出す。
前を見ていた純が、清太の方に顔を向けた。
「タバコ」
「ごめん。けむい?」
「ううん。ちょうだい」
清太は無言でマルボロライトの箱とライターを純のひざに置いた。純は不器用な仕草で一本取り出し、火をつけた。
「聞かないの?」
「夢? 言いたいんだろ?」
「いやだ」
「わかんねえなあ……」
僕らは、とてもよく似た夢を見ていた。
多摩川の土手に並んで腰を下ろす二人に射す日差しは、徐々に温かみを帯びてきた。セイタカアワダチソウが川の水面を隠している。時折、ランニングをする人が、二人の前を通り過ぎた。
「今って、秋?」清太が言った。
「夏は、終わったよ。もう9月だもん」
「夜は涼しいからな。夏の終わりと秋の初め、そのちょうど間くらい?」
「中途半端……」
「昔の人も無責任だよな」
季節はもっと複雑だ。もっと細かい呼び名もあるみたいだよ、と純は言ったが、二人ともそれ以上の知識がなかったので、話は終わった。この話は前にもしたことがあったなと清太は思った。
空から、パラパラパラというヘリコプターの音が聞えてきた。薄雲の合間を縫うように飛ぶヘリコプターの光る機体が見えた。
「私、この音、好き」
「米軍……、自衛隊かな?」
「清くん、そういうの詳しかったよね? 小さい頃、飛行機大好きだったじゃない」
「そうだった」
二人はいつしか土手に寝転がって、空を見上げていた。長い沈黙の後、清太がぽつりと言った。
「さて、どうするか」
「明日?」
清太は黙っていた。
「それとも、来年のこと? 10年後? 30年後?」
「そんな先のこと、考えたら頭がおかしくなるよ。世界が終わってるかもしれないし」
「そうだね。……じゃあ、今日の夜は?」
「俺は自分の部屋のベッドで寝る」
「私も。2日続けて外泊したら、それこそ世界が終わっちゃう」
何もかもが普通すぎた。
青いマーチで純の家まで来ると、車を止めた。
じゃあな、と言いかけた清太はずっと気にかかっていたことを口にした。
「夢……さ」
「ん?」
「俺も見た」
「ふーん、どんな?」
清太は昨夜見た夢をはっきりと覚えていた。そして二人でいる間中、頭の中から離れずにいた。
「どんな夢? 私、出てくる?」
「ああ、出てくるよ」
「ふふ、愛されてるなあ」
清太が遮るように言った。
「純をさ、殺す夢」
「……」
「……」
「……私も」
「え?……」
「今日の夢、清君に殺される夢。同じ夢見るって……。付き合っているとみんなそうなるのかな?」
清太は被っていたキャップのツバで目を隠した。かすかに笑いをこらえていた。
「何よ?」
「退屈なんだ。きっと。同じくらい」
「うん」
「このままじゃ、10年後も30年後も普通にやってきちゃう」
「いいんじゃない。世界の終わりなんて来ないんだよ」
「じやあ、こうしよう。」
清太がゆっくりと純の首に手をかけ、きゅっと締めるふりをした
純は疑いのない目で笑みを口元に浮かべ、まっすぐ清太を見ていた。
「やめてー! くすぐったい!」
身をよじって清太の手を振りほどいた。
悪い予感のかけらもなかった。
ただ、退屈なだけだ。