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Flow

 一対一の場面、拓也はドリブルを選択した。左と右に目線でフェイントをいれ、四番と間合いを保ちながら足下でフェイントを使う。四番は腰をおとしながらじっと拓也をみている。ボールだけではない、体だけでもない、目線をほとんど動かさず、拓也全体をじっくりと観察している。はっきり言って拓也はかなりやりづらさを感じていた。まるで獲物を狙うハンターのように、その眼に感情を宿さずにみられているのだ。気分のいいものではない。

 キックフェイントを使ったが、まるで四番はそれに反応しなかった。まるですべてを見透かされているようである。拓也の額に焦りの汗がびっしりと浮かぶ。カウンターであるために時間を使うわけにはいかず、拓也はスルーパスを選択した。それは明らかに『逃げ』であったが、それを拓也自身は理解していない。

 FWに出したパスは難なくカットされた。それもそのはずで、そのパスは出させられたのだ。四番の圧力に耐えきれず、うかつなパスを出してしまった拓也は、ゲームを任せられている選手が最もやってはならないことをやってしまった状態にあった。

 次の勝負は、すぐにやってきた。さきほどと同じ状況、拓也は今度こそとドリブルを仕掛ける。四番も先ほどと同じく腰を落としてまっすぐに拓也を見据えている。左脚で素早くキレの良いシザースを使い、すぐさま右足のアウトサイドで抜きにかかる。完全に抜く必要はない。ようはゴールを奪えばいいのだから。

 しかし四番は拓也のドリブルに完全に反応していた。鍛え抜かれた大腿の筋肉がぼこぼこと隆起している。すぐさま体を寄せられ、体が激しくぶつかり合った。

 拓也は、巨大な岩にぶつかったかのような感覚を覚えた。いくら自分がぶつかっても、それをものともしないような、巨大な岩の塊。それを想像させられたのだ。それと同時に拓也は悟ってしまった。自分はこいつには敵わない、と。

 圧倒的、という言葉は、まさに彼のためにあるような言葉だった。拓也は四番と体をぶつけた瞬間に理解した、サッカー選手としての『質』があまりにも違うと。拓也には見えた。一見細く見えるそのからだに刻み込まれた、血のにじむような努力が。それは四番と同じく、激しい練習をし続け、自分の体を、より頑丈な体にするために痛めつけてきた拓也だからこそ分かってしまう、明確で、そして埋めようもない『差』だった。

 拓也は簡単にボールを失った。そのまま四番はボールを保持したまま前線へと凄まじい勢いで駆け上がり、一度中盤の選手に預けてからもう一度ボールを受け取ると、鋭いミドルシュートで自ら得点をとった。

 そこから先は拓也にとっては地獄だった。何もできないのだ。

 ドリブルをしても通用せず、パスはカットされるかオフサイドトラップに完全に引っかかり、シュートもブロックされる。もうボールを貰っても何をしていいのかまったく分からなかった。頭の中が真っ白になり、自分がなぜまだピッチに立ち続けるのかも理解できないほどに混乱していた。サッカー選手としてのプライドを粉々にされた。

 四番は誰からみても完璧な選手だった。攻守のセンス、瞬発力、フィジカルの強さ、ボディバランス、スタミナ、ラインの統率性、リーダーシップ、どれをとっても完璧としか言いようがない。

 拓也にとっては数倍にも感じられた一時間が終わった。結果は、0対四。そのうち二点はあの四番が決めた。拓也たちは決定的なチャンスをつくることもできず、シュートは全部で五本打ったが、いずれも、万が一にも入りそうもない苦し紛れのシュートに過ぎなかった。言い訳のしようもない、大敗である。なぜ負けたのか、それすら感じられぬ程の、負けだった。

 結局、拓也たちのチームは消耗が激しく、その日の練習試合は一本ゲームを行っただけで終わってしまった。

 ただただ拓也の絶望感だけが、もう誰もいなくなったグラウンド内に冷たく横たわっていた。チームメイトとは一言も話さず、グラウンド上に一人、ボールを足下に置いたまま立ち尽くしていた。

 情けない。今までの自分がしてきたのは何だったのか。たった一時間ですべては打ち砕かれ、後に残ったものは、悔しさだけだ。後悔なんて格好良いものは少しもない。パスもだめ、ドリブルもだめ、そしてシュートも防がれたらどうすればいいのか。答えは明快だ、何もない。ただ操る者のいなくなった人形となってグラウンドに意味もなく立つしかない。

 一人の選手にああも簡単にやられるようでは、自分のこれまでのサッカーに意味はなく、そしてこれからもないだろう、そう拓也は痛感した。そしてあの四番のような、天に授けられたとしか思えない『才能』を持った一握りの選手だけが、より高いレベルで活躍できる資格をもっているのだろう。残念ながら自分にはそれがない。

 拓也は乾いた笑いを浮かべた。才能という言葉など微塵も信じなかった自分が、たった一時間で、インチキ臭い宗教団体の教祖か何かにマインドコントロールでもされたように信じ込まされた。今度こそサッカーはあきらめるしかないのではないかと、そう考えさせられた。

 部室でジャージに着替えをすますと、いつものようにエナメルバッグを肩にかけて家路についた。

 それからどうやって帰ったのかを、拓也は覚えていない。気がつくと、朝のランニングのときに通りかかる、家の近くの小学校で、ブランコに乗りながらぼうっとグラウンドを眺めていた。キィキィと音をたてながら、ゆっくりと体をシートに預けている。

 ゴツゴツとした土が敷き詰められているグラウンドには、四人の小学生と一人の高校生ぐらいの男子が楽しそうにサッカーボールを蹴り合っている。本当に、実に楽しそうに。拓也にはその光景が胸が熱くなるほどに羨ましかった。距離にすればたった二十メートルほどしか離れてはいないが、その距離は果てしなく遠いように思えた。もしかすると、これからずっとそこには行けないのかもしれないとすら考えた。少し顔色を変え始めた夕陽の光が柔らかく、そして暖かく彼らの汗を照らしている。そのグラウンドの中に笑い声が絶えない時間はなかった。

 最初はその高校生と小学生が一対四でミニゲームを行っていたが、そのうちまた四人ほど小学生が加わってきた。拓也の遠目に、困ったように頭をかく青年の姿が映った。その中で一人の小学生が、何か閃いたように拓也の方に歩み寄ってくる。その少年は恥ずかしがる様子もなく拓也に声をかけてくる。

「ねえ、一緒にサッカーやらない?」

 なぜかは分からないが、二つ返事で了解してしまった。男の子に手を引かれ、二十メートルを0メートルにしていく。

「ルールは、そっちの高校生のおにーさんが二人、そんで俺たちが八人、こっちは小学生なんだから、いいよね」

 コートは普通の小学生用のものと同じだ。

 拓也は高校生の青年をちらりとみた。背は百七十センチメートル後半ぐらい。少し長めの黒髪で、前髪をヘアバンドでとめている。澄んだブルーの下地に白のラインがはいったジャージを着ている。そのジャージにはどこか見覚えがあった。

 拓也と目が合うと、その青年は気恥ずかしそうに笑いながら挨拶するように手を挙げた。

「あー、えっと、おれ瀬良一馬(せらかずま)。カズマって呼んでよ。なんか変なことに巻き込んじゃってごめんな」

 拓也はハッと気づいたように眉をあげ、首をふるふると横に振るった。

「いや、おれも楽しそうだなって思ってみてたし……。あ、おれは小野拓也。じゃあおれも拓也で」

 そこからの時間は、拓也にとって、忘れられない時間となった。

 二時間もの間、笑い続けながらサッカーをしたのは、もうずいぶんと昔のことのように思えた。必死になってボールを追った。後も先もない、ただ今だけを感じながら楽しむことができた。手や脚も疲労で重く感じられるが、苦ではない。いくらでも走り続けられた。顔の筋肉が痙攣するほど笑い続けながら。

「もう暗いから終わりにしよう」

 そう言ったのはカズマだった。端正な顔は泥と汗まみれとなって汚れている。それは小学生たちも、拓也も同じだったが、拓也にはそれらがこれまでみたどんなものよりも美しく感じられた。

 辺りは暗くなり、拓也とカズマを残して小学生たちは帰っていった。彼らの笑顔は、拓也にとって眩しかった。

「少し話さない?」

 カズマの提案もあり、近くの自動販売機でスポーツドリンクを買うと、二人はブランコに座った。

「かなり上手かったと思ったんだけど、拓也ってどこの高校でやってるの? そーいや三年だよね?」

 カズマはヘアバンドをはずし、タオルで汗を拭きながらながら拓也に語りかける。

「三年だよ。おれは星野高校ってとこだけど……カズマは?」

 拓也は一口スポーツドリンクを口に含んだ。

「おれは……山空(ざんくう)高校ってとこで、おれも三年。一応今年のインターハイ出たとこだけど、知ってる?」

「カズマって……もしかしてザン校の十番?」

 拓也の顔色が変わった。山空高校といえば、拓也たちの県内では最も強く、二年前からインターハイと選手権の常連だ。この前のインターハイでは全国でベスト八にまで登り詰めている。そこの十番といえば、もうプロ入りが決まっているとまで言われている有名人である。拓也は先ほどまでのサッカーでほとんど確信していた。今日の練習試合の四番と同じくらい上手かったからである。この日出会った二人目の天才である。

「まあ、ね。……じゃあ今度の選手権で拓也ともあたるかもしれないな。今日は味方だったけど、敵としてやるのは楽しみだ。拓也もそうとう上手いよ。おれのチームにも、多分全国でもそうそういるレベルじゃない」

 今度はカズマはまっすぐ拓也を見据えながらいった。拓也は少し照れたように笑顔を浮かべたが、すぐその笑みは消え、ブランコを揺らしながら視線を地面に落とした。

「ありがとう。……でもおれ、サッカーやめようと思ってるんだ……」

 カズマも正面に向けていた視線を慌てて拓也に集めた。

「なんでさ。そんなに上手いのに……。もったいないとは思わない?」

 拓也は深く息を吸い込み、そして吐いた。

「カズマはいいよ。そんな才能があってさ。でも、おれはどうだ? ……才能のカケラもない。どうせこれからまたカズマのような、才能のある人たちに負け続けるだけだったら、おれがサッカーを続ける意味はないんじゃないかって、そう思うんだ……」

 カズマはしばらく考えるように腕を組んで黙っていたが、やがて口を開いた。

「おれに才能があるって? 馬鹿言うなよ。おれだって死ぬほど努力してる。これまでに何本シュート練習したかなんて、まったく分からない。高校に入ってからだってもう何回ゲロ吐いたか。今だって月に三回以上は吐いてるよ」

 そういうとカズマはふふっと笑ってみせた。

「自分に才能があるなんて考えたこともない。だからおれは限界があるなんて信じていない。少しくらい上手くなったって、上には上がいて、さらにその上にも人がいる。おれはそれが面白いけどなあ……」

 まだ黙り続ける拓也に、カズマは続ける。

「なあ、じゃあ拓也はなんで今までサッカーをやり続けてきたんだ?」

 拓也は真剣に理由を考えてみたが、なぜだか理由が分からなかった。辛い練習はいくらでもあったし、泣きたくなるようなことも数多くあった。でも、それでもやめずに続けてこれたのは、なぜだったのか。拓也は軽く首を振った。

「さあ……、あんまり深く考えたことなかったから……」

「理由が分からないってことはさ、多分、そういうことなんだ。ただただ、好きってことなんだよ。それは多分、おれたちみたいな人間にとってはこれまでそうだったように、これからだって変わらないはずだ……」

 雷に打たれたような衝撃だった。胸の奥に残っていたしこりが、やっととれたような思いだった。好き、それだけだ。走る理由、ボールを蹴る理由、それらはすべて一つに繋がっていた。言われてみるまで気づかなかった。答えは単純だったのに。

 拓也は声を殺し、肩を震わせて泣いた。悔しかった。好きなことで負けたこと。それでもサッカーを忘れられない自分。そのすべてが心底悔しかった。

「じゃあおれはそろそろ帰るよ。今日は楽しかったよ。ありがとう」

 カズマはすっくと立ち上がった。

「おれの方こそ……ありがとう」

 拓也はかすれた声でそういった。

「最後に、おれから少しえらそうなこと言わせてもらうと、拓也は、確かに上手い選手だ。技術はおれとほとんど変わらないか、おれよりも上だと思う。だけど、今の拓也には負ける気がしない。拓也は怖い選手じゃないんだ……。もし、拓也にその意味が分かったなら、選手権はきっと面白くなると思うよ。それじゃあまた」

 そういうとカズマは暗闇のなかに去っていった。

 拓也のなかには現状をすべて受け止めるほどの精神力があった。カズマの言った言葉、その意味を吸収しようとする。

 もう涙はとまった。心の中は日本刀のように研ぎすまされている。

 選手権までまだまだ時間はある。

 拓也は暗闇に向かって走り出した。

一章目終わりです。

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