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仏陀と暇人は紙一重

掲載日:2026/07/11

ここ数ヶ月東洋哲学に興味が湧いたため、本や動画

などを見漁っているところなのだが、個人的に

西洋哲学より東洋哲学の方が現代社会としての、

利用価値が高いと感じました。

それもそのはずで、西洋哲学は概念についてで、

東洋哲学は自分や人について考えた物であるため、

より現実的に使いやすいものだと感じました。

他にもベストセラーになってた自分とかないから

という本が東洋哲学の利用価値をわかりやすく、

示していました。

そんな東洋哲学の中でも一番興味深かった仏教の

仏陀という悟りを開いた人と暇人って似てる気がしてしかたなかった。

そんな、仏陀と暇人の私視点の個人的な意見を踏まえた上で関係性的な物を説明します。

まず、仏陀とは悟りを開いた人であり。

暇人とはやることがなく暇を持て余している人であり

これらを見比べてもむしろ真逆にしか見えない、

関係性に伺えますが、私は暇人とは仏陀になる前の

存在をだと考察しました。

なぜなら、暇人とは退屈していて何もすることがないと感じている存在であるため、退屈という名のある種の苦痛だと思いました。なぜなら、退屈であるなら生きていることが退屈にもなりうるから、生きていて何もすることがないと感じているなら生きていなくても変わらないから死んでもいいと思えるため、

見方によっては苦痛にもなりうるため、そんな苦痛から逃れるために仏陀にならば楽になるから悟り開こうと思えるため、仏陀になるためのきっかけになる、

感覚である感情の状態だと考えました。

そのため、簡単に言うと「暇⇒退屈⇒苦⇒空⇒悟り」

ということになります。

釈迦もお城の中でずっと不自由なく過ごしていたため、暇になり城の外に出てこの世は苦しみに満ち溢れている事をしり、どうせ死ぬならこの苦しみに満ち溢れた世界で落ち着いて悟りを開いて苦しみなく生きていこうとなったため、

暇人は暇という苦しみから生きていて刺激となる方

へと、好奇心が湧く方へと駆られる状態であり

仏陀は今に感謝の心を持ち好奇心や刺激を求めて動いても結果としてそれが後々苦しみを生む行為に発展しかねないし、一切皆苦という言葉がある通りこの世の全てや今自分が生きていることこそが苦だと知ってる

という状態であるため。

暇人とは仏陀の一番未熟な精神状態であるが、

暇な状態を使い方によっては空や悟りに近づくことが

できるかもしれないし、精神状態の根本だけを見るのであれば仏陀とさほど変わらないと踏みました。

そのため暇人とは仏陀に至るまでの兆しみたいな物

だと感じました。

今暇で仕方ないなら暇を受け入れるのも一つの手段だと思いました。


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