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館長の本性

 エグザスは仕事を終え、館長から日当を受けとる。今では昼前には仕事が終わるまでになっていた。館長にねぎらわれたあと、エグザスは尋ねる。


「館長。ひとつ聞いてもいいっすか?」

「いかがなさいました? エグザスさん」

「最近、イントール見ないっすよね? あいつ、働きすぎて体調でも崩してんすか?」


 実はエグザスは、最近イントールに会えていない。最後に会ったのは3日前。かなり疲れていたのが気にかかっていた。そのせいで体調を崩したのだろうと思い、館長に具合を確認したのだ。

 館長は眉をひそめ、うつむいて答える。


「……イントールさんなら、先日ここを退職なさいました……」

「えっ! マジっすか!?」

「そうです。ですから、あなたも彼のことはもうお気になさらないように。では、私はこれで失礼します」


 館長は言葉少なに、そそくさと立ち去っていく。エグザスは歯噛みする。


「イントールが辞めた……? んなワケあるかよ……! 最後に会った時も、辞めるそぶりなんざまったく見せなかったぞ……! もし辞めるとしたって、オレには必ず言うはずだ……! なのになんで、あいつが急に辞めなきゃなんねーんだよ……?」


 数日後、納得しかねるエグザスに思わぬ知らせが舞いこんだ。なんとイントールが死んだというのだ。エグザスはボナンと、親友の葬儀に赴いた。

 イントールの家族にも、息子の死は青天の霹靂だった。数日前から疲れきっており、泥のように眠っていたという。数日間眠り続けた挙句、突如として容体が急変してしまったそうだ。予想だにしなかった不幸に、両親も悔しさをにじませていた。

 葬儀が終わり、彼らもイントールの家をあとにする。ふたりのショックも大きい。埋葬前に見たイントールの死に顔を、エグザスは今も思い出していた。ボナンは悔しそうにつぶやく。


「イントールさん、こんなことになっちゃって本当に残念っすよね……。せっかく、まっとうに生きはじめたとこなのに……!」

「あぁ――」


 返事の最中、何者かが不意にふたりを呼び止める。


「エグザスさんに、ボナンさん!」


 声の主を見て、ふたりは驚く。ボナンがすぐさま相手に聞き返す。


「館長さんじゃないっすか! もしかして館長さんも、イントールさんの葬式に来てくれたんすか?」


 呼び止めたのは館長だった。彼は沈痛な面持ちで答える。


「はい。彼には生前、いろいろとお世話になりましたから……」


 エグザスは申し訳なさそうに、事実を伝える。


「館長。残念っすけど、葬儀ならついさっき終わっちまいましたよ」

「えっ……」


 絶句する館長に、ボナンは後方の家を示して励ます。


「でも、イントールさんたちの両親は家にいますから! 今行けば、きっと館長もふたりに会えると思いますよ!」


 エグザスもうなずくと、館長はふたりに感謝する。


「……では、せめてご両親にお悔やみの言葉だけでもお伝えしなくては……。ありがとうございます。エグザスさん。ボナンさん」


 館長はふたりに頭を下げ、いそいそとイントールの邸宅へ向かう。彼の小さく丸められた背中を見て、ボナンはつぶやく。


「きっと館長さんも、イントールさんのことメッチャ悔しがってるはずっすよ……」


 館長の姿から、エグザスは反射的に親孝行を連想した。イントールが生前、親孝行について熱っぽく語ってくれた様子までもがありありと思い出される。

 あいつもオレみたいに、はじめて親孝行できたって無邪気に喜んでたな……。

 在りし日の親友の姿に、エグザスは寂しさと胸の痛みを禁じえなかった。



 後日、エグザスは館長室に呼び出されていた。館長室はエグザスの仕事部屋と同じ塔の3階にある。

エグザスには、呼び出される真似をしでかした覚えなどない。不思議に思いながら、館長室のドアをノックする。


「エグザスです。入ってもいいっすか?」

「どうぞ」

 

 エグザスはゆっくり扉を開ける。室内では館長がテーブルを前に、いつになくものものしく腰かけている。扉を閉めたエグザスは単刀直入に尋ねる。


「何すか、館長? オレに話って」


 館長は重い腰を上げ、エグザスに背を向ける。背後の窓を眺めやり、彼は心苦しそうに用件を伝える。


「……すみませんが、君にはここを辞めてもらうことになりました……」


 悪い冗談だと思い、エグザスは一笑に付そうとする。


「何言ってんすか、館長? からかわないでくださいよ」

「からかってなどいません。本気です……」


 館長が苦々しく絞りだすと、ようやくエグザスの顔色も変わる。彼はすぐさま上司を問いつめる。


「なんでっすか! やっぱり、オレが元不良だから――」

「違います。それとは別の理由からです」

「じゃあ話してくださいよ! なんでオレがやめなきゃなんねーのか!」


 館長は背を向けたまま聞き返す。


「最近、君の砂時計が速く落ちるようになってきたでしょう?」

「その何が問題なんすか!?」

「君の場合、あまりにも速く砂が落ちすぎています。エネルギーを供給しすぎて、今のままでは命にかかわりかねません。そうなる前に、君にはこの仕事を辞めていただきたいのです」


 エグザスはすぐさま食い下がる。


「待ってくださいよ、館長! オレ、この仕事大好きなんすよ! オレは今まで人に迷惑しかかけてこなかった! けどここで仕事して、初めてみんなに喜んでもらえた! 自分も他人も、幸せにできたんだ! だから、絶対ここをやめたくねぇ!」 


 エグザスはなおも熱弁する。


「何なら、やめたイントールのぶんまでオレが働いてみせます! だから館長、どうかお願いします! どうかオレをここで働かせてください! そのためなら、オレ何だってしますから!」


 エグザスは必死に頼みこみ、館長に頭を下げる。館長は小さくため息をつく。彼はゆっくり振り向くと、重い口を開く。


「エグザスさん。どうか、頭をお上げください。あなたのお気持ちは、私にもじゅうぶん伝わりましたから」


 頭を上げたエグザスに、館長は机の引き出しから取り上げた1枚の紙を見せる。その紙に羽根ペンを添え、エグザスに差し出す。館長は声をひそめ、救いの手を差しのべる。


「……でしたら、一つだけ続けられる方法があります。エグザスさん、こちらの用紙にあなたのお名前をご記入いただけますか? そうすれば、あなたは仕事を続けることができます」


 エグザスは即座に聞き返す。


「マジっすか? ここに名前書けば、オレ仕事続けてもいいんすか!?」


 館長は普段通りの穏やかな笑みを浮かべている。


「はい。そうすれば、もう辞める必要などありません」


 エグザスはすぐさまペンをとり、示された箇所に記名する。署名を確認し、館長も満足そうにうなずく。館長はエグザスにねぎらいの言葉をかける。


「もう大丈夫ですよ、エグザスさん。これからも、どうかよろしくお願いしますね」

「はい!ありがとうございます、館長!」


 元気よく返事をしたエグザスは、一礼して退室する。扉が閉まると、館長の表情が一変する。今までの人懐っこい笑顔は跡形もなく消えさっていた。冷たい目つきと狡猾さのにじみ出た邪悪な笑みが、彼の顔には浮かんでいた。


 一方、エグザスは早くも仕事部屋で砂時計を落としていた。金色の砂を、身じろぎせずじっと見入っている。

 砂の放つ輝きは、初日よりいくぶん優しくなっていた。金色の砂も、初日に比べて嘘のような速さで流れ落ちている。オリフィスから小さな柱が真下に伸び、落ちてきた砂が小さな山をなしている。

 砂時計を使うと、オリフィスの上にある砂の真ん中には、決まってすり鉢状の穴ができる。蟻地獄によく似た形の穴が広がっていくことが、いつ見てもエグザスには不思議でたまらなかった。この時、彼はまだ気づいていなかった。目の前にある金色の蟻地獄が、静かに、かつ確実に彼を飲みこもうとしていたことに。


 辞職勧告から数週間後。エグザスは明らかにやつれていた。頬はこけ、あふれんばかりの元気も鳴りをひそめている。彼は今まで以上に、真剣に仕事に打ちこんだ。そのせいで過労気味になっていたのだ。

疲労困憊しながらも、なんとか仕事部屋に入る。力なく腰をかけ、弱々しく手をのばして砂時計に触れる。ところが砂の色は変わらない。エグザスは動揺しつつ、両手で砂時計をいじくりまわす。しかし何度触れても、中の砂は白いままだった。


「そんな……!」


 絶望する彼の前で、鉄の扉がゆっくりと開いていく。扉の先から、館長が足取り重くやってくる。砂時計を手にしたエグザスに、館長は沈痛な面持ちで告げる。


「……エグザスさん。残念ですが、もうあなたにこの仕事はできません。今まで、本当にお疲れさまでした。あなたと働けて、私も幸せでした……。もう、ご無理をなさらなくていいんです……。どうか、ゆっくりとお休みください……。くれぐれも、体調にはお気をつけて……」


 もはや反論の余地などなかった。たとえあったとしても、今のエグザスには抵抗する気力すら残っていなかった。館長は一礼し退出する。

 抜け殻同然のエグザスに残されたのは、ただ虚無感と絶望のみ。開け放たれた扉から見える景色を、放心したままぼんやりと見つめている。

 悔しさ、虚しさ、やりきれなさ……。胸に去来するさまざまな思いが、とめどない涙となって両目からあふれる。あまりにも強すぎる心の痛みで、彼は自分がなぜ泣いているのかさえもわからなくなっていた。


 解雇されたエグザスは、失意のうちに帰宅した。息子の失業を知り、彼の両親も心を痛めていた。その日、エグザスはすぐ眠りについてしまった。

 彼が次に目を覚ましたのは、翌日の夕方だった。疲弊した彼を気遣い、両親も仕事のことは口に出さぬよう努めていた。

 しかしエグザスは、いつまでも絶望の淵には沈んでいなかった。早くも、彼は次の目標を見つけていた。


 たとえ正規の労働者が無理でも、回収係としてまたパクス・ディストーティアに復帰する! そして、またボナンと働きたい!


 これがエグザスの新たな目標だった。希望に支えられたエグザスは、日に日に生気を取り戻していった。数日後には、落ちていた体力を戻すため散歩を始めるまでになった。

 市場の喧騒のなかを、彼はゆっくりとした足取りで進んでいく。ふと彼は足を止め、懐かしそうにつぶやく。


「そういやあの日、ここでイントールからあの仕事のこと聞いたんだよな……」


 彼が足を止めた場所は、まさしく親友が自分を呼び止めた場所だったのだ。イントールのことを思い出すと、エグザスの口角もひとりでにゆるむ。

 何とはなしに、彼はイントールがいつになく上機嫌だった日のことを思い出した。ただオレやボナンと一緒にいられる。それだけのことを、いやに喜んでたんだよな……。


 彼の脳裏に、ふとある考えが浮かんだ。ひょっとしてイントールは、あの日館長から仕事を辞めるよう説得されていたんじゃないのか? それでも食い下がったから、自分のように仕事を続けられたんじゃないか……?

 思えばイントールは、いつも自分より早く仕事を終えていた。それでも自分が終わるまで、いつも待ってくれていた。仕事が終わって顔を合わせるたびに、「お前もまだまだだな」と軽口をたたかれたものだ。

 しかし、あの日の彼はどういうわけか焦っていた。なぜか? 遅れて自分と会えなくなることを、恐れていたからなのか……? 

 自分も辞めるよう言われた日には、むしょうにボナンに会いたくなった。あいつの仕事が終わるまで待っていた。現れたボナンを見て、つくづく思った。ただ一緒にいられるだけで、嬉しくて仕方がない。今日くらいは仲間と一緒にいられる喜びを、全身で感じていたい、と。


 あの時のイントールも、自分と同じ想いだったんじゃないか? これからもずっと、オレたちと一緒にいたいって……。

 じゃあ、あいつは自分と同じように辞めさせられたのか? それなら、何も言わずに突然いなくなった理由も説明がつく。クビにされる直前まで、辞める気など一切なかったのだから……。


 エグザスの思考が、ようやく一本の線でつながった。その時だった。彼は顔をしかめて左胸をおさえる。急に息ができないほど苦しくなった。脂汗を浮かべ、力なく地面に両膝をつく。しゃがみこむこともままならず、胸をおさえたまま地面に倒れこんでしまう。エグザスの異変に気づき、市場の人たちが慌てて駆けよる。


「大丈夫か、兄ちゃん?」

「すごく苦しそうだ! 誰か、すぐ医者呼んでやれ!」


 横たわるエグザスの脳裏には、埋葬前に見たイントールの死に顔が鮮明に思いおこされていた。死神に生気を根こそぎもっていかれたような、親友の痛ましい顔つきが……。



 この直後にエグザスは息を引き取った。先輩の訃報は、すぐボナンにも届いた。すみやかに葬儀も行なわれ、ボナンも参列した。

 イントールに続いて、今度はエグザスまで亡くなってしまった。尊敬する先輩が立て続けに亡くなり、ボナンの落ちこみようは尋常ではなかった。失意に沈むエグザスの両親とお互いに励ましあい、意気消沈したボナンはふらふらと帰っていく。


 葬儀も終わり、くたびれきったエグザスの両親は座りこんでいた。彼らは打ちのめされたボナンの身を案じていた。あの子も、うちの息子たちのことを気にしすぎなければいいのだが……。

 ふたりを我に返らせたのは、扉をノックする音だった。母親が立ち上がり、よろよろと扉を開ける。来訪者は小太りな男だった。男は神妙な面持ちで声をかける。


「あの、少しよろしいでしょうか…?」

「はい、何でしょうか…?」


 聞き返した母親に、男は自らの素性を打ち明ける。


「私は、エグザスさんが先日まで働いておりました、パクス・ディストーティア館長のビトレインと申します。このたびは、本当にご愁傷さまでした……。私も急いで駆けつけたのですが、葬儀に間に合うことができず、申し訳ございません……」


 父親は丁重に答える。


「あなたが館長さんでしたか……! 息子もよく、あなたのことを話しておりました。忙しい中、わざわざご足労いただきありがとうございます。あなたが来てくださって、きっと息子も喜んでいるでしょう」

 

 母親も、日ごろの感謝を伝える。


「こちらこそ、日ごろから息子のことを気にかけていただき、本当にありがとうございました……」


 両親は深々と頭を下げる。館長は慌てて制止する。


「おふたりとも、どうか頭をお上げくださいますよう! 私は、あなた方にお礼を言いにきたのですから!」


 驚く両親を前に、ビトレインはしみじみと述懐する。


「エグザスさんは、それはもう本当に仕事熱心なお方でした……。彼ほど頑張っていた人を、私はほかに知りません……」


 ビトレインは涙を浮かべ、なおも語りつづける。


「ですが彼は、あまりにも熱心に仕事をしすぎていました。このままでは本当に、過労で倒れてしまいかねない。そう危惧し、私は彼に辞職を促しました。ところが、彼は拒否しました……。自分はこの仕事が大好きで、これからも大勢の人の役に立ちたい。だから絶対にやめたくない……! どんなことでもするから、仕事を続けさせてほしいと懇願しました……! 私は悟りました……たとえどんな手を使おうとも、彼を翻意させるのは不可能だと……。そこで、泣く泣くこの契約書にサインしてもらうことにしました……」


 ビトレインはおもむろに、懐から1枚の紙を取り出す。それはかつて、エグザスが署名したものだった。

 両親は契約書を見て言葉を失った。契約書には、たとえエグザスが死んでもパクス・ディストーティアは一切の責任を負わないことに同意する、と記されていた。その横にはエグザス本人の署名もある。筆跡も息子のもので間違いない。

 パクス・ディストーティアは国が運営しており、本人も契約書に同意している。この国では、裁判で国が負けることなど絶対にありえない。それは国民にとって周知の事実だった。たとえ両親が裁判で争っても、勝ち目がないのはわかりきっていた。

 愕然とする両親に、ビトレインは涙を流して訴える。


「……彼はこの契約書にサインしてまでも、私たちとの仕事を続けたんです……! 彼は一切弱音を吐かず、最後の最後まで立派に働いてくれました……! 本当に、エグザスさんは立派な青年でした……! 私は彼と働けたことを、心から誇りに思います……!」


 就職を機に、エグザスの全てが好転したのは事実だ。しかし、このやり口はあまりにもひどすぎる。まるで最初から、殺すつもりで働かせていたようなものではないか。自分たちの大事な息子を、いったい何だと思っているのか……?

 しかし契約書には、まぎれもなく本人のサインが記されている。このビトレインという男の口車に、息子はまんまと乗せられてしまったのだ。

 覆しようのない残酷な現実を、両親は歯噛みして受け入れるほかなかった。ふたりは悔し涙を流し、ビトレインに頭を下げる。両親は震える声で、法を盾にした古狸に本音を押し殺して答礼しなくてはならなかった。


「……こちらこそ、うちの息子をここまで立派にしていただき、本当にありがとうございました……!」



 エグザスの葬儀が終わった翌日。ビトレインはパクス・ディストーティアの館長室から物憂げに窓の外を眺めていた。彼は忌々しげにつぶやく。


「今週駆除できたのは、4人だけか……」

 

 ビトレインは机に向かい、引き出しをゆっくり開く。その一角には、エグザスが署名したのと同じ契約書が束になって並べられている。彼はボナンを思い浮かべてつぶやく。


「あいつに脅しはまだ早い。明日は別のやつがいいな」


 館長のいう「脅し」とは、いったい何のことだろうか? 実は館長は、エグザスたち正規の労働者たちを内密に呼び出しては、彼らに辞職を迫っていた。そのことを「脅し」と呼んでいたのだ。

 しかも彼は、実際の限界よりずっと早い段階で辞職を勧めていた。とうぜん労働者たちは反論する。自分はまだまだやれる、と。そしてパクス・ディストーティアに、どうにか残してほしいと懇願する。館長は根負けしたそぶりを見せ、契約書を取り出す。ここにサインさえすれば仕事を続けられる、と彼らにささやく。

 エグザスの両親が見たように、契約書の内容は不測の事態が起きても施設が一切の責任を負わないとするものだ。しかし地獄から一転、天国に戻った心地の彼らは、二つ返事でサインしてしまう。恩人であり、信頼している館長がまた自分を助けてくれた。そう思いこみ、契約書の内容などはいちいち確認しない。それが、館長の仕組んだ罠だとも知らずに。

 この契約書が決め手となり、遺された家族は泣き寝入りするしかない。今日も施設は何の問題もなく続けられる、というわけだ。これが館長および国側の、真の狙いだった。


 ところで、なぜ国はこのような非道な真似をするのだろうか? 実はディストートス共和国では、非行少年たちの急増が社会問題となっていた。とりわけ深刻だったのが略奪の蔓延だ。彼らの一部は、善良な市民さえも毒牙にかけていた。国内の治安も、目に見えて悪化の一途をたどっていった。

 国は取り締まりを強化しているものの、手が回りきっていないのが実情だった。最終手段として、軍事介入して相手を全滅させる寸前まで話は進んでいた。


 しかしある魔術の発見が、国に待ったをかけた。かつて失われたはずの秘術が復元されたことで、人間の生命力を他者に直接分け与えられるようになったのだ。

 つまりエグザスたちが毎日見入っていたものの正体は、この世で最も尊いもの――命の輝き――に他ならなかったのである。

 発見された技術はまだ実験段階だった。それでも国は、さっそく実用化に動いた。その実験台に選ばれたのが、急増した非行少年たちだった。

 法外な賃金で彼らをおびき出し、死ぬまでエネルギーを抽出すれば不穏分子の芽を摘める。完全な実用化に必要なデータまで収集できる。さらに抽出されたエネルギーも、善良な市民を救うために活用される。一石二鳥どころか、三鳥にも四鳥にもなる計算だ。


 こうした経緯から、パクス・ディストーティアは誕生した。正規の労働者たちを男性のみとしたのも、非行少年たちがターゲットだったから。真の狙いを知る者は、館内にビトレインしかいない。他の職員たちは、ただ純粋に若い男性からエネルギーを集める国家機関だと思っている。

 パクス・ディストーティア構想は一定の成果を上げ、他の支部も開設されている。ビトレインのいる西支部を皮切りに、東支部と南支部も開設された。新たに北支部も建設が進められている。どの支部も国境近くにあり、要塞にならって設計されている。有事の際に、要塞としての転用を想定しているためだ。


 話を戻すと、ビトレイン館長には仕事にまい進する個人的な理由もあった。彼は半年ほど前、略奪を行なった非行少年たちに両親を殺されていた。この国からひとりでも多くの非行少年を始末する、と彼は心に誓った。そして今も、日々復讐に励んでいる。

 だがビトレインは非行少年たちを憎みこそすれ、その家族まで憎んではいなかった。正規の労働者たちに節約を促すのも、それが理由だった。彼らが使いきれなかった金は、遺産として家族が受け取る。そうすれば遺族は多少なりとも心の慰めを得られる。ビトレインが発案したこの方法は、他の支部でも徹底されている。

 実際そのお金があればこそ、老後も安泰になる家族は少なくなかった。そのなかにはエグザスの家族も含まれている。この事実が、パクス・ディストーティアの悪評を国中に広めない要因にもなっていた。

 地道な活動が実り、不良少年たちと略奪は着実に減少している。近いうちに施設も完全に実用化され、市民から安全にエネルギーを抽出できる場になるだろう。その日が来ることを、ビトレインは心待ちにしている。


 だが、そのためにはまず国にはびこる害虫を根絶やしにせねばならない。復讐が成ってこそ、はじめて国民の明るい未来も見えてくる。ビトレインは本気でそう信じている。

 彼にとって施設にいる非行少年たちは、人ではなく虫けらにすぎなかった。彼らが死んでいくことに、良心の呵責など感じるはずもなかった。

 本来ならあいつらなど、誰も相手になどしない。それを感謝されるような立場にまでわざわざ引き立ててやっている。ただ処刑されるだけの虫けらどもに、贅沢すぎるほどの恩沢すら施している。国家の崇高な使命を果たしている自分に、何ら批難されるいわれなどない。いびつな正義感が、ビトレインを根底から支配していた。


 館長が誰を脅すか考えていると、ドアをノックする音が響く。彼は調子のいい声で室内から尋ねる。


「どうしました?」


 ドアの外から、回収係の男性が答える。


「ボナンさんのノルマが終わりました。彼に日当をお願いします」

「すぐご用意いたします。いつも通り私から手渡しますので、あなたはもう戻っていいですよ」

「ありがとうございます」


 回収係の足音が遠のいていく。館長はうっとうしそうに金貨を取り出し、袋に入れて立ち上がる。気乗り薄に見えた彼は、早くも偽善者の仮面をかぶっていた。ボナンたちが日ごろ見慣れている善良そうな笑みで、きれいに本心は隠されていた。

 館長室の扉を開け、いそいそと階段を下りていく。1階の広間から、すぐさまボナンの部屋へと向かう。部屋の中で、ボナンはしょぼくれた様子で腰かけていた。館長はいつものように、見せかけの優しさを振りまく。


「ボナンさんも、あまり落胆しすぎないように。イントールさんもエグザスさんも、きっとあなたのことを気遣っておられますよ」


 ボナンは力なく立ち上がり、館長に頭を下げる。


「ありがとうございます、館長……」


 館長はそっと日当を差し出す。


「こちらが、本日分の給料になります。せめて今日くらいはいいものを召し上がって、元気を出してください」


 いつもは口を酸っぱくして節約しろという館長が、この日は自分を気遣ってくれた。感激したボナンは、しみじみと答える。


「はい……! 館長。やっぱオレ、ここで働けて幸せっすよ。館長みたいないい人に出会えて、いろんな人たちの役にも立てるんだから。本当にありがとうございます、館長。オレのこと、ここで働かせてくれて」

 館長はボナンが見慣れた偽善者の笑みを絶やさず、穏やかな物腰で答える。


「こちらこそ、いつも本当にありがとうございます。私のほうこそ、ボナンさんのような方と一緒に働くことができて光栄です。この仕事は、かかわった全ての人を幸せにできます。そんな仕事に携われて、私も本当に幸せですよ」

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