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金の砂時計

 目に映る全てのものが気に入らない。そんな心の声が、エグザスという少年の目から聞こえてくる。彼はさも不機嫌そうに、活気あふれる市場のなかを歩いていた。

 彼らの住むディストートス共和国は、四方を隣国に囲まれている。国防のため軍拡へと舵を切り、近隣でも屈指の軍事大国へと成長を遂げた。今では他国も、うかつには手を出せなくなっている。

 尚武の気風が貴ばれるこの国で、エグザスは悪い仲間たちと放埓に過ごしていた。遊ぶ金欲しさに、仲間たちと略奪を行なうことさえあった。彼の両親にとっても、息子の素行の悪さは大きな悩みの種となっていた。近所の人たちも、彼を腫れもの扱いしていた。

 エグザスが市場を歩いていると、何者かが声をかける。


「よう! エグザス!」


 エグザスは相手をにらみつけて答える。


「イントールか……。何の用だ?」


 声をかけたのはイントールだった。つい最近まで、エグザスと同じ不良少年のグループにいた少年だ。中肉中背のエグザスに比べると、背の高さとやせぎすな身体が際立っている。エグザスは相手をなじる。


「てめぇ、この前オレらのグループ抜けたそうじゃねぇか? よくもまぁ、オレに声かけられたもんだな」


 イントールは笑っていなす。


「そう言うなって。あの仕事始めたら、エグザスたちのところにはもう戻れないよ。お前も、一度やってみたらわかる」

「わかってたまるかよ、そんなこと……。仲間裏切ってたまるかよ! てめぇはてめぇで、勝手にしてやがれ! そのかわり、二度とオレらの前にツラ見せんじゃねーぞ!」


 怒りに震える相手を、イントールはなだめる。


「オレも始める前は、お前と同じこと考えてた。だけど、よくわかったんだよ。あいつらより、もっと大事なものがあるって。だから試しに、オレの話だけでも聞いてくれよ」


 エグザスの怒りはおさまらないが、イントールの話が気になってもいた。気心の知れた仲なので、決して仲間を粗末にするヤツではないことも知っている。

 にもかかわらず、イントールは仲間より大切なものができたという。一体、何にそこまでのめりこんでんだ? まさか、変なヤツらにだまされてるのか……?

 イントールは穏やかに、エグザスの感じていた疑問を言い当てる。


「その顔じゃ、オレが変なヤツにだまされてるって疑ってんだろ? そうじゃねーよ。オレが今やってんのは、国が本腰入れてる仕事なんだぜ?」


 友人の口から思ってもみない言葉が飛び出した。エグザスは半信半疑に聞き返す。


「は? 国の仕事? お前が?」

「あぁ。オレも最初は信じられなかった。けど、国はその仕事にオレらみたいな不良を必要としてるんだ。だからオレもすぐ雇ってもらえたんだよ。簡単な仕事なのに、金もかなり稼げる。人にも感謝されっぱなしで、やっててメチャクチャ幸せになれる。最高の場所だよ。あそこは」


 ますます信じがたい話だ。どうにも話がうますぎる。自分たちのような不良など、どこだって厄介がられる。まして国が相手にするはずがない。それなのに歓迎されるだけでなく、人にも感謝されるという。おまけに稼ぎまでいいときては、イントールの頭がおかしくなったとしか思えない。

 友人の身を案じ、エグザスの顔も曇る。イントールは真剣に切り出す。


「オレの話が信じらんねーなら、自分で直接確認してみろよ。西のはずれに、パクス・ディストーティアっていう石造りの大きな建物がある。オレは今そこで働いてる。オレから聞いて来たって言えば、きっと施設の人間がぜんぶお前に教えてくれるよ。オレらがそこで、何やってんのかも」


 警戒するエグザスとは対照的に、イントールは柔和な表情で別れを告げる。


「じゃ、オレは家に帰るよ。今日は親父とお袋にごちそうしてやる約束なんでな。じゃあな、エグザス」


 エグザスは呆気にとられていた。イントールも自分のように、親との関係がうまくいっていなかった。家に帰りたくないので、自分たちとつるんでいるほどだった。

 しかし今の彼は両親と打ち解けている。何から何まで、自分の知っているイントールとは違う。


「いったい、どうしちまったんだ……あいつ……?」


 エグザスはつぶやきながら、悠然と闊歩していく友人の背中を見つめていた。


 数日後、エグザスは西のはずれに足を運んでいた。イントールの話が気になっていたからだ。エグザスは友人の言葉を今一度思い出す。


「あいつ、パクス・ディストーティアとか言ってたよな……」


 西のはずれなど、だだっ広いだけで何もないはずだ。そんなところで、一体何をしているというのか?

 エグザスは突然足を止め、何かを見上げて驚く。


「あいつ、こんなとこいんのかよ……?」


 彼の前方には、石造りの巨大な建造物がそびえたっていた。ゆうに10メートルはある新築の建物だ。要塞そっくりの外観で、無駄な装飾は一切ない。四方に屹立する塔が、城壁でつながっている。

 正面にある城壁の真ん中に広い入り口が見える。その真上に、聞かされたとおりの施設名が掲げられていた。

 稀にみる巨大建造物に、エグザスは息をのむ。軽い足音とともに、入り口からひとりの若い女性が現れる。職員と思しき女性が、きびきびと歩いてくる。彼女はすぐエグザスに気づき、穏やかに微笑んで尋ねる。


「あなたも、当館への就職を希望される方ですか?」

「オレのダチのイントールってヤツが、ここのこと話してた。それで、気になって見にきた」


 女性はすぐさま聞き返す。


「もしや、あなたはエグザス様ですか?」

「あんた、オレのこと知ってんのか?」

「イントール様が話しておられました。何日かしたら、友人のエグザス様がここを訪れるはずだ、と」


 面食らうエグザスを、女性は建物の中へといざなう。


「エグザス様、どうかわたしと中にお入りください。詳しい話は、館長から直接お聞きになったほうがよろしいかと」


 エグザスはうなずき、女性のあとから館内に足を踏み入れる。これほど立派な建物にお目にかかったのは、生まれて初めてだった。自分のような者がいるには、どうにも不釣り合いな場所だと思えてくる。

 肩身の狭さを感じつつ、入ってすぐに大きな石のテーブルが目に飛びこんでくる。そこが受付で、ふたりの女性がいた。エグザスたちを見て、座ったまま丁重に頭を下げる。彼も軽く会釈し、受付の前を横切り右手に向かう。

 右手にはほの暗い回廊が続いていた。無数の燭台が足元を照らしていた。薄暗い石道は外よりも涼しいうえ、どことなく不気味な雰囲気をただよわせている。

 回廊を抜けると、見晴らしのよい広間が現れた。曲線状の壁から判断するに、ここは塔の中らしい。広間を囲むように、壁にはびっしりと黒い鉄の扉が設置されている。感心しているエグザスを、女性は目で制止する。エグザスが訝るなか、女性は前方にいる人物を呼び止める。


「館長。イントール様のご紹介で、エグザス様がこちらにお見えになりました」


 館長と呼ばれた小太りな男は、感じのいい笑顔で応対する。


「そうか、ありがとう」


 女性が頭を下げると、館長は気遣う。


「お客様のご案内、ご苦労だったね。もう下がって大丈夫だよ」

「はい。ありがとうございます」


 女性はふたりに一礼し、回廊へと消えていく。館長は笑顔で確認する。


「あなたがエグザス様ですね。お話はイントールさんから伺っております。私どものお仕事について、ご興味があられると」


 慇懃な館長とは対照的に、エグザスはぶしつけに言葉を返す。


「あいつは、ここにくればオレにも全部わかるはずだって言ってた。ここって、いったい何なんだよ?」

「そのことは、これから説明いたします」


 館長は壁の黒い扉を示しつつ、説明を始める。


「この扉の先が、イントールさんたち当館職員たちの仕事部屋となっております。ちょうど今、我らの真後ろにある部屋が空いております。よろしかったら、中をご覧になられますか?」

「あぁ」


 ふたりは扉の前まで来る。館長はゆっくり黒い扉を押し開ける。扉を右手で開けたまま、丁寧な動作で、先に入るよう客人を促す。言われるがまま、エグザスは中へと入る。

 驚くほど殺風景な景色だった。窓のないこじんまりした部屋。その真ん中に、木製のテーブルとイスだけが置いてある。こんなところで、イントールは何やってんだ? エグザスが疑念を募らせていると、館長は扉を閉める。

 館長はテーブルの上にあるものを示す。


「テーブルの上に砂時計が置かれているでしょう? あれが、私たちの大切な商売道具なのです」


 テーブルの上には全長15センチほどの砂時計が置かれていた。何の変哲もない砂時計だ。こげ茶色の木枠に、真ん中がすぼまったガラス容器がはめこまれている。下側には落ちきった白い砂がたまっていた。ついに館長は本題に入る。


「私たちの仕事は健康な方からエネルギーを取り出し、弱っている傷病者たちに提供することです。国が当館の運営に注力しているのも、ひとえに多くの人間を救いたいがためです。この砂時計は、そのエネルギーをためこむ装置なのです」


 オレを馬鹿にしてんのか? 苛立ったエグザスは館長を問いつめる。


「エネルギーを取り出すだぁ? そんなんできっこねーだろうが! こんなちっぽけな砂時計ごときに! しかも国まで関わってるなんて、デタラメも大概にしやがれ!」


 荒ぶるエグザスに、館長はあくまで穏やかに語りかける。


「説明を聞くと、皆様決まってそうおっしゃるものです。しかし、私が話したことはすべて事実です。疑われるなら、あなたも一度エネルギーを取り出してみませんか? そうすれば、私の話が事実だと納得できます」


 嘘八百を並べ立てているわりに、館長は落ち着きはらっている。しかも自分に試してみるかとまでぬかしやがる。どうにも信じられないが、まさか本当なのだろうか……? しかしそうでもなければ、これほど巨大な建物が完成できるはずがない。

 少し心が揺らいだエグザスは、館長の提案にのってみることにした。嘘だったら、そのあとで締め上げればいいだけの話だ。


「いいだろう。なら、一度やってやろうじゃねぇか。そのかわり、嘘だったらどうなるかわかってるよな?」

「もちろんでございます。では、さっそくエネルギーの抽出方法をご説明しましょう」


 館長は彼にテーブルとイスをすすめる。


「やることはただ一つです。ここに座り、砂時計を逆さにします。触れた瞬間、砂は金色に変わります。あとは金色の砂が落ちきるまで、室内で待機するだけです。どうです、とても簡単な作業でしょう?」


 呆気にとられるエグザスに、館長は念を押す。


「私の言うことに嘘はありません。では、私はお暇します。エネルギーの抽出が終わったら、またお伺いしますので」


 鉄の扉が音を立てて閉まる。残されたエグザスは、砂時計に疑惑の目を向ける。触れただけで砂の色が変わる? あのジジィ、どこまでオレをおちょくってやがるんだ!

 腹の虫がおさまらぬエグザスは、椅子を引いてどかっと座りこむ。無造作に砂時計へ手を伸ばした直後だった。指先が砂時計に触れるやいなや、下にたまっていた砂全体がぼんやりと発光する。あっという間に白かった砂がすべて金色に変わった。館長の話していた通りに。


「マジかよ……」


 戸惑いながらも、エグザスは砂時計を逆さにする。たちまち室内の景色が一変した。天井と壁一面が青空になる。頭上に浮かぶ太陽が容赦なく照りつけてくる。石畳の床も、白く乾燥した砂場に早変わりする。一瞬で、彼は炎天下の砂漠に囲まれてしまったのだ。

 しかし暑さは全然感じない。太陽から熱を吸収しているはずの砂も、まったくもって暑くない。テーブルや椅子もいっこうに熱を帯びてこない。単に見た目だけが変わり、室内の温度自体には何ら影響がないようだ。

 それでも、すべてが劇的に変わってしまったのは確かだった。ひどく驚愕したエグザスは、砂時計に目をやる。

 不思議なことに、上にある砂はまったく落ちてこない。細くくびれたオリフィスが目詰まりしたかのように、砂には一切動きが見られない。

 故障を疑いつつ、エグザスはじっと砂時計を見つめる。ようやく数粒の砂が下へ落ちていく。ゆっくりと、時間をかけて。

 それにしても、見れば見るほど不思議な砂だ。まぶしいほどの金色の輝きが、見る者の目を吸いよせる。エグザスもたちまちその魅力の虜になり、時間を忘れて落ちゆく砂を見入っていた。

 どれほどの時間が経ったであろうか、とうとう砂が完全に落ちきった。同時に室内に広がっていた青空と砂漠が霧散する。隠れていた殺風景な壁と石畳が、自分たちを忘れるなとでも言いたげにエグザスを取り囲む。


「消えた……」


 座りこんだまま、エグザスは力なくつぶやく。いったい自分は、夢でも見ていたのか? いや、夢などではない。砂時計の砂は金色に変化し、室内は砂漠と化した。砂が落ちきると、砂漠の幻は一瞬で消えてしまった……。

 とても信じられないが、すべてが現実に違いなかった。おとぎ話でしか聞いたことのない魔法の存在を、まざまざと見せつけられたのだ。

 茫然自失のエグザスが座りこむなか、鉄の扉がゆっくり押し開けられる。扉の奥から愛想のいい笑顔が現れる。館長だ。彼は笑顔で来客に確認する。


「どうです? 私が話したことに、ひとつも嘘はなかったでしょう?」

「あ……あぁ……」


 館長はしたり顔で打ち明ける。


「イントールさんをはじめ、職員たちは1日に5回エネルギーを抽出します。砂が落ちきるたびに、短い休憩が入ります。その間に私たちは砂時計を預かり、採取されたエネルギーを回収するわけです。回収が終わると、砂は再び白色へと戻ります」

「なぁ、ちょっといいか?」

「何でしょう?」

「あんた、どうしてオレの作業が終わったのがすぐわかったんだ? まだ、終わったばっかだってのに……」

「あぁ、そのことでしたか。私としたことが説明を忘れていました。エグザス様、お手数ですが扉の前までお越しいただけますか?」


 エグザスは立ち上がり、館長の待つ扉の前まで向かう。ふたりで部屋を出ると、すぐに答えがわかった。扉の外側に、真っ赤な太陽の紋様が浮かび上がっていたのだ。


「そのご様子でしたら、もうエグザス様にもおわかりですよね? その通りです。エネルギーの採取が完了すると、扉の外側に大きな太陽の絵が浮かびあがります。この絵は我々がエネルギーを回収し、白い砂時計を部屋に戻すと消えてしまいます」


 エグザスは感心し、館長への疑いも氷解していた。見る者を圧倒する経験の連続が、有無を言わさずエグザスを納得させてしまっていた。彼の心の変化を見抜き、館長は相手を口説き落としにかかる。


「どうでしょう、エグザス様。あなたもイントールさんのように、こちらで働かれてみては? 私たちはあなたのような、若く血気盛んな方々を喉から手が出るほど必要としております。この仕事は、携わったすべての人間を幸せにしてくれます。労働者には非常に実入りがよく、助けた方々にはこぞって感謝してもらえます。エネルギーのおかげで助かった方々が、直接お礼を言いに来られることもしょっちゅうです。簡単な作業をこなすだけで、誰もが幸せになれる! もちろん、あなたご自身も! そのことは、この私が保証いたします! もしよろしかったら、きょうから私たちとここで働いてみませんか? もしあなたに来ていただけるなら、私たちにも願ってもない幸せです!」


 次第に熱を帯びていく館長の言葉は、エグザスの心を動かした。エグザスはおもむろに口を開く。


「ってことは、きょうはあと4回ここでエネルギーを取り出せばいいんだな?」

「おぉ! それでは!」

「オレも今日から、ここで働かせてもらおうかな。よろしくな、館長」


 親愛の情を示すべく、エグザスは開いた右手を館長に差し出す。館長もすぐ右手を伸ばし、ふたりはガッチリと握手をかわす。


 館長はさっそく砂時計を預かり、エネルギーを回収する。館内には複数の場所にエネルギーの保管庫が設置されており、最寄りの保管庫はこの塔の3階だという。

 去り際に館長は、今後砂時計の運搬は回収係が担当するの旨を告げる。エグザスが承諾すると、館長は足早に立ち去る。


 数分もすると、砂の白くなった時計を回収係の女性が運びにきてくれた。彼女の話で館内の様子もわかってきた。

 館内はとても広いため、彼女たちのような専属の回収係が絶えず移動して砂時計をかき集めている。エグザスのようなエネルギーの供給者、すなわち正規の労働者は兵士と同じで男性しか選ばれない。しかし回収係なら性別は関係ないという。

 聞けば正規の労働者も皆、砂時計を見入っているうちに作業が終わってしまうと異口同音に訴えるそうだ。自分より回収係のほうがずっと大変そうだと思いつつ、エグザスは話に耳を傾けていた。


 最後の作業が終わると、エグザスはやや疲れを感じていた。身体が少し重く感じる。昼前に来たのだが、終わったころには日がすっかり沈んでいた。

 回収が済むと、館長が袋を手にエグザスの部屋を訪れた。給料は日払いで、本日分を持ってきてくれたという。

 見れば袋の中には、何枚も金貨が入っているではないか。本当にこんな大金をもらっていいのか確認すると、館長は「あなたがなさっているのはそれだけの価値があるのですから、どうか遠慮なくお受け取りください」と勧める。

 エグザスは目を輝かせて、日当を受け取った。袋の中の金貨にしばし目を奪われる。興奮する彼を、館長も満足げに眺めていた。エグザスは館長に何度もお礼を伝え、仕事の疲れも忘れて帰宅する。


 翌日からは、規定通り朝に出勤した。これならどんなに遅くとも、日没前には終業できる。慣れてくると昼前には、すべての仕事が終わってしまうという。

 この仕事を機に、エグザスは明らかに変わった。不良グループの仲間たちとつるむこともなくなり、完全に悪事から足を洗った。紹介してくれたイントールと、仕事に励む日々を送っていた。


 徐々に仕事にも慣れ、エグザスは昼過ぎには業務が終わるようになっていた。彼が作業部屋の前で日当を確認していると、はす向かいの鉄の扉が開く。銀のお盆に砂時計を乗せた回収係が、足早に退出する。

 意外にも、エグザスたちエネルギーの供給者たち同士にはほとんど接点がない。人によって作業時間がまちまちで、顔を合わせる機会も皆無だからだ。事実エグザスにも、イントール以外の知り合いはいない。

 エグザスは好奇心から、開いた扉ごしに中の人物をそっとのぞき見る。部屋に腰かけていた人物を一目見て、エグザスは驚きと歓喜の入り混じった声を上げる。


「ボナンじゃねぇか! よく来たな!」


 机の前には小柄な少年が腰かけていた。少年はエグザスを見るや立ち上がり、目を丸くして答える。


「エグザスさん! この前エグザスさんがこここ紹介してくれたから、きょう初めて来たんすよ! それで、いま作業中で……」


 エグザスが不良グループにいた際、最も目をかけていた後輩がボナンだった。少し前に偶然再会した際、エグザスは今の仕事のことを教えていた。かつてイントールが自分にだけは教えてくれたように。

 後輩の話ぶりで、エグザスは既に相手がここへの就職を決めたと確信していた。彼は笑顔で後輩に尋ねる。


「お前、エネルギー何回出した?」

「4回目で、次が最後っす」

「なら、お前が終わるの待っててやるよ。オレはいま終わったとこだけど、このあと予定もねぇしさ」


 エグザスの気遣いに、ボナンは喜ぶ。


「マジっすか! ありがとうございます、エグザスさん! オレ、頑張って早く終わらせますから!」

「いいって。初日なんだし、焦らずがんばれよ。じゃ、またあとでな」


 エグザスが扉を離れると、回収係がボナンに砂時計を運んでくる。

 退出した回収係を尻目に、エグザスは広間の隅で仕事終わりを待つ。奥の回廊から、誰かが息せき切って走ってくる。誰だろうと訝りつつ、奥の回廊に注目する。

 姿を現したのはイントールだった。エグザスに気づくと、安堵の表情を見せる。いつになく慌てた親友を、エグザスはからかう。


「どうしたんだよ、イントール? そんな慌てて……」


 イントールは息を整えながら答える。


「何でもないって……。ただ何となく、お前に会いたくなってさ……」


 柄にもないことを言われ、エグザスは苦笑する。


「おいおい……らしくねぇこと言うなよ。オレたち、昨日も会ったばっかだろ?」


 他愛もないやり取りを楽しむように、イントールは柔和な笑みを浮かべている。彼はいつになく機嫌がいいらしい。早速、エグザスは指摘する。


「お前、何かいいことあったのか? そんな嬉しそうにしてさ」

「別に、何にもねぇよ。むしろ、オレよりお前のほうが嬉しそうじゃん。お前こそ、何かあったのか?」


 エグザスははす向かいの扉を示し、得意げに打ち明ける。


「あそこで、ボナンが仕事してんだよ。オレの話が気になって、今日来たんだってさ。もうオレらと働くって決めてた」


 話を聞くなり、イントールも喜びの声を上げる。


「ボナンが? そうか……! あいつも、ここに来るのか……!」


 ボナンはイントールとも仲が良く、よく3人で一緒に行動していた。それだけにイントールの喜びもひとしおだった。エグザスは親友に確認する。


「あいつ、あと1回で終わるってよ。それまで、ここで待ってるつもりだったんだよ。とうぜん、お前も待つだろ?」

「もちろん! 久しぶりだなぁ、あいつに会うの……」

「お前もいるってわかれば、あいつきっと喜ぶぜ? 『イントールさんまで来てくれたんすか!』ってよ」

「言いそうだよな、ボナンなら……。あいつ昔から、変にすれてなかったし」


 しみじみつぶやくイントールに、エグザスはどこか違和感を覚えていた。今日のイントールはどこか感傷的だ。自分たちと一緒にいられることが、嬉しくてたまらないように見える。そんな当たり前のことをなぜ大袈裟に喜ぶのか、この時のエグザスにはまだ知る由もなかった。


 ボナンも加わり、エグザスは気の置けない仲間たちと充実した日々を過ごしていた。

 別の日には、有名な将軍が直接出向いてくれたことさえあった。彼はここで採取されたエネルギーのおかげで、仕事に復帰できたそうだ。そのお礼をどうしても伝えるべく、直々に足を運んでくれたのだった。

 武勇の誉れ高き将軍は、エグザスたち庶民にとって雲の上の存在だ。その将軍が、自分たちにわざわざお礼を言いにきてくれるなんて……! エグザスは飛び上がりたくなるほど嬉しかった。自分の仕事が誰かの役に立っていることを、初めて肌身にしみて実感できた。


 エグザスはかつてないほどの充実感で満たされていた。顔からも険がとれた。迷惑をかけた両親への恩返しにと、ごちそうをふるまってあげることもできた。両親は感激し、遠い昔と思っていた円満な家庭までもがこの手に戻ってきたのだ。

 この親孝行は、館長の助言がきっかけだった。「今まで苦労をかけたぶん、これからはできるだけ恩返しをしてあげなさい」というのが、館長の口癖だった。

 また館長は日給を手渡す際、くれぐれも無駄遣いをしないよう皆に釘を刺していた。日頃の恩もあり、エグザスもこの忠告にできるだけ従っていた。館長には全幅の信頼を寄せていたからだ。

 かつては自分を煙たがっていた近所の人たちも、今では好意的に接してくれる。すべてが順調な、バラ色の人生が幕を開けた。今がまさに、エグザスの人生のピークだった。


 しかし、手放しで喜べるほどの幸運はそう何度も続かない。エグザスの行く手にも、次第に暗雲が立ちこめつつあった――。

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