第9話・長風呂は ちっこい体の 敵である
わたし――彩星ひかりは、けっこうお風呂が好きだ。
程よく温くなったお湯に、頭と首の境目までじっくりと浸かる。
そうすれば、熟考によって硬くなった脳がほぐれて、柔軟な思考が出来るようになるのだ。
わたしは、1人でじっくりと入る、長風呂が好きなのだ。
そしてわたしは、酷く熱いお風呂に複数人で入るのが嫌いだ。
この150センチにも満たない小さい体では、熱いお湯に浸かればすぐにのぼせてしまう。
あと、人と一緒に入っていると、まともに思考の海に潜ることが出来ない。
だから今の状況は、どちらかと言うと嫌である。
「――だし、カップラーメンが食べたい」
「なんでヒスイは、そんなにカップラーメンが好きなんだ? ワタシとしては、もっと健康的な食事の方がよっぽど魅力的に思えるが」
「はいはい、あんたの家は裕福だもんね緋珠。この世界じゃ、高級料理は食べられないかもよ? ほら、フレンチとか」
「別に、毎日フランス料理は食べてないんだが……それに、ワタシは和食の方が好みだ」
ゆっくりとお風呂に浸かるわたしの横で、2人の美少女がちゃぷちゃぷと水面を揺らしながら言葉を交わしている。
橘の返事にに納得いかなかったのか、百咲はその返事をスルーして口元までお湯に浸かった。
「そうだ。彩星ちゃんはカップラーメン、日頃から食べているか?」
百咲と横並びでお風呂に浸かっていた橘が、わたしの側まで寄ってきて声をかけてきた。
わたしは突然近付いてきた橘に驚きながらも、それを隠しておどおどと返事をする。
「えーと、カップラーメンって、どっちかと言うと不健康だから。ほとんど食べたことない……かな?」
「ほらな、ヒスイ。お前の食生活は酷く不健康らしいぞ」
「そ、そこまで言ってないよ?」
ぶくぶくと口から泡を生み出していた百咲は、橘にそう指摘をされるとお風呂の中で立ち上がる。
そしてこちらの方を向くと、彼女は自身のスレンダーな体をひけらかすように胸を張りながら、堂々と口を開いた。
「べ、別に美味しいんだからいいじゃないの! それに、ヘルシーな物とか食べなくても、あたしはダイエットする必要ないくらい痩せてるし……」
「でもヒスイ、ついこの間体重が増えたって自分で言って――」
「わーーー!!!」
乙女の秘密を何の躊躇いもなく橘が喋り出した瞬間、百咲が叫び声を上げる。
そして両腕を使ってお湯を掬うと、そのまま腕を振り上げて津波の如き威力で橘の顔面に直撃させた。
「ヒスイぃ……無思慮に秘密を漏らしたワタシも悪いが、これはやりすぎじゃないのか……? お前のお湯飛ばし攻撃、なかなかに痛かったぞ……?」
橘は気官に水が入ったのかゴホゴホと咳き込むと、まるで般若が憑依したかのようなオーラを放ち始める。
そしてゆっくりと百咲の方を向くと、背筋が凍え死にそうなほどに重たい声で、彼女に語りかけた。
「あ、えーと、その……て、手が滑っちゃったのよ! そう! 手が――」
「言い訳無用!!!」
「いやぁぁぁぁああ!?」
次の瞬間、先ほどより数倍もの威力のお湯が、焦りに焦っていた百咲のことを襲う。
百咲は叫びながらその整った顔にお湯を受けると、お湯の勢いのままお風呂の中でひっくり返った。
バッシャーーーン!
という音が聞こえてくる中、まるで小学校の修学旅行のような雰囲気の2人に、わたしは呆れ果てる。
(高校生にもなって何してんの……)
わたしは横目でお湯のぶつけ合いを始める2人を眺めながら、こっそりとため息をつく。
だが、遠慮は無しに、しかし楽しげに、相手に全力でお湯を掛け合うその姿は、正直に言ってしまえば酷く可愛らしかった。
(………………別に、寂しくなんてないし)
「お姉ちゃんたち。わたし、のぼせてきちゃったから上がるね」
ゆっくりと浴槽から立ち上がると、わたしは戯れ合う橘と百咲にそう声をかける。
しかし、高校生にもなって真剣にお湯を掛け合う2人に反応は無く、わたしの言葉は届いていないようだった。
(ま、いいか)
わたしはお風呂から上がると、ぺたぺたと足音を鳴らしながらお風呂場の扉から外に出る。
そして巻いていたタオルを取ろうとした瞬間、わたしのことを見つめる、メイド姿の不審者と目が合った。
「………………これって、皇帝陛下に通報した方がいいのかな……?」
「なんで!? ボクはただ異世界の方々をお待ちしていただけですよ!?」
「だって……わたしのパンツ、手に持ってるし」
わたしほどではないが小柄なメイド服を着た女、彼女の手には、黒色で大人っぽいパンツが握られていた。
そう、わたしが普段から履いているパンツである。
「違いますから! ボクは洗濯の終わった皆様の下着を戻しに来ただけです!」
「戻しに着た? つまり履いたってこと? やっぱり、変態さんなんだね……」
「どうしてそうなるんですか!!! ボクの名前はリース・オルダー、本当にこの王城に仕えるメイドです!」
わたしのパンツをそばのカゴに投げ入れた彼女は、堂々と胸を張ってそう名乗ってきた。
見た目だけで言えば彼女は美少女なのだが、先ほどの言動によってパーフェクトに台無しである。
「そして、これからこの王城で暮らすヒカリ様の、専属メイドに任命された者です!」
彼女は自信満々な表情を浮かべると、ドンッと自身の胸を叩いてからそう言い放った。
………………この変態が? まじで?
「ちょっと! 口に出てますからね! 可愛らしい女の子って聞いてたのに、とんだ毒舌幼女じゃないですか!」
「どこの誰が幼女!? そこまでわたし小さくないよ!?」
それに、わたしより数センチ大きいだけに見える彼女に、そう言われたくはない。
目の前の彼女はなぜかため息をつくと、残念そうな表情を浮かべてわたしに目線を向けてくる。
「無駄に広い王城も掃除ばっかりだったのに、ついに可愛い女の子の専属になれた! そう思ったのになぁ……」
彼女の言葉に、わたしは頭の芯からイラッとくる。
こっちは6年もの間、可愛らしくあどけない、人畜無害なロリを演じてきたのだ。
どうしてかわたしの無駄なプライドが、こんなところで刺激された。
「ねぇ、わたしじゃダメなの? リースお姉ちゃんっ」
次の瞬間、視界から彼女の姿が消えたと同時に、わたしは衝撃的な速さで誰かに抱きつかれた。
「きゃー! リースお姉ちゃんだって、リースお姉ちゃんだって! そんな呼ばれ方、人生で初めて!」
そう騒ぎながら彼女は、わたしのことを押し潰す勢いで抱きしめてくる。
さすがにチョロすぎはしないだろうか。
「そ、それじゃあわたし着替えないとだから……」
「あ、そういえばお風呂上がりでしたね……ってボクなんかびしょびしょなんだけど!?」
お風呂上がりのわたしに抱き付いたのは、いったいどこの誰だろうか。
わたしは心の中で深いため息をつくと、なぜかその場から動かない彼女に対して話しかける。
「いや、タオル……外したいんだけど……」
「え? はい、どうぞ? あ、それともメイドらしく、着替えのお手伝いをした方がよろしいですか?」
「………………………………」
どうやら彼女……いやこの女は、どうしようもない変態のようだ。
わたしは全力で女を睨みつけると、ゆっくりと口を開いた。
「今すぐ………………」
「はい? 今すぐ? あ、今すぐ手伝ってくれってことですね! はい、かしこまりました!」
「ここから出ていけぇ!!!」
無事にあの変態を追い出した後、わたしは乾いているタオルで全身をしっかりと拭いた。
そして先ほど変態が手に持っていた下着を身につけると、制服を着ようとお風呂に入る前に畳んで仕舞っておいたカゴを覗き込む。
「あれ……? 制服は?」
だが、そこに制服はなく、あるのは鮮やかな桃色の布が畳まれたものだけである。
手に取って広げてみると、どうやらこの布はネグリジェのようだった。
「え、制服は? これを着ろってこと?」
可愛らしいフリルのついたネグリジェを広げたまま、わたしはどういうことかと困惑する。
しかしわたしはここで、あの変態が言っていた言葉を思い出した。
『違いますから! ボクは洗濯の終わった皆様の下着を戻しに来ただけです!』
(え、もしかして……わたしたちの制服、洗われてる?)
カゴの底からわたしの制服が消失した理由は、それしかあり得ないだろう。
どうやら、あの変態……の呼び方は止めてあげて、あのリースとやらが言っていたことは、実は正しかったようだ。
「でもあの女、わたしのパンツを持ってるとき、完全に発情してる顔してたけどなぁ……」
それにしても、今夜のところはこれを着るしかなさそうである。
「うーん……あんまりさらさらとした生地は、わたしは好きじゃないんだけど」
だが、仕方ないのないことだ。
わたしは稀に着るワンピースと同じように、ネグリジェを丁寧に着ていく。
「ん? これ、なんかサイズぴったりじゃない?」
いつわたしの身長を把握したのだろうか……目測りか、それともそういった魔法が存在するのか。
その真相は分からないが、この王城のわたしたちへの対応が、高級ホテルを凌駕するものだということは事実だ。
もちろん、まだこの世界に来て数時間も経ってないのにも関わらず、こうしてぴったりの寝巻きが用意されていることには、しっかりと恐怖を感じているが……
「よし、それじゃあ着替えも終わったし……」
わたしは脱衣所の壁際に設置されている棚まで、てくてくと近付いていく。
そしてジャンプをして天板に手を掛けると、体重が軽いことを利用して一気によじ登った。
天板の隅に置いてあったのは、わたしのスマホとイヤホン、そして真っ白な2つのシュシュ。
お風呂に入る前、制服を検査されることを危惧したわたしが、この場所に隠しておいたのだ。
わたしは棚から身軽に飛び降りると、スマホを1度置いてから姿見の前まで移動する。
そして鏡を見ながらシュシュで髪を結ぶと、そこにはラビットスタイルのツインテール美少女が映っていた。
「よし、これで完璧と。それじゃあ後は……うん、特に弄られている様子はなさそう」
わたしはスマホを手に取って電源ボタンを長押ししてスマホを起動すると、いつもと変わらぬロック画面が表示された。
壁紙に設定しているのは、わたしが好きなボカロ曲のMV、そのひと場面である。
また、バッテリー残量はまだ98パーセントを示しており、予想通りに電波は圏外のようだ。
(ま、Wi-Fiが飛んでるわけないよね。飛んでるのは鳥とモンスターだけでしょ、どうせ)
だって、異世界だもの。
それにしても、わたしの通学用カバンはどこに行ってしまったのだろうか。
こっちの世界に召喚されたときにはわたしの手元からカバンは消滅しており、制服のポケットに入っていたスマホとイヤホンしか持ち越すことが出来なかった。
ちなみに、転移する前にカバンを放り投げていた他3人は、無事? に手ぶらで召喚されている。
しかし橘だけは、背負っていた筒状のケース――竹刀入れだろうか――を持ち越すことに成功していた。
(わたしのカバンだけ、範囲外だったのかな? ま、正解は分からないけど………………あれ?)
先ほどまでのことを思い返しながら、スマホとイヤホンをポケットに入れようとして、わたしはある事に気が付いた。
今来ているネグリジェにはポケットが無いせいで、これらを仕舞うことが出来ないのだ。
「………………どうしよ。それに、もう少しすればあの変た……メイドも戻ってくるだろうし」
ここ数年で、1番くらいに不味い状況である。
もしも、わたしがスマホを隠していたことが露呈した場合、どのような処罰が待っているだろうか。
「衣服に隠せる場所はないし、もう飲み込む……? いや、んなバカな。ほんとにどうしよ………………あぁ、スマホがパッて消えたりしてくんないか――」
パッ!
「………………え? え、スマホどこいった? え……?」
目の前から、スマホが消えた。




