第8話・かぽ〜〜〜ん
(かぽ〜〜〜ん……)
どうして銭湯やお風呂を表現する擬音は、この音なのだろう。
正直に言って、家でお風呂に入っている時にそんな音は聞いたことないし、そもそも銭湯には行く機会が無かった。
もっと他にいい表現があったのでは、と思ってしまう。
例えば……こう、『ちゃぽ〜ん』とか、その………………
(あんまり、思い付かないな……)
そんなことをぼーっと考えながら、わたしは頭からザッパーンとお湯を被る。
今わたしがいるのは、アルケレス王城にある、めちゃくちゃに広いお風呂場だ。
「なんで異世界なのに、水道がしっかり機能してるのかしら……?」
「あくまで予想だが、ワタシらのような日本からの転移者が、過去にもいたのではないか?」
「……まあ、それなら納得できるわね」
そしてもちろん、一緒に召喚された百咲、橘の2人と共に入っている。
聖女がエロイアを撃退した後、わたしたちは、背後から現れた本物のメイドらにここまで連れてこられたのだ。
どうやら皇帝は後処理に忙しいらしく、今日のところは仕度を済ませて寝てもらって構わない、らしい。
それにしても、今さっき百咲も同じく疑問に思っていたようだが、建物の材質やデザインを見るに、この世界の時代は中世ヨーロッパに近いものだ。
なのにも関わらず、こうしてシャワーを浴びる事が出来るのはもちろん、シャンプーやボディーソープまで常備されており、そして広々としたお風呂まで設計されているのは、かなり不思議である。
わたしが思うに、橘の意見――過去にも日本からの転移者が存在した、というのは限りなく正解に近いのではないだろうか。
貴族らが話していた内容によれば、どうやら遥か昔から勇者が存在しており、魔法少女についての記述も残されていたようだ。
まあ、明らかにその勇者たちは日本から召喚された者たちだろう。
(というか、もしかして……)
そもそも勇者というのは、この世界に始めから存在する人物は成ることが出来ないのだろうか。
聖女が魔法の詠唱に女神アロミスという神の名を口にしていたが、彼女の魔法によってわたしたちが呼ばれたのなら、わたしたちに祝福を授けたのは、推測ではあるが、その女神アロミスという神であろう。
なら聖女という存在は、その女神に祝福された存在ではないのか?
聖女という祝福をこの世界の人々に与えられるのであれば、勇者という祝福も同様では無いのか?
もしそれが不可能なのであれば、なぜわたしたち異世界人には祝福を授ける事ができる?
はっきり言って、疑問が尽きることはない。
まだわたしは、この世界のことを全て知らないのだ。
(勇者召喚が真っ当なものかもまだわからないし……確実な情報を多く得る必要があるな……)
【魔法少女】なんていう笑ってしまうような祝福を与えられ、同じ世界を生きる者ですらない人々のために、なぜ命を自ら捨てに行くかのように、魔王などという巫山戯た存在を殺そうとしなければならないのか。
わたしは、何も為さずに死にたくなんてない。
「彩星ちゃん、手が止まっているがどうかしたのか?」
後ろから声をかけられて、わたしは思考の世界から現実に戻ってくる。
声に釣られて振り向き橘と目が合うと、わたしは少し恥ずかしそうな表情を浮かべながら口を開いた。
「あ、橘さん……その、考え事しちゃってて」
わたしが「えへへ」と笑ってみせると、橘は少し苦しそうな顔をしながら、わたしの方に手を伸ばしてくる。
「……そんな、他人行儀な呼び方じゃなくて大丈夫だ。せっかくなら、緋珠お姉ちゃんとでも呼んでくれ」
「う、うん。わかったよ、緋珠お姉ちゃん!」
わたしがそう返事をすると、橘の手が、シャンプーで泡立っているわたしの頭に乗せられる。
気が付けばわたしは橘に、わしゃわしゃと頭を洗われていた。
鏡越しに彼女の表情を見てみれば、橘はなぜか試合前だと思うほどに、真剣な表情を浮かべている。
「彩星ちゃん……訳がわからない状況で、不安に思っているかもしれない。だが心配しなくていい、ワタシたちがついてるから」
そう言いながら橘は、わたしのことをギュッと抱きしめてくる。
(何がしたいんだろう。わたしに抱きついたりして)
直前までお湯を浴びていた上に、人肌にくっついて体温を感じているせいか、だんだんと暑くなってきた。
でも、なんだか……
(温かいな……)
嫌ではなかった。
ラベンダーのようなフローラルなシャンプーの香りに包まれていると、再び後ろの方から声が聞こえてくる。
「ちょっと、なに女の子同士でいちゃいちゃしてるのよ!」
高い声だが不快ではない、さながら鳥のさえずりのような声で話かけてきたのは、ボブカットの茶髪をぺちゃぺちゃにした百咲だった。
橘と一緒に後ろを向くと、お風呂から上がった彼女は、貧相な全身を一切隠さずにわたしたちの方に歩いてくる。
(羞恥心とか、ないの……? まあお互い女子だし、別に気にしてないのかもだけど……)
それに反して、胸は慎ましくはあるが、体が引き締まっていてスタイルがとてもいい橘は、しっかりと体にタオルを巻いて隠している。
もちろんわたしも。
「ただワタシは、彩星ちゃんの頭を洗っているだけだが……姉妹間でのスキンシップのようなものだ」
「あたしはお姉ちゃんと洗いっこなんてしたことないし」
さも当然ですが? とでも言いたげな雰囲気の橘に対して、百咲がそうツッコミを入れる。
「というかその子、あたしたちと同じ制服着てたでしょ? なら最年少だとしても、中学1年生じゃない」
わたし、そして彼女たちが通う学校は、中高一貫校で制服も6年間変わることがない。
だからこそわたしは少女を演じる事が出来たのだが、どうやら上手く騙せているみたいだ。
「百咲さんの言う通りで、今年中学1年生になりました! わぷっ!」
彼女の発言に乗っかってわたしも口を開くと、髪を洗い終わったのか橘がシャワーをつけたせいで、大量の水が顔に直撃してくる。
「そんな歳なのに……あの皇帝に、この国に文句を言ってやりたい。だが、彼らが魔王という存在によって日頃から辛酸を舐めている、これは歴とした事実だろう。ならば、ワタシたちだけで魔王を討伐し、彩星ちゃんを無事に日本に帰す。そうするべきではないか? 魔女ヒスイよ」
「なんなのよその呼び方。でも、あたしもそれには同意するわよ。こんな子に血反吐吐くような思いをさせるなんて、出来るわけないわ」
どうやら2人は、戦場で舞い散る歩兵のように命を削って戦うことを、自称中学1年生であるわたしにさせたくないようだ。
そう思ってもらえるだろうと予想して少女を演じたのだが、こうして2人が、わたしを全力で守ろうという話をしているのを聞くと、擦り切れたはずの心が痛くなるように感じる。
きっと気のせいだろうけど。
「よし……と。洗い終わったことだし、それじゃあお風呂に入るとするか。彩星ちゃん」
2人の話に対して複雑な感情を抱いている間に、どうやら全身を洗われていたらしい。
どうしてか壁に固定されているシャワーのお湯を桶に溜めて、それでわたしの体についていた泡を流した橘は、手を引っ張ってわたしのことを立たせようとしてくる。
「緋珠お姉ちゃん、洗ってくれてありがとね!」
ほんとは自分で洗いたかったが、せっかくやってくれたことだし、わたしは彼女に礼を伝える。
すると橘は、今日で1番綺麗な笑顔を浮かべながら口を開いた。
「別に、どうってことはないさ。ほら、早く湯船に浸かろうじゃないか」
橘はわたしの頭を軽く撫でると、手を引っ張ってお風呂の方に向かっていく。
彼女のその笑顔に、少しだけ照れてしまったことは、絶対に内緒だ。
わたしは橘に引っ張られたまま、体の芯にまで染み渡るお風呂に、みんなでゆっくりと浸かるのだった。
◆
キチンと整備のされた、森林の開けた場所を通る道路の上を走る、何台かの馬車。
そのうちの1台の中、とても麗しい1人の女性が、座席に座りながら四角形の箱のような物を右耳に当てていた。
「もしもし、こんな時間にどうしたの? もしかして、私の声がどうしても聴きたくなったのかしら?」
彼女が耳に当てているのは、魔導通信機と呼ばれる魔導具だ。
「もう、別にそういうのじゃないですから。前にも言いましたが、本日、勇者召喚の儀式が行われました」
「あら? その話って今日だったのね。私の方も忙しくて、頭から抜け落ちていたわ」
女性は腕が疲れたのか、今度は左手に持ち替えて耳に当てる。
「それで、結果はどうだったの?」
「えーと……まず、勇者は現れましたよ」
「あら、それなら良かったじゃないの。これでこの国の未来は明るいわね」
「ええ、私もそう思います。それと、剣神と魔女も現れました」
通信相手がそう言った瞬間、女性は驚いた様子で目を大きく開いた。
「なるほどねぇ……それだけの力が異世界人側にあるのなら、警戒は怠らない方がいいわ。叛乱でも犯されたら困るもの」
「もちろんです。ただ、最後の1人についてなんですが……」
「4人も召喚されたの……!? ああ、ごめんなさいね。それで、最後の1人が?」
数秒間の沈黙のあと、通信相手の声が聞こえてくる。
「ま、魔法少女……でした」
「………………えーと? 聞き覚えはあるけれど、詳細はよく知らないわね。鑑定でそれは分かったの?」
「いいえ……怖いくらいに、何も分かりませんでした。それにどうやら、魔法少女という祝福を授かった異世界人の少女は、まだ子どもなんです。でも、すごく反応が可愛らしくて」
通信相手の言葉を聞いた瞬間、女性は黙り込んでしまう。
そして数秒間が経ったあと、彼女が再び口を開いた。
「その少女、厳戒態勢でお願い。私は会ったことも声を聞いたこともないけれど、なんだか、嘘の香りがするわ。そうね……冷静な判断によって、子どもの演技をした方が身の為、そう考えたのかしら? 明確な証拠はないけれど、私の今までの経験から、そう感じ取ったのよ」
「なるほど……私は、あの子がそんなことをするようには思えませんでしたが……でも分かりました。最大限警戒をしておきますね」
「ええ、よろしく頼むわ。あら、魔石の魔力が底を尽きそうね……しばらくの間は通信が出来そうにないわ」
「そうですか……仕方のないことですが、寂しいですね」
通信機ごしに、悲しそうな声が聞こえてくる。
「でも安心して。明日の夜……それか明後日の早朝には着く予定よ」
「……! それなら嬉しいです。では、おやすみなさい――」
小さく息を吐く音が、通信機から聞こえてくる。
「――ラズリア皇女殿下」
「ええ、おやすみ。いい夢を、アイリス」
女性――ラズリアは通信機が切れたのを確認すると、そのまま座席の放り投げる。
「帝国に帰るのが、酷く楽しみね。待ってなさい、魔法少女………………私が、遊んであげるから」
彼女を乗せた馬車は、日が沈む森の中を音のような速さで進み、アルケレス大帝国へと向かっていくのだった。




