第19話・リシア・アルケレス
唐突に声をかけられて驚いたわたしは、すぐさま立ち上がって声のした方に視線を向ける。
右手のひらと指先を上に向けて、左腕は組んている彼女が、ゆっくりと近付きながらわたしに話しかけてきた。
「それに、まだ子供じゃないですの。こんな場所で子供が1人きりだなんて、迷子になってしまいましたの?」
わたしのことを見つめるその瞳には、インディゴライトのように深い煌めきが込められており、高貴なる華麗さが見え隠れしている。
吊り上がった目じりに、細めの眉と高い鼻筋で、美しい顔立ちにはどこか幼さが残っている印象を受けた。
そして満月のように神々しい黄金の髪は、穏やかな河川の流れのように左右で渦を描いており、隠しきれない気品と高貴さが溢れている。
また、陶器のように白い肌は滑らかに見えて、彼女の華奢な体に良く似合う、フリルで飾られた漆黒のワンピースとのコントラストが酷く美しい。
さながら、物語の最期の大舞台にて、華やかに舞い散る悪役令嬢のようだ。
ただ明らかに、身長がわたしと変わらないくらいの圧倒的ロリなのが残念ではあるが。
彼女のあまりの美貌に惚けていたわたしは、はっと我に帰って急いで口を開いた。
「えと、は、はじめまして! わたし、ひかりって言います!」
「ふふっ、わたくしの名前は……あら? あなたが着ているその服、わたくしのワンピースじゃありませんこと?」
わたしの挨拶に対して返事をしようとした彼女は、わたしは着ている真っ白なワンピースを見て、そう言葉を続けた。
言われてみれば、このワンピースはわたしが着られる大きさなのだが、足首あたりまで隠れるほどの丈をしているので、彼女が着るとちょうどぴったりのサイズである。
「そういえば昨夜、クリスタがわたくしの衣装を取りに来ていたわね。まあ、これも何かの縁ですこと。アルケレス大帝国の第2皇女であるこのわたくし、リシア・アルケレスが、あなたのご友人になって差し上げますわ」
彼女はそう言い終えると、口元に手をやりながら優雅に笑い声を上げる。
気品溢れる仕草や立ち振る舞い、そしてここが王城でありながら『わたくしの画廊』という発言から、彼女が王族だろうとは予想はしていたからか、彼女の正体にはさほど驚きはしなかった。
(リシア・アルケレス、それが彼女の名前か………………り、リシア・アルケレス!?)
しかしながらわたしは、彼女――リシア・アルケレスの名前を頭の中で反芻した瞬間、脳に強力な電流を流されたかのような衝撃を受ける。
わたしは一瞬のうちに舌を噛んで頭の冷静さを取り戻すと、即座に先ほどまで眺めていた絵画のプレートに視線を持っていった。
真っ白なプレートに書かれているのは、【月光の下の舞踏会】という作品のタイトル、そして【リシア・アルケレス】という彼女と同姓同名の作者名である。
つまりは彼女が、この絵画を描いた作者なのだろうか。
だがしかし、そうと決め付けるにはまだ早計だ。
王族の人々は昔から、何らかの形で偉大な功績を残した先祖にあやかって同じ名前をつけられることが多くある。
例を挙げるとフランス王家では、『ルイ』という名前の王がごまんと存在していた。
(それに、まだ幼く見える彼女が、ここまでの絵画を……?)
そんなことを一瞬のうちに考えたわたしは、酷く真実を知りたくなってしまったために正直に彼女に問いかけた。
「あの! この絵画って、リシア様が描いたんですか!」
「あら、月光の下の舞踏会のことですの? この絵画でしたら、おっしゃる通りにわたくしが描いたものですわ。確か……わたくしが8歳の頃でしたわね」
(は、8歳っ!? これが、天才か……)
さも当然のことを言うかのようにあっさりと返事をした彼女に対して、わたしは尊敬を飛び越えて畏怖すらを覚える。
そして反射的に、彼女の細く滑らかで、人形のような小さい指先に視線を向けたわたしは、あの神秘的な絵画がこの手先から創造されたとはあまりにも信じられなかった。
「あら、そうでしたわ。あなたにまだ、最初の質問へのお返事をいただいていませんでしたわね。どうしてあなた、わたくしの回廊にいらっしゃったの?」
「ッ!?」
涼しげな表情で喋っていた彼女は、ふと何かを思い出したかのように声を漏らす。
そして絵画を眺めていたときにわたしに問いかけた質問を、疑問を抱いた視線をわたしに向けながら再び投げかけてきた。
(どう、答えるべきか……)
わたしの顔を知らないということは、彼女は昨日の勇者召喚の場にいなかったということだ。
昨日の光景を思い返してみても、彼女のように気品ある少女は……というか、そもそも幼い女性がその場にいなかった覚えがある。
ということはつまり、彼女は第2皇女という立場でありながらもあの場に呼ばれていないということだ。
そこにどのような事情を孕んでいるのかはわたしの知ったことではないが、そしてここで重要になってくるのが、そんな彼女と今わたしははっきりと対面し、顔はおろか名前まで晒してしまっているという事実なのである。
こうして考えてみると、誰の承諾も得ずに無許可で部屋から抜け出し、お気楽に散歩を始めたのは中々に酷い行動だったかもしれない……というか、わたしが馬鹿な行動をしてるというのは確実なことだろう。
正直に言ってしまえば、今すぐこの場から逃走して日本に戻るか、数十分前にまで遡って過去の愚かな自分を殴り飛ばしたい衝動に駆られている。
(くそっ、呪ってやるからな、過去のわたしめ……はぁ………………)
酷く厳しい状況にわたしは思わずふざけたことを考えると、そんな自分にも呆れて脳内で深いため息を吐く。
すると、わたしの反応が返ってこないことを不思議そうにしていた彼女が、唐突に口を開いた。
「………………あら? そういえばここ数日は、勇者召喚の儀式を行うからという理由で、お父様が王城に仕える者と貴族の当主以外の人物の来城を禁止にしていましたわね。だとすればあなたは………………っ、もしやあなた様は――」
「――英雄様!?」
どうやら状況は、本格的に不味いことになってきたようだ。
(はぁ……めんどい………………)




