第18話・美学
「うみゅ……ま、まぶしぃ、よぉ………………う、あ、あれ。 戻って、きてる?」
ふわふわと浮き上がった意識に、シャンデリアの輝かしい光が差し込んできて眩しさを感じる。
背中を柔らかいクッションのようなものに預けているわたしは、心身を襲う謎の疲労に小さくうめき声を上げた。
わたしは酷く重たいまぶたをゆっくりと開けると、見慣れない天井を見つめながら目をぱちぱちとさせる。
「んぅ。ふわぁ……わたし、いつ眠っちゃたんだろ」
背筋をぐぐーっと伸ばしながら、わたしはまだ不透明な記憶に疑問を溢す。
「よいしょっ」とおぼつかない足取りのまま、流れ落ちるかのようにベッドから降りると、辺りを1周見渡したところでわたしは昨日のことを鮮明に思い出した。
どうやらわたしは、不思議な部屋でエルから魔法少女のチュートリアルを受けた後、いざ実践ってなった途端に魔力が切れてしまい、その影響で眠り落ちてしまったらしい。
「はぁ……なんでこんな体がだるいんだろ。って、絶対ベッドに倒れ込むような姿勢で寝てたからだけど……」
わたしは思わずため息を吐くと、ぶつぶつと小言を呟きながら硬くなった体を軽く伸ばしていく。
ポキポキと骨を鳴らしたわたしはベッドの方を振り向いて、放ってあるスマホを手に取り電源をつけた。
シャンデリアとは対照的に穏やかな光を放つ画面では、デジタル時計が5時04分を示している。
どうやらいつもの起床時間より、1時間も早く起きてしまったみたいだ。
「うーん。リースが起こしに来る時間とかも分かってないし、酷く暇になっちゃったなぁ……」
もしもわたしが、オフラインで出来るスマホゲームの愛用者だったのなら、異世界でも暇を無限に潰せたのだろう。
しかし残念なことに、わたしはゲームで遊ぶことはほとんどなく、日頃から小説を読み耽る愛読家だ。
最近よく呼んでいるwebサイトで読むことが出来る小説も、ネットが繋がっていない異世界では読むのは不可能である。
(うーん……どうしよっかな)
せっかく早起きをしたのだから、何か実りのあることをしたいのだが…………
「あ、そうだ。気分転換に散歩でもしようかな」
ふとそんな事を思い付いたわたしは、良い考えだとポンッと手を叩いた。
(そういえばそういえば……)
思い返せば昨日召喚された後、わたしたちはお風呂場に直行することになり、そのあと直ぐにこの部屋まで連れて来られたため、わたしはこれから生活していく場所をよく知らない状態なのだ。
それに偶然早起きしてしまったことだし、この機会に王城内を散策してみるのもありだろう。
「よしっ。そうと決まれば、善は急げだよね」
独り言を言ったわたしは手に持っていたスマホを、収納魔法チックな能力で亜空間に仕舞い込む。
そしていざ散歩をしようと、部屋から出るためにてとてとと扉に向かって歩いていく途中、部屋の隅に置かれていた姿見に映るわたしと目が合った。
(うん、やっぱりわたしって可愛いよね)
自身の可愛さを改めて認識したわたしは、とある事実に気付いてパキンッと体を硬直させる。
そのままゆっくりと視線を下に動かしてから、わたしは思わず呟いた。
「あ、わたしネグリジェじゃん……」
「おー、異世界にもワンピースってあるんだな……ま、ネグリジェの時点で今更か」
真っ白なワンピースに着替えたわたしは、意気揚々と鏡に映るわたしを眺める。
ちなみにこの服は、姿見の横に設置されていたハンガーラックに掛かっていた物だ。
これで準備は万全である。
今度こそ散歩に行こうと扉の方に進もうとしたわたしは、ふと視界の端に映った花瓶が気になった。
眠るように死んでいる女性のように、酷く萎れた茎が花瓶に倒れかかっており、サファイアのように美しかった青色の花弁は、水面に浮かぶ花びらの如くガラスのテーブルを飾り付けている。
あれほど空間を支配していた薔薇は、静かに枯れてしまっていたみたいだ。
(なんだか、寂しいものだね……)
この1輪の薔薇とは昨日初めて会ったにも関わらず、なんとなくわたしのお気に入りになっていた。
しかしながら、やはり花だからだろうか、その死体までもが酷く美しい。
「………………まあ、生物全ての命は有限だからね。それじゃ、散歩を始めようかな」
バラバラ死体を眺め想いながら、わたしはその場で振り返って扉の方に近付いていく。
そしてカチャリという音と共に解錠すると、ドアノブを両手で握って強く押した。
「おととっ、転ぶとこだった……それじゃあ、どっちに行こうかな?」
扉が勢いよく開いた反動で体を持ってかれたわたしは、転びそうになるのを両足をストッパーにするようにして堪えた。
わたしは体勢を整えると左右に首を振って、見える範囲までの通路の続く先を確認する。
確か、リースに連れられて歩いた通路は、この部屋から見て左側に伸びている方だ。
「それじゃあ、今日は反対の右側の通路を進んでみよっと」
独り言の通りに右側の通路を向いたわたしは、意気揚々と散策の第1歩を踏み出した。
どうして絵画という存在は、人々の感情を強く揺さぶることが出来るのだろうか。
巨大なキャンバスの前に立ったわたしは、そこに描かれる美しい街並みを眺めながら、頭の中にそんな疑問を浮かべた。
細かな筆のタッチや絵の具の重ね具合なんかは良く分からないが、活気溢れる人々が暮らす街並みに彼らを照らす橙色の夕日は、具体的な言葉を選ぶことは難しいが、この絵でしか感じることの出来ない美しさと感動が確かに存在している。
わたしが今いる場所は、豪華な照明の穏やかで仄かな光に照らされた、広々とした優雅な画廊だ。
辺りには人影が一切見えず、半螺旋状の階段を登るわたしの足音が小さく、こつ、こつ、と反響している。
街並みと夕日の絵画の他にも、青々とした巨木を描いたものや荒々しい滝を表現したもの、金属音が聞こえてきそうな戦いを繰り広げる絵画など、多くの芸術品が壁に掛けられていた。
あれもこれもが独自の世界を持っており、画家の思いが強く強く見えてくるように感じる。
ここまで鑑賞をしながら歩いてきたわたしはふと、どこか文学に通ずるものがあるな、という考えを思い付いた。
「よいしょと、うん? おぉ……これは、酷く美しいな……」
ワンピースをひらひらと揺らしながら階段を登り切った先に飾られていたのは、1枚の絵画だった。
神々しさを感じる満月が暗闇に浮かんでおり、月光が照らしているのは、木々に囲まれている水の透き通った大きな湖だ。
そんな風景に描かれているのは、薄水色の体をした何人もの女性と、小さくて背中から翅が生えた沢山の女の子の姿。
彼女たちは皆、月光を反射する水面を優雅に揺蕩い、水飛沫を上げながら華やかに踊り、楽しげな笑顔を浮かべながら飛び回っている。
日本で得た知識からの推測だが、女性の方は水の精霊であるウンディーネと、女の子の方はエルと同じ種族である妖精だろう。
「ほんと……きれい………………」
惚けながら絵画を見つめるわたしは、無意識のうちにそんな言葉を溢した。
芸術作品を比べるというのはあまり良くないことかもしれないが、この作品は今日見てきた絵画の中でも、圧倒的な優勝を誇る絵画である。
水飛沫が水面にぶつかる音がする、彼女たちの花のような笑い声が聞こえてくる、ささやかな月光がわたしのことを照らす。
そうだ、生きている絵画だ、この作品は生きているのだ。
彼女たちはわたしをも巻き込んで、神秘的な世界を静かに描いている。
「あれ、なんか涙が……」
どうしてだろうか……最後に泣いたのは中学生の頃、とある小説の読後の酷い悲しさによるものだ。
しかしそこで流したのは暗い涙であって、こんな明るい涙を流したのは小学生以来かもしれない。
『ひかりちゃん! また明日も遊ぼうね!」
ふと……彼女の声が、そよ風のように耳に聞こえた。
わたしの大親友だった、彼女の声が。
そういえば、彼女は一緒に遊んでいるとき、この絵画に描かれた妖精の少女のような、酷く可愛らしい笑顔をいつも浮かべていた。
共に描かれるウンディーネのような優しい微笑みを、わたしは彼女に向けることが出来ていただろうか。
今となっては色褪せてしまった、懐かしむべき過去の話だ。
「………………………………あれ。この絵画、タイトルが付けられてる」
なんだか心が軋んだ気がして、思わず視線を下に動かしてしまう。
すると絵画のすぐ真下に、真っ白なプレートが飾られているのを発見した。
【月光の下の舞踏会】
「………………ふふっ、可愛い名前だね」
わたしは思わず、そう呟いた。
真っ直ぐなネーミングではあるが、それは酷く愛らしく感じる。
「ん……タイトルの下にも、まだ書いてある……?」
その場に屈んでプレートをよく見たわたしは、タイトルの下に小さく文字が書かれているのを見つけた。
これは作者名だろうか、書いてある文字は『リシア・ア――
「あら? わたくしの画廊にどうして人がいますの?」




