第17話・晴れるリボンは絆色。
「――台形なので、(上底+下底)×高さ÷2の公式で求められます。そして、先ほどの三角形の面積をこの台形の面積から引くと、答えは………………彩星さん、この問題の答えはいくつになりますか?」
「………………………………は?」
気が付けばりらの笑顔が目の前から消えていて、変わりに広がっていたのはどこかの教室だった。
からんっ
と、私の内側で何かが転がるような音が聞こえる中、教室中の生徒――全員顔にはモヤがかかっている――の視線が、こっちに向けられているような感覚を私は覚える。
もう1度舌で何かを転がすと、甘酸っぱいレモンの味が口の中に広がったため、いま舐めているのは飴玉のようだ。
(なんで……私が教室に?)
意味の分からない状況に脳を90度傾げていると、突然自分の体が席から立ち上がって、勝手に何かを喋り始めた。
「答えは、42㎠です」
「はい、正解です。上底が6cmで――」
私の意思を完全に無視しているこの私は、意味の分からない数字を言い放つと直ぐに席に座り直した。
摩訶不思議な状況がここまで続けば、わたしも自分の置かれている状況をすんなり理解することが出来る。
(あぁ……わたし、夢を見てるんだ……)
明晰夢、と呼ばれている現象だったか。
夢を見ている間に、見ている本人が夢を見ていることに気づく、という種類の夢のことだった覚えがある。
今のわたしは自分が何者か、その全てを思い出している状態だ。
18歳の現役高校3年生で勇者召喚に巻き込まれたわたしは、異世界で【魔法少女】という謎の祝福を授かった。
そして、スマホが不自然な状態であることに気付いた結果、さらに不思議な部屋へと飛ばされ、魔導妖精のエルと出会ったのだ。
彼女に魔法少女がなんたるかを指導してもらった後、わたしはそのまま眠りについたところまでの記憶がある。
まるで天変地異が起きたかのような、怒涛の1日を過ごして心身共に深く疲弊したがために、きっとこんな夢のような……夢なのは事実だが、酷く不思議な状態に陥ったのだろう。
わたしが自身の状況を分析していると、唐突にチャイムが教室に鳴り響いた。
「――ということで、今日の授業はここまでです。第4問と第5問は宿題としますので、明日の算数の授業までにやってきてください。それじゃあ号令をお願いします」
「きりーつ!」
1人の女子生徒の掛け声で、クラスの全員が一斉に立ち上がる。
そんな様子をわたしは、席に座ったまま眺めていた。
「礼! ありがとうございました!」
『ありがとうございました!』
真面目に90度のお辞儀をする者、面倒くさそうにダラダラと頭を下げる者、一切動かずに突っ立っている者。
酷く懐かしい……そして、酷く忌々しい記憶である。
先生が教室から抜けて生徒が全員動き出した今も、わたしは教室の観察を続けていた。
しかしながら、全体を見渡してみても、そこに紫崎りらという少女の姿は見当たらない。
遠い昔の記憶だが、確かわたしと彼女は、ずっと一緒の教室だった覚えがある。
だが、今この教室に彼女の姿が見えないため、この夢の時代は小学校4年生以降の時代だろう。
どうしてそれが分かったのか、その理由は酷く単純だ。
紫崎りらという名前の女子生徒は、第4学年に進級する際に転校している。
そう、わたしの唯一の友達……いや、親友とも呼べる人物だった彼女は、わたしを置いてどこかへ行ってしまった。
「――でざ俺、母さんにめちゃくちゃ怒られてよ! それで――」
「――のリボン超かわいい! え、どこで買ったの!」
ガタンッ……!
わたしはわざと音を立てて椅子から立ち上がると、机の横に掛けてあったピンク色のランドセルを掴んで席を離れる。
気持ち悪いほどにわたしに興味を示さないクラスメイトらの間を通り抜けながら、わたしは堂々と開きっぱの教室のドアから廊下へと出た。
「………………はぁ」
壁に寄りかかって会話をする女子生徒、窓から見えるグラウンドでサッカーをしている男子生徒。
その全てが気味悪く見えて、わたしは隠さずにため息を吐く。
きっと終わってないだろう学校からわたしが抜け出そうとしているにも関わらず、誰も彼もがわたしを無視して人生を歩んでいる。
この夢という世界での1番の異変は、この騒がしい有象無象らのことだろう。
わたしは無意識に、小さく舌打ちをする。
耳を塞ぎたい思いをしながら歩みを進めていれば、気が付いたら下駄箱にたどり着いていた。
「いや……わたしの靴、どこだよ………………」
今のわたしがどの学年に属しているかすら判明していないのに、この数百もの番号の中から自分の靴を見つけ出せるはずがない。
もう上履きのままでいいか、そばに並ぶ下駄箱を無視して歩き続けると、完全に解放されているガラス製の扉を抜けた先で……
視界が暗転した。
何も見えなかった視界が徐々に光を取り戻していき、数秒ほど経てば目の前がはっきりと分かるようになっていた。
わたしが目を覚ました場所は、どこかの家の玄関のようだ。
どことなく見覚えはあるがほとんど記憶がないために、どこの家の玄関なのかがさっぱりである。
「小学校の頃の記憶……あ、でも夢だから時系列は……」
そうボソボソと呟きながら辺りを見渡していると、靴箱の上に置いてあった写真立てを見て、わたしは直ぐここがどこなのか気付いた。
にこにこと胡散くさい笑顔を浮かべる1組の男女に、その真ん中で一切笑っていない1人のしょう……幼女。
ここは、わたしがひとり暮らしを始める前に住んでいた家だ。
「あぁ、そうだそうだ。酷く懐かしいな……たぶん、6年くらい前?」
完全にひとり暮らしを始めた時期は、中高一貫校である私立中学校に入学する直前のとき。
わたしの人生の転換点と呼んでいいと思えるくらい、大事な節目となったときだ。
いつも通り誰の靴も置かれていない玄関を上がって、わたしはどんどんと廊下を進んでいく。
そうだ、いまだにわたしは、この夢から抜け出す方法が分かっていないんだ。
明晰夢とは自然に目が覚めるものなのだろうか。
きっと異世界でベッドの上に優雅に倒れているわたしを、リースが起こしに来ることで、現実世界に戻ることが出来るのだろうか。
「いかんせん、こんなの初めての経験だし……」
そんなことを考えながらリビングに続く扉を開けると、真ん中に設置されていたガラス製のテーブルに、どこか見覚えのあるものとこの世界では考えられないようなものが置かれていた。
可愛らしいフリルの付いたピンクのリボンと、虹色に輝く八面体の宝石だ。
「こっちは絶対、魔宝石だよね……それで、こっちは……?」
わたしはゆっくりとテーブルに近付くと、丁寧に置かれているリボンをそっと手に取った。
『ひかりちゃん! いつか絶対また会おうね! あ、そうだ! 今度どこかで会うときは、このリボンをお互いに身に付けた状態で会おうよ! ね、そうしよ! えへへ!』
そういえば、そんな約束をしていたな……
人生で初めての大親友のお別れの言葉が、唐突に記憶の奥底から浮かび上がってきた。
このリボンは、彼女との約束のリボンだ。
わたしは丁寧にリボンを左手首に身に付けると、無意識に笑みが溢れた。
涙と一緒に。
「懐かしいなぁ……ねぇりら、わたし。ひとりぼっちだよ……」
思わず、静かにそう呟く。
「でも、夢の中で会えて……嬉しかったなぁ……」
今の姿は一切知らない。
でもきっと、小さな頃からあんなに可愛かった彼女は、きっと18歳になって今ではとても綺麗になっているのだろう。
「ふぅ………………あとは、この魔宝石か」
考え事を1度切り上げたわたしは、隣の虹色に輝く宝石に目を向ける。
「うーん……やっぱりどう見ても、エルから貰った変身用の宝石、だよね……うん? ニャッ!?」
そう喋りながら魔宝石を手に取った瞬間、虹色の光が凄まじい輝きで放たれた。
「あれ? なんか、魔宝石の下に紙みたいなのが――」
最後まで言い終わるまもなく、わたしの意識は再び暗転した………………
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『魔法少女に与えられる能力は、必ず契約者の【心からの願い】を叶える上で、とても役立つものと限られている』




