第16話・夢中になって、夏は過ぎて、
窓から見える景色には晴天が広がっていて、ガラス越しに私を照らす太陽が酷く眩しい。
ただ、それがなんだか愛おしくて、私は陽に当たりながら読書に勤しんでいた。
「ねぇねぇひかりちゃん! 今日はおままごとしよ!」
横から可愛らしい声が聞こえてきて、私は顔だけをそちらに向ける。
そこには、おもちゃの包丁を手に持った、同級生の紫崎りらが満面の笑みで立っていた。
「えぇ、私は別にいいよ……ほら、りらには他にも友達がいるんだから……さ? 私なんかに構わず、他の子と遊べばいいのに」
「りらはひかりちゃんと遊びたいの!」
私としては、おままごとよりも読書の方が酷く有意義な時間だと思う。
それに、今読んでいるところは丁度ホームズがトリックの解説を始めたところなのだ。
なんとかして彼女の誘いを断ろうと、私が頭の中で言葉を選んでいると、りらの晴天のような表情にどんどんと雲がかかってくる。
すると、彼女はどこか堪えるようにこくんと静かに俯き、数秒ほど経ってからゆっくりと顔を上げると――
「………………だめ、かな?」
その瞳に涙を揺らし、上目遣いをしながら私と目を合わせた。
「ぐっ! わ、わかったよ……けど、読書もしたいから少しだ――」
「やったー! ひかりちゃん大好き!」
私が返事を言い終えるよりも早く、りらはすごい勢いで椅子に座っていた私に抱きついてくる。
別に私は、彼女のあまりの可愛さにやられてしまい、自分のしたいことを放り投げてしまったわけではない。
ただ、あれほどまで懇願されてしまっては、さすがに申し訳ない気持ちになったために、仕方なく読書を切り上げたのだ。
(そう、仕方なくだから……仕方なく……)
私は頭の中で何回も呟きながら、本をぱたんと閉じてそばのテーブルに置く。
そして膝の上に乗り掛かった彼女を無理やり降ろすと、私は椅子から立ち上がって口を開いた。
「ほら、遊ぶんでしょ? せっかく私が乗り気なんだから、早く行くよ」
「うん! やっぱりひかりちゃんは優しいな〜」
「………………そんなことないし」
「お帰りなさいあなた! ご飯にする? お風呂にする? それとも……り、ら?」
りらが妻で私が夫、新婚夫婦という設定のおままごとだが、始めた瞬間、彼女は幼稚園生とは思えないスタートダッシュを切ってきた。
「どこで覚えたの、それ?」
「もう! ひかりちゃん! そこは、『まずはお風呂に入って、その後ご飯を食べるよ。それで最後に、りらをデザートにいただこうか』って言うところでしょ!」
猫のワッペンの付いた可愛らしいエプロンを身につけたりらが、両手を腰に当てながらそう怒ってくる。
至極真っ当な質問をしたと私は思うのだが、残念なことに彼女は強行する気らしい。
りらのことを叱ってもらおうと私は先生がいる方に視線を向けるが、ギリギリ彼女の言葉が聞こえなかったのか、離れた位置にいる先生はニコニコと笑顔を浮かべて私たちのことを見ていた。
「はぁ………………りら、私はご飯が食べたいかな」
「むぅ。ひかりちゃんはろまんちっくがわかってないなぁ」
りらは私の反応に頬を膨らませると、納得していない様子で文句を言いながら玩具のキッチンの方を向いた。
トンットンッとおもちゃの包丁が奏でる音が辺りに響くなか、遠くからは同じ幼稚園生がグラウンドを元気に駆け回る声が聞こえてくる。
どうしてりらは彼らと一緒に外で走り回らず、私と一緒に遊びたがるのだろうか。
自分で言うのもあれだが、私は天候の良し悪しに関係なく教室に引きこもり、毎日持参してきた小説を読み耽るつまらない人間だ。
だからこそ、りらが他の友達を放って私と遊ぼうとする意味が、全くと言っていいほど分からない。
実際、これまで同級生らの遊びの誘いを断ってきたからか、今では私を誘おうとする人は誰もいなくなった。
しかしながら、そんな中でも彼女だけは、「遊ぼ!」と満面の笑みを浮かべて声をかけてくる。
「はいひかりちゃ……じゃなくてあなた、ご飯が出来たよ!」
だからりらは、私の唯一の友達だ。
「えーと、これは……カレーかな? 美味しそうだね」
「でしょー! 今日も上手に出来たんだ!」
小さなお鍋に入れられた色鮮やかなプラスチックを見て、私はその色合いから予想をしてりらに褒め言葉をかける。
すると彼女は、自慢げに胸を張りながら、嬉しそうな声でそう返事をした。
「ほら、ひかりちゃん、あーん!」
大きなスプーンにプラスチックのニンジンを乗っけたりらは、私の口に向かってスプーンを差し出してくる。
私はそれを口パクで食べたような仕草をすると、彼女に微笑みながら口を開いた。
「はいはい、あーん……うん、美味しいね。って、ほんとには食べれないから口に突っ込んでこないで!?」
「え……なんで? りらが作ったものなら、ひかりちゃん全部食べられるでしょ?」
スプーンを無理やり口に突っ込んでこようとするりらに対して、私は彼女を止めようとこちらに伸びている腕をガシッと掴んだ。
すると、りらは瞳のハイライトをフッと消してから、静かに静かに問いかけてくる。
まるで私を責め立てるような恐ろしい目付きに、私は恐怖を感じてしまい首を何度も縦に振った。
「よかったぁ……それじゃあ、ひかりちゃん。あーーーん」
「あ、あぁ………………んっ!?」
ゆっくりと私が口を開けた瞬間、ガッと勢いよくプラスチックの野菜が乗ったスプーンが私の口に捩じ込まれる。
その勢いに押されて反射的に口を閉じてしまうと、りらは私の口から乗っていた野菜の消えたスプーンを抜き取った。
スプーンと私の口に光を反射する粘性の橋が掛かっているのを見ながら、私はプラスチックの何とも言えない味と硬くスベスベとした感触を口の中で感じる。
酷すぎる嫌悪感に私はすぐに吐き出そうとするが、ギロリとりらの瞳が光ったように見えた結果、私は何も出来ずに舌で野菜を転がした。
無言で苦しむ私の様子をにっこりとした笑顔で見つめる彼女は、ゆっくりと近付いてきて私の頬に手を添える。
そして私と彼女のくちびるの距離が、ほんの数センチにまで近付いた瞬間、りらはその可愛らしい小さな口を開いた。
「ひかりちゃん……りらは、ひかりちゃんのことが――」




