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聖女として召喚された私とついでに召喚された彼

作者: 恵京玖

 その街は黒い霧が立ち込め、周囲はあまり見えない。元々は素朴で豊かな街並みだったのだろうと幽かに見える石畳の道や建物から分かる。

 黒い霧の中に入れば高い山のように空気が薄く、焦げた臭いがする。思わず、息を止めたくなる。そして建物も石畳の道もボロボロと廃墟になっている。


「大丈夫ですか? アズサ様」


 私の傍に居た傍に居る騎士のハルクさんは、そっと耳元で話しかけた。私は無言でうなずく。他の人達も私の事を心配そうに見ている。それも、そうだ。もし私が倒れたら、この地を元に戻せないのだから。


 街の中央広場に着くと、黒い槍が突き刺さっていた。


 その槍を私は握り、頭の中で繰り返し呟いていた呪文を口で発する。この呪文を紡げば槍は抜け、黒い霧は消え失せる。急いで呪文を紡いで槍を掴む。


 だが抜けない! え? ちょっと、嘘でしょう? 途端に頭が真っ白になってしまった。マズイ、どうしよう……。


 その時、隙間風のような甲高い風の音が聞こえてきた。ヤバい、黒い霧をはらんだ風はとても重量があって、まともにぶつかればひとたまりもない。この地を廃墟にした風でもある。


「アズサ様!」


 私を押し退けてハルクさんは剣を抜いて黒い霧をはらんだ風を切り裂いた。

 強烈な風魔法も含んだ一閃はバフンと大量に空気を抜いた音を立てて黒い霧を切り、一瞬だけ澄んだ空気が生まれた。


「聖女様」

「はい!」


 他の騎士たちに促され、私は立ち上がって槍を握る。呪文を唱えて、思いっきり槍を引き抜く。すると一気に黒い霧は霧散して、元の澄んだ空気に戻った。




 半年前、私は異世界召喚された。なんでも調べられるスマホを持ち、時刻通りに到着する電車で高校へ行っていた普通の女子高生だったのに、魔法が存在するファンタジーな世界に連れて来られたのだ。


 この世界では魔族が放った武器が黒い霧を放ち、人々が住めない土地にしてしまう。それを浄化して武器を手に取れるのが、異世界にいる聖なる力を持った人物、つまり私を召喚したのだ。

 はっきり言って元の世界では普通の学生をしていた私にとって信じられない話だった。

 だけど聖なる呪文を覚えたり、ちょっとした魔法が出来ると、やっぱり自分って特別な人間なんだなって思った。


 どうして自分が特別な人間なのか、とある人間と比べる事が出来るからだ。





 黒い霧の原因になった槍を抜いた私は気絶した。それをハルクさんはお姫様抱っこして、近くに設置していた医療キャンプまで連れてベッドまで寝かせてくれたらしい。治療してくれた看護師さんに教えてもらった。

 優しいなと思いながら、身体を起こす。

 ハルクさんにお礼を言わないと。あの黒の霧の風から守ってくれたし、こうして抱っこして、ここまで連れて行ってくれたのだから。

 看護師さんにハルクさんが居る場所を聞こうとした時、「アズサさん!」と知っている声が聞こえてきた。


「あ、お疲れ様です!」


 この世界では珍しく、私と同じ黒髪で黒い目、そして同じ年位の少年が花を持ってきた。私は驚きながら「お疲れ様」と言った。


「ついに初・黒い霧を晴らしましたね! アズサさん」

「うん。自分でも驚きだよ、ワタルさん」


 看護師さんが睨んでいるのに気が付いたのか、「あ、すいません。うるさかったですね」と謝った。

 そうして彼は手に持っていた花を渡してきた。ピンク色の花である。


「これ、コスモスに似ているって思って摘んできたんです」


 確かにピンク色の花びらがコスモスに似ている、気がする。

 ピンクの花を観察していると遠くから「ワタルー」と言う声が聞こえ、彼にお願いをする言葉も聞こえてきた。


「アズサさん。なんて言っているか、わかりますか?」

「ああ、『あれを片してくれ』って」

「ああ、なるほど。ありがとうございます」


 私は【あれ】について分からないけど、ワタルさんには分かるようだ。【あれ】って何? と聞こうとしたが、ワタルさんは「じゃあ、俺、仕事がありますので!」と言ってテントから去って行った。


 もう一度、コスモスに似た花を見てみる。ピンク色の愛らしい花だけど、よくよく見ると違う。だけど、何となく元の世界の事を思い出す。そう言えば、お爺ちゃんの田畑がコスモス畑にしていて綺麗だったな。ピンク一色ではなく、白や濃い赤もあり、愛らしく秋の風に揺れて見た時はちょっと感動した。

 ……お爺ちゃんに会いたくなってきたな。


 看護師さんにワタルさんが持ってきた花を見せて「この花はなんて名前ですか?」と聞くと、彼女は首を傾げて「分からないです。雑草ですね」と答えた。

 雑草を摘んできたのか……。というか、異世界でも名もなき花ってあるんだな……と思っていると、看護師さんが「なんであの人、雑草を渡したんですか?」と聞いてきた。


「私がいた世界では病気の人に花を渡すんです」

「雑草を?」

「いえ、雑草じゃなく。バラとか……」


 私のしどろもどろの説明に被せるように、看護師さんは「あの人の言葉、よく分かりますね」と言った。

 

 そう、彼も私と一緒に異世界召喚されてきたのだ。ただ彼の場合は予定外だった。


 私が異世界召喚された時、ワタルさんも一緒にいたのだ。光の中に引き込まれそうになった私を引っ張ろうとして、そのまま引き込まれてしまった。

 彼も一緒に召喚されてきたのは、この世界の人達にとって本当に予想外だったようだ。


 そもそも私はこの世界の言葉が通じて、あの黒い霧を晴らす魔法などが使える。だけどワタルさんは魔法どころか、言葉も通じないのだ。私の場合、普通に喋ってもこの世界の人間は理解してくれる。だけど彼は喋っても通じないし、聞いても分からないのだ。


 彼を元の世界に戻すのは大変で、今すぐには出来ないらしい。

 なので、私がこの世界で黒い霧をすべて払ったら一緒に元の世界に戻すと言う約束を取り付けた。その間、ワタルさんはジェスチャーを交えて雑用をしている。


 それはそうと、この花はどうしよう……と思っていると、再びテントに来客が訪れた。ハルクさんだった。テントにいる看護師さん達が途端にかしこまり、頬を染めている。


「どう? 大丈夫?」

「あ、大丈夫です」


 金髪碧眼でかっこいいハルクさんが心配そうな顔から笑みが零れる。こんなカッコいい人、元いた世界では会うどころか、見た事すらないから話しするのはちょっとドキドキする。

 看護師さん達も色めき立ち、ため息が聞こえてくる。


「あの、先ほど助けていただいて、ありがとうございました」

「いや、僕は君を守るために居るんだ。お礼なんていらないよ。むしろ、あの邪悪な武器を引き抜いてくれるアズサ様にお礼を言わないといけない」


 そう言って私の手を取る。それだけで舞い上がってしまう。恥ずかしくて何といっていいか分からない。

 その時、ハルクさんは私が持っている花束を見て「これは?」と聞いた。


「ワタルさんがくれたんです。私達の世界にコスモスって花があるんです。それに似ているから摘んできたって」

「そうなんですか」


 ハルクさんは看護師さんを呼んで「この花を片してくれ」と伝えた。イケメンの指示に看護師さん達は我先にと動き出して、あっという間に私の手からコスモスに似た花を持って行ってしまった。


「今度、美しい花をお見せいたしましょう。でもその前にゆっくり休んでいください」


 ハルクさんはそう言って私の手を取ってキスをした。顔が真っ赤になるくらいドキドキしてしまった。こんな海外映画でしか見ない行動を普通に出来るなんて! 

 なんか聖女って言うより、お姫様って感じだ。




 初めて黒い霧を晴らした事で、かつてここに住んでいた人々から感謝の言葉をもらった。怖かったけど、こうして成功してみんなから感謝されて、とても嬉しい気持ちになる。

 だけど……なんか元の世界で優勝した時にやっている凱旋パレードみたいな感じで見送られて、ちょっと恥ずかしいなって思いつつ私は王都に戻った。


「お帰りなさいませ、聖女様」


 私は王族の近くの屋敷に居候と言う形で住んでいる。

 私がドアを開けると、メイド達がズラッと並んで一斉にお辞儀をする。この光景はいつ見ても圧倒する。黒い霧を浄化できる聖女なので王族と同じ待遇らしい。だけど、この対応にはちょっと戸惑ってしまう。だってお風呂だって一人で入れないし、身体を洗ってくれようとする人さえいる。一人で入れるから! と言っているにも関わらず、だ!

 ようやく一人になれる自室に入ってホッとする。何というか気疲れしてしまうな。ベッドで寝っ転がっていると、ほんの少しホームシックになってきたな……。


「こんばんは」

「うわ!」


 部屋の窓をコンコンと叩いて、ワタルさんが顔を出した。


「え? ちょっと、なんで、ここにいるんですか?」

「えーっと、ちゃんと玄関から入ろうと思ったんですよ。だけど言葉が通じないから……」


 気まずそうに笑うワタルさん。よくこの人、この世界で生活できるよな……と思う。そうしているとワタルさんは「ごめん、あれを……」と言い、ピンときた。


「あ、そうだったね。貴重品の鍵」


 ワタルさんは王都の近くの部屋を借りているらしい。だけど黒い霧を浄化するため、私と一緒に遠出をする時は、ワタルさんの部屋は誰も居なくなって泥棒が入るかもしれない。なので、貴重品がある部屋に鍵をかけて私に託しているのだ。


「あの、私に鍵を託さなくてもいいのでは?」

「アズサさんは聖女だから護衛の人が多いです。だけど俺はそんな奴はいないから、カツアゲで鍵を取られる可能性がある。だったらアズサさんが持っていた方が安全性はいいですよ」

「……それはそうですけど」

「それと俺に何かあれば、その貴重品を全部あげます」

「いや、要らないですよ」


 ワタルさんは「まあ、そうですよね」と軽く笑う。そしてボソッと「早く元の世界に帰りたいですね」と呟く。


「帰るには黒い霧を全部、払ってもらわないといけないんで、アズサさんが頼りなんですけどね。あ、急かしているわけじゃないです。だけど、あの黒い霧は結構やばいですからね」

「そうだね」

「俺は黒い霧を晴らすどころか魔法なんて使えないけど、応援しますしやってほしい事があったら、何でもします!」


 ニコッと笑ってワタルさんは言い、「一緒に頑張りましょう」と言った。

 そしてワタルさんは「元の世界に戻ったら何をしたいですか?」と聞いてきた。


「とりあえず家族に会いたいな。それから私の好きなイチゴタルトを食べたいな」

「いいですねー。俺はラーメンを食べたいですね。ここの世界の料理って味が薄すぎるから……」


 ワタルさんの言葉に「え? そう?」と言い、不思議に思った。私がいつも食べている料理の味は薄く感じなかったんだけどな。

 そんな会話をしばらくしてワタルさんは「それじゃ」と言って、帰ってしまった。




 黒い霧の浄化をしない日は魔法やマナーの勉強だ。


「今回は攻撃の魔法を身につけましょう」


 講師の先生は庭に出て、呪文を唱えると手のひらから風が生み出され、用意していた丸太の木めがけて放った。風の魔法が当たった丸太は大きく抉れてしまった。


「こんなものでしょう。風を凝縮させて丸太にめがけて投げるんです」


 先生は得意げにアドバイスをするが、私はピンとこない。風を凝縮する事なんて、元の世界でやった事は無いんだから。

 先生は「まずは実戦です」と言って、私に魔法の呪文と凝縮するコツを教えてもらう。

 先生に言われた通りに魔法の呪文と言い、凝縮した風を放った。


 すると丸太が木っ端微塵に吹き飛んでしまった。


 ……ドラゴンボールのかめはめ波を打ったみたいになっちゃった。隣で見っていた先生も絶句している。パラパラと丸太の破片が落ちてきて、私はヤバいと思った。

 呆然としていると「いやあ、凄いですね」と爽やかな声が聞こえてきた。


「アズサ様の魔法は凄まじいです」

「あ、ハルクさん」


 私は覚えたてのカーテンシーをして挨拶をする。ハルクさんを見ると日の光に当たるとキラキラと金髪が輝いて、美しいなって思う。


「申し訳ございません。お見苦しい所をお見せしてしまって……」

「いやいや、全然。すごい威力ですよ、さすが聖女様だ」

「ありがとうございます」

「だけど攻撃の魔法が上手くならない方が嬉しいな。我々の役目が無くなってしまう」


 冗談っぽくハルクさんは言い、私はちょっと頬が緩む。そう言ってもらえると黒い霧を浄化する時、少しだけ安心する。

 ハルクさんは「午後は何か用事でもありますか?」と聞いた。


「えーっと、マナーの勉強を」

「でしたら、今日はお休みして僕と一緒にお出かけしませんか?」


 思わず「え?」と驚き、言葉が出ない私をよそに魔法の先生に「すいません、マナーの講師の方にお休みとお伝えください」と言った。

 どうやらお出かけは決定のようだ。だけど、これってデートじゃない! こんなイケメンの人と一緒に行くなんて! 心が舞い上がってしまう!


 こうして翼の生えたペガサスが引く空飛ぶ馬車に乗って、私とハルクさんは王都を出る。


「あの、何処に行くんですか?」

「珍しい花畑があるんですよ。前に約束していましたので」


 あ、そう言えば黒い霧を浄化した後、そんな事を言っていたな。それを律義に守ってくれるとは……イケメンなのに真面目である。

 ハルクさんの行動に感動していると「何か、生活で困った事はありますか?」と聞いてきた。


「いや、良くしてもらって嬉しいです。だけど、ちょっと良くし過ぎていると言うか……」

「そうですか?」

「私、元の世界では普通の家庭、庶民でメイドとか居なかったんです。だから一人でお風呂に入れるので、お手伝いに入られるとちょっと恥ずかしいと言うか……」

「なるほど。それから思ったんですけどメイドさんは年齢が高くて話しかけづらいでしょう」

「そうですね」

「あと、料理については」

「すごく美味しいです!」


 前のめりにそう答えてハルクさんがちょっと笑う。その後、元の世界で好きだったデザートの話しをしているとハルクさんが言っていた花畑が窓から見えた。

 空から眺めると一面、パステルカラーのピンクが広がっていた。


「わあ、綺麗」

「うん。もう見頃のようですね。空から眺めても美しいですが、近くで見るともっと美しいですよ」


 私が見入っているとペガサスが引く馬車はゆっくりと地上に向けて降りていった。

 ハルクさんの言う通り、花畑は美しかった。可愛らしいピンクのボタンのような大ぶりの花だけど、枝や幹はヒマワリのようにしっかりしていた。ものすごく華やかな花だった。


「すごくきれいです」

「あなたが言っていたバラに似ていませんか?」

「どちらかと言うと、ボタンに似ているかなって、あれ? 私、そんな話しをしていましたっけ?」

「看護師さん達に花の話しをしていたでしょう。その後、彼女達から聞いたんです。他にも色々な花があるんですよね」


 キラキラな笑みを浮かべてハルクさんは言う。聞かれた看護師さん達は多分、色めき立ってテンションが上がっただろうな……と思った。

 私が花を眺めているとハルクさんは「あと、あなたと一緒に来た方の話しを聞いてもよろしいでしょうか」と聞いた。


「彼はあなたとどういう関係でしょうか? 恋人?」

「ワタルさんがですか? そんなわけないですよ。私が召喚される時、とっさに助けようと引っ張り上げようとしたんです。それで巻き込まれて……。たまたま同じ道を歩いていた赤の他人です。彼について、私は何も知らないんです」


 私の答えにハルクさんは「ああ、そうなんですか」と言った。

 良かれと思って助けようしたのに、巻き込まれてしまってワタルさんには申し訳ないな。言葉も文化も違う世界なのに、彼と私では待遇に格差があるのだ。


「ハルクさん。ワタルさんは巻き込まれて来てしまって不安でいっぱいだと思います。彼も私と同じくらいの待遇をお願いします」


 私の言葉にハルクさんは「善処するよ」と答えた。でも何となく他人事のように聞こえた。




 あれからいくつかの黒い霧の浄化を行っていった。さすがに慣れてきて、呪文の失敗も無くなった。

 そして新しいお友達が出来た。


「うわ、これ美味しいね! アズサ!」


 ハルクさんに似た美人の少女、スラルは目を丸くする顔が可愛くて思わず私の顔も笑ってしまう。

 スラルはハルクさんの姪っ子で私と同じ十六歳だ。かなり社交的で異世界から来た私に対して臆する事無く、色々な話しをしてくれている。彼女は学校に通っているようで、放課後や休日に私の所に来てお茶をしながらおしゃべりしている。

 今日は私が住んでいる庭でテーブルと椅子を置いてお茶会をしていた。


「アズサの世界ってこんなお菓子があるんだね」

「ちょっと違うけど、でもこんな感じだね」


 今、食べているのはミルクレープだ。一応、小麦粉のような物があるし、クレープのような食べ物もこの世界あった。なので料理人にミルクレープの事を教えて、作ってもらったのだ。

 クリームと生地を何層にも重ねて作ったミルクレープ。クリームの味はちょっと違う味だけど、かなり元の世界と同じ見た目だし味も美味しい。


「こちらの世界だと主食として肉とか魚とか巻いて食べるけど、私達の世界だと果物や甘いものを巻いてデザートとして食べる人の方が多いかな。もちろんベーコンとかの肉を巻いて食べる事もあるけど」

「へえー。今度、うちの料理人にも作ってもらおうかな」


 そう言いながら、スラルは口いっぱいにミルクレープを頬張る。そして口元にクリームが付いていた。

 いつも年上の人しか関りが無いので、同年代の子と気を遣わず何気ないお話しするのは楽しい。

 そして私の友達を思い出す。みんな、元気かな?


 スラルとお話ししていると「やあ、聖女様、スラル」とハルクさんがやってきた。


「今日はお茶会をしていたのかい」

「そうなの、今日はアズサの世界にあるお菓子を作ってもらって……」

「こら、スラル。アズサじゃなくてアズサ様だろ」


 ハルクさんが怖い顔をして注意するので、私が「大丈夫です」とすかさず言った。


「スラルと最初に会った時から、【様】や敬語を言わないで普通に喋ってほしいってお願いしているんです。遊びに来てもらっているのに敬語で話していたら、かしこまっちゃうので」

「そうなんですー。ハルクおじさん」

「なるほど。アズサ様がそう言うならいいのだが、俺の事を【おじさん】というのはやめろ。まだ、俺はおじさんと言う年じゃない」


 拗ねたように言うハルクさんは言い、私とスラルは笑う。【おじさん】という言葉を気にするのは私の世界以外でもあるんだな。


「そう言えば、ハルクさんっておいくつ何ですか?」

「十八だ」

「え? すごく大人びていません? しっかりしているって言うか」

「俺はこの世界の秩序と平和を守るよう教えられてきたんです。兄や父、そしてこの世界の人々を支えるために」

「ハルクお兄さんは王位継承権、第二位ですからね。役目が多いから」


 スラルの言葉で「え? 王族の方なんですか……」と恐る恐る聞いた。スラルは「あれ? 知らなかったの?」と言わんばかりの反応だった。

 でも確かに黒い霧の浄化の時は指揮官のような事もしているし、ハルクさんよりもかなり年が上の人間にもテキパキと指示していた。結構、立場が上の人間だろうなって思っていたけど、まさかこの世界の王子様だったとは!

 一方、ハルクさんは「言うなよ!」と慌てる。


「うわ、王族の方々だったんですね。ハルクさんもスラルも」

「かしこまらないで、王族と言ったって、そういう一族に生まれてきただけの人間。私は魔法が使えないから、出来損ないだし」

「そういう風に言うな、スラル。お前にはお前の使命がある。それを果たせ」

「そうよね! まずは手始めにアズサに教えてもらった、このミルクレープを流行らせてお金持ちになる事ね!」

「それは使命じゃない」


 なんだか二人で冗談を言い合っているけど、ハルクさんやスラルも色々と悩んでいる事があるんだな……。

 異世界から来ているからって理由で、あまり外に目を向けていなかったな。

 それからスラルは家の門限があるからと言う事で帰って行った。ハルクさんはお茶を飲んで「静かになりましたね」と言った。


「スラルは俺の兄の子供なんだ。兄も義姉もあの子を愛情深く育てているけど、周りから魔法が使えないから出来損ないと言われてきたんだよ」

「そうだったんですか」

「明るく振る舞っているけど、やっぱり辛いんだろうな。でもアズサ様と一緒に喋っているのを見て、やっぱり年相応だなって思いました」


 そして「あなたも含めて」とハルクさんは付け加えた。私は「スラルを紹介してくださり、ありがとうございます」とお礼を言った。

 そうスラルを紹介したのはハルクさんなのだ。明るくて分け隔てなく喋る彼女との会話は気を使わないし、気軽に愚痴も言い合える。


「でもハルクさん達が王族の人達とは思いませんでした」

「言うつもりは無かったんです。それに王族と言っても、黒い霧を浄化できませんからね」

「……あれ? ハルクさんは十八でスラルは私と同い年って事は、ご兄弟の年と大きく離れていますよね」


 私の質問にハルクさんは「まあ、そうですね」と暗い顔をして答えた。そして「私の父である王は側室を含めて十人の子供が居ました」と話し始めた。

 王族だから側室は居るだろうけど、それでも十人の兄弟がいるって私がイメージしている大家族よりも多いと思う。


「だけど今は俺を含めて、兄弟は三人しかいません」

「え? 三人ですか?」

「魔族との戦争や魔族の兵器による毒で短命なんですよ」

「……はあ」

「王族と言うのは民のために率先して戦う。そうしなければ民はついて行かないですし、顔向けできませんよ。だけど魔族と言うのは頭が良くて、戦場だと民よりも王族を狙うんですよ。そっちの方が魔族としてもいいのかもしれません。指揮官が亡くなれば他の兵士はどうしたらいいか分かりませんからね」

「……」

「それに戦場で生き残ったとしても黒い霧による毒のせいで長くは生きられない定めなんです」


 そしてハルクさんは「俺は終戦後に生まれた末っ子なんです」と言った。


「お前にはたくさんの兄弟たちがいた。彼らの犠牲で終戦になって、こうして自分が生きている事を忘れるなと言われてきました」


 ハルクさんの話しに私の目が潤んでしまった。それに気が付いてハルクさんが「あ、申し訳ございません」と謝る。


「こういった歴史があるから、王族だったって事を話したくなかったんです」

「ごめんなさい。ものすごく重たい運命と思って、ちょっと……」


 ハルクさんは「泣かないでください」とハンカチを渡した。それを受け取って涙が流れている目頭を押さえる。


「戦争は終わりましたし、黒い霧の浄化もあなたのおかげで、もうすぐ終わります。感謝しきれません」

「何か私に出来る事があったら」

「もう黒い霧の浄化だけで十分ですよ。だけど、そうですね……。ぜひ、俺の事を呼び捨てで呼んでください」




 ハルクさんも帰って行き、お茶会の片づけをしないで椅子に座って沈もうとする太陽を眺めていた。ぼんやりとハルクさんやスラルの事を考えていたのだ。

 そんな時、ガサッと音がしてハッとそちらを振り向く。いたのはワタルさんだった。


「なんで玄関から来ないんですか」

「メイドの人に追い返されるんですよ。だから多くのメイドの人がイケメンの人の見送りしている時を狙って、こうして来ているんです」


 イケメンの人ってハルクさんの事か。最近、彼のキラキラな笑顔に慣れてきてドキドキしなくなったけど、やっぱりイケメンなんだな。

 そう思っているとワタルさんは「イケメンって大変ですよねー」と他人事のように話す。


「ハルクさんは王族の人なんだよ」

「あ、そうなんだ」


 そう言ってワタルさんは「あの人って、結構ねたまれているよねー」と話し出す。


「黒い霧の浄化の仕事をしていると、かなり陰口を言われている感じ」

「……あれ? 言葉が通じないって言っていなかった?」

「半年も居れば何となくわかりますよ。馬鹿にされているとか、怒っているとか」

「でも若くして指揮官になっているから、やっぱり妬まれているのかな」


 そんな事を呟いているとワタルさんは「あ、そうだ」と言って鍵と小さな袋をテーブルに置いた。鍵を見て、ピンッと来た。また鍵を預かってほしいんだ。

 だけど次の黒い霧の浄化は、まだなはず。


「申し訳ないですが、この鍵を俺達が元の世界に戻るまで預かってほしいんです」

「……え? なんで、突然」

「なんだか、あなたの所に行くのが面倒になってしまって。まあ、全く話が通じないから不信感を抱くんでしょうけど。だけどこの鍵の中身は元の世界から持ってきた物だから、盗まれたくないんです」

「なるほど」

「聖女としての役目が大変ですが、この鍵を預かってください。お願いします」


 私は「分かりました」と言った。確かに話しが通じないとお互いに不信感があるよな。鍵を預かるくらい私的には大丈夫だ。

 ふと、ワタルさんの袖から見えた手首に大きな痣が出来ている事に気が付いた。


「ねえ、手首の所に大きな痣があるね」

「え? あ! えーっと、そうなんだよねー」

「荷物持ちの時に怪我したの?」

「……まあ、そんな所ですね」


 ちょっと疲れたようにワタルさんは言い、「それよりも!」と言って小さな袋を見せてきた。


「卵パンみたいなお菓子を見つけたんですよ」

「……え? 卵パン?」

「知りません? 卵の形をしたちょっと硬いお菓子ですよ」


 私は袋を受け取って中を見ると、小麦色の卵の形をしていた。手に取ると結構、軽い。硬いって言っていたから、重いと思っていた。そして一口食べると確かに硬い。でも素朴な甘さがあって美味しかった。


「あ、美味しい」

「でしょう!」


 だけど、さっきミルクレープを食べたからなー。ワタルさん程の感動は無いな。だけどカリカリと食べる。卵パンと言うより、クッキーに似ている。そして前にどこかで食べた気がする。

 あ、そうだ。昔、お母さんが懐かしいって言って買ってきたんだ。子供の頃に食べていたんだよって。でも私は固いじゃんって言って文句を言って一個しか食べなかった。

 この世界に帰ったら、卵パンを買ってお母さんと一緒に食べよう。


「それじゃ、頼みました」

「あ、はーい」


 そう言ってワタルさんは庭の柵を乗り越えて帰って行った。



 ワタルさんの言う通り、いくつかの黒い霧の浄化が終わっても姿を現さなかった。スラルやハルクさんとはほぼ毎日のように会っているので寂しくない。だが時々、彼が現れないと何をしてるんだろうって思う事がある。半年くらい経っているからジェスチャーや言葉は何となくわかるとは言っていたけど、心配になってきた。待遇を良くして欲しいってハルクさんに言ったけどな……。

 だけど、次の黒い霧の浄化で終了となる。これで元の世界に帰れるのだ。

 私は最後の地となる黒い霧のある場所までハルクさんの馬車で一緒に向かっている。


「アズサ様……、じゃなった。アズサ」


 ハルクがぎこちなく私を呼び捨てにする。彼が呼び捨てにしてほしいと言ったので、だったら私も呼び捨てにしてほしいと頼んだのだ。いや、聖女様なんで……とかと言っていたが、そうじゃないと【さん】をつけますよと言って約束を取り付けた。


「えーっと、アズサ。これから向かう黒い霧の浄化が終わったら終了となります」

「そうですね」

「このまま元の世界に帰るって事でよろしいでしょうか?」


 ちょっと躊躇いがちにハルクが言うので「どうしたんですか?」と聞いた。


「このまま、私達の世界で暮らしませんか?」

「え? でも」

「元の世界に家族や大切な人がいる事は分かっています。だけどそれ以上にアズサを私は思っています」


 ……これってプロポーズじゃない? と思ったら顔が真っ赤になってしまった。魔法の練習や黒い霧での活動とかずっと一緒にいてものすごく心強いと思っていたけど……。いや、ハルクはプロポーズと思わずに、このセリフを言っているのかもしれない。でも直接、聞くのは恥ずかしいな……。

 思いっきり舞い上がっているとハルクは「一応、選択肢に入れておいてください」と話してくれた。

 私は無言で頷いた。


 ハルクのプロポーズのような発言に心が舞い上がっているなか、最後の黒い霧ある場所に着いた。心を落ち着かせて馬車から降りる。

 だが先に到着していた人々の様子がおかしい。いつもだったら私が現れたら、みんな挨拶したり「よろしくお願いいたします」とか話しかけて来るのに、バタバタと走っていて、ものすごく騒がしい。

 それに黒い霧に犯されている場所もおかしかった。霧と言うより、その地だけ夜になっているくらい真っ暗だった。


「おい! なんで、まだ終わっていないんだ!」


 隣にいたハルクが激怒して、近くにいた作業員に詰め寄った。だが彼も「分からない」の一点張りで、どうしたらいいのか分からない状況だった。

 見た事がないくらい怖い形相したハルクは様々な人に状況を聞いているが首を傾げたり、言い淀んでいた。

 話しを聞き回っていると「まだ、ワタルが……」という話しをする人がいた。


「え? なんでワタルさんが?」


 私が聞こうとすると彼らは途端に口を閉ざす。え? ワタルさんって荷物持ちとかの雑用をしているんじゃないんですか?

 ハルクさんは「とりあえず、アズサ……」と話していると、周りが「帰ってきた」という声が聞こえてきた。


「待って、アズサ!」


 ハルクさんの言葉を無視して、黒い霧の地の近くに集まっている人の方へと向かった。ザワザワと騒がしく、「誰か介抱してやれよ」と言う声が聞こえてきた。


「え? ワタルさん?」


 人だかりの中心にはワタルさんがうつ伏せに倒れていて、すぐに駆け寄った。

彼が握っている矢は真っ黒で、私が浄化している武器のようだった。そして矢を握っている手は黒ずんでいた。

 私がワタルさんを起こして「大丈夫」と声をかける。仰向けにして顔を見ると苦しそうだった。そして顔の一部が黒い痣があった。


「あ、アズサさん」

「ねえ、大丈夫? どうしたの?」

「間に合わなくて、すいません。だけど、もう矢は全部、回収しました」

「え? 矢って何?」


 私の質問にワタルさんは答えず、気を失ってしまった。

 その時、周囲の人が「霧が晴れたぞ!」と言う声が聞こえてきた。見ると夜のように暗かったが、ゆっくりと晴れていく。そしていつも見ている黒い霧になっていった。


「さあ、最後の黒い霧を晴らしてください」

「お願いします。聖女様」


 周囲の人がそう叫ぶなか、私は「冗談じゃない!」と怒鳴った。


「ワタルさんが治るまで、私はこの黒い霧を浄化しません!」


 そう宣言した瞬間、周囲は静かになった。




【アズサさんへ

 これを読んでいるって事は俺に何かがあったんでしょうね。多分、黒い霧の中でケガをしたのか、もしくは黒い痣によるものかもしれません。

 アズサさんが聖女として仕事をしているため、自分も何か出来ないかと思ってお手伝いをしていた所、黒い霧の地にある矢を取ってきてと、黒い霧の浄化を手伝う人達にジェスチャーや覚えた単語で言われました。


 アズサさんが来る前の黒い霧の地は本当に真っ暗です。それに矢はアズサさんが呪文を言って浄化する武器と同じような感じがありました。


 この矢はなんかヤバいんじゃないかって思いましたが、周りの人に異世界から来たから多分毒は効かないんじゃないか? と言われ、アズサさんが来る前に俺はこの矢の回収をしていました。本当は断りたかったのですが、言葉もほとんど分からない地だし、黒い霧を浄化しないとあなたは元の世界に帰れないから回収を続けました。


 実を言うと俺は別に元の世界に帰りたいと思っていませんでした。というのも、あなたと一緒に召喚される前、両親が離婚して俺を誰も引き取りたくないと拒否されました。もう十六歳なので、ある程度一人で生きていけますけど、さすがにショックでした。今まで自分は誰にも必要とされなかった、そしてこれからも自分を必要としている人なんていないんだろうなって思っていました。


 そんな時に異世界召喚されて右も左も分からない、しかも言葉も通じない、ものすごく不便な場所に連れて来られて、はっきり言って混乱しました。だけど浄化の作業で知りあった人達と仲良くなって、矢を回収するとものすごく褒められたり感謝されて嬉しかった。

 もしかしたら良いように使われているんだろうと思いますが、自分にとってはどうでもいいです。例え死ぬことになっても、悔いはありません。少なくてもこの世界では俺は必要とされていた。それだけで満足です。

 この手紙と一緒にある写真は俺が死んだ時に墓の中に入れておいてください。こんなお願いをするなんてアズサさんに申し訳ないですが、よろしくお願いいたします

                                    ワタル】




 私はワタルさんの手紙を読み終えて、彼が同封していた写真を見る。普通の家族写真だった。まだ小学生くらいのワタルさんとほほ笑む両親が映っている。

 これはワタルさんの部屋にあった貴重品が入っている箱の中に入っていた。以前、彼が預かってほしいと言っていた鍵を使って開けたのだ。


 ワタルさんが倒れた後、すぐさま王都に戻って私の住まいに彼を休ませた。あれから一週間、ほとんど眠り続けているし、黒い痣はどんどんと増えていく。

 当初はここにワタルさんを住まわせることをメイドは嫌がっていたけど、強行して自分の部屋に寝かせた。この世界の人達は黒い痣を忌み嫌っているようだ。


 ずっとこの世界でお姫様みたいな気分でいた自分が馬鹿で最低な人間だ。

 一緒に来たワタルさんがこんな風になっても、気づかないなんて最低だ。

 なんで言ってくれなかったのだろうか……。


 自己嫌悪になっていると「ハルク様がいらっしゃいました」とメイドが言ったので「通してください」と返した。こういうメイドとの会話も昔は緊張していたけど、今は慣れた。そして何様のつもりだと更に自己嫌悪になってしまう。


「アズサ、大丈夫かい?」


 そう言ってハルクは部屋に入ってきた。少し厳しい顔をしているけど声音は優しかった。私は「私は大丈夫です」と答えた。


「だったら……」

「前も言ったはずです。ワタルさんが治ったら黒い霧の浄化をします」


 私は素っ気なく言い、ハルクは押し黙る。

 しばらく沈黙が続いた後、私は「ワタルさんが回収していた矢って何ですか?」と聞いた。


「黒い霧を発生させているのは、突き刺さった大きな武器と一緒に、細々とした矢も原因の一つだ。大きな武器はアズサの呪文で浄化しないといけないけど、矢は黒い霧から出たら浄化できるんだ」

「黒い霧の中に入ると黒い痣が出来るんですか」

「そうだね。霧の中に毒があるから。この毒のせいで兵士や私の兄たちは亡くなった。だけど君が入っている時だったら、毒は回らないから安心して」

「だけどワタルさんが矢を回収していた時の霧はかなり濃いから毒になっていた」

「矢を回収しないと霧は薄まらないからね」


 他人事のように言うハルクを私は睨む。すると「彼自身が進んで矢を回収するって言っていたそうだよ」と言い、私はカッとなって怒鳴った。


「当たり前でしょう! 黒い霧を浄化しないと元の世界に帰れないって言われているんだから! 異世界から来て何にもわからないから、黙ってやらせたんでしょう!」


 私の言葉に傷ついたような顔をするハルク。あなたがそんな顔をする権利など無いんだけど。

 イライラしつつも「ワタルさんは治りますか?」と聞いた。


「治らなかったら、黒い霧の浄化はしません」

「……」

「どうなんですか?」

「分かった」


 ハルクは苦しそうな顔で言った。


「だけど準備に時間がかかる。だから先に黒い霧の浄化をお願いしたい。必ず彼を治すから」


 どこまでも誠実そうに言っているのが腹立ったけど、この世界について私もよく分からない。だから「分かりました」と言うしかなかった。




 私は一人で最後の黒い霧の浄化の地に向かった。ハルクはワタルさんの治療のため、ついて行けないと言う事だった。

 目的の地に着くと作業している人は沈んだ顔をしながら私を見ている。何にも言わずに矢を回収したワタルさんにちょっとは罪悪感があるのだろうか。だけど軽蔑はしない。私も同罪なんだから。


 黒い霧の中は焦げ臭く、顔をしかめたくなる。街ではなく畑だったようで、畝のように土を盛っているのが見えるが、草木は一切生えていない。

 これ以上、真っ暗な霧の中でワタルさんは矢を取っていた。自分だけじゃ無かったんだ。辛い仕事をしていたのは……。そう思うと恥ずかしくなった。


 無造作に突き刺さった剣を握って、呪文を唱える。そして剣を引き抜くと黒い霧は消えていった。

 これで黒い霧の浄化は終了した。あとはワタルさんの治療だけだ。



 ハルクは黒い霧の浄化した日から一週間くらい経って現れた。


「ワタルの治療する場所は整った。だけど結構移動になる上に馬車も使えない所になる」

「……え? どうやってワタルさんを連れて行くんですか?」


 ハルクは「これで」と見せてくれたのは私の世界でも見たことがあるリアカーだった。思わず「嘘でしょ」と呟いて私は睨む。

 だがハルクはたじろぐ事もなく「動物が近づけない場所なんだ」と冷静に答えた。


 こうしてリアカーに毛布や羽毛を敷いて、ワタルさんを寝かせた。

 倒れてから黒い痣はどんどんと広がって起きている時間も短くなっていった。以前だったら身体を起こして食べ物を食べていたけど、今は体を起こすのもしんどそうだし食べ物も全然食べなくなってしまった。一応、薬で黒い痣の進行を遅らせているけど、目に見えて効果は見えない。


 リアカーを押して私とハルクは歩いていく。従者は居ない。三人だけで治療する場所で行くようだ。

 リアカーは私が押して、ハルクは道案内をしてもらうつもりだった。だけど道中は山とはいかないけど、上り坂や下り坂があってそのたびにハルクに助けてもらった。更に私が疲れていると、さりげなくリアカーを押してくれた。


「ありがとうございます」

「いえ」


 こういう行動を見るとハルクは悪い人じゃ無いんだよなって思える。

 だけどワタルさんの言う通り、ハルクや王族の事を平民はあまり良く思っていないようだった。ハルクは聖女の影に隠れて偉そうにしているだけの人、顔だけがいい人みたいに言われていて驚いた。

 本当に表面の事しか見ていなかったなって思った。


 そんな事を考えていると治療する場所に着いた。




 治療する場所は海だった。潮の匂い、広い砂浜、青い海は私がいた世界と同じだ。


「ここでワタルさんの黒い痣が治るんですか?」


 私の質問にハルクは「治らない」と言い出して、思わず「はあ!」と声が出た。「どういう事?」と言う前に彼はポツリポツリと話し出す。


「黒い痣は、今の魔法や技術では治せないんだ。痣が出来たら、なるべく動かないようにして死を待つだけって感じだ」

「嘘をついたんですね」

「だって、そうしないと黒い霧の浄化をしないだろう?」


 開き直った態度でハルクは言うので覚えた魔法を使おうかと思っていると、「ただ、全部嘘じゃない」と話し出した。


「この海に身を投じると生まれ変われるんだ。何十年かかるか分からないけど、赤子になってここの砂浜に打ち上げられるんだ」

「それって本当ですか」

「海に身を投げた黒い痣が付いた人間が去年、健康な赤子になって戻ってきた。身体的特徴もあっているし、生まれ変わったんだと言われている」

「その人、いつ海に身を投げたんですか?」

「六十年前かな?」


 絶句している私に「もうこれくらいしか治す方法は無いんだよ」と諦めたような口調でハルクは言う。マジで魔法をかけてやろうと思っていたら、ワタルさんが「すいません」と声をかけた。

 ほとんど喋らなかったので、久しぶりに声を聞いてちょっと驚いた。


「この、海に、入ります」

「え? でも何十年もかかるよ。そもそも記憶とかも無くなるかもしれないし」

「それでも、いい」


 短く苦しそうにそう言ってワタルさんは目を閉じた。すでに顔半分が黒い痣が広がっている。これしかないからって言う事で諦めているのかもしれない。

 チラッとワタルさんはハルクを見て「ありがとうございます」と小さく息を吐くような感じで言った。


「お礼を言うのは俺達の方だけどね」


 ハルクは独り言を言って、目を逸らした。


「このまま海に入って潜れば、生まれ変われるから」


 海岸までリアカーを押して、ワタルさんをハルクは抱っこする。波打ち際まで歩いて私は「ワタルさんと二人っきりで話したい」と言って、離れてもらった。

 正直、この世界に来てワタルさんとそこまで親交を深めていなかったので、特に話すことは無く「異世界でも海って同じなんだね」としか言えなかった。もっと色々と話せばよかったな。彼の状況とか、もっと考えればよかった。


「それじゃ、行こうか。一緒に」

「え?」


 ぼんやりしていたワタルさんが突然、顔をあげた。私は構わず海へと歩いていく。彼を支えながら。


「一緒に海へ行こう」

「……」

「一人で、何にもわからずに、生まれ変わるのは、あんまりじゃない」

「元の、世界は?」

「私もそこまで元の世界に未練は無かったし、一緒に行こう」


 嘘だ。家族や友達にも会いたい。だけど、彼がこんな風になってしまった原因でもあるこの世界に残しておくのは可哀そうだ。それに気づかなかった私も悪いのだ。


「ダメだよ。君は、元の世界に」

「この世界に召喚される時、私が転んで吸い込まれそうになった。それを助けようとしたでしょ」

「……」

「その時のお礼だよ」


 後ろからハルクの声がする。そして私達の方に向かって走っている。だけど、すでに私もワタルさんも気にしないで海の中を突き進んでいった。


 そして足が付かない深い所まで、沈んでいく。




















 パッと目が覚めると、私は涙ぐんでいた。目から出ていた涙を拭く。悲しい夢や悪夢ってわけじゃないけど、時々起きると涙が出る事があるのだ。


「おはよう、アズ」


 パッと私を覗き込む少年 ワタが見えた。私の弟、でもあっちは私の方こそ妹と言っている。

 でも濡れた頬に気が付いたのか「泣いていたの?」と彼は心配そうに聞いた。私は頷いて「ちょっとね」と答えた。


 起きて着替えて朝食を食べたら、お義母さんとお義父さんの仕事の手伝い。うちでは野菜を作っているので、種まきや草むしり、収穫の手伝いをする。

 だけど今日は違った。


「二人ともお使いに行ってくれない?」


 そう言ってお義母さんが持ってきたのは今年できた果物のジャムが入っている瓶だった。これを見てワタと私はピンときた。


「ハルクおじいちゃんの所に持って行くの?」

「ハルクじいちゃんのお使いか」

「そうだけど、二人ともダメよ。ハルク様って言わないと」

「でも、おじいちゃんって言ってもいいって言っていたよ」

「うん、言っていた」


 お義母さんは「それでもダメ、ハルク様と言いなさい」と注意した。

 ハルク様は王様の弟でとても偉い人。今は王都から離れたこの村に小さな屋敷を建てて住んでいる。時折、小さな私達のために文字を教えたり、物語を聞かせてくれる。

 それと私とワタの名付け親でもある。


 私達は赤ちゃんの時、砂浜に打ち上げられていた所をハルク様が見つけたのだ。言い伝えでは私達は昔、生まれ変わるために海へと入って行った者達らしい。

 そうしてハルク様は、子供のいなかったお義母さんとお義父さんに名前を付けて私達を預けたのだ。

 なので私達はハルク様には感謝をしないといけない。


 果物のジャムを持ったワタと一緒に歩いていると、私はあるものを見つけて立ち止まってしゃがんだ。


「ん? アズ、何しているの?」

「可愛い花を見つけた」


 ピンク色の可愛らしい花だ。どこでもある花だけど、何となく好きな花だ。

 ワタは「それ、ハルクじいちゃんにあげるの?」と聞くので、私は首を振ってピンクの花を髪に着ける。


「似合っていると思うよ」

「え? 本当?」

「多分」

「多分はつけないで!」


 女心の分からないワタの方へ歩きだす。



 私の名前はアズサで、彼はワタルと言う名前だ。ここでは珍しい発音の名前らしく、異世界から来た人の名前だと言う。

 かつて猛威を振るっていた黒い霧の浄化をした救世主らしい。





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― 新着の感想 ―
> 半年前、私は異世界転生した >つまり私を召喚したのだ。 『転生した』ではなく『異世界召喚された』では? 『召喚』であるべきとこが『転生』(6か所)になってますが意味間違えて覚えてません?
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