閻魔大王の判断
「お待たせしました」
ヤミーが戻ってきて大無の前に座った。それが彼を担当している165番のヤミーだとわかる目印はなかった。
「さて、どこまで審査したかな?」
彼女が大無の目を覗き込む。心を読もうとしているのだ。
「……」大無は心を閉ざしてみた。
「ヌシは、私を笑ったように隣の中年男を笑ったね。それに、復讐心に燃えている。隣の美女も笑ったね。それに嫉妬した。彼女が成功者だから……。いや、美しいから欲望を燃やしたのかな。……図星だろう?……瞳孔が収縮しましたよ。やっぱり、地獄行きですかね……」
彼女もまた、左右のヤミーのように微笑んだ。
「勝手にしてくれ」
大無は心の中で泣いていた。事故にあったわけじゃない。大病を患ったわけでもない。誰かに刺されたわけでもない。それなのに死ぬなんて理不尽の極みだ。
哀しかったが、涙はこぼれなかった。肉体がないからだと思った。
「さてさて、困りましたね……」
ヤミーが再び立ち上がり、「付いてきなさい」と命じて歩き出した。
彼女の身長は大無の肩ほどまでしかなく、階段を上る時でも、その頭が善春より高くなることはなかった。
階段の先に何があるのか、わかっている。その先には閻魔大王がいる。
大無は、ほどなく彼の前に立った。
閻魔大王は巨大で大無の背丈は腰ほどまでしかなかった。とても見上げる勇気は起きない。膝が震えていた。振動が脚を伝わって胃袋を締め付け、目の焦点を狂わせる。
「座れ」
声が降ってくる。
閻魔大王の前に石の椅子が2脚あって、一つにはヤミーが、もう一つには大無が座った。
「汝か、死を受け入れないというのは?」
大無は、チラッと閻魔大王を見上げた。真っ黒な顔についている金色の瞳ばかりが目を引いた。それは教科書で見た達磨大師のものに似ていた。
「は、はい。アプリのシヴァによって死んだなど、合理的にありえないと思うからです。……ま、万が一、そうした呪があったとして、どうして中国人の誰かに間違われて、僕が死ななければならないのでしょう」
「なるほどのう。汝の意見はもっともだが、世の中には理屈に合わないことが多い。そうは思わないか?」
閻魔大王の口調は、思いのほか柔らかかった。
「もちろん、そう思います」
「それでは、シヴァによる死も、そのうちの一つだと考えられぬか?」
閻魔大王の言葉に、大無はめまいを覚えた。現世ならともかく、ここ冥界でも理不尽がまかり通るのか……。
大無は閻魔大王の顔を睨み続けていた。抗議ではない。ただ、視線が動かせなかった。
「どうなのだ?」
どれだけ睨みあっていただろう。催促されて、どうにか舌を動かすことができた。
「……もし、アプリの呪いによって裁かれるというシステムを受け入れるとしても、どうして他人の罪で死ななければならないのでしょう。他人の行為で有無大無という人格を評価されるのは心外です。悪行も善行も、自分の行為をもって評価されたいと思います」
堂々と陳述しても、閻魔大王の表情は変わらない。何か言わなければ!……大無は焦った。
「……現世では、嘘をついたら閻魔様に舌を抜かれて地獄に落とされると教わりました。他人の罪を受け入れるのは、嘘をつくのと同じではないでしょうか?」
その時、閻魔大王の結ばれた唇が〝へ〟の字にゆがんだ。何かしら感情が動いたのに違いない。……イケル! そう感じた。
閻魔大王が大きな口を開く。
「人の行為によって裁く。それは閻魔として、ワシが人を裁く場合の基準じゃ。シヴァが汝を裁いた基準はそれと違う」
「どう違うとおっしゃるのですか?」
「人は、英雄をほめたたえる。人を殺して国をまとめた者、人をだまして富を築いた者、人を陥れてゲームに勝利した者。そういった成功者に勲章を与えることもあれば、成功者として大統領にさえすえる。シヴァは人の作ったもの。その基準もまた、人のそれなのであろう」
「閻魔大王様は、人が作った基準をそのまま受け入れるとおっしゃるのですか? 私は中国人ではありません。それなのに、中国のシヴァによって裁かれろというのですか?」
それは詰問に近いものだった。
「これ、口が過ぎる」
ヤミーが、大無の無礼な言葉を諌めた。
「良い。若者は率直なもの。それを否定することはない……」
閻魔大王が許した。
「大王様がよろしければ……」
ヤミーはそう応じて唇を結んだ。
「……で、有無大無よ、聞け。……500年前、ヤミーは20人しかいなかった。それだけで死者を裁くには十分だったのだ。それが今は、200人を超えておる。……人が増えたのは、人類に知恵の実を与えた神の意思によるものでもあったが、食べた人類の暴走でもある。早まったことをしたと、天上の神も後悔されておる。日本人の汝が他国のシヴァで裁かれたのも、未熟な人間の過ちよ……」
閻魔大王の顔から人を裁く威厳が後退し、憂いが満ちた。
「……さて、有無大無。汝に一度だけチャンスを与えよう。己が納得するように生きてみよ。期間は3年。その間に、シヴァの過ちを正すのだ。さすれば天寿を全うさせよう。……後はないぞ。チャンスを生かすことができなければ、3年後には地獄行きじゃ。我に楯突いたのだ。そのくらいの覚悟はあろう」
閻魔大王がそう言ってわずかに微笑んだ。その瞬間、意識が遠のいた。
――光はなかった。大無が目覚めたのは静寂に包まれた暗闇の中だった。肉体はあおむけで横たわっている。暗闇の中でも重力を感じることはできた。
ここは、どこだ?……身体を起こそうとすると額に何かがぶつかった。――ゴッ……、鈍い音がして痛みが額を襲った。
――ゴッ――
身体を起こそうとした大無は、額を何かにぶつけて再び横たわった。
「イテテ……」
額に手を当てようとすると、その手が壁に当たった。左右、どちらも同じ状態だった。それで狭い箱状の物の中に閉じ込められていると気づいた。
まさか、棺桶か?……記憶をたどると派遣先の事務所で産業廃棄物処理施設のロボットシステムの開発に携わっていたことを思い出した。そのパソコンの前でプツっと記憶が途絶えている。
それでどうなったんだ?……頭をひねると、浮かんだのは子供の頃に読んだ白髪鬼というホラー小説だった。生き埋めにされた女性の話だ。彼女は棺桶から抜け出し、土を素手でかき分けて地上に戻る。その時には、爪は全て剥がれ、髪は真っ白、人相は変わって老婆のよう。そうして白髪鬼となった女性は、自分を生き埋めにした者たちに復讐する。そんな物語だった。
白髪鬼が置かれた状況と自分の今が重なる。そして、事態は彼女より悪い状況にあると悟った。今は火葬するのが普通だ。のんびりしていたら丸焼けだ。
仰向けのまま両手を上に向けて蓋を押し上げる。棺桶に寝かされたばかりなら、それで蓋が持ち上がるはずだ。
グイっと両腕に全力をこめる。しかし、蓋はピクリとも動かなかった。すでに釘止めされているのに違いない。
ヤバイ!……慌てて蓋をドンドンとたたいた。誰か気づいてくれ、と願いながら。
――ドンドン、ドンドン――
たたく力は自然と強まっていく。
「タスケテ! 誰かいないのかぁ!」
――ドンドン、ドンドン――
それは突然やって来た。
――ギッ……、鈍い音がして暗闇に光の亀裂が生じる。
「……い、生きているのか?」
亀裂から不安と恐怖の入り混じった声が忍び込み、細い視線が大無を認めた。
「生きてます。助けて!」
叫ぶのと同時に、安堵で脱力した。
大無が棺桶から助け出された場所は斎場だった。火葬の順番待ちで、今まさにボイラーに運ぶためにやって来た職員が気づいてくれたのだ。
「驚いたな。ちゃんとした死亡診断書もあるのに……。もしかしたら、生き返っちゃった?」
蓋を取り外した職員が手を差し伸べて大無を起こした。
「そのようです」
「それは良かった」
彼はカラカラ笑った後、死亡診断書を書いた医師と火葬許可を出した市役所に連絡をいれてくれた。
そうして現世に復帰した大無だったが、職場で心筋梗塞を起こしたおかげで会社は労災を疑われており、……実際はそうだったのだけれど、……復職は認められなかった。
「……仕方がないですよ。休まずに働いていた有無さんにも非があります。仕事をしながら新しいゲームを作っていたんじゃないかって、クライアントは不信を抱いているのですよ。それを何とか私が納めたのですが……。それにしても生き返ったなんて奇跡だ。それをネタに芸能界にでも進出してみますかぁ」
派遣会社を訪ねた大無の目の前で、佐藤が大きな腹をゆすって笑った。彼は大無の担当の40代のスタッフだ。
「佐藤さん、笑い事じゃないですよ。一所懸命仕事をして病気になったのにクビだなんて……。もう、絶望です……」
その時、殺伐とした灰色の風景が脳裏を過った。どこで見たものか、思い出せない。
「いいじゃないですか。有無さんの実力なら、いくらでも仕事はあります。しかし、わが社としても悪い噂が立つのは困るのですよ。仕事熱心であろうとも、それで労災事故を引き起こすようでは、我社が信用を失います。そうして依頼がなくなったら他の派遣さんの仕事がなくなってしまう。……一度だけチャンスをあげます。これが最後ですよ。仕事と健康管理、どちらもしっかりやってください」
「最後のチャンス……」
大無は佐藤の言葉をかみしめた。何故か背筋が震えた。その言葉はとても恐ろしい言葉に思える。
「あー、もしもし……」
佐藤がその場で電話をかけて仕事を決めてくれた。民間警備会社の監視システムを開発する仕事だった。
「いいですね。最後のチャンスですよ。健康管理も忘れずに」
別れ際に彼が言った。
――汝に一度だけチャンスを与えよう。期間は3年。その間に、シヴァの過ちを正すのだ――
脳裏におどろおどろしい声が再生された。
「シヴァの過ち……」僕はシヴァに殺されたんだった。……冥界の記憶が鮮明になった。
「ン、シヴァ?」
佐藤が目を丸くしている。
「いえ、何でもないです」
話したところで信じてもらえないだろう。それが稼働しているのは中国とインドだ。まして一度死んで生き返ったなどリアリティーがなさすぎる。……大無は何も告げず、佐藤と別れた。
大無はチャンスを生かせるか?
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