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冥界

 ――冥界めいかい、……そこには日々、大量の人間が送り込まれる。その中のひとりが有無大無だった。


 大無はセメントの粉のような灰色の大地に立ち、紫色の空を見上げた。空気はシンとして動かず、生臭い臭いが鼻孔に張り付いた。その臭いは大地のあちらこちらでうごめく小豆色あずきいろの生き物の方角から広がっていた。


 その生き物は、餓鬼がきと呼ばれる小鬼……。幼稚園児ほどの体格のそれには脂肪がなく骨ばっていて、肌は古木の様にがさついていた。頭に毛があるものもあれば、ないものもいる。あまりにもせこけてしわが深いので、外見から性別を見分けるのは不可能だった。


 いや、もともと性別があるのか?……大無は記憶をまさぐった。書物や絵画で餓鬼に触れたことはあったが、それに性別があるのかどうかわからない。


 大地にあふれる彼らは、無為むいに動いているのではなかった。働いているのだ。機械的に、無感動に……。


「彼らは何をしているのですか?」


 餓鬼を恐れた金髪のスコットランド人が震える声で訊いた。冥界に送られた人々の気持ちを代弁しているようだ。


 大無はスコットランド人から、視線を右回りに360度振った。数千、あるいは数万人、……そこには様々な人種や民族がいた。それは髪や肌、瞳の色、衣装や態度でわかる。ただ、言語では区別がつかなかった。何故か、彼らが何語で話そうが、意味が通じた。


 圧倒的に多いのが東洋人だった。シヴァのせいだ。ひと月前、中国政府がシヴァを導入したために死者が増えた。その被害者が灰色の大地にひしめいている。


「彼らは何をしているのですか?」


 スコットランド人が再び声を発した。どうしても答えを知りたいらしい。


 しかし、誰も返事をしなかった。大無も同じだ。有効な答えを持っていない。


「豆を植えているのですよ」


 声は、大無の腰のあたりから聞こえた。


 視線を下げると、インドの民族衣装をまとった小柄の少女と視線が合った。


 彼女は緑色の長い髪と、赤いルビーのような瞳を持っていた。髪はソフトクリームのように結い上げ、瞳には無邪気むじゃきな光をたたえている。


「豆?」


 子供があてずっぽうで言っているのに違いないと思った。しかし、多くの者がうなずいた。彼らは、正しくなくても答えがあればよかったのだ。


「不毛の大地を豊かにするには、豆を植えるのが一番なのです。しかし、ここは冥界。不毛の台地は与えられた前提条件なのです。いくら豆を植えようと、大地が豊かになることはありません。それでも餓鬼たちは大地に豆を植える。そうやって、肉体と心の渇望に応えようとしているのです」


 少女は笑みを浮かべた。


 不毛な大地は変わらないと知りつつ耕す。……大無は、そして多くの人々が、それを己の人生と重ね見た。


「まぁ、豆が実ってビールのあてになれば、私は嬉しいのですが」


 そう言った少女の足もとの地面が持ち上がり、小さなステージに変化した。同時に彼女の背丈が伸び、色気の漂う大人の女性に変身した。


「冥界におこしの皆さん。私がガイドのヤミーと申します……」


 彼女は高圧的に話し出す。


 群衆はあっけにとられる。大無も同じだった。


「……この通り背丈は小さいのですが、年齢は4千歳ほど。魔力を持っておりますのでヌシらよりは強い。決して逆らわず、尊敬の念を持って対応くださいまし」


 老若男女、人種も民族も多様な群衆を前に、インドの民族衣装をまとい神の名を名乗った小柄の美女が口角を少し上げた。


「ハイ!」


 群衆の中、1人の女性が手を挙げた。


「何か質問でも?」


 話の腰を折った女性にヤミーが冷たい視線を向けた。


 手を挙げた女性はまだ若かったが、髪は短く化粧っ気はゼロ。胸は平らで男物の白いワイシャツとジーンズを身に着けており、まるで少年のようだった。


「ボクは、どうしてここにいるのでしょうか?」


 その疑問は、その場の人間の共通のものだった。誰もが小さな神と少年のような女性の会話に注目した。


「ヌシは中国のおうヨシハルさんね」


 ヤミーは、メモも見ずに女性の名前を呼んだ。その態度には、ヌシのことは全て掌握している、という自信が見えた。


 すると彼女が首を横に振った。


「善春と書いて、ゼンシュンと読みます」


 訂正されて気分を害したのか、ヤミーが尖った鼻をむずむずと動かし、ルビーのような瞳が暗転、酸化した血液の固まりに変わって見えた。


 彼女は、歌舞伎で髪を回すように頭を大きく振る。一瞬ではあったが緑色の髪が解けた。


 ヤミーを取り巻く人々は、彼女の髪が蜘蛛の糸のように伸びて自分の首に巻きついたのを感じた。


 なんだ?……大無はその細い毛を握った。しかし、手のひらに物的な感触はなかった。代わりに背筋に電気が走り、肛門がキュンと締まった。


「知りたいのなら教えましょう。ヌシらは、みーんな、死んだのですよ。今、ここにあるのは魂のみ。肉体がちてやってくるのを待っているのです」


 彼女は両腕を左右に広げて宣告した。


えぇ!」「なんでやねん」「ガッデム!」「真的假的うそだろう


 人々の反応は様々だった。その集合は津波のように群衆をざわつかせたが、あっという間に冥界の闇にのまれた。


「ヌシらの運命は、私のこの手の中に握られているのです!」


 ヤミーが両手を正面にのばし、広げていた手のひらを握った。その時、大無の心臓がチリチリと痛みを覚えた。


「静かになさい!」


 ヤミーが高い声で一括すると、冥界に集められた人々の声は消えた。いつの間にか首に巻き付いていたヤミーの髪の感触も消えていた。


 体内に溶け込んだようだ。……大無は寄生虫を想像して震えた。


「あれをご覧なさい」


 ヤミーが指す方角に目をやると、それまで見えなかったものが見えてくる。灰色の大地は、白、黒、緑の三色の袋で埋め尽くされていた。袋のサイズは縦横高さともに1メートル。


 袋はベルトコンベアに乗せられて、遥か遠くの地平線に向かって整然と流れている。途中で三色の袋は色別に分かれ、白い袋は空へ、緑色の袋は地平の彼方へ、黒い袋は地の底に向かっていた。


「ここは冥界。死者が分別される場所です」


「分別って……、私たちはゴミ?」


 善春が抗議するような声を発した。


「ゴミではない! 資源です……」


 ヤミーが強く否定し、移動する黒色の袋に目をやった。


「……あの袋は鬼の袋。ヌシらの住んでいた世界では、フレコンバッグと呼ばれている物です。魂、肉体、記憶、怒り、哀しみ、喜び、罪、功績……、中には死者の全てが入っている。白い袋には成熟した美しい魂の持ち主が……。それは天上界の神の下に出荷……、モトイ、送り届けられます。……緑の袋には未熟な魂の持ち主。それは再度、地上に送られ、修行し、魂が成熟する時を待つのです。……黒い袋には腐った魂の持ち主。それは地獄に送られて……」


 ヤミーがオヨヨと大袈裟おおげさに泣き真似をして見せる。


 人々は、その先を想像できた。地獄がどういったものか、あらゆる地域、民族には生き返った者によって言い伝えられている。とはいえ、それをどれほどのものが信じているだろうか?


 今、冥界にいる者たちは、その地獄に直面している。ヤミーの話に耳を傾けずにいられない。


「……地獄に送られた魂は、針の山で穴をあけ、血の池に浸して清めた後、業火ごうかによって焼却処分されるのです。……冥界に来た人々は、大地を埋め尽くしたフレコンバッグに恐れおののき、みんな思考停止におちいる。見なかったことにする人間もいるし、白や緑のバッグのみに目を止めて、未来は明るいと言う者もいる。……いずれにしても、正面から受け止める者はほとんどいない。……さて、ヌシらはどっちかな?」


 ヤミーが首を伸ばし、瞳をぎらつかせて群衆を睥睨へいげいした。


 人々はヤミーから視線をそらし、ベルトコンベアを流れる三色のフレコンバッグに注目する。自分は何色の袋に入れられるのだろうか?……改めて不安と恐怖におののく。死の意味を考える者はいない。


 大無の視線だけは、袋ではなくベルトコンベアに向いていた。それが機械ではなく、小さな餓鬼の集合体で、彼らがせっせと袋を運んでいるのだと気づいて感動していた。


「これからヌシらの分別を行います。あちらをご覧なさい」


 ヤミーの声にハッとする。その指したところは小山のような壇が築かれていて、最上段には象のような巨体の男が座っていた。その髪はメラメラと燃え上がる炎のように赤く、金色の冠をいただいている。顔は闇のように黒く、輝く瞳は黄金色の太陽のようだが、左右で様相が違う。


 左目は朝日で、右目は夕日かな?……大無は考えた。


 大地から大男の正面まで、長い石段が伸びている。その上り口の左右から壇を囲むように長大なカウンターがあった。そこに受付嬢のように座るヤミーの顔が沢山並んでいる。まるで、金太郎飴を並べたようだ。


「あの方が閻魔大王様。有名人なので、ヌシらも知っておろう。あの足元のカウンターでヌシらの審査を行い、白、緑、黒に分別する。そうしているうちに、ヌシらの肉体も現世から届く」


 ヤミーが両手を合わせ、閻魔大王を拝む仕草をした。


「全てがそろったら、袋詰めです。さあ、分別カウンターにお並びなさい。我と我が分身が閻魔大王様の耳目となって、ヌシらの生きざまを確認しよう」


 声と共に、目の前にいたヤミーの姿が幻のように消える。


 人々は首を振ってヤミーの姿を探したが、直ぐに無駄だと理解した。そうして分別カウンターに座るヤミーに目をむけた。


 それから顔に不安を浮かべ、黙したまま連なって万里の長城のような分別カウンターに向かった。大無もその長い列に連なってすすんだ。


 数千数万の人々が分別カウンターの周囲にたむろして自分の順番を待つ。大無は暇を持て余し、101、102,103と、分別カウンターに並ぶヤミーの数を数えた。


 遠くで呼ぶ声がする。


「王ゼンシュンさん!」


 140番目ぐらいのヤミーが手を上げて呼んでいた。


 あの小柄な女性が、トトトと小走りで駆けて行った。


「有無大無さん!」


 その声は王善春を呼んだ隣のヤミーのものだった。


 大無は手を挙げて意思を示してから彼女のもとに向かう。


 どんな話があるのだろう? 何を話せばいいのだろう?……ヤミーのもとまで雲の上を歩くような感覚で移動した。


 分別カウンターもその前の椅子も黒い石でできていた。その椅子に座ると気持ちが引き締まり、病院の受付にいるような感覚に陥った。


 わずかに隣のヤミーの声が耳に届いた。


「王善春さん。22歳、女性……」


 そこで言葉が途切れた。


 思わず隣に目を向けた。隣のヤミーは不思議そうに善春の顔を見つめていた。


「私、女です」


 善春がワイシャツのボタンをはずし、胸元を開けて見せた。レースをあしらったブラが見えた。


 ――コホン――


 大無は咳払いに気づいて正面を向く。どこから取り出したのか、ヤミーがタブレットを手に彼をみつめていた。


「この面接でヌシの未来が変わるのです。集中してください」


 彼女が警告する。


 大無はうなずき返した。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

ブックマークしていただいたら嬉しいです。

お★さまいただいたら、こっそり踊ります。

よろしくお願いします。

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