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国民の声

「アメリカで、また乱射事件があったようね。今度はクラッシック音楽会場だって」


 出勤前、水卜沙也加はテレビニュースを視ながら納豆をかき回していた。


「自動小銃を普通に売っているのだから、自業自得だ」


 茶の間に姿を見せた父、岩丈が無慈悲に言った。


「でも、被害者はいなかったみたいよ。撃つ前にシヴァにやられたみたい」


「なんだ、アメリカにもシヴァがあるのか?」


「アメリカは長い間シヴァの侵入を防いできたけれど、とうとう入り込まれたようよ。アメリカでさえ防ぎきれないのだもの、今では、シヴァのない国の方が珍しいと思うわ」


「なんとも情けない世界だな。……日本も、国民がシヴァに裁かれるのを放置しているのでは、犯罪者を裁く司法権を放棄したようなものだ。……いや、市民の投稿で裁かれるという点では究極の民主主義か?……国家という統治機構も無用の長物になる時代が来るのかもしれないな」


 沙也加を見る岩丈の視線は、官僚である彼女を責めているように見えた。


 日本版のシヴァによる最初の被害者が出てから日々死者は増加し、1週間後には1日で千人を超えた。しかしそれからは徐々に告発投稿が減り、死者も減った。人々が法令を順守し、倫理的な行動に努めるようになったからだ。が、それだけではない。


 当初は恨みやストレスを告発という形で解消した市民や遊び半分に投稿した若者など、多くの人々が、自分の行為が誰かを殺したことに気づいた。間接的であれ、他人の命を縮めるのに手を貸したのだ。そのことに不安や恐怖、後悔を覚えてもおかしくなかった。このままではいずれ自分がターゲットになる、という緊張感にも耐えることができなかった。


 自分を許すためには他人にも寛容であらねばならない。多くの市民は穏やかな暮らしを望み、ただいたずらに告発することはなくなった。


 とはいえ投稿が皆無に、そしてシヴァによる死者がゼロになったわけではない。明らかに誰かの死を望んで投稿する冷酷な、あるいは怒りや恨みを抱えた、そんな人間も少なからず存在した。


 それだけではない。明文化された法律は守れても、地域や世代で分化した価値観や道徳を守るのは難しい。エスカレーターの右側に立つべきか左側に立つべきか、高齢者には敬語を使うべきか親しみを込めて話すべきか、子供は優しく育てるべきか厳しく育てるべきか、……そんな価値観の違いは問題提起として投稿された。人々は《《シヴァが認める価値観は何か》》を求めて疑心暗鬼、毎日、百人程度がシヴァの犠牲になっていた。


 政府はシヴァの対応をデジタル庁に任せていたが、彼らの関心事はもっぱら誰がシヴァを日本語化して公開したかという犯人捜しにあって、シヴァから国民を守る方法は後回しになっているように見えた。


「政治家だって、シヴァ問題には後ろ向きなのよ。SNSから政治批判が減ったって、喜んでいる議員さえいるわ」


 沙也加は自己弁護のために政治家を持ち出した。


 国会では野党が、シヴァから国民を守れない政府を責め立てていたが、政府は「シヴァと国民の死に因果関係があるというエビデンスは認められない」「シヴァの解析は、世間を風評被害から守るために実施しているに過ぎない」という通り一辺倒の返答を繰り返していた。


 実際、霞が関の内部にいる沙也加が見ても、政府がシヴァの解析に本腰を入れているようには受け取れなかった。それへの人的、財政的投資はあまりにも少ない。むしろ、その出現によって犯罪行為や政府批判が減っており、政府と与党はシヴァの存在を歓迎しているように見えた。


 与党の政治家が満足していたら官僚への八つ当たりのような風当たりもなく、官僚も動かない。そんな政治家や官僚に岩丈は批判的だ。


「政治家も官僚も、情けないな」


「お父さんだって、シヴァのお陰で商売繁盛じゃない。葬式の予定がずっと埋まっているでしょ」


「国民の奉仕者たる公務員が不謹慎なことを言うものではない。死者の増加を喜ぶなど、御仏みほとけの罰が当たるぞ」


「それを言うならシヴァの罰かな」


 その声は扉の陰から現れた妹、未悠のものだった。彼女はまるで幽霊のように力なく顔色も悪い。以前の陽気で図々しい彼女とは全然様子が違っていた。それも彼女の悪徳ポイントが増えたからだが、幸か不幸か、それは5000ポイントを超えたところから増加が鈍化し、まだ7000ポイントには達していない。講演会をする度に大量にポイントを増やした岩丈のそれも、葬儀が増えることで講演会が中止に追い込まれ、横ばい状態が続いていた。


「不謹慎な公務員、とか、写真、撮らないでよ」


 念のために言った。


「うん。お姉ちゃんのは撮らないよ。……あぁ、しんどい」


 大きなため息をこぼしながら未悠が腰を下ろす。


「なんだ、具合でも悪いのか?」


「もう、お父さんは呑気のんきね。私はいつシヴァに殺されるかと、気が気じゃないのよ」


「悪いことをしていなければ心配ないだろう。それともなんだ、やましいことがあるのか?」


「もぉ……」


 未悠が口を尖らせたところで、沙也加は台所に立った。近くにいたら、官僚なら何とかしろ、と未悠に責められるからだ。


「沙也加、ちょうどよかった。手伝って」


 母親の恵登が塩鮭を焼き上げたところだった。それを皿にのせて茶の間に運んだ。父親と妹はそれぞれの悪徳ポイントを確認しながら、「善行を積めば殺されない」「何をしても嫉妬で殺される」、と主張をぶつけ合っていた。


「もうもう、朝ごはんの時ぐらい穏やかな気持ちでいなさい!」


 恵登の一喝で親子の議論は立ち消えになった。


§


 沙也加が総務省の自分の席に掛けて仕事の準備をしていると、隣の席の江東陽介に声をかけられた。


「水卜さん、これ知ってる? たった今配信されたんだ。週刊ネットブンチンのスクープ……」


 彼に向くと、目の前にスマホが突き付けられた。


湯河原好夫ゆがわらよしお議員、産業廃棄物処理場建設で口利きか! 大規模事業の甘い汁!!】


 センセーショナルなタイトルが目に飛び込んでくる。建設会社の社長が湯河原のもとに日参して産廃処理場建設支援を要請し、現金を渡したという記事だった。


「うわっ」


 声を殺しながらも、思わず叫んでいた。


「ヤバイよね?」


「ヤバイです」


 今まで国会議員がシヴァの手にかかったことはない。しかし、今度ばかりはヤバいのではないか? 2人はがそう思った。


「でも、証拠はないのでしょ?……」


 沙也加の声を聞きつけた係長、彩川雛乃の冷徹な視線が2人に向いていた。


「……何があろうと、その現場を国民は見ることができない。あくまでもネット週刊誌の憶測記事だもの。シヴァの手が及ぶことはないですよ。そんなことより、自分の仕事をしっかりしてくださいね。油を売っていると写真を撮られますよ」


 彼女はそう指摘して自分の仕事に戻った。


「なるほど……」


 沙也加と江東はうなずきあい、ルーチンの作業に戻った。


 湯河原好夫ゆがわらよしおは威風堂々とした容貌とオープンな性格で、世間からは清廉潔白、かつ大物政治家と認識されていて、彼の前から客が絶えることはなかった。


 週刊ネットブンチンが彼の贈収賄スクープを報じる2週間ほど前。……その日、議員会館に訪ねてきたのは、産業廃棄物処理場を建設しようという富田大造とみただいぞうだった。彼は湯河原の選挙区の有力者である。地元の有力者といえば、市町村の組長か議員、地元企業の経営者、地主などと、地域で意見の通りやすい大きな声の人物と相場が決まっていて、時には《《反社》》と称される反社会的団体の関係者も含まれている。


 富田は、大地主であり建設会社の経営者だ。不動産取引業の資格も有している。社長といえば聞こえはいいが、事務員と現場監督の2名を除けば、社員はみんなすねに傷を持つ男たちだった。彼らが実際に工具を手にして働くこともあるが、それは稀だ。富田の会社は、もっぱら彼の顔の広さを利用して受注した工事を他の建設会社に丸投げしていた。それは一括下請いっかつしたうけ禁止をうたう建設業法に抵触する行為だが、それも発注者の同意が得られていれば合法という抜け道があるので、……建設業法を知っている発注者はほとんどいないから、なんとでもなってしまう。


 時に富田は、強引な地上げを行ってマンション事業者に転売するような、かつて反社会的団体が行っていた仕事をすることもあった。従って、富田がまっとうなビジネスマンなのか、あるいは反社的な人物なのか、それは灰色といえた。


 そんな富田が、山間部の土地を安く仕入れて産業廃棄物処理場を造り、ひともうけしようとしていた。相変わらず日本は日々膨大なゴミを生み出しており、産業廃棄物処理場の需要じゅようは絶えない。ところが、彼の計画は地域住民の激しい抵抗にあっていた。


「湯河原先生、ひとつ、住民を説得いただけませんか?」


 富田は手もみでもしそうな低姿勢だった。


「近隣住民と話しをつけるのは、どちらかと言えば、富田さんのような方たちが得意としているところではありませんか」


 湯河原の隣で秘書の毒島どくじまが突き放すように応じた。富田のような男との付き合いは議員としては避けたいところだ。それを湯河原本人の口から言っては角が立つので、毒島が代弁したのだ。


「おっしゃる通りですが……」


 富田が使い慣れない敬語で言いながら、懐からスマホを取り出した。


 毒島は身を乗り出して彼の腕をつかんだ。


「富田さん。録音は困ります」


「いえ、これを見てほしい」


 力では、富田が勝った。毒島の腕を振り払った富田が、シヴァを開いて湯河原の前に置いた。


「うちの若い者のポイントです」


 湯河原は他人のポイントを見るのが初めてだった。


「悪徳ポイントですな。9111……」あと900ポイントほどで10000ポイントに達するところだった。


「ええ、近隣住民を脅かしに、いや、話し合いに行くたびに、増えてしまうのですよ。うちの若い者、いや、社員は、もうビビってしまって役に立ちません。それで、湯河原先生のお力をお借りしたいのです」


 富田はパンパンに膨らんだカバンから、ねじるようにしてデパートの紙袋を取り出し、カバンはぺしゃんこになった。


 湯河原の前に差し出された袋には、菓子箱の他に札束が入っている。電子マネーが主流のご時世、現金を持ち込むにはそれなりの理由がある。金銭授受の痕跡が残らない。


「これは?」


「手付代わりの菓子です。先生の選挙のお役にたつはずです」


 湯河原の頬がピクリと動いた。


 それを欲している。……毒島は、湯河原のわずかな表情の変化を見逃さなかった。


「お菓子ということであれば、頂戴ちょうだいいたします」


 包みを手にすると、奥の棚に置いた。支援者からの寄付は珍しいことではない。それが現金であることも。


 現金を受領して領収書を発行し、政治団体の《《政治資金収支報告書》》に記載することで、それは合法的な政治献金になる。しかし、口利きという対価を伴った献金は賄賂で、贈収賄という立派な犯罪だ。おまけに富田の素性は灰色。それが純粋な献金だとしても、政治資金収支報告書には載せがたい。従って富田の資金提供に対して領収書は発行できないし、政治資金収支報告書に記載することもない。それは、二者の暗黙の了解だ。


 相変わらず、湯河原は何も言わない。彼は現金の授受が口利きの対価にならないよう、知らぬふりをして形式的に取り繕っているのだ。


「先生、なんとか、よろしく……」


 富田が深く頭を下げる。その額は応接テーブルに接していた。


 湯河原は、富田の後頭部を見て口を開く。


「まぁ、日本の発展には産廃処理場も必要な施設です。秘書の方から関連方面に確認させましょう」


 彼は、便宜を図るとは口にしなかった。それで贈収賄は成立しないと確信していた。


 ところが湯河原と富田の関係が週刊ネットブンチンで配信された。


【湯河原好夫議員、産業廃棄物処理場建設で口利きか! 大規模事業の甘い汁!!】


「どこから情報が漏れた?……こんな悪評をばらまかれて……。まもなく選挙なのだぞ!……まさか、毒島……」


 湯河原が毒島をねめつける。


「滅相もありません。私はリークなどしていません。それをして、私に何の得があるというのです。実際……」


 毒島は記事を指し、自分も現金のやり取りの関係者に名を連ねている。リークなどをしても何のメリットもない、と主張した。


 その時だ。――グッ……、湯河原が胸を押さえて倒れた。


「先生!」


 毒島は慌てた。それでも本来冷静な秘書だ。やるべきことは忘れなかった。スマホを取って救急隊に出動を要請した。


 翌日、湯河原と毒島の死亡記事がメディアを賑わせた。毒島からの通報を受けた救急隊が湯河原邸に駆け付けたところ、議員と秘書が折り重なるようにして亡くなっていたというニュースだった。


 ――総務省自治行政局情報管理課事務室、……江東がどこか楽しそうに語った。


「湯河原議員、亡くなったな。シヴァだ」


「そうなの?」


 沙也加はシヴァを開き、湯河原の名前を検索した。実際、その名前はあった。


「議員の悪事を写真に収めるなんて無理なんじゃ……」


 それは先日、上司に指摘されたことだ。


 疑問を口にしながら、彼のプロフィールにある告発記録のタグを開いた。


「これは……」


 最初の写真はインターネット上に公開されている政治資金収支報告書のスクリーンショットだった。その写真には【富田大造から受け取った金の記載漏れ】とあった。その後に続く多くの写真も週刊ネットブンチンの記事のスクリーンショットだった。


【悪徳政治家、許すまじ】【善良なふりをしながら、裏では贈収賄】【貧乏人の想いを知れ】【自分だけ甘い汁を吸うとは】……コメント付きの写真が並んでいる。高級クラブで美女と並び満面の笑顔を浮かべる湯河原の写真にも同じようなコメントがついていた。


「金には誰からもらったとか、何のためのものだとか書かれていない。シヴァのAIは、現金の授受やそれが適正に報告されていなかったこと、遊興ゆうきょうに使われたことなどを推認して悪徳ポイントに加算したのだろうな」


 江東が感心するように言った。


「週刊誌のスクリーンショットが告発に使えるなんて、出鱈目でたらめが過ぎるわ」


 沙也加は愕然がくぜんとしていた。


「シヴァが罪だと認定できるなら、証拠は何でもいいということだろう」


 彼は係長席に目をやった。そこには昨日「……何があろうと、その現場を国民は見ることができない。……シヴァの手が及ぶことはないですよ」と自信たっぷりに語った雛乃の暗い顔があった。


読んでいただき、ありがとうございます。

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