揺れる心
「見ろ、沢山死んでいるんだぞ。犯罪の抑制どころじゃないだろう。これじゃ、まるでパンデミック、いや、戦争だ」
加藤が示した被制裁者リストには、半日ほどの間にシヴァの制裁で亡くなった国民の氏名が並んでいた。
戦争とは言い得て妙だ。やり方はどうあれ、生き残った者が勝者ということだ。……1度シヴァによって殺された大無は痛感した。そして今頃、片岡がヤミーの審査を受けているのではないかと想像し、少しだけ懐かしいものを覚えた。
もし、片岡教授に運があるなら、自分のように生き返るのかもしれない。その時、ここにいるメンバーは喜ぶのだろうか? 悲しむのだろうか?……大無は研究室を見渡した。さっきまで片岡の死に沈鬱な表情を浮かべていた者たちも、今はシヴァの話に夢中だった。
「政府が公認したわけでもないのに、どうして日本語化されているんだろう?」
「ゲーム感覚でやる人がいるのよ。こういうの」
「そもそも、誰なんだよ。こんなものを作ったのは?」
彼らの話を聞きながら、大無はキーボードをたたいた。シヴァを改変したとき、再侵入しやすいようにバックドアを設けておいた。日本語版のシヴァにもそれが残っている。
シヴァは登録者の端末やクラウドをプログラムの断片やデータの保管場所に利用している。登録者のスマホは、各所に点在するプログラムを統合するキーだ。それをたどれば、片岡が誰に《《殺された》》のかもわかるはずだ。
日本語版のシヴァに侵入し、片岡の名前を探した。
仕事柄だろう。片岡もスマホにシヴァをインストールしていた。彼のスマホに潜りこみ、それをキーにして足を延ばすと、〝オカッチ〟というアカウントにたどり着いた。片岡が自撮りした不倫現場映像を大量に投稿したアカウントだ。
オカッチの端末はセキュリティーが弱く、そこに入るのは簡単だった。
へー!……端末内の所有者情報を確認して思わずうなった。なんと、片岡教授の妻、片岡雪乃のスマホだった。
彼女のスマホがオカッチのアカウントでシヴァにログインしているログの写真を撮る。夫殺しの証拠だ。
モニターの画面を変えてから、何もなかったような顔をつくって研究室のメンバーを見渡す。彼らはシヴァの話に夢中で、大無がしていたことに気づいていなかった。
――ムーン――
スマホが小さく震えた。シヴァを開くと悪徳ポイントが増えている。
【この人、ハッキングをしている】
たった今、告白した場面が動画でアップされていた。
調べるまでもない。おそらくあの人だ。……大無は、均整のとれた里琴の顔に目をやった。彼女の恋人の二宮は善良な人物だが、彼女は違う。大無が研究所で働き始めて1年にも満たないが、それはわかった。彼女はわがままで欲深い女性だ。おまけにふしだらだ。研究所内でも複数の助手と寝ている。もちろん、片岡教授とも……。
そっちがその気なら……。大無は殺し合う覚悟を決めた。シヴァに殺されるまでもなく、半年後、シヴァの過ちを正せていなければ、どのみち自分は死ぬのだ。彼女がどんなに強かで世渡り上手だろうと恐れることはない。
片岡は大無のように生き返ることなく、7日後に葬儀が行われた。シヴァのせいで葬儀が多く、葬儀会場や斎場が、冥界同様、順番待ちらしい。
葬儀には研究室のメンバーも参列した。葬祭ホールは薄暗かったが、祭壇は煌びやかで、まるでパーティーのようだ。環境が暗いほど主役が引き立つのに違いない。
祭壇の真ん中に片岡教授の遺影がある。その顔はわずかに微笑んでいた。普段の彼の様子とは全く違っている。そんな写真をどうやって撮ったのだろう?……大無は首を傾げる。AIが生成した写真かもしれない。想像するとげんなりする。
喪主は、妻でありシヴァへの告発者だった片岡雪乃。……最前列で疲れた顔をしていた。彼女は目を赤く泣き腫らしているが、その涙は誰のためのものだろう? 彼女の隣には中学生ぐらいの息子と娘が座っていた。
式が始まる。大無は不思議な気持ちで読経を聞いた。その間、ずっと彼女の様子を窺っていた。彼女があの動画や写真の数々をどうやって手に入れたのかわからない。それはともかく、教授の不倫問題で悩んでいたのは明らかだろう。
普通なら離婚するところだが、彼女はそうしなかった。離婚は大変な作業らしいけれど、あれだけの不貞行為の証拠があれば、難しいことではなかったはずだ。……考えられるのは、片岡教授は研究室同様に、家庭でも家族を支配し、離婚を言い出せない精神状態に追い込んでいたということだ。その結果、雪乃は離婚ではなく殺害を選択したのではないか?
刺したり首を絞めたり、あるいは毒をもったり、どのような手段を用いるとしても殺害は離婚同様容易ではない。場合によっては失敗して逆襲されかねないし、成功したところで警察の追及に怯えることになる。心が休まることはないだろう。
ところが、シヴァによるそれは容易だ。違法行為の証拠さえたくさん握っていれば、小さなリスクで抹殺できる。シヴァは、中国のものを除けば運営組織がなく、投稿者が判明する可能性が低い。そもそもシヴァへの投稿が殺人行為と認定されるかどうか……。司法の追及の手を恐れず、やましさも抱かずに済むかもしれない。
万が一、投稿が殺人行為と認定されたとして、今、投稿者を特定できるのは、僕とシヴァの開発者のアートマンだけだろう。……大無はうぬぼれていた。
薄暗い葬儀場に厳かな読経が続いていた。喪主、雪乃の涙も止まらなかった。度々白いハンカチで目頭や頬を押さえている。片岡教授の葬儀でのことだ。
祭壇では片岡の遺影が微笑んでいる。
「奥さん、かわいそうね」
大無のふたつ隣で里琴がささやいた。
「そうだね。あんな写真を投稿した奴のせいだ。殺人犯だよ。あんなに大量の告発写真を投稿したのだから……」
二宮が小声で応じた。
彼女は、何故、泣いているのだろう? 不貞の夫を殺害したのは彼女自身なのに。……大無は前の席に座る円谷と加藤の間に垣間見える雪乃に目を向けた。彼以外の誰も、彼女が大量の告発写真を投稿した〝オカッチ〟だと知らない。
「子供が2人もいるのに大変ね。下の子供はまだ中学生。これからたくさんお金が要るのに……」
里琴は、まるで自分が雪乃やその子供たちの不幸に無関係のように言った。自分もシヴァに告発写真を送ったことを忘れているようだ。
雪乃が再び涙をふいた。それを見ながら世の中の皮肉に気づいた。里琴が片岡の死に関わっているという意味では、彼女はオカッチである雪乃の協力者だ。
情報工学部の学部長が弔辞を読んだ。片岡教授の研究は笑我が引き継いでいく、と……。どこか白々しい声だった。
葬儀の帰り道、研究室のメンバーは、駅に向かって力なくだらだらと歩いた。先頭を歩くのが礼服姿の円谷たち助手で、その後に私服の学生が続いた。その先頭は二宮と里琴。その後に3年生や2年生が続いた。大無は、一番最後を歩いていた。派遣社員は研究室の外でも非正規だ。
「これで一段落だな」
片岡が亡くなり、実質的に研究所のトップになった円谷は機嫌が良かった。他のメンバーも同じだ。それなのに葬儀の帰りらしい陰鬱さを漂わせられたのは、メンバーの多くが片岡のハラスメントを告発する写真を投稿した後ろめたさがあるからだ。
「僕たちは共犯なんだな」
加藤が低い声で、しかし、どこか晴れやかに言った。
「黙れ!……俺は、……俺にはそんな意図はなかった」
円谷が声を荒げた。
「しかし、結果は……」
「俺たちはシヴァが本当に人を殺すなんて知らなかった」
「それはそうだが……」
「教授は心筋梗塞で死んだ。病気だったんだ」
彼が足を速める。
「でも、良かったわね。研究室が閉鎖されなくて」
険悪な空気を中和させようとでもするように、助手の涼宮ノエルが言った。
担当教授は不在になったが、弔辞の通り、学部長が引き継ぐ形で研究室は残ることになっていた。医療ロボットの完成を目指す工学部の要請があったからだ。
「まあな」
「俺たちの研究が成果を出しているからだよ」
円谷と加藤の意見が一致を見た。
「有無さんのおかげじゃないの?」
ノエルが言うと彼らが振り返った。ノエルを刺すように睨み、その視線は最後部の大無に向いた。
「彼は、教授の指示に従って作業をしていただけだ」
円谷が威圧するように言うと前を向き、力強く歩き出す。それに加藤が続いた。
「……それにしても、香典返しなんて邪魔ね。葬儀って、こんなだった?」
ノエルが香典返しの大きな袋を持ちなおす。茶、菓子、高級バスタオルセット……、一つ一つが大きめの箱に入っているから、袋は一泊旅行にでも行くようなボリュームになっている。
「今時ないだろう? こんな香典返し」
「片岡教授の両親の気持ちらしいよ。田舎の年寄りらしい配慮だ」
「配慮?」
ノエルが首を傾げる。
「田舎では、大きさこそ、感謝を示すモノサシなんだよ」
加藤が鼻で笑った。
「こんなだから日本がダメになったのよね。古いものに囚われすぎる」
彼女は足を止め、肩で大きな息をついた。ちょうど町内のゴミステーションの前だった。
「日本人は保守的な安定を望んだのよ。だから権威に屈し、パワハラ的な文化を受け入れてきたのよね。それをあの人たちが言うなんて……」
里琴が、前を行く助手たちを視線で指して嘲笑を隠した。声をかけられた二宮は困惑して話を変えた。
「……確かに珍しい量だね。大概、菓子とかプリペイドカードなのに。……里琴、僕が持とうか?」
彼が手を差し出す。それを里琴は断った。ノエルの隣で足を止め、ゴミステーションに目をやった。
「箱が大きすぎるだけよ。かさばれば重量感も増してしまうのよ。箱の大きさに応じて、故人が立派だというわけでもないのに」
正論を言うと、その場で箱の中身を取り出し、箱はゴミステーションに捨てた。すると、荷物の量は半分以下になった。
里琴を真似て箱を捨てる者もいたが、大無はそのまま持ち帰ることにした。その日が、ごみ収集日ではなかったからだ。
彼は、里琴やノエルが箱を捨てる現場をさりげなく写真に収めた。他人の犯罪や不道徳な行為をスマホで撮る習慣は、片岡がオカッチの大量投稿で他界してから身を守るためについた。イザという時のための材料はたくさん持っていたほうが安心だ。
――小さなことからコツコツと――
標語めいた使い古された言葉が頭を過る。
上空を空飛ぶ自動車、スカイカーが飛んでいく。
ああ、僕はシヴァの過ちを正せたのだろうか?……大無は憂いながら、駅へ続く道をトボトボ歩いた。
読んでいただき、ありがとうございます。
最後まで読んでいただけたら幸いです。




