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新しい職場

 新しい職場で働くことになった有無大無は、仕事と同時にシヴァの過ちを正すという閻魔大王の命令に取り組んだ。それをクリアしなければ3年後には死ぬことになるのだから手が抜けない。


 最初に取り組んだのはスマホアプリ〝シヴァ〟のプログラムの解析だった。自分が作るような単純なプログラムではないから、解析には勤め先の高性能な量子コンピュータが必要だった。それで会社のシステムにバックドアをつくり、帰宅してからそれを利用することにした。


 もうひとつ、それは閻魔大王の命令とは関係ないけれど、どうしても調べたいことがあった。自分が、誰と間違われて殺されたのかということだ。ヤミーに見せられた写真の男性は自分に似ていたけれど、自分より間抜けな顔をしていた。自分贔屓(ひいき)の感想だが、絶対にそうだと思う。そんな奴のために死んだり生き返ったり、面倒な思いをさせられているのは面白くない。


 中国バージョンのシヴァをダウンロードして検索すると、《《有無大無》》という記録が残っていた。勝手に作られた登録情報だ。そこにあった顔写真を日本の顔認証システムに掛けた。ほどなく該当者が見つかる。孫文明そんぶんめいという中国政府の幹部の息子だった。


「なるほどね」


 大無は、孫文明を守るために意図的に身代りにされたのではないかと疑った。権力の横暴というものだ。彼の国では当たり前だとしても、日本ではそんなことがあってはならない。素朴な正義感がメラメラと燃えた。もちろん、顔認証システムの精度不良の可能性も残ってはいる。どちらが原因か、それはシヴァの解析が終わって見ないとわからない。


 職場のAIの力を借りてシヴァの解析プログラムを作り、それを走らせながら日々を過ごした。シヴァは複雑で、その解析に試行錯誤を続けた。


 シヴァのシステムの全貌が見えてきたのは、解析を始めてから半年も経ってからだった。それは一般的なシステムのように中核になるAIや管理プログラムが高性能サーバーに置かれたものではなく、中核になるAIや管理プログラム自体が複数のパーツに分かれ、別々の端末に存在する分散型システムだった。最初の原型はダウンロード用のサーヴァーにあるのだが、端末にインストールされた後は端末に負荷をかけない程度に極一部だけが作動し、多くの登録者の端末と登録者名義で利用するようになっているSNSの無料サービスのクラウドサーバーにまたがり、ひとつのシステムとして稼働していた。


 シヴァは裁く基準になる法律といったデータさえ保管していない。国民や法律などのデータは行政府、司法府、銀行、企業など、必要なデータが保管されているサーバーに随時アクセスして利用していた。そこで生年月日や肉体情報、学歴、年金、犯歴など、個人の基本情報が紐づけられ、投稿された写真の真実性や犯罪性をAIが判定しているのだ。


 政府が公認した中国バージョンはともかく、インドバージョンのシヴァは、あらゆるハッキングを駆使して国民の情報を盗んで利用していることになる。ある意味、高度なスパイシステムでもあった。


「なるほどね……」大無はポテトチップをつまみ、コーラで胃袋まで流し込んだ。


 シヴァは、中核になるAIが複数、多くの端末にまたがって生きているアメーバのようなシステムだ。一部の端末、つまりプログラムが壊れても、同じプログラムがインストールされた別の端末がバックアップ、再生する有機体のような柔軟なシステムだ。


 シヴァを駆逐するためには、その中核のAIが動けなくなるように、バックアップを含め、多くの端末から一斉にアプリを削除する必要があった。……中国とインドの人口は20億以上、そこに拡散普及したシヴァを駆逐することなど不可能だ。


「なんてことだ……」思わずため息が漏れた。


 シヴァが情報を収集し、ポイントをつける仕組みはわかった。当該国の法令に準じて罪の重さに準じたポイントを付加する。不道徳行為は法律違反より少なめに……。そしてそれは、1日ごとにポイントを減らしていく。3ポイントの罪は三日でゼロになる。いわば時効のようなものだ。その減少効果は、現行の日本の法律よりはずいぶん優しい。とはいえ、ひとつの罪で同時に多くの人間から訴えられる可能性があるから、その点では厳しかった。


「問題は……」どうやってアプリが人間を死に至らしめるのか、それが全く分からない。〝呪〟ヤミーはそう言ったが、本当にそうなのだろうか?……ならば、それに対する対処は、自分には不可能だ。


 シヴァ内の隠しメモで、それを製作したのが〝アートマン(真我)〟と自称する人物だと知った。ヒンドゥー教もしくはバラモン教の用語を名前にするからには、製作者はインド人なのだろう。彼に確認すれば、シヴァがどうやって人を殺すのか知ることができるだろう。しかし、彼の本名もどこで何をしている人物なのかも、調べても何もわからなかった。


「まぁ、シヴァをなくしてしまえばいいということだが……」物理的に不可能だ。シヴァは数億の端末の中で再生し続けるだろう。


 ――期間は3年。その間に、シヴァの過ちを正すのだ――


 シヴァが分散型システムだと知ったころから、閻魔大王の夢を見るようになった。そこで大無は焦っている。残り時間は3年、いや、残り2年半ほど、シヴァは駆逐できない。


 逃げよう!……大無は閻魔大王に背中を向けで走り出す。しかし、彼の声はどこまでも追ってくる。――シヴァの過ちを正すのだ――


 そこで目が覚める。6畳の古いアパート。小さなパソコンデスクにはぼんやりと光を放つディスプレイ。シヴァの弱点を見つけるべく、静かにその解析が続いている。解析も、悪夢も、突然の眼ざめもいつものことだ。脇の下には冷えた汗。脳はカッカと燃えている。


 ふと違和感を覚えた。


「シヴァの過ち……」それは、シヴァの存在のことではないのではないか?


 小さなキッチンに立って蛇口をひねる。流水の中に頭を突っ込んで汗を流した。

タオルで濡れた髪をふきながら、改めてシヴァの過ちについて考えた。


「そもそも僕は、中国政府の高官の息子と意図的に誤認させられて死んだ」……その誤りのことなのか?


「……アッ!」


 閻魔大王は、中国のシヴァの影響力が他国に及んだことを過ちと言ったのではないか?……現世と冥界のルールは異なる。他の世界に、別な世界のルールが及んではならないはずだ。現世内でもそうだ。一国の法は他国に及ばない。法と倫理で人間を裁くシヴァが、日本に住む自分を殺したことは、過ち以外の何ものでもないだろう。


 中国政府が意図的にしたのか、シヴァに内在した不備だったのか、原因はともかく、修正しなければならないことだ。そうしなければ、これからも僕のように身代りに殺される者がでるに違いない。


 そう確信した大無は、その日からシヴァのバージョンアッププログラムの作成にかかった。


 有無大無は、シヴァが利用している顔認証システムをより精度の高いアメリカ製のものに変更した。さらに、意図的な誤認を不可能にするため、本人確認プログラムへの外部端末からの直接入力を排除した。


 そして最後に、GPSの位置情報を組み込み、物理的に国外にいる登録者へのポイント付与を止めた。中国政府は納得しないだろうが、法律は他国域に及ばないという原則にのっとった公正な基準のはずだ。


「これで中国の誰かと誤認されてポイントが付加されることはない……」


 大無はシヴァの改善版を作り上げた。


「問題は……」モニターを睨み眉をひそめた。


 シヴァの改良には大変な労力が要ったが、それ以上に、作成したものを中国のダウンロード用のサーバーに入れ替えることの方が難しい。何分中国は監視大国だ。そのサーバーにアクセスするのはもちろん、そこに改編したプログラムを置くのは至難の業だ。下手をしたら命が狙われるだろう。実際、作業中にメッセージが届いて命が縮む気分を味わった。


 ――who(だれ)?――


 そんなメッセージだった。それを送ってきたのがAIの自動セキュリティーシステムだったのを幸いに、こちらもAIを対応させ、さもうっかりAIのミスだったように偽装して危機を乗り切った。


 他国の公式アプリに手を加えた罪の意識はない。もともと、向こうのアプリに欠陥があったのだから。


 とにもかくにも、全ての作業を終えるのに2年の歳月を要した。その間、職場を2度変わった。1度は作業を終了したからで、もう1度はメーカー側のエンジニアが無能だからだ。


「最後のチャンス……」と言っていた派遣会社の佐藤だったが、言ったことを忘れたのか、大無が定時退社に努めたことを評価したのか、その後も仕事を斡旋あっせんしてくれていて、片岡教授の研究室で働くことになったのも彼の斡旋によるものだった。


§


 片岡研究室の片岡がシヴァによって他界し、自撮りと思しき不倫の現場写真がどこから流出したのか、と研究所の助手と学生たちが話題にしていた。


「……教授も、加藤のように考えていたはずだ。秘密にしたいファイルを置くなら、そこほど安全な場所はない」


 円谷が片岡のパソコンを横目に肩を落とした。


「……でも少しほっとした」


 里琴がささやく。二宮が小さくうなずき返した。


「おい、お前ら。教授が死んだんだぞ。それはないだろう」


 目を三角にした円谷がいた。


「ハイ」


 大無は手を上げた。空気が張り詰めた研究室内に一石を投じて見よう。それはちょっとした好奇心、悪戯心だ。円谷には悪いが、片岡教授に対する哀悼あいとうの気持ちは全くなかった。


「何です、有無さん?」


「僕は、片岡教授のパソコンを覗いたことがあります」


 円谷の瞳が点になった。


「教授に、何か頼まれたのか?」


「いいえ、興味本位で覗きました」


「いつも遅くまで残っていると思ったら、そんなことをしていたのか」


「ボクは、ここで教授のパソコンに触ったことはありません。外部からハッキングしました」


 それは事実だった。シヴァの改善版をアップロードする際、片岡のパソコンだけでなく、所員全員のパソコンを利用したのだ。


「ハッキング!……大学のセキュリティーを破ったのか?」


「ハイ、医療ロボットのデータに不明点があったので、確認させてもらいました」


 しれっと嘘をついた。


「たとえ仕事でもハッキングはいただけないな」


 言葉とは裏腹に、加藤がおもしろがって微笑んだ。


「有無が覗けたということは、外部の人間が画像を持ち出すことも可能ということか……。もし、恨みを持つ者の犯行なら、写真に出ていない被害者が、告発者の可能性が高い」


 円谷が推理を述べた。


 二宮が里琴に疑いの目を向けていた。


「外部から研究室のパソコンに入ることは可能でした。でも、教授のパソコンにはシヴァにあるような画像はありませんでした。おそらくプライベートな写真は皆無といっていいと思います。画像データは、工学部で作っているロボットの部品ばかりでしたから」


「そ、そうか……」


 円谷が胸をなでおろしたように見えた。


「まさか……。有無、俺たちのパソコンを覗いたりしていないだろうな?」


 加藤が詰め寄った。


「もちろんです。サーバーと教授のパソコン以外には、アクセスしていません」


 再び嘘をついた。情報端末というブラックボックスは、利用する者の頭脳の中身と同じだ。他人にとって、それほど興味深いものはない。他人の頭脳の中を覗くことができるとしたら、我慢できる者はどれくらいいるだろう? 他人の眼があれば抑制できる行為も、自分の行為が誰にも知られないと分かったなら、多くの者が一線を越えてしまうに違いない。その証拠に、多くの人間がパートナーの不在時にそのスマホを覗き、喧嘩けんかや対立、不信、別れや訴訟といった悲劇に至っているではないか。


 その時、大学の事務員が研究室に駆け込んできた。


「円谷さん、ちょっと……」


 事務員は言葉をにごし、第一助手の円谷を連れ出した。


「やっぱり死んだのね」「間違いないな」「まいったな……」


 研究所の面々か顔を見合わせた。


「それもそうだが、……教授はどんな死に方をしたんだ? ついさっきまでここにいたんだぞ」


 加藤が顔をしかめた。


「シヴァによる死は、心筋梗塞と決まっています」


「そうなのか、よく知っているな?」


「中国ではそうです……」


 大無は疑われたくなくて中国を引き合いに出した。


「……今朝、総務省に努めている同級生にばったり出会ったのですが、日本政府はシヴァを公認していないそうです」


「それはそうだろう。人殺しを奨励しょうれいするはずがない」


 加藤が常識的な意見を披露する。


「でも、犯罪の抑制にはなるわよね」


 里琴が別の視点から意見を述べた。それこそが中国政府の公式見解だ。


「見ろ、沢山死んでいるんだぞ。犯罪の抑制どころじゃないだろう。これじゃ、まるでパンデミック、いや、戦争だ」


 加藤が示した被制裁者リストにはシヴァによって亡くなった国民の氏名が並んでいる。片岡の名前はすでにリストの後方に下がっていた。


大無はシヴァを正せるのか?

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

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