Bad End そして散りゆく【レイ・ウィステリア】
「僕と結婚していただけませんか」
いつもにまして真面目な表情でレイはそう告げた。わたしは一瞬戸惑ったけれど「またまたご冗談を」とその場をかわそうとへらりと笑う。
「違います、王族だとかそんなものは関係なく、僕はローズさんと結婚したいんです」
「…………すみません、レイ様の気持ちには応えられません」
レイと結婚するということは王子妃になる、ということだ。加えてレイは優秀で派閥も割れているとはいえどレイが王位を継ぐ可能性は高い。
つまりわたしは王妃になってしまうかもしれないのだ。名誉なことではあるけれどそんな重責を背負えるとは到底思えない。
「王子妃になるという責任は、きっとわたしには耐えられません」
わたしは眉を下げて、それから深々と頭を下げた。申し訳なさでいっぱいだが、半端な気持ちでなれるものでもないと分かっているためどうすることもできない。
レイは「残念ですが、仕方ないですね」と呟いた。声色は微笑と苦痛さが入り混じったような複雑なものだった。
頭を下げたまま、わたしは心の中で謝罪した。
***
「第二王子殿下ももうダメかもしれないな」
ある日舞踏会に参加したわたしはそんな言葉を耳にした。
あれきり、レイとは2人きりで顔を合わせていない。こういうパーティでは何度か会っただけだ。けれどここ数年彼をあまり見かけていない。
「失礼ですが、もうダメとは、一体どういうことですか?」
わたしは会話をしていた男性たちに声をかけた。彼らは一瞬話すのをためらうように顔を見合わせてから、耳打ちをする距離で話してくれた。
「殿下は妃を娶る気がないらしい。体調も優れずにいるとのことだ」
ここ数年パーティに顔を出さないのは体調が悪く、衰弱しているらしいとのことだった。後継を残さないでどうするつもりなのだろうかと彼らは若干怒った口調で言う。
わたしとレイが同窓生だということは知らないのか、後半はかなり言いたい放題だった。
とはいえ、レイのことは気にかかる。
結婚してほしい、とレイは言った。本気、だったのだと思う。少なくともあのときは彼はまだ結婚しようという気があったのだ。
もしかしたら、わたしが断ったから――
そんな思いがふとよぎって、わたしは次の日王宮を訪ねてみることにしたのだった。
王宮はやけに静かだった。
もちろん、元々騒がしい場所ではなかった。けれどわたしの知る限りでは、もっと衛兵や召使いが行き交っていたはずだった。
やはり、第一王子であるルークが暗殺されてしまったからだろうか。
わたしがレイと顔を合わせなくなってから数ヶ月後くらいの頃、ルークは亡くなった。遺体の損傷が激しいと聞いた。そのせいもあってか、大々的に葬式は行われなかった。
そのときレイは衰弱しきっていて、人前に出てこられる状態ではなかった。本当はそばにいてあげたかったけれど、面会は拒絶されてしまったのだった。
レイの私室まではあっという間にたどり着いた。こんなにセキュリティがガバガバで大丈夫なのだろうか、と疑うけれど一応面会の許可は取り付けてはあるのだ。それにしては案内もなければ、少し気まずい表情を向けられるだけなのが気にかかる。
ドアをノックした。
「レイ様、ローズ・アメリアです」と部屋に入る許可を求めるが応答はない。もしや寝ているのか、仕事をしているのか。そう思い引き返そうかと思ったところへ「入ってください」と小さく声が聞こえた。
恐る恐るドアを開けると、ふわりと髪が靡いた。
どうやら窓を開けているらしい。今日は風が割と強い日だった。それなのになぜ窓を開けているのだろうか。
不思議に思いながら執務机に目を向けるけれど、そこにレイの姿はない。奥のベッドにちらりと視線を向けるけれどそこにも人影はなく。
「僕はここですよ、ローズさん」
声が真正面から聞こえてきて、わたしはもう一度奥の窓に目線を戻した。ぶわりと大きく靡く白いレースカーテンに同化するかのように、白いローブ姿のレイが目に映る。
それに一瞬、嫌な予感がした。
まるで、死装束のように見えてしまった。
「レイ様、そんな格好でいられると話にくいです。少し出ますので、お着替えになってください」
白いローブ姿、というのはパジャマのようなものである。どうして昼過ぎのこの時間までパジャマなのかは気になるけれど、嫌な予感を払拭するためにも早く着替えてほしかった。
「着替えるほど元気でもないのでこのままでもいいですか?」
レイは窓の方を向いたまま尋ねた。わたしがそれ以上食い下がるわけにもいかないため承諾する。
早く話を切り出そう、もし兄のことで悩んでいるのなら話を聞こう。もし、結婚しないのがわたしのせいなら、せめて何かしてあげなければ。
そう、口を開きかけたときレイがこちらに向き直った。
その顔に、思わず言葉を失う。
「今日、来てくれて嬉しかったです。まさか、最後に会えるなんて思ってもみませんでしたから」
レイの顔は、やつれきっていた。頬は痩せこけていて、血色も悪い。後ろ姿ではわからなかったけれど、ローブから覗く手は骨張っている。
「……さいごって」
尋ねかけたとき、レイはふわりと笑って窓枠に腰掛けた。
ベランダはない。高さも、ある。
「レイ様、そこは、危ないです」
「そうですね」
「こちらまで、戻ってきてくれませんか」
「できかねます」
距離を詰めていく。執務机まで距離を縮めると、それ以上先に進めないことに気がついた。風景は続いているのに、レイはそこにいるのに目の前の見えない壁が近づくことを拒む。
「レイ様、ダメです、お願いですから」
嫌な予感はきっとほぼ的中していた。わたしはバリアを叩いてレイに訴えるけれど、レイは涼しい顔を向けるだけで動じない。
「もう、会えないと思っていました。僕の勝手でローズさんを縛りつけたくはなかったので……けれど、会ってしまったらきっと手放せなくなってしまう。そう思ったので、避けていました」
レイは謝罪の言葉を述べて窓枠に座ったまま礼をした。
「でも、僕は欲深い汚い人間なんですよ。こうして、あなたに死に際を見てもらいたいという夢を捨てきれないまま」
「わたしは、レイ様の死に際なんて、見たくないです」
そう震える声で言えば、レイは困ったように眉を下げた。けれども、動きはしない。
バリアは破れない。魔力のないわたしではレイの力にはどう考えても対抗できなかった。
ここから離れたら、レイは死なないかもしれない。わたしは咄嗟に判断して目線を部屋のドアへ向けた。
しかし、その瞬間、身体は硬直した。
「魔力をほんの少しだけ残しておいて正解でしたね」
レイはにこりと微笑んだ。もうレイから目を逸らせない。
見ていることしかできない。声も出せない。
「一生、忘れないでくださいね」
窓枠からレイの姿が消える。
同時にわたしの硬直も、バリアも解けてわたしは窓まで一気に駆け寄った。
けれどその光景を直視してわたしはまた動けなくなった。
地面に広がる血はまるで赤い華のようで。
見るも無残なその姿に思わずその場で吐いた。
『愛してます、ずっと』
落ちゆく最中、レイの唇は消えない傷をわたしに刻んでいった。




