Bad End 日の目はもう 【ジル・ブラックウェル】
「なあ、俺たち本気で婚約しねえ?」
パーティからの帰り道、ジルはボソリと呟いた。
もう少しで18になるわたしたちは未だにどちらも婚約者がいない。親同士の約束だからと、お互いの両親が急かしてくるとか、そういうわけでもないせいでずるずると引き伸ばしていた。
先ほどまで参加していたパーティも、学友の結婚パーティだった。まもなく結婚する同い年の彼らを見て、そろそろ現実味を帯びてきていたところだった。
さらに、こういうパーティはやたらパートナー必須なのだ。今回のような学友からの招待だと変なパートナーをつけても良くない。わたしとジルが婚約者候補だという事実はあまりにも広がりすぎていた。
わたしは何て返答したらいいか、と戸惑う。
たしかにこの状況は気まずいし、これからもこういうパーティがあるのか、とかそろそろ両親のためにも結婚を視野に入れた方が、などと考えるとジルとの婚約はきっとするべきだ。
けれど。
「わたし、ジル様とは友達でいたいんです」
ジルをきっと異性として意識できない。ジルのことは好きだけれど、たぶん抱いているのは友人としての好きだ。
きっと、この先もこの域を出ることはない。
はっきり断ったのは初めてのことだった。
やんわりと回避してきたのだ、明確な否を告げてこなかった。ジルも追及してくることは今までなかったから。
「…………そうか、あー、そうか」
「ジル様……? えっ、何をっ」
しばらく宙を仰いでいたかと思えば、急にわたしが座っている側に手をつく。ガタン、と勢いよく馬車の車体が揺れた。
馬車の揺れに気を取られた次の瞬間、わたしの口元にはハンカチを押し当てられていた。
何か言いかけたけれど、口をついて出てこない。
ただジルの笑顔が、ひどく歪んで見えた。
目を覚ますと、すぐに違和感に気がついた。
わたしの部屋じゃない。
最後にジルにされたことははっきりと覚えていた。ハンカチを押し当てられた。その後の記憶がない。
それって、まるで。
それはない、と言い聞かせながら、ドアの方へ向かう。
きっと疲れが溜まって倒れたのを、ジルが介抱してくれたに違いない。
けれど不信感は募っていく。
このやけに広い一室に、バスルームやキッチンなどが全て揃っているのも変だ。この部屋だけで暮らせそうなほどで。
ドアノブに手をかけた時、はたと気がついた。
視線の先には窓があった。外は自然の風景が広がっていて、澄み渡る青空――パーティが終わってから1日以上寝ていた、なんて、いくらなんでもおかしい。
どくんどくんといやに心臓が鳴る。このドアノブを捻っていいのかも分からなくなってきた。
――戸惑ったその瞬間、ドアが開いた。もちろん、わたしが開けたわけではない。
そこに立っていたのは、ジルだった。
「あの、ジル様ここは、その――」
「起きたんだな、調子は?」
「わ、悪くはないですけれど」
「まあ、来たばっかりだもんな、仕方ない」
どうして、そんなに平然としているのだろう。
ジルのいつもとは違った、なんとも言えない圧迫感を纏う雰囲気に声が出なくなっていく。
「……そう怯えるなよ。これからここに暮らすんだから、怯えられてちゃ困るんだけど」
「え、ここに、暮らす?」
どうして、と尋ねればジルはにこりと笑った。
笑う、というより、あの時見た歪な表情に近かった。
「どうしてって、夫婦になるからに決まってるだろ。お前は俺を拒むけど、俺はお前を離せない。愛してるんだよ、なのに受け入れてくれない。俺はお前のことをもうとっくに友達だなんて思えなくなっていたのに」
理解が追いつかない。
ジルはわたしのことが好き、それは異性としての方の好きで。
友達だと思っていたのは、わたしだけだったの?
今までの思い出はどうなるの?
けれど、無理やりここに連れてこられた、これから監禁状態を強いられるということは、悲しさを吹き飛ばすには十分だった。
わたしの身体は震え始めていた。きっと、ここにいるのはまずい。そんなことくらい理解したけれど、今のわたしには魔法もない。ジルに腕力や体力で勝てるとは思えない。
それでも、わずかな隙を見つけて逃げるしかない。
わたしは浅く呼吸をしながらその隙を見つけるためにジルと会話を続けることにした。
「大変だったんだからな。領地の管理に、この別荘を作ったり。あ、でも暮らしやすいようにしたんだ。これからずっと一緒に過ごしていくわけだし」
「……ずっとではないでしょう? だってここがどれほど遠くの領地かわからないけれど、ジル様は公爵になるのですから」
「そうだな。たしかに俺は行ったり来たりすることにはなるだろうけどな」
思ったよりも不利な条件にわたしは思案する。
以前領地管理を任されたと言っていたことを思い出し、まさかこのためだったとはと驚く。とにかく、ここが地方なら今逃げたところで捕まる。
なら。
「今は大人しくしていよう――まあ、お前ならそう考えるだろうな」
「え」
「なんだよ、図星かよ」
わたしは目を逸らす。だめだ、この態度では肯定も同義だ。
ジルは深くため息をつく。それから突然荒々しくわたしの手を掴んだ。抵抗しようとしたけれど捻り上げられて、わたしの口からは悲痛の声が漏れる。
「抵抗するなよ、俺だって傷つけたいわけじゃない」
ジルはそう言うと、そのままわたしをベッドに放り投げる。
覆いかぶさってわたしの手をシーツに巻き込んで縫いとめた。
「待って、待ってください、いやっ」
「待たない」
ドレスが脱がされていく。これから何をされるか、いやでもわかる。身を捩って抵抗するが、顔を掴まれて深くキスをされた。視界がチカチカする。身体がぶわっと熱くなっていく。また、何か、盛られた?
ぼんやりする頭はだんだん思考を放棄していく。
――楽になりたい。お願いだから、楽にしてほしい。早く。
「俺、気づいたんだ。心が手に入らないなら無理やり奪えばいいんだって。だから、お前がなんと言おうと、今ここで、俺のものにする」
完全に理性を飛ばしたわたしは、「ジル」と縋るように口にした。
ベッドの上で上半身を起こして窓に目を向ける。
隣にはジルが寝ている。
ここは地下で、窓は魔法をかけてあるらしい。窓から見える景色にバリエーションを増やしたいけれどこれがなかなか難しくて、とジルは言った。
わたしはこの先ずっとこの嘘まみれの風景しか見ることができない。
呆然としたままジルに視線を落とした。
いっそ、好きになれば楽なのだと思う。けれど分からない。そうできればいいのに。そう、しなくてはいけないのだろうけど。
「起きた? 身体は、痛くない?」
「…………はい、大丈夫です、ジル様」
「よかった、大好きだ、ローズ」
「はい」と小さく答えた。ジルはなんとも幸せそうに顔を綻ばせた。笑顔、なのかもわたしにはよく分からない。
「これで、ずっと一緒だ」
ジルはわたしを優しく抱きしめた。
その顔は、なんだか黒く塗りつぶされていくように見えた。




