歪 レイ・ウィステリア
……限界だ。
ローズ・アメリアは僕に全く靡かない。婚約話はおろか、軽いデートやプレゼントにも応じない。普通の令嬢と思考パターンが違うことくらいとうに分かっていたのに。
早く死ななくては。一刻も早く、僕のような人間はいなくならなくてはいけないのに。
ローズさんのような綺麗な心の持ち主に殺して欲しかった。それが死ぬ時の唯一の望み。でも時間がかかりすぎる。待てない。僕は早く死ななくちゃならないから。
だから、諦めた。ローズさんの意志で、というのは。
睡眠作用をかけたポーションを飲んだ彼女はよく眠った。
さっきまで嬉々としてロストを倒しているときは少し心配になったけれど、すうすうと眠る彼女は可愛らしい。
どうやら、眠っているときは手前で手を重ねる癖があるのか、白い手が目に飛び込んでくる。
死に方は考えた。彼女の滑らかな手で絞殺してもらう。
鍛えていてほどよく筋肉がついた綺麗な手だ。この手になら、殺されても全然構わない。
夜になって、もう一度部屋を訪れた。
昼間、最後の駄目押しで婚約話に乗り気でないことを確認した僕は、やむなく意志が伴わない死を選ぶこととなった。
ほどよく月明かりに照らされる彼女は本当に美しかった。
バラ色の髪がキラキラと輝いていて、まるで絹のよう。
手を重ねて眠る姿のせいで彼女の方がよっぽど死人のようだった。
もしも彼女が死んでしまっても、こんなに美しいままのような気がする。
そう思ったのとほぼ同時に、僕は彼女の手に口づけを落としていた。最初は跪いていたけれど、だんだん馬乗りになっていく。時折、眉を顰めるのに、起きる気配はない。
……心のどこかで、目が覚めたらいいのにと思った。
目を覚まして『どうしたんですか?』って、優しい目で見上げて。
それから――
「おかしいな……そんな思いはとっくに忘れたはずなのに」
掻き消すように自嘲した。
死の間際になると、こんな僕でも未練が湧き上がるものなのだろうか。
先ほどまでキスを落としていた手をとって自分の首元までもっていく。手を重ねて、彼女の手の上から力を込める。
親指にぐっと力を込めると、途端に苦しくなった。かはっと乾いた息が出た。
不思議な気分だ。
間接的に彼女に殺されている。彼女の滑らかな手で、僕の首がぎりぎりと締め上げられていく。
でも、なぜだろう。どうしてもやりきれない。あと少しな気がするのに、それができない。
葛藤していると、不意に彼女と目が合った。
目が覚めたばかりの彼女はいまいち状況が飲み込めないらしかった。
僕も驚いていたし、たぶんそれ以上に彼女は驚いていたと思う。
それからすぐ、彼女は僕の手を振り払って「死にたいんですか!?」と叫んだ。
死にたいよ、死にたいに決まってる。僕なんか、いない方がみんな幸せだった。
彼女は意外とすんなりとそれを理解したようだった。僕の食事量が少ないのも見抜かれていたし、それでいて軽く脅しをかけてきた。
僕を殺した彼女は、たぶん重刑は逃れられない。別に彼女をそういう目に合わせたいわけではないけれど、そこまで考えられないはずはなかった。
言葉にされると、自分の独りよがりを痛感させられた。
理由を吐かされて、僕は彼女を恐る恐る見た。
そんな理由で? と怒るだろうか。それともありきたりに慰められて『死なないで』というのだろうか。
どっちにしろ、僕には何も響かない。そんな同情なんていらない。
「ありきたりな慰めはしません。たぶん、レイ様が何年もの間募らせてきた死にたいという思いには、勝てないでしょうから」
彼女はそう言うと突然兄の元へ行くと言い出した。深夜、寝巻き姿で。
僕のため、というよりかはただ単純にそれがイラつくから、というようなそんな雰囲気だった。ズカズカと歩いていく彼女を引き留めきれなかった。
兄が対応するわけない、そもそも起きていないだろうと思っていたから、全くの予想外なことが起きて驚いた。
僕が最近見ていた兄は、少なくとも礼を弁えないような態度の人間には冷たく当たるような人だったから。
彼女が花の乙女だからだろうか。もしかしたら政略結婚でも迫るのかもしれない。
僕は部屋の中で話す2人の声に耳を傾ける。彼女の声はよく通るから、少し壁に耳をつければよく聞こえた。
それからは、本当にあっという間だった。
兄は誰よりも状況をよく理解していた。このまま勢力が二分し続けるくらいなら、自分が暴君を演じればいい。僕を王にしてそれを陰で支える。
兄は本意で僕を避けていたわけではなかったのだ。
兄とはすぐに仲直りした。今までのことをたくさん話して久しぶりに心が軽くなったような気さえした。
彼女はどこか安堵したように微笑んでいた。
その笑顔を見て、僕は心か何かを、ひどく抉られたような気分になった。
僕はこの3年間ずっと、死にたいがために彼女をその道具として見ていた。もし彼女が僕を好きになってくれていたとして、僕はそんな彼女に『殺して』と頼むつもりだったのだから。
そう思うと、途端に申し訳なさと後悔と苦しさとが襲ってきてぐちゃぐちゃになった。死にたかったのは、ずっと僕はいらないと思っていたからだ。でももうその必要はない。
急に、死ななくてよくなった。
――じゃあ、僕のこの死にたかった気持ちはどうなる? ずっとずっと抱えてきた気持ちだ。ローズさんすら巻き込んで僕はついさっきまで死のうとしていたのに。
ぽっかり穴が空いたところに急激に暖かいものが流れ込んでくる感覚。むしろ、僕にはそれがマグマにすら思えた。
呆然と彼女を見つめた。
彼女は優しく、高潔で、本当に素敵な心の持ち主だ。
彼女といれば、マグマになった部分を普通に戻せる気がする。
今度こそ、本当に、彼女が欲しい。
僕が、死にたかった僕が、唯一正しく戻れる方法がそれだけな気がするから。
「僕なんかが、君を欲しがってもいいのかな」
ぼそりとこぼした言葉は聞こえているわけがない。けれどなんだか彼女は笑ったように見えた。




