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流れるように誘拐

 

 ぴちょん、と頬に雫がつたっていく。

 そこで一瞬意識を取り戻して、急激に身体が冷えていることに気がついた。春先とはいえ、まだまだ寒い。


 そこで初めて今寝ている場所が自分の部屋ではないことに気がついた。真っ暗で明かりは近くに置いてあるランタンのみ。どうやら用具入れのような場所らしく埃っぽい。

 しかも最悪なことに、手足が縛られている。



「今度は誘拐ですか……」



 やれやれ、と肩をすくめた。ヒロインは多忙である。


 思い起こせる限りでは、ラギーと分かれたあと植物園へ向かった。その途中で、誰かに口を塞がれた、ような。

 いじめか何かだろうか。となると、誰かが助けにくる可能性は非常に高いけれども。


 上の方に小窓があった。見た感じもう夜で、雨が降っている。どうやら雨漏りしているらしいここはすごく寒い。

 攻略対象の救出なんて待ってられない、わたしは早く帰って寝たいんだ。


 よし、出よう。


 そう決めるとすぐ脱出に取り掛かった。


 拘束は幸いにもロープでされていた。ランタンの明かりを頼りに机の脚の角張ったところに擦り付けていく。だいぶロープが擦れたところであとは力技でちぎった。


 だいぶ甘く見られているな、と思いつつドアノブを捻ってみる。さすがに鍵がかかっていた。


 さてどうしようか、と考えていると以前読んだ本の内容がフラッシュバックした。前世でもゲーオタだったからか仕組みが知りたくて調べた記憶がある。

 そう、ピッキングである。


 辺りにはいい感じの細い棒がなかったため、わたしは試しに杖を振ってみた。人を誘拐する場所には森みたいなところを選ぶはずだ。

 すると、予想通り、パキパキと枝が伸びてきた。

 わたしは鍵穴を杖の先端で光らせながらピッキングをした。見よう見まね、知ったかぶりの知識でしかないけれど、なんだか楽しい。


 やがて、かちゃりと扉が開いた。

 恐る恐る外を眺めてみるものの、誰もいない。さらにここは学園内らしかった。学園内の裏庭の用具入れだ。


 うーん、いじめで決定かな。最近は女子生徒たちに詰め寄られることもなくなっていたから安心していたのに。



「なんだかお粗末すぎて呆れてきた……」



 このまま帰るのも癪なので、『楽勝で脱出しました』と煽りともとれる置き手紙を書き残した。傘を拝借して用具入れを後にする。




 案の定、ナインがお迎えに来ていた。

 兄は雨でびしょびしょになっていて、全く帰る気配がないから不安になり3時間近く探したのだと言っていた。時刻は夜1時をすぎている。

 とりあえず、わたしは兄を傘に入れて、風魔法を使って軽く乾かした。



「ごめんなさい、誘拐? いや、いじめにあったみたいで……」

「え?」

「裏庭の用具入れに閉じ込められていたんです。お粗末だったので、普通に脱出してきたのですが、なんせ目が覚めたのがついさっきで」



 ナインはことの顛末を聞くとひどく驚いたようだった。いじめられたことへの心配や、自力で脱出してきたこと、特にいじめがあったことについて驚いていたようだった。



「僕は生徒会長として、いじめやそういうことをしそうな生徒は調べていたんだよ。たまにいるんだけどね、そういう人たちは制裁していたものだから」

「せ、制裁」

「ローズだって、最近はいじめられていなかっただろう?」



 たしかに、中等部で何度かやられて以来、ずっとご無沙汰だった。あの時は絡まれて面倒だったから兄に相談したけれど、まさか制裁されていたとは。そういえば、あの人たちって退学させられていたような……



「もっと警備を強化してもらわないといけないね」



 真顔で呟いた兄に、何も聞かないでおこうと思ったのだった。





 それにしても、いじめにしてはかなり思い切ったものをやったものだ。

 女子生徒たちだけで襲って、眠らせて、用具入れに押し込めるなんて作業ができるものだろうか。かなり怪力のそれも手練の女子がいるのかもしれない。


 そう思いながら歩いていると、突然前に誰かが飛び出してきた気配がした。わたしが俯いて歩いていたからか、と「すみません」と謝りながら顔を上げると、どうやら相手が故意に飛び出してきたのだと気がついた。


 見たこともない青年がにやつきながらわたしを見下ろしていた。

 亜麻色のくせのある髪に深紅の瞳。しかも、顔がはっきり整った美男子。

 十中八九、攻略対象である。



「はじめまして、花の乙女ちゃん。俺はケイト。ケイト・グリンデルバルド」

「ローズ・アメリアです。えっと、グリンデルバルド様、わたしに何かご用でしょうか」

「あ、ケイトでいいよ。家名で呼ばれんのあんま好きじゃないんだ」



 怪しさ全開すぎる。軟派で赤目、それに強そうな家名。しかも呼ばれたくないときた。訳ありでしかない。

 しかも制服の腕章を見る限り、彼は2年生だ。ろくな用事じゃないことだけは分かった。


「それで、ケイト様、何かご用ですか」と言い換えて再度尋ねる。すると、ケイトはにんまりとだいぶ気味の悪い笑みを浮かべて、ポケットから取り出したものをちらつかせる。



「だいぶ煽ってくれてありがとうね?」



 取り出したもの――それはわたしが用具入れに書き残してきた煽り文の紙に違いなかった。


 つまり、ケイトがわたしを閉じ込めた犯人ということになる。



「いやあ、ちょっと痛い目見てほしいなあと思って軽く閉じ込めてみたんだけど。まさか自力で脱出されるなんてね!」



 感情が読み取れない。どこか楽しげにすら見える。

 攻略対象に誘拐されたとなると、だいぶ面倒さの重みが違ってくるのだけど。



「……わたしがお嫌いなら、わざわざこんなことを言いにくる必要はなかったのでは」

「え? どうしてよ?」

「だって、痛めつけたいなら正体なんて明かさない方がいいでしょう? わたしに自分がやったと申告すれば対策されてしまうじゃないですか」



 余計なことを口走ってしまった。けれど攻略対象がそんなことも分からないアホなわけはないのだ。ケイトの返答を待てば、案の定ケロッとした顔で「ああ、それはどうでもいいんだ」と言われた。



「誘拐されて怯まないなら何度やったって一緒でしょ? だったら正体明かして関わる方が楽しいかなって」

「悪趣味ですね……」

「そうだね。なんとでも言ってよ」



 けらけらと楽しそうに笑う。彼の言う通り、監禁レベルの執着があるゲームだと構えて生きてきているため、今更変な人が出てこようと大して驚かない。それにこういう怪しさ全開の方が対策しやすくていいかもしれない。



「まあ、これからよろしくね。ローズちゃん」



 終始にやついた顔のまま、彼は去っていく。


 ああいうのも兄がなんとかしてくれたら楽でいいのに……そう願いつつもケイトの後ろ姿がもう見えないことに気がついた。

 うん、たぶんあれはおにいさまでも無理なやつだ。


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